第38話 バーチャルからリアルへ
バーチャルフェス本番から数日。
ライトブルーホールディングス本社の会議フロアは、普段よりも少しだけ華やかな空気に包まれていた。
フェスの大成功は、想像以上の反響を呼んでいた。
SNSでは「女帝様スポンサー神回!」「この資本力で推し活を変える!」といった称賛の声が連日トレンド入りし、企業・自治体・業界内でも“バーチャル×リアル”の新しい波を予感させる盛り上がりを見せていた。
そんな中、経営戦略会議の冒頭で広報の蒼井が静かに報告する。
「地方自治体から、正式にコラボ案件のオファーが届きました。
内容は――“バーチャルイベントで得た熱量を、地方創生と次世代教育の実証実験に活かしたい”とのことです」
蒼井が示したプロジェクト資料には、地方都市の市長や役所幹部のコメント、現地企業の共創案まで並んでいる。
「すごいスケールですね……」
法務の伊吹が資料をめくりながら呟く。
「表向きは“受託”案件ですけど、本音はライトブルーホールディングスの資本力とPR効果、そして女帝様ご本人――南野結衣さんの“意思決定”を頼りにしているんでしょう」
柚希が、資料のすみで結衣をちらりと見る。
結衣は黙って目を閉じる。
(やっぱり、来たか……。バーチャルの成功が、いよいよ“リアル”に波及し始めてる)
プロジェクトの骨子は「地方都市を舞台にしたバーチャル×現地リアルイベント」
・観光PRと次世代教育の融合
・現地企業・自治体・ライトブルーホールディングスによる三位一体運営
・大規模なPRイベントや実証実験(合同記者会見・体験交流会・学生向け配信)
そして決定的な一文――
「最大出資者である南野結衣氏ご本人の“現地出席”および意思決定者としての直接説明を、行政・協力企業側が強く希望しています」
会議室に沈黙が落ちる。
だが誰も“NO”とは言わない。
広報、法務、マネジメント、それぞれが自然と次の行動を探り始める。
「この規模だと、もう従来の秘匿だけでは通用しませんね」
伊吹が静かに言う。
「社会的責任ってやつですよ。行政も企業も、“本当に信頼できる顔”が欲しいんです」
蒼井も頷く。
「女帝様……いえ、結衣さん。ご本人が“出る”かどうかで、このプロジェクトの成否が決まると思います」
柚希がやさしい視線で問いかける。
結衣はゆっくり深呼吸してから、微笑みを浮かべる。
「……分かりました、私が現地に出ます。
ただし、準備期間はきちんと確保してください。
“私一人”では不安なことも多いので、信頼できる仲間たちの力も借りて、絶対に成功させたいです」
会議室の空気が、ほんの少しだけ温かくなる。
「なら、運営チーム全力でサポートします!」
(この瞬間、バーチャルで築いた“夢”が、現実の世界にしっかりと根を張る。
怖さもあるけれど、……今ならきっと、乗り越えられる気がする)
会議フロアの窓の向こうで街の景色が少しずつ、変わろうとしていた。
***
ライトブルーホールディングス本社――
新プロジェクトの社内調整会議は、通常とは違うピリッとした空気に包まれていた。
行政サイドからの要望は「最大出資者・意思決定者である南野結衣との直接面談」。
ただし、イベント全体での“表立った”登場ではなく、記者会見や式典ではなく、あくまで“主要関係者を集めたごく限られた説明会”での「ご挨拶」と「最終判断」だという。
「メインステージで表に立つ必要はない――でも、行政の市長さんや地元企業のキーマンたちは“本物の出資者”の言葉を聞きたい」
柚希が資料を確認しながら言う。
「秘匿を徹底してきましたが、今回は例外ですね」
法務の伊吹が慎重な口調で続ける。
「ただし、写真や録画は不可。“関係者以外に口外しない”という誓約もきっちり取ります」
広報の蒼井が、行政と事前に取り決めたNDA(秘密保持契約)のひな型を見せる。
結衣は資料に目を通し、
「……こうやって、少しずつ“二つの世界”が近づいていくんですね」とぽつり。
「現地の雰囲気や熱気を、きちんと自分の目で見て、このプロジェクトに“本気”で向き合いたい」
と静かに決意を語った。
会議の終盤、運営チームがざわめく。
「現地には結衣さんが直接行くとして、地元協力企業や行政、運営サイドの一部にも“こちら”サイドで動く人材が必要です」
「みやびさん達が、現地PRのVサイド企画も任されてますよね」
柚希が控えめに話を振る。
結衣は一瞬、深く息を吐いた。
(――本当に、“ここまで”来たんだ。自分の正体を一部の仲間にだけ明かしてでも、この輪をもっと広げていきたい。
でも、それは同時に“リスク”も背負うということ)
「……現場運営やコラボ企画で、どうしても近くで連携が必要な人――
私は、みやびさんだけには“本当の自分”をきちんと説明しようと思います」
スタッフが真剣なまなざしでうなずく。
「その方が、みやびさんも“本気”で結衣さんをサポートできますし、何より現場に安心感が生まれると思います」
「秘密を守れる相手なら、きっと大丈夫。
彼女なら、心から信じていいと思いますよ」
蒼井が優しく背中を押した。
結衣は、仲間の励ましに少しだけ肩の力を抜いて、
「ありがとうございます。
今回ばかりは、私自身も“支えてほしい”んです」
と素直に微笑んだ。
(いつか誰かと“仮面を外して向き合う”時が来ると、心のどこかで思っていた――
いま、この瞬間がその“時”なんだ)
こうして、ごく限られた“秘密の準備”と“静かな決意”が、新しい輪の中心で、静かに動き出していった――。
***
みやびが案内されたのは、どこか物々しい雰囲気の会議フロア。
普段の華やかな配信現場や、賑やかな打ち合わせとは正反対の――
“この先に何が待っているのか”すら想像もできない静けさ。
スタッフはいつになく厳しい表情でNDA(秘密保持契約)を差し出し、
「本件は極秘事項です。内容を理解いただくまで詳細はお話できません」とだけ告げた。
(こんな空気、いままで一度もなかった……。ただのコラボの説明じゃない)
みやびは何度も内容を確認し、最後は小さく深呼吸してサインした。
ペン先がわずかに震えていた。
やがて扉が静かに開き、みやびの前に現れたのは――
配信で画面越しに何度も見てきた“女帝様”ではなく、
どこか見覚えのある、けれど初対面の女性。
その女性――結衣が、真正面からみやびに向き合った。
「……はじめまして。でも、ずっと“はじめまして”じゃなかったよね」
みやびの思考が一瞬で止まる。
その口調も、佇まいも、ずっと親しんできた“あの結衣さん”そのものだった。
でも、今ここで現実に対面しているのは――自分の事務所の社長よりもよほど大きな力と責任を背負っている“本当の南野結衣”。
状況が飲み込めるほどに、みやびの緊張はむしろ高まった。
(まさか……まさか、本当に……!?)
自分はこれまで“画面の向こうの人”とばかり思っていた相手が、こんなにも「現実」の重みを持つ人だったことに、戸惑いと同時に、不思議なくらいの誇らしさが湧いてくる。
だが、結衣が優しく微笑んだ瞬間、みやびの中の緊張が、ふっと溶け始めた。
「ごめんね、びっくりさせてしまって。
でも、本当に大事なことだから、どうしてもみやびさんにだけは知ってほしかったんだ」
結衣の言葉には、どこか“お願い”にも似た温度があった。
みやびは、目頭が熱くなるのをこらえながら問いかける。
「こんな大きなこと、私に打ち明けていいの?」
結衣は少しだけ照れくさそうに、けれどしっかりとみやびの目を見て言う。
「本当は、みんなにずっと秘密を抱えてるのが寂しかったんだ。
みやびさんも、ノアさんも、るりさんも……ビジネスのパートナーだなんて表では言ってきたけど、本当は、みんな友だちだと思ってる。
たくさん支えてもらってるし、笑い合ってる時間が、私には何よりも大事で――」
「どうして私だったんですか?」
みやびは、うれしさと戸惑いの入り混じった表情でたずねる。
結衣は一呼吸おいて、まっすぐ答えた。
「……みやびさんは、いちばん最初に“私自身”を信じてくれたから。
秘密を知っている人以外で表でも裏でも、“結衣さん”って呼んでくれる唯一の人だった。
どんなときも、“ちゃんと”私”と向き合ってくれた”ことが、私にとってはすごく、うれしかったんだ」
みやびの目が大きく見開かれる。
「そんな……私、何も特別なことしてないのに」
「それが、私には特別だったの。
みやびさんに“本当の自分”を見せても、きっと大丈夫だって、ずっと思ってた」
みやびは、はにかみながらもうれしそうに笑った。
「……私も、結衣さんと出会えて本当によかった。
これからは、友だちで――そして“共犯者”でいさせてください!」
ふたりは、しっかりと手を握り合う。
「秘密、絶対守ります。
だから、これからも一緒にいろんな景色、見せてくださいね」
会議室の空気が、不思議な安心と期待で満ちていく。
ふたりの間に、「本当の意味での信頼」と「新しい友情」が、確かに生まれた瞬間だった。
(ずっと“はじめまして”じゃなかった。
でも今、やっと“本当のはじめまして”ができた――)
どうしても仕事がらみが多くなって大人になってのお友達はなかなか作りづらいですね。