第27話 舞台の上の仕掛け――踊らされる人々
株主総会が終わり、東都リアルティは静かな朝を迎えた。
しかしIR室の会議スペースには、発表と同時に走り出した市場の熱気が、まだ残っていた。
大谷(IR担当マネージャー)は大型モニターに株価の乱高下グラフを映し出しながら、手元の問い合わせリストに目を通している。
柴田CFOは資料とメールのやりとりを行い、井手口常務は窓の外の都市の景色を眺めていた。
広報戦略の村上も控えめにノートを広げている。
会議室には一通の「IR開示通知」が回覧されていた。
【IR開示】
新株予約権発行に関するお知らせ
平素より格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
当社は本日開催の定時株主総会決議に基づき、下記のとおり新株予約権を発行することとなりましたのでお知らせいたします。
1.新株予約権の発行の目的
中長期的な資本基盤の強化と持続的成長投資のため、新株予約権を発行し、将来的な資金調達の柔軟性を確保いたします。
2.新株予約権の概要
(1)発行株数 :発行済株式総数の10%相当
(2)発行日 :202X年X月X日
(3)割当対象 :202X年X月X日現在の株主名簿記載の全株主
(4)発行価格 :無償
(5)行使期間 :202X年X月X日~202X年X月X日
(6)行使価格 :発表前3ヶ月間の終値平均値の95%(5%ディスカウント)
(7)行使に必要な資金 :行使価格×行使株数
3.第三者割当について
新株予約権の行使期間終了後、未行使分については取締役会決議により第三者割当の方法でファンド等が引き受ける場合がございます。
詳細は別途開示いたします。
4.その他
詳細は「新株予約権発行要項」をご参照ください。
ご質問はIR室(xxxx@totorealty.co.jp)まで。
202X年X月X日
東都リアルティ株式会社
代表取締役社長
村上が手元のSNS画面を見ながら、慎重に言葉を探す。
「公式発表の直後、“#新株予約権10to1”“#推し投資”などでネットが大騒ぎです」
大谷は資料をめくりながら頷いた。
「今回はやっている事自体は、すべて正攻法。
だが“自分の持つ知名度がどう波及するか”を徹底的に計算し、自覚して使ってきた。
SNSの熱狂も乱高下も――全部、“舞台設計”の一部だったんでしょう。」
柴田CFOが控えめに眼鏡を押し上げ、数字の列を示す。
「公開情報だけで、これだけ個人投資家の資金が一気に動くのは稀有です。
配信では特に派手な演出や強引な煽りも行わず、ただ”場に現れるだけ”で世間を動かした。
本気で“自分が主役”だとわかっているやり方です。」
井手口常務は、都市の空と乱高下のチャートを交互に眺めながら言った。
「最初は“話題作りのお神輿”かと思っていたが、本気で自分自身のパブリックイメージを資本戦略のコアに組み込んでいたんだ。
知名度、話題性、制度――全部を仕掛けとして駆使しながら、最後は誰も傷つけずに要所を押さえる。……まるで一流の舞台監督だ」
大谷が少し考え込んだ後、こう述べた。
「トリックがあるのはわかる、でも目で追えているのに思うがままに誘導されてしまう。
すべてを正々堂々と“オープン”でやるからこそ、誰も文句を言えない。
それでいて全員が納得して席を立つ――そういう手品ですよね」
会議室の空気は少し和み、
村上も「次はどんな仕掛けがくるのか……楽しみになってきました」と呟いた。
その瞬間もSNSの画面に【全部計算通り】【女帝様の手のひらでころころされたいんじゃ】などのコメントがまた新たに流れていく。
井手口常務が最後に小さく言った。
「……彼女は、バーチャルから本物を生み出す――まるで奇術師だな。」
静かな熱気が会議室に残り、
“輪”の物語は新しい未来へ向けて再び動き出す――。
***
持株比率の壁
ライトブルーファンド本部の会議室では、南野結衣がワラントの残量データや市場参加者の属性分析を進めていた。
田崎が淡々と報告する。
「新規参加者の大半は“推し活”由来の小口投資家。
投資というより、ご祝儀や記念購入のノリです。
この動きが、第三者割当の残量にも予想外の幅を与えています。」
アンナ・ハリスが画面のSNSワードクラウドを指差す。
「“推しご祝儀””投げ銭させろ”――日本らしいワードが目立つわね。
とはいえ、最後に主導権を取るのは本気で資金を積める層。見通しとしては?」
小西美沙(法務)は書類を繰りながら答える。
「リスナー層が“最後まで持ち続けて行使する率”は現時点で不確定。
最終的な引受け量は読みにくい状況です」
真壁は端末を叩きながら苦笑する。
「SNSで“投資っていうより推しへのエール”って声も多いです。
分析データにも、“記念目的”の口座開設が増えてますね」
結衣は静かにうなずく。
***
東都リアルティ営業部・休憩スペース
芽衣は、明るくうれしそうな表情で野間に話しかけた。
「野間先輩、私、今回をきっかけに、思い切って1000株一括で買っちゃいました!」
野間は目を丸くしてから、思わず吹き出しそうになる。
「え、ほんとに? いやあ、芽衣ちゃん、やっぱりすごいな。普通はそこまでできないよ」
芽衣は恥ずかしそうに笑いながらも、誇らしげにうなずく。
「はい。やるなら全力がいいかなって。ボーナスも含めてほとんど使っちゃいましたけど……全然後悔していません!」
野間はスマホを見つめながら、あたたかく続ける。
「それは立派だよ。実は僕も、持株会でコツコツ積み立ててきて、今回の祭りで追加したら――気づいたら1000株超えてたんだ。自分でもちょっと驚いたよ」
二人はコーヒーカップをそっと合わせる。
──
そのやり取りを目にした南野結衣は、ふっとやさしい微笑みを浮かべた。
「無理はしてほしくないけれど――芽衣ちゃんはそれでも楽しそうだよね」
ふと手元の端末に、今度はSNSや掲示板で流れる投資家たちの声が続々と流れてくる。
【東都リアルティ推し株祭り参戦記念】
”一生に一度の“推し活大勝負”してきた。ボーナスぶっこんだ記念!”
”推し企業に本気で投資できる日が来るなんて、ちょっと感動してる”
”新株予約権欲しさに1000株いったけど、これもうスパチャのノリだな”
”現場組、やっぱりリアルにみんな持株多いのか…?社員最強説”
”推し活で株買ってるって話、職場でしてたら意外と同僚もやってて笑った”
”一気に買える子、度胸ありすぎて尊敬する””推しに本気すぎる””さすがに1000株はビビった”
”夢見て飛び込んでみた。…結果?後悔はしてない(たぶん)”
”お祭り感覚で参加したけど、気付けばけっこう本気で応援してた”
SNSの熱気と、オフィスの穏やかな空気。
そのふたつが静かに溶け合うように、
窓の向こうには、やさしい光が静かに広がっていた――。
芽衣ちゃんスペックの高いアホの娘という裏設定があります。