第31話 叫び、細目、ヘッドホン投げ――“素顔の夜”は続く
「いきます……!」
意を決して主人公キャラを洋館の暗い廊下へ進ませたものの、
結衣の手元はすでに震えていた。コントローラーを持つ指は汗ばんで滑り、親指の先までじっとり冷たくなっていく。
「だ、大丈夫……何も出ない……まだ何も……」
配信画面のLive2Dモデルは口元がひきつり気味で、目線もどこか定まらない。
チャット欄は「細目w」「ガチで見てないやつ」「絶対ビビってる」と、リスナーの茶化しや応援が絶えない。
廊下の曲がり角、薄暗いランプの光がゆらめく。
主人公が近づくと、奥から突然「カタンッ」と物音。
「うわあぁっ!!」
思わず女帝様の叫び声――というより、もはや呻き声がマイクに響き渡る。
そのまま反射的に手元のコントローラーを再び取り落とし、
バタンッ――!
ヘッドホンも外れて床に落ちる。
discord越しに「でかい音!」「今の何の音!?」「女帝様、機材全損しそう!」と一斉に声が上がる。
「ご、ごめんなさい……もう本当に、マジで無理……!誰がやるって決めたんだろう、バカじゃないの……!いや、私なんだけど……!」
自分自身に向かってぶつける、半分泣きそうな独り言。
みやびさんが慌てて「大丈夫だよ、ほんと無理なら一回休憩しよ!」と声をかける。
ノアも「女帝様、画面から消えてるよ!戻ってきて!」と笑い混じりに励ます。
レオンは「逆にイメージ良すぎるから安心して!」とフォロー。
しばらく息を整え、床に転がったヘッドホンを拾い上げる。
画面には主人公がぼんやりと立ち尽くしており、Live2Dモデルも一瞬動きが止まっていた。
「……もう無理……でも、みんな見てるし……」
配信の向こう側でリスナーが「素顔助かる」「ここまで取り乱す女帝様見たことない」「むしろ推せる」と騒いでいるのが、コメントの流れから伝わってくる。
もう一度深呼吸してヘッドホンをつけ直す。
でも、怖さは収まるどころかどんどん増していく。
画面の隅、ほんの一瞬だけ不穏な影――
ビクッとして、Live2Dモデルの瞳がすっと細くなり、
結衣はついに「細目作戦」に突入した。
ほとんど画面の中央を直視できず、
「はいはいはいはい、何もいません、何もいません……」と早口で呟きながら、コントローラーをほぼ感覚で操作する。
それでも、ゲームは容赦なく進む。
主人公が開いたクローゼットの中から突然何かが飛び出し、
「ギャアアアアッ!」と、思わず変なトーンの叫び――
喉の奥から絞り出すような、今まで配信で一度も出したことがない、汚い悲鳴。
discordの向こうでみやびさんもノアもレオンも一瞬絶句。
その直後、「その声、何!?」「女帝様のイメージどこいった!?」「やば、爆笑したwww」と大盛り上がり。
チャット欄は即座に
<ガチでやばい声w>
<女帝様、叫び芸開花>
<細目操作本気すぎる>
<ヘッドホン投げ芸2回目>
<イメージ崩壊最高>
――と、前代未聞の勢いで流れていく。
画面をまともに見られず、操作もめちゃくちゃ。
主人公キャラは壁にぶつかり、同じ場所をぐるぐる回る。
ノアが「女帝様、そっちじゃない!」「逆逆!」と助け舟を出すが、
「無理無理無理、もう絶対無理!!」と叫びながら、コントローラーのボタンをひたすら適当に連打する結衣。
「うそ……これ、絶対にイメージ違う……なんでこんな……?」
自分でもわかっていながら、つい素で呟いてしまう。
レオンが「今日だけは素の女帝様でいいんだよ!」と背中を押し、
みやびさんも「逆に今夜でファン増えるって!」と励ましてくれる。
ふと、チャット欄のコメントに目が留まる。
<人間味全開すぎて推せる>
<人間アピールぺろぺろしたい>
<こういう女帝様が見たかった!>
<こっちもつられて叫んだ>
<絶叫切り抜き確定>
どんなにイメージを取り繕っても、今夜だけは無理。
“乗り越える”どころか、怖さの波に何度も押し流されては、
そのたびに仲間とリスナーに引っ張り上げられて、また画面に向き直る。
途中、あまりに怖すぎてヘッドホンを再び外してしまい、
「……音なしでも怖いって、どういうこと……」と、画面の端だけ見ながら主人公をそろそろと歩かせる。
その様子にノアが「女帝様、それじゃ配信にならないよ!」と苦笑し、
みやびさんが「いっそモノクロにしよっか?」と茶化す。
レオンは「今日一日で女帝様のイメージ、全部塗り替えられたな」と感心する。
「もうほんとに無理、次は絶対ぬるいゲームにしよう……お願いだから……」
弱音も、素直な本音も、全部そのまま配信に乗せてしまう。
エンディング後。
「いやぁ、これは……これは伝説回確定でしょ!」
みやびさんがまとめに入ると、ノアも「絶叫も、細目も、ヘッドホン芸も最高でした!」と満面の笑みで応じる。
レオンは「ここまで本気で怖がる女帝様見て、逆に安心した」と穏やかに言った。
「皆さん、本当に今日は……すみませんでした、そしてありがとうございました。たぶんイメージは崩壊しましたけど、
それでも、こうやって見守ってくれて……ほんと、幸せだなって思いました」
結衣の言葉は、震えたまま、それでもどこか満ち足りていた。
チャット欄とSNSはしばらく騒然とし続けていた。
<女帝様、人間味溢れすぎて最高>
<イメージ崩壊じゃなくて、イメージ革命!>
<絶叫集ください>
<今日から本物の推しになりました>
<切り抜きまだー>
ホラー実況の夜――
女帝様の素顔は、誰よりもリアルで、愛される“推し”そのものだった。
***
配信終了ボタンを押した瞬間、どっと疲れが押し寄せた。
画面が日常のデスクトップに戻る。
椅子にもたれかかった結衣は、しばらくぼうっと天井を見つめていた。
――現実の静けさが、まだどこか夢の中のように思える。
discordの通話ルームには、メンバーが残っている。
みやびさんが「結衣ちゃん、おつかれさま!ほんっと最高だったよ~!」と、満面の笑みで労ってくれる。
ノアも「女帝様、叫びすぎて喉痛めてない?明日休んでね!」と気遣いながら、どこか誇らしげな声色。
レオンは「今日の女帝様、たぶん全Vtuberの中で一番人間らしかったかも」と笑った。
「いや、本当に……自分でやってて、ここまで情けなくなるとは思わなかった……」
結衣も、普段の配信後とは違う、素のままの口調でこぼす。
「みんながいてくれたから、ギリギリ最後まで逃げずにいられたよ。正直途中で泣きそうだったもん」
「途中じゃなくて泣いてたでしょ?」
ノアの軽口に、みんなで大きく笑い合う。
「次のコラボ、今度はほんとにゆるいやつにしようね」
みやびさんが真顔で言い出して、また全員で笑った。
画面の外でも、世界はまだ熱を帯びていた。
SNSには「#女帝様ガチ絶叫」「#素顔が推せる」など関連ワードが並び、
ファンアートやまとめ動画が瞬く間にアップされていく。
<イメージ崩壊>
<あの叫び声、伝説>
<人間だったんだなぁ>
<こんな女帝様が見たかった>
深夜のスレッドも熱気に溢れ、「女帝様の絶叫音源作った」「切り抜きまとめてみた」などお祭り騒ぎ。
普段は冷静な考察派のリスナーすら「これは推し変不可避」と笑い泣きのコメントを連投していた。
結衣はふとスマホを手に取った。
画面には兄からのメッセージ。
『お疲れ。最高だったな。…ていうか、母さんと父さんも見てたから。めちゃくちゃ笑ってたよ。』
添えられている家族グループのスタンプがやたら明るい。
――思わず苦笑しつつ、どこか嬉しい。
恥ずかしさと誇らしさがないまぜになって、結衣は心から笑った。
もう一度パソコンの前に座り直す。
気づけばYouTubeには早くも「女帝様の絶叫集」「細目操作まとめ」など切り抜き動画が並んでいる。
そっとクリックして再生すると、
画面には自分のLive2Dモデルが、涙目で、時に半分目を閉じながら叫んでいる。
「うわ、ひど……これ本当に私? 思ってたよりやばい……」
自分の“汚い叫び声”に思わず顔をしかめてしまう。
チャット欄の「本物の絶叫芸」「推しがまたひとつ人間になった」「こういう女帝様が一番好き」が、次々と流れていく。
動画を見ながら、結衣は小さく息をついた。
イメージなんて、結局は自分で作るものだ。
今日の自分を「恥ずかしい」と思っていたけれど――
たぶんこのまま、素直に、笑ってしまえばいい。
「ま、たまにはこういう自分もアリ、かな」
配信ブースの明かりを落とし、静かな夜のリビングに戻る。
画面の向こうとこちら側が、今夜だけは不思議と地続きになっている気がした。
結衣のスマホには、次々と仲間や家族、ファンからの温かなメッセージが届き続けていた。
“女帝様の素顔”――それはきっと、明日からも、誰かの勇気や癒しになっていく。
ホラー実況っていいですよね