第41話 南野結衣は振り返る VTuber誕生の裏側へ
いま思えば――最初に設立したライトブルーファンド合同会社は、冗談みたいな“家族法人”だった。
メンバーは、私、そして法定上だけ名を連ねた兄と両親。
社内会議といっても実態は家族LINEのトーク履歴そのまま。会社印の置き場所はリビングでよいか迷ったのを思い出す。
だが、その“おままごと”が変質しはじめたのは、私自身の投資成績が想定外の速度で跳ね上がり始めたころだ。
――きっかけは、たぶん本格的にデータ分析に夢中になったことだと思う。
学生時代から、数字やチャートを眺めている時間が好きだった。自分では「ちょっと地味な趣味かな」と思っていたけれど、周囲から見れば、その熱中ぶりは少し変わっていたのかもしれない。
気がつけば、ニュースや決算データ、SNSのささやきまでを自然と拾い集めて、頭の中で組み合わせていた。膨大な情報も、なぜか“整理してみたくなる”。
一度ハマると、昼も夜も関係なく、まるでパズルを解くように様々なデータを並べていく。そうしているうちに、誰も気づいていない“流れ”や“パターン”がふっと浮かぶ瞬間がある。
「今だ」と直感が背中を押すとき――そのときには、もう自分の中で次に選ぶべき投資先や戦略のイメージが、自然にクリアに決まっている。
本人にとっては、ただ“少し調べてみた”だけなのに、気づけば周囲が驚くような判断を下していた。いつの間にか、それが自分の“当たり前”になっていたのだ。
兄や両親は、「また結衣の癖が出てきた」と呆れ半分に笑っていた。けれど、資産が二桁、三桁と膨れ上がるにつれ、家族の空気もどこかピリッと引き締まった。
いつの間にか金融機関からは“プロの投資家”として扱われるようになり、「うちのファンドと組みませんか」といった営業も舞い込むようになった。
――でも、私は誰とも組まなかった。
自分の目と手、それから“何か”――たぶん“嗅覚”と呼ぶしかない感覚だけを頼りに、未熟なりに直感を信じてきた。
人からは「運がいい」とか「情報網がすごい」と言われることもあったけれど、
――実際は、ほとんど独学と孤独な試行錯誤の連続だった。
何百、何千という企業データを“ひたすら食べる”ように読み込む。
気がつけば、一晩で数年分の四季報を読み切ってしまう日も珍しくなかった。
――“才能”という言葉には、どこか嘘くさい響きがあるけれど、
その時期だけは、私も少しだけ自分の“異常性”を意識し始めていた。
実態のある事業としては、まだ「中小企業を単発的に買収」する程度で、本格的な企業体にはほど遠かった。
それでも、買収した会社に何度も訪れ、実態と数字がズレを確認しに行った。
私にとってはその“違和感”こそが、最高のシグナルだった。
――とはいえ、一人で何もかもやるには、さすがに限界があった。
最初に頼ったのは、フリーランスや士業の専門家たち。
小さな契約から始まり、どこかよそよそしい関係だった彼らも、私の仕事ぶりに巻き込まれるうち、少しずつ距離が縮まっていった。
法務の小西さん、ITの真壁さん――最初は単発の外注だったけれど、難題を次々に突破してくれた。
大きなトラブルの夜、チャット越しに「うちで正式に一緒にやってみない?」と誘ったことを、今でも鮮明に覚えている。
それぞれが正式に“正規メンバー”として加わりはじめると、
家族LINEは業務用のチャットツールに進化し、グループの輪郭がはっきりと見えてきた。
資産が拡大するほどに、家族法人だったはずのライトブルーファンドは、
“人”と“知恵”と“直感”で進化し続けた。
それは、いま思い返しても――ひとつの「奇跡」だったのかもしれない。
***
家族だけで回していた頃――正直言って、どこか“自分ひとりの勝負”だと思い込んでいた。
けれど資産の増加とともに、現実は待ってくれなかった。
小西さんが最初に正規メンバーとなった日。
「うちの案件、もう“外注”じゃ手が回らなくなりそうです」
そう伝えたら、チャットの向こうで彼女が少しだけ口元を緩めた気がした。
「――やっとその気になりましたか」
彼女の言葉はクールだけど、どこか親しみが混じっていた。
彼女を迎え入れてから、私は“自分の弱点”を具体的に意識するようになった。
真壁さんも、ITインフラが限界を迎えたタイミングで「うちに本腰入れてみませんか」と声をかけた。
“悪ノリの天才”だと思っていた彼が、いざグループの中核を担うとなると、
システムの刷新も、社内セキュリティの構築も、信じられないスピードで仕上げてしまう。
さらに海外絡みの契約や案件も増え始めた頃、アンナさんを“本採用”する交渉は、
深夜のZoom会議で繰り広げられた。
彼女は一流企業をいくつも渡り歩いてきたグローバル人材――
そんな人が、本当にうちの規模で働くことになるとは思っていなかった。
「あなたのやり方、面白いわ」
そう一言残して、アンナさんは入社の意思を伝えてくれた。
時には小さな案件で手痛い損失もあった。
でも、その度に専門家たちがフォローしてくれて、
「一人で全部背負い込む必要なんてない」と教えてくれた。
Slackには日々、業務報告や、時には無駄話まで飛び交い、
“会社”というより、“変わり者の集まり”のような空気。
それでも、みんな本気で仕事に取り組み、「結局、人だよな」と父が呟いたのはこの時期だった。
小規模なグループ経営体としての“船出”――
買収した中小企業も、単なる投資先ではなく、「うちの仲間」に変わっていった。
やがて、合同会社の枠を超え、
「ライトブルーファンドは“チーム”で動く」という文化が、ゆっくりと根付きはじめた。
――私はこの時期を、“自分が一人じゃない”と本当に実感できた初めての季節だと思っている。
***
変化は、いつも唐突に訪れる。
ライトブルーファンドが家族経営から、仲間たちの小さな集団に――そしてグループとして動き出したその時、世界はまだ私たちを“ちょっと変わった合同会社”くらいにしか見ていなかった。
けれど、ある日。
これまで単発でしか仕掛けてこなかった企業買収の流れが、思いがけない方向へ加速し始めた。
きっかけは、ひとつの優良ベンチャーが抱える事業承継問題だった。
経営者はまだ若いが、急成長の裏で資金繰りに苦しんでいた。
私はその会社の数字を一目見て――「ここだ」と確信した。
他の投資家が手を引く中、私はグループの総力と自らの資本を動かし、経営再建に乗り出す。
この時期、自分の“異常性”が加速し始めた感覚がある。
どれだけ複雑な決算書でも、五分もあれば資産とリスクの構造を頭の中で分解できる。
何百社もの財務データを一夜で精査し、誰よりも早く「潮目の変化」を察知する。
仲間たちも「結衣さんの判断は、説明できない速さだ」と冗談交じりに笑っていたが、
本気で頼られているのがわかった。
この“企業再生”が成功すると、次は周囲から相談が殺到する。
地方の老舗メーカー、物流の急成長企業、時代遅れと揶揄されたサービス会社――
それぞれに潜んでいた本物の“価値”を嗅ぎ分け、私はグループのネットワークに加えていった。
最初は“家族的”だった空気も、次第に熱気を帯びていく。
Slackでは役員陣と専門家たちの議論が絶えず、
「どうせなら、どこにもない事業体を作ろう」と、真壁さんが新規プロジェクトをぶち上げ、
アンナさんは海外の資本家たちとの連携案を次々と持ち込んでくる。
――でも、華々しい拡大の裏側には、必ず「壁」があった。
買収先の現場からは「外部資本の侵略者」扱いされることもあった。
人材流出、システム障害、想定外の訴訟――
あらゆるトラブルが押し寄せる中、私は何度も自問した。
「ここまで来て、守るべきものは何だろう?」
目先の利益か、それとも――この“集団”としての未来か。
この頃、外部からは“謎の急成長企業体”として週刊誌や経済紙が騒ぎ始める。
それでも、現場の私たちは変わらず数字と格闘し、新たな仲間を巻き込みながら“本物の地力”を蓄えていった。
そして――
運命を変える“もうひとつの突破口”が、突然目の前に現れる。
それが、エンタメ事業への本格参入――
すなわち「VTuber×メタバース」プロジェクトの始動だった。
誰もが「投資ファンドがなぜ?」と首を傾げた。
だが私は、数字だけではない“人の熱狂”が、次の成長ドライバーになると確信していた。
この決断が、ライトブルーファンドを――いや、「ライトブルーホールディングス」を
誰も予想しなかった“次元”へと引き上げる第一歩になったのだ。
ここまでくると法的にも1つの仮面は外さざるを得ないかなと思います。
いや、現実なら普通にアウトなんですが。