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ライトブルーファンド~億り人がVTuberでやり過ぎる  作者: 桐谷アキラ
静かなる成り上がり――“普通”の隣に生まれる伝説
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第4話 熱狂と、私だけの決断

 朝、いつもの通勤電車の中。

 南野結衣はスマホを手に取り、ふとウォレットアプリを開いた。


 ――8億。


 まるで現実感のない数字が、そこにあった。

 一夜で数億が積み上がる、この春の仮想通貨バブル。

 SNSもニュースも、「億り人続出」「史上最大の祭り」なんて言葉が躍っている。


(本当に、私が“この渦中”にいるの?)


 窓に映る自分の顔は、どこか他人事のようだった。

 通勤電車も、会社のフロアも、みんな変わらないのに。

 自分だけが、見えない世界に片足を突っ込んでしまった気がした。


***


 職場の昼休み。

 食堂の丸テーブルを囲んで、同僚たちはスマホを片手に仮想通貨の値動きや、SNSのバズった投資ネタで盛り上がっていた。


「なあ、ビットコインまた爆上がりだって! やっぱ乗るなら春だったなあ」

「私はもう遅いと思ってる。こういう時って怖いんだよね」

「いや、ボーナスで買ってたら今頃……」


 皆の目が一斉にスマホに釘付けになる。

 画面越しに繰り返される「億り人」の成功談や、「ガチホ最強!」なんてフレーズ。

 つられて誰かが「今日の昼飯代くらい、仮想通貨で稼いでみたいなぁ」と冗談めかして笑う。


「結衣は、なんかやってる?」


 突然、話題がふられる。

 ドキリとしながらも、いつも通り柔らかく微笑む。


「ううん、ニュース見るくらいかな。値動き早すぎて、私には無理そう」


「え~、結衣なら地味に上手くやってそうなのに」


「そうそう、ちょっとセンスありそうな雰囲気あるよね」


「やめてよ~、本当にわかんないし。なんか怖くて手が出せないよ」


 笑い声が弾む。

 でも、結衣の胸の奥では誰にも知られない高揚と不安が激しく入り乱れていた。


 同僚たちの“普通”が、急に自分とは別の世界のルールで動いているように思えた。

 それは、彼女だけが「桁違いの金額」と「市場の波」を抱えているからかもしれない。


(きっと、誰にもわからない。

 いま自分が、何を手にして、何を恐れているかなんて)


 ひとしきり話が盛り上がった後も、結衣は笑顔を崩さないまま、

 心だけはずっと、“外”を眺めていた。


***


 仕事を終え、帰りの電車でSNSを開く。

 そこは熱狂の渦――

 「まだまだ上がる!」「今売ったら負け組」「もう人生安泰」と、祭りのような大合唱。


 でも、そのなかで結衣の匿名アカウント――

 “小動物アイコン”の観察系アカウントは、数字より「市場の地鳴り」「資金の流れ」「異常値やノイズ」をひたすら拾い上げ、

 結衣のつぶやきとそのグラフや相関データがじわじわと界隈の影響力を持ち始めていた。


《今日の夜間、出来高に妙な偏り。短期筋の動きが消えて“吸われてる”感じ》

《持ち合い崩れた瞬間の板の分布、去年の急落直前に似てる気がする》

《みんな上目線だけど、一応“出口”は意識した方が安全です》


 “このアカウントのグラフがやたらと参考になる”――

 そんな風に、一部の投資クラスタから密かに一目置かれている。


 ある晩、結衣は眠れぬまま布団にくるまり、

 スマホを持つ手の中でSNSのタイムラインを何度もスクロールしていた。

 「全ツッパ!」「今がラストチャンス」「利確は裏切り!」――祭りのような喧騒。


 その一方で、彼女の脳裏にはデータの断片が嵐のように巡っていた。


(出来高…北米時間の急なスパイク、アジア系取引所の板の薄さ…

 ニュースの裏で誰が資金を抜いてる?

 大口アカウントが減らした履歴、ショートカバーの仕込み…

 流動性が増えてるのに板は軽い。

 “個人投資家が気にしていない”変則的な資金移動――)


 常人なら到底たどり着けない領域。

 市場の表層だけでなく、見えない“下層のうねり”まで追いかけていた。


 (このまま進むとは思えない。…これ、どこかで何かが崩れる)


 その確信は、数字やグラフの裏から直感のように浮かび上がった。


 誰に相談するでもなく、結衣はふとSNSの投稿画面を開く。


《私は、半分利確します。ここからは守り優先でいきます。》


 小さな小動物アイコンと共に、その一文がSNSの海に静かに投げ込まれる。


 たった一行なのに――瞬く間に界隈がざわめいた。


《え、マジで?ここで降りるの?》

《もったいねぇ!》

《この人、データガチ勢なのに…逆にフラグか…?》

《あのグラフ主が利確宣言したぞ。もう天井かもな…》

《どこの機関投資家だよ》

《アイコンかわいいけど手口エグい人だ》


 リプ欄と引用が止まらない。

 一部は同調し、一部は嘲笑し、一部は静かに分析を重ねる。

 そして、「このアカウントの言葉は市場を一瞬だけ揺らす」――

 そんな空気が、確かにネットの片隅で生まれていた。


 画面越しの熱狂から、一歩だけ外れた場所にいる自分。


 だけど、不思議と寂しくなかった。


(みんなが群がる“波”の表面じゃなくて、私はもっと静かな流れ――

 むしろ、誰も気づかない“深層”を見てる)


 結衣はスマホを伏せ、ゆっくりと目を閉じた。

 頭の中でデータが音もなく並び替わり、“次の一手”が静かに組み上がっていく。


 深夜、結衣はスマホを手に、兄・拓真にLINEを送った。


《仮想通貨、だいぶ増えたよ。……正直、ここから先どうするのが“普通”なのかなって》


 すぐに既読がつき、短い返事が届く。


《どうせもう利確する気なんだろ? 結衣が「迷ってる」って言う時は、だいたい腹は決まってる》


 ふっと笑みがこぼれる。


《やっぱり分かる? でも…たまには相談するフリもさせて》


《バブルは必ず終わる。儲かってる時ほど守りに入るべき、って昔から言うだろ》


《うん、ありがとう》


 兄の言葉は、結衣の背中をそっと押してくれる「確認印」みたいなものだった。


 ――結衣は深呼吸をしてからスマホを開き、

 静かに利確ボタンを押した。

 資産の半分以上を現金化し、残りはETFや現金へと分散。


 指先がかすかに震えた。

 取引が完了した瞬間、心の中にふっと静けさが戻ってくる。


(この決断だけは、誰のものでもなく、私のものだ)


 スマホの画面を伏せて、窓を少し開ける。

 夜風がカーテンを揺らし、部屋の空気がほんの少しだけ変わった気がした。


 だが、その静けさは、どこか現実から遊離したような感覚だった。


***


 翌朝、会社へ向かう道。

 通勤電車の揺れも、駅の雑踏も、すべてが遠い世界の出来事のように感じる。


 職場に着き、パソコンを起動し、

 積み上がるタスクをこなしてみるけれど、心はどこか宙に浮いていた。


 昼休み。

 食堂で配られる給与明細を受け取った瞬間、ふと手が止まる。


 かつては毎月の数字に一喜一憂した自分が、今はその紙切れに何の感情も湧かない。


(私は、どこまで来てしまったんだろう)


 隣のテーブルでは、同僚たちがボーナスや来期の昇給の話で盛り上がっている。

 でもその輪の中に入ることが、なぜかできなかった。


 帰宅すると、家族の会話は変わらず穏やかだった。

 母は微笑み、父は新聞のスポーツ欄を読んでいる。

 兄は「地元で小さな店を始めようかな」と夢を語っていた。


「結衣も、無理せず、自分のペースでやればいいんだよ」


「うん。――ありがとう」


 家族の温かさが、逆に少しだけ距離を感じさせる。


 夜、ベッドでスマホをいじりながら――

 タイムラインには「また波が来る」「次はどこで乗る?」と熱い声が流れる。

 けれど結衣は未読のまま画面を閉じる。


(私の“熱狂”は、もうここにはない)


 翌朝の通勤路。

 窓に映る自分の顔は、昨日より少しだけ大人びて見えた。

 職場の昼休み、陽射しが差し込む屋上で静かに空を仰ぐ。


(これからも、自分のデータと感覚を信じていこう)


 社会の熱狂から外れても、

 私は私のペースで――日常と非日常の境界を歩いていく。


 どこにも属さず、どこにも流されず、

 静かに“私だけの決断”を積み重ねていく。

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