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第22話 波紋のはじまり

 都市の喧騒が遠く微かに聞こえる高層階――

 ガラス越しの明るさと静けさに満たされた経営会議室には、東都リアルティの主要役員と部長たちが集まっていた。

 長いテーブルの上には各自のタブレット、分厚い紙資料、コーヒーカップ。

 ただの定例会とは違う、静かな緊張が空気を引き締めている。


 手元の資料を繰る音が何度も会議室に響く。その稟議案は、営業企画部から提出された新規プロジェクト案――

 ページをめくる役員たちの視線は鋭く、誰もが思い思いに読み込みながら、自分の持ち場の未来に思いを巡らせていた。


 「……なかなか際どい数字ですね」

 開発部長が、息を吐きながら口を開く。

 「外資ファンドの動向、今後の市場リスクの読みも具体的だ。これまでの稟議資料にはなかった視点です」


 「こうした危機感、冷静なシナリオ分析……」

 CFO柴田が、資料の余白に細いペンで何かを書き込みながら低く続ける。

 「正直、普通の社内分析だけではここまで切迫した未来像は出てこない。“投資家”の目線が強く出ていると感じます」


 総務部長が頷いた。

 「普段の社内ネットワークやオフィシャルな報告ルートでは、ここまで肌で感じるような変化の兆しは拾いにくい。

 出典はともかく、この“情報の輪郭”には不思議な重さがある」


 営業部長は、ページの端を指で叩きながら思案する。

 「たしかに、これまでの企画資料にはなかった角度だ。

 部署ごとに“守る理由”はあっても、これだけ外部環境に危機意識を向けた提案は珍しい」


 資料の中には、社内だけでは捉えきれない“業界ヒアリング”や“サプライヤー動向”の項目もある。

 「これ、いったい誰がどこから――」

 と口にしそうになったが、誰も明言しない。

 互いに目を合わせ、「いずれ必要なら個別に訊こう」と無言の合意が流れる。


 沈黙が一瞬、会議室を満たす。

 だが、その静けさは敵対ではなく、慎重に言葉を選び合う知的な静寂だった。


 慎重派の営業部長が、声のトーンを下げて言う。

 「私たちが守ってきたのは、“会社の安定”です。けれど、数字だけで社風や社員の安心感を切り崩すのは、やはり慎重にならざるを得ません。

 投資家的な危機意識は必要ですが、過度になれば逆に組織が萎縮するリスクもあります」


 一方で、若手寄りの開発部長は真っ直ぐに資料を見つめる。

 「ですが、変化を避けていれば必ず外部の波に飲み込まれます。

 この“外の視点”や未来予測を社内に持ち込めるなら、小さな範囲からでも攻めの一手を打つ価値はあるはずです」


 CFO柴田は、何度も資料に目を通しながら深く考えていた。

 「提案の戦略自体は非常に魅力的だ。しかし、現状維持派への配慮やリスクマネジメントをどう設計するか――そこにこのプロジェクトの成否がかかっている気がします」


 会議室には、賛否両論の空気がせめぎ合い、

 「いま動くべきか」「どこまで攻めてよいのか」という本音が交錯していた。


 この緊張感を誰よりも楽しんでいるのは井手口常務だった。

 彼は静かに視線を上げ、全員を見渡す。


 「今回の資料には、会社を動かすだけの“熱”がある。

 投資家としての論理も、現場で汗をかく社員の思いも、両方を未来のために組み合わせるべき時期に来ていると思う。

 まずは限定した範囲から“実験”として始めてみよう。営業企画部にもこの決定を伝えてほしい」


 役員たちは静かにうなずいた。その表情は、単なる同意ではない。

 誰もが「会社の未来」に、これまでとは違う小さな波が広がりはじめているのを、無言で感じ取っていた。


***

 昼下がりの営業企画部のテーブルでは、若手たちがスマートフォンをいじりつつ、いつも通り軽い雑談が続いていた。

 ふと隣に座った芽衣が、なにやら得意げに画面を見せてくる。


 「ねえ結衣先輩、昨日の女帝様とアセットくんの配信、見ました?議決権の話、めっちゃ分かりやすくて!」

 そう言いながら芽衣は、どや顔で続きを話し始めた。


 「ほら、1%株を持つだけで株主総会で好きなだけ質問できるし、議案も出せるんですよ!

  で、3%を超えたら取締役とか監査役の解任提案もできちゃうんですって。

  5%で“5%ルール”っていう大量保有報告書を出す義務があって、10%超えると臨時総会の招集や特別な議案を止める“拒否権”までゲット!」

 芽衣の隣の同僚が「へぇー!そんな仕組みあるんだ」と素直に感心している。


 「さらに33.4%で“特別決議”っていう会社の合併や定款変更みたいな大きな議案を一人でストップできる“拒否権”も手に入るし、

  50%を超えたら普通決議も単独で通せて、もう会社そのものを動かせるんですって!」

 「女帝様も『資本主義のルールは“数字”で世界を動かすためにある』って言ってて、なんかすごくカッコよかったなあ」

 芽衣は完全にヒーローになったつもりで、結衣先輩の顔を見上げる。


 結衣は思わず、ほんの少しひきつった笑顔を浮かべた。

 (……まさか、自分が配信で言ったネタを、芽衣にどや顔で披露される日が来るなんて)


 「勉強熱心だね。実は、数字ひとつで会社の未来が動くこと、本当にあるんだよ」

 「ですよね?私もちょっと興味湧いてきちゃって」

 ――芽衣の目はきらきらしているが、そのすぐ横で結衣の脳内はすでに“資本家モード”へと切り替わっていた。


 都会の雑踏を抜け、自宅マンションにたどり着くと、結衣は一息ついてPCの前に座る。


 モニターには、東都リアルティの株主構成グラフ、議決権比率、協力を仰げるサプライヤーや小口株主のリストが並ぶ。

 画面上の数字が、現実の会社に力を与えるレバーに見えてくる。


 (1%で株主総会の主役になり、3%で経営人事にまで手を伸ばせる。

  5%を超えれば法的な大量保有報告書、10%で拒否権、33.4%で会社の“特別決議”をブロックし、

  50%を超えたら、会社の普通決議を思いのままに――)


 「議決権は資本主義の剣と盾、使い方次第で世界が変わる」

 ふとアセットくんの言葉が脳裏をよぎる。


 結衣は迷いなくメールを送り始めた。

 「この度、株主として今後の経営方針についてご賛同いただける方には、ぜひご一緒に株主提案や総会での投票協力を――」

 既存の取引先、信頼できるサプライヤー、協力会社、小口株主……一人ひとりの顔を思い浮かべながら、

 “水面下のネットワーク”をフル活用して議決権をかき集めていく。


***

 ある日の夕方。

 定時前、ひと区切りついた空気がオフィスフロアを包む。

 結衣は書類整理を終え、パソコンのシャットダウン待ち。

 芽衣がその隣で書類棚を片づけながら、ふと漏らした。


 「なんか最近、会社の雰囲気が明るくなりましたよね。新しいことにみんな前向きっていうか」

 その言葉に、野間がキーボードを打つ手を止める。

 「わかる。前より会議も建設的になったし、雑談も増えた気がする」

 同僚も「この前、課長が“みんなが生き生きしてる”って言ってた」と続ける。


 そのタイミングで、松岡課長がちょっと気さくに話しかけてきた。

 「お、今日はなんだかいいムードだな。新しいプロジェクトの影響かな?」

 芽衣は少し照れたように、「なんだか、毎日ちょっとだけ面白くなってきました」と返す。


 課長はにこやかにうなずく。「それが一番大事だ。どんな改革も、みんなが前向きじゃなきゃ始まらないからな」

 課長が席を離れると、芽衣が結衣の方を向いて声をかけた。

 「結衣先輩、なんか知ってます?こういう雰囲気になった理由」


 結衣は微笑み、少しだけ肩をすくめる。「うーん、みんなでがんばってるからじゃないかな」

 野間が「たしかに。最近、結衣先輩の仕事ぶりがますます頼もしいし」と小さく付け加え、芽衣も「ですね!」と笑う。


 そんな温かな空気の中、業務終了のチャイムが鳴る。

 結衣はみんなと挨拶を交わし、自然な流れで帰り支度を整える。

 (——誰にも気づかれずに、少しずつ何かが変わっていく。それが一番うれしい)


 都会の灯りが滲む帰り道。

 自宅に戻った結衣は、カーディガンに着替えてパソコンの前に座る。


 そこからが“資本家・南野結衣”の時間だ。

 東都リアルティの株主構成グラフ、議決権比率、協力候補リストが画面に並ぶ。

 

 静かな部屋の中、結衣はメールを書き、

 「ライトブルーファンドさんとご一緒できる日を楽しみにしています」

 という賛同メッセージが新たな波紋を広げていくのを感じていた。

補足:株主比率ごとに“できること”まとめ

1%超:株主総会での発言や提案、会社側からも無視できなくなる

3%超:取締役の解任など、経営の人事に関与できる

5%超:いわゆる「5%ルール」で大量保有報告書(法定開示)が必要

10%超:特別な議案を阻止できる「拒否権」や、臨時株主総会の招集請求

33.4%超:合併・定款変更など重要決議を“ひとりで止める”拒否権ブロッキングパワー

50.1%超:普通決議の単独可決=“経営を握る”多数派

※現実の日本の上場企業でも、5%未満でも株主総会やIR、メディアを通じて“表に出る”ケースはたくさんあります。

詳しくは金融商品取引法・会社法等に定められています。

本文に入れるのはちょっとなぁと思いましたので・・・

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