第23話 役員会議と女帝様
午前九時、東都リアルティの最上階。
重厚な扉が閉じられ、長いテーブルに歴戦の役員たちが静かに腰掛けていた。
プロジェクターには最新の株主構成グラフ。資料が配られ、全員が一斉に目を落とす。
「本日未明、ライトブルーファンドより正式に、臨時株主総会の招集請求および議案提案が提出されました。」
IR部長の張り詰めた声が、室内に響く。
社長が資料に目を通しながら呟く。「ついに、動いてきたか……」
CFOが眉間にしわを寄せる。「議決権比率、単独では3%に届いていないはずです。
――ここ数か月で協力株主との委任状や賛同が積み重なり、“3%の壁”を越えたと考えるのが自然でしょう。」
法務担当役員も慎重に言葉を選ぶ。「いずれも合法的な手続きです。
大口ばかりでなく、小口株主やサプライヤーも含めて静かに積み上げてきた形跡が見られます。」
IR部長は続ける。「今回の議案は社内提案とも親和性が高く、敵対的ではありませんが、
外部の力で会社が動く“時代の転換点”です。SNSやニュースでも“増資まつり”“3%の壁突破”など大きな話題になっています。
社員への説明、株主・市場への説明責任は極めて重いものとなりました。」
その時、井手口常務がゆっくりと口を開いた。
「……数字も根回しも、確かに立派な武器だ。
でも会社は“人の集まり”だ。
ファンドも、ここまで誠実に議案を出してきた――
ならば、私たちも“会社の明日”を自分たちの言葉で考え、語り、決断しよう。」
長年の営業畑で培われた温厚で包容力のある声は、
張り詰めた空気を少しだけ和らげ、だが、会議の重さを消すことはない。
社長が静かに頷き、全員を見渡す。
「これが資本主義の現実だ。
友好的な提案でも、ここまでの根回しと覚悟には本気で応じるしかない。
IR、法務、経営企画――全担当者は即時に準備と説明の体制を整えてくれ。
これからは“他人事”でいられる者などいない。
会社の未来が、今まさに手のひらの上で動こうとしている。」
この数か月、ファンドは誰にも気づかれぬまま協力株主一人ひとりに誠実に連絡を取り、
時には地味な説明を繰り返し、時には小さな賛同に心から感謝しながら、
“資本の静かな戦場”で確実に力を蓄えてきた。
数字は冷たいが、その裏にある人の信頼と覚悟の積み重ね――
それこそが、いまこの会社の“明日”を左右しようとしている。
役員たちの間に、じわりと静かな緊張が広がる。
重厚な扉の向こうでは、まだ誰も事態の全容を知らない。
だがこの会議室だけは、会社の運命が変わる予兆を、確かに感じ取っていた。
***
昼休みのオフィス。
営業企画部の島も、管理部門のフロアも、なんとなく静まりかえっている。
誰もが、ふだんは気にも留めない社内イントラのIRリリースや、スマホのニュース速報に視線を落としていた。
「え、臨時株主総会って本気でやるの?うち、今そんな大ごとになってるの……?」
芽衣が呆然とつぶやく。隣の野間は珍しく真顔だ。
「ネットで“増資まつり”だの“推し企業の奇跡”だの言われてるけど、俺たちの給料とか働き方とか、下手したら部署ごと変わっちまうかもしれないよな」
別のデスクでは、家庭持ちの先輩社員が「転職サイト見ちゃう自分がいる……笑」と冗談めかして言い、
若手の女性社員が「私、やっと正社員登用されたばかりなのに……これからどうなるんだろ」と心配そうな顔をしていた。
後輩たちがLINEグループで「この会社、推しが動かしてるってネタじゃなかったんだなw」と自虐気味にスタンプを連投している。
課長が通りかかり、周囲の声に耳を傾けてから静かに言葉を挟む。
「今はみんな不安だろう。だが会社の方向性が大きく動く時は、意外なチャンスも生まれるものだ。
何かあれば一人で抱え込まず、まず相談してほしい」
管理部の席では「もしプロジェクト縮小とかあったら、ウチの人員はどこに回されるんだろ」
「持ち株会の株価、大丈夫かな……」
ベテラン社員が「こういう時こそ情報に流されすぎるなよ」と後輩にアドバイスしている。
芽衣はふと、自分のキャリアノートを思い出した。
「今まで“推し活”だの“祭り”だの笑ってたけど、現実がこんなに一気に動くと、自分も変わらなきゃって思う。怖いけど――ちょっと前向きに考えたいかも」
野間は天井を見上げて、「まあ、オレらの部署はいつも何が起きてもなんとかなるしな。どんな時も腹くくって生きるしかないわ」と苦笑する。
昼下がりのオフィスには、不安、期待、諦め、そして小さな希望が入り混じったざわめきが満ちていた。
「会社の未来」という言葉が、初めて“自分ごと”として心に刺さる――そんな一日が、静かに進んでいく。
***
夜――配信画面が切り替わると、いつものように賑やかなコメントが流れている。
女帝様はカメラの向こうに手を振り、静かに話し始めた。
「こんばんは。今日は、ちょっとだけ本気の話をするよ。」
アセットくんが画面に現れて、にやりと笑う。
「お、資本家モード?」
女帝様は、少し息を吸い込み、慎重に言葉を選ぶ。
「ニュースでもう出ているから知っている人もいると思うけれど、私は“東都リアルティ”の株主です。」
<推し企業宣言きた!>
<ガチで株主って言うのカッコよすぎるんだが>
<お前が動かしてたんかい!>
「最近はどの大手企業も、外の流れが本当に速い。投資家の目で見ても、今のままじゃ危ないと思うことが増えた。」
アセットくんが相づちを打つ。「推し企業も、のんびりしてる場合じゃないってこと?」
女帝様は頷いた。
「そう。“現状維持”はリスクです。だから私は企業価値を守るために、思い切った業務改善を会社に提案しました。」
<改革案ガチ勢すぎる>
<推し企業の本気こわいww>
<大手でも油断できないのリアル>
女帝様は少し表情を柔らかくした。
「でもね、どんなに素晴らしい案でも、お金がなければ絵に描いた餅なんです。」
アセットくんが「お金、大事!」と合いの手。
「現実は、夢や理想だけじゃ会社は守れない。
だから今回は、“全株主に新株予約権”を割り当てる増資も一緒に提案しました。」
女帝様の声は冗談めかしながらも、どこか真剣だ。
画面越しのファンたちも、その本気を感じていた。
アセットくんが疑問顔で首を傾げる。
「でも元々株を持ってる株主さんには損じゃないの?」
女帝様はすぐに答える。
「それも本当です。
新しい株が増えると、“自分の持ち分”が薄まる=希薄化という副作用もある。
資金力のある株主に、議決権が集まりやすくなる弱点もあります。」
<株増やしたらいくらでもお金が増える魔法じゃないってこと?>
<ガチ解説で草>
<議決権バトルとか現実こわすぎ…>
女帝様は微笑んだ。
「でも、今回は“全員に権利”を渡して、できるだけ損を分散できるように設計したつもりです。
さらに、会社には新株予約権の買取を行う場合の“議決権の上限”や“情報開示”も約束してもらうつもりです。」
アセットくんが「なるほど、女帝様が乗っ取っちゃうのを防ぐってことね」と補足。
女帝様は自分が推し活ノリで会社を語ることが多いが、
この瞬間だけは一人の投資家として、
本気で企業の未来を考えているのだと誰もが感じた。
女帝様がゆっくりと画面の向こうに語りかける。
「いいことばかりじゃない。けど、私ができることは全部やる。
これからも“推し企業”の未来のために、正直に、誠実に、本気で動いていきます。」
「というわけで、推し活も資本政策も、根回し最強伝説も――
全部“推し”でまとめるのが現代の正義だよね!次は女帝様に“株主優待スタンプ”期待してるから!」
<株主優待スタンプは草>
<女帝様グッズで議決権バトルしてくれw>
<推し企業の未来、だいたい配信ノリでOK理論>
<本気の解説からふざけ倒す温度差が最高>
女帝様も思わず吹き出し、「ちょっとアセットくん、それ本気にされそうだからやめて!裏で勝手につくられちゃう!」と苦笑する。
画面のコメント欄も爆笑と拍手の絵文字で埋め尽くされていく。
<#推し企業で爆笑>
<#資本家オチ芸>
<結局、全部ネタにされる女帝様w>
――そうして配信は、“推し活革命”と“資本家ギャグ”の拍手喝采のうちに、明るく終わっていくのだった。
あとがき:「増資」って何がどう違うの?
このお話では「会社に新しいお金(資本)を入れる」=“増資”がテーマです。
でも、増資にはいくつもやり方があります。
●ふつうの「第三者割当増資」って?
→ 会社が新しい株を発行し、決まった相手(投資ファンドなど)にまとめて買ってもらう方法。
→ 会社は一気にお金を手にできるけど、**他の株主の「持ち分」が薄くなる(=希薄化)**ので、不満が出やすい。
→ 「会社の支配権」が一気に動くことも。
●今回の「新株予約権」方式は?
→ 全ての株主に“新しい株を買う権利”を同じ条件で配る方法。
→ お金がある人は権利を使って株を増やせるし、余裕がない人は「権利だけを売って現金化」もできる。
→ “なるべくフェア”で、敵を作りにくいやり方。
●ポイント
今回のやり方は「みんなに選ぶチャンスを配る」「会社・株主みんなで会社を応援できる」方式です。
ただし「お金がある人の議決権が増えるリスク」や「希薄化」はゼロにはなりません。
「敵を作らず、みんなで会社の未来を作る」ために、こんな増資を提案した――
それが今回の物語の“資本政策”でした!
※注:
現実世界でも「新株予約権の割当方式」「第三者割当増資」にはさまざまなルールや実務上の工夫があります。
本作の描写は「物語として分かりやすくするために簡略化」していますが、
「フェアな仕組みを大切に」という姿勢は、現代の資本政策にもすごく大切な価値観です。
自分の持ってる株で第三者割当されるとほんとつらいんです・・・。