第19話 推しとビジネスと未来研究
南野結衣は自宅の窓辺でカップを傾けていた。
数日前まで普通だった街が、どこかまだお祭りの余韻を引きずっている。
駅のコンコースには宮殿イベントのポスター。会社でも「うちの箱推し、宮殿コラボで大勝利!」「新人Vのグッズ完売だって」と嬉しそうな声があちこちから聞こえてきた。
女帝様として仕掛けた“夢の祭り”は、現実の風景まで明るく塗り替えてしまったようだ。
結衣は、みんなの日常の小さな変化を、心の奥でそっと噛みしめる。
宮殿プロジェクトの運営本部では今日も熱気が冷めない。
「ファンが世界中から殺到してます!」「グッズの売上、記録更新!」
「海外からもスポンサーや提携話が雪崩れ込んでます!」
スタッフたちが次々に声を上げるたび、結衣は癒し系の笑顔でうなずく。
でも、彼女が本当に楽しみにしているのは――この先。
「今回のデータ、AIで解析したら“夢の経済”の新しい形が見えてきます」
「仮想空間の動き方、現実の都市開発にも使えそうですよ」
経営企画のスタッフが弾む声で報告すると、結衣は「面白そうですね」とだけ柔らかく返す。
すでに大手メタバース企業や大学、海外の研究所も列をなしている。
「宮殿のデータを共同で活用したい」
「教育や地域活性のプロジェクトにも、どんどん応用できませんか」
その裏で結衣は事務所や個人勢にも、「このデータで次の夢を叶えましょう」と結衣は変わらぬ穏やかさで伝える。
***
そんな中――
巨大資本だからこそ実現できる、とんでもない計画がひそかに進行していた。
「サーバー、すでに増設手配済みです」
技術スタッフがさらっと口にしたその言葉に、会議室の空気が一瞬止まる。
「端末問わず、世界中のどこからでも、遅延ゼロで同時参加できます」
結衣は「夢を見るには、現実で本気を出さないと」と静かに微笑むだけだった。
そして迎えた“バーチャル・グローバルライブ”の日。
世界各国のリアル会場と、宮殿の仮想ステージが同時に繋がり、地球の裏側のファンまで一緒に手を振る――そんな光景が現実になった。
「普通の会社なら、絶対に真似できませんよ」
スタッフがぽつりとつぶやく。
参加者も配信を見ていた人たちも、「こんな規模の祭り、見たことない」「夢って資本力でここまで現実になるのか」と口々に笑った。
その日の午後、V事業関係者が集まる会議室は活気に満ちていた。
「今日はV業界全体の“Win-Win”事例を整理しましょう」という結衣の一声で、各部門から新しい報告が集められる。
まず、大手事務所のチーフマネージャーが、プロジェクターの前で胸を張った。
「宮殿イベントの効果で、うちのVは海外の新規ファンが急増しています。
グッズやライブ配信の売上が一気に跳ね上がり、スポンサーとの大型案件も同時進行中。
この勢いで、複数のVに国際コラボや新プロジェクトの話も持ち上がっています!」
データ担当が次々にグラフを映し出す。
「ファン行動の傾向を解析して、Vごとに“刺さる”宣伝やイベントを個別最適化。
AIで自動レコメンドを回しただけで、配信視聴数やグッズの売上も倍増しました」
その勢いは、大手だけに留まらなかった。
弱小事務所や個人Vのマネージャーたちも、興奮気味に報告する。
「資金面で悩んでいたメンバーにも、宮殿運営から公式の3Dモデルや衣装が無償提供されたおかげで、
ずっと夢だった“あのステージ”に立つことができました」
「これまで観客数が数十人だった配信が、いきなり何千人に増えたんです! 投げ銭やグッズも桁違いです」
***
SNSでは、“昨日の宮殿ライブで人生変わりました!”と泣きながらデビューを果たす新人の配信がバズり、事務局の担当者も嬉しそうに付け加える。
「公式がここまで全員にチャンスを配る世界線、存在したんだ……!」
「今回の参加体験やデータを基に、新人Vや小規模事務所にも育成プログラムやコンサル支援を無償で提案しています。
今後も“みんなが得をする仕組み”を広げていきます」
結衣は一人ひとりの声に静かに頷きながら、資本と技術の“暴力的な恩恵”が、確かに現場の夢を現実に変えていくのを感じていた。
SNSには「夢参加体験」の投稿が溢れ、新人Vが一夜で伝説になっていく。
***
宮殿イベントのあと、世界は少しだけ静かに、けれど確実に動き始めていた。
結衣の元には、相変わらず大量のレポートと分析結果が届く。
運営本部で整理された膨大なデータは、すでに大学やシンクタンク、企業の研究プロジェクトに次々と引き渡されていた。
「バーチャル空間での学び」「地方コミュニティと推し活の関係」「オンライン消費の心理傾向」――
どれもが、今この時代の“未来の社会”そのものを形づくる素材だ。
教育現場に宮殿出張サービスを提供する計画も、地方限定のリアルイベントも、静かにだが着実に動き出している。
それはあくまで「社会還元」と「未来の祭りへの投資」という、表向きの理由。
けれど結衣の目は、そのずっと先を見据えていた。
提出された研究成果や実証実験のレポートには、データのどの部分が産業化・事業化に繋がるか――
どこに新しいビジネスの“芽”が眠っているかを、すべて抜かりなく目を通す。
知財チームやAI分析担当に指示を出すときの結衣の声は、いつも通り柔らかい。
「このデータは、先端テック企業と連携した商用化の打診を」
「ここは一度、国内外のプラットフォーマーに売り込んでみましょう」
「成果発表の条件は、必ず当社のシェアやロイヤリティが最大化する形で」
大学や公的機関に対しては穏やかに協力体制を築き、
彼らの予算や研究発表を陰でしっかりサポート。
だが一方で、先端の金融やIT、マーケティングを担う企業に対しては、手加減なく「資本の暴力」を行使していく。
――社会貢献も、「夢を育てるための材料」であると同時に、“女帝のための果実”でなければ意味がない。
SNSや掲示板では、
”俺ら、結局“実証実験”のデータだったのか?w”
”推し活しながら社会の歯車になれるって新しいな”
”バーチャル経済圏の肥やしにされる体験、普通に楽しい”
”最先端マーケティングの生贄!とか言ってるけど、実際、こんなに夢を見せてくれるなら全然OK”
”公式FAQに“データ活用します”って書いてあるの今さら気づいた”
”でも夢見て笑って過ごせたから、結局みんな勝ち組だろこれ”
”これからの推し活は“社会実験ごっこ”もセットで楽しまなきゃ”
と、皮肉と照れ隠しと本気の感謝がごちゃ混ぜのコメントが、タイムラインに絶え間なく流れていく。
「祭りの後の静けさ」ではなく、「また次の大騒ぎがくるぞ」という期待と余韻に、現実世界もネットの向こうも、しばらくは心地よいざわめきに包まれていた。
***
カフェの窓辺で、芽衣はケーキを一口食べては、イベントの話題を楽しそうに弾ませていた。
「結衣先輩、SNSでも“女帝様すごすぎ”って大騒ぎでしたよ! 本当に現実じゃ見たことないスケールでしたよね!」
結衣はふんわりと微笑み、芽衣の熱をそのまま受け止める。
「うん、みんながそんなふうに盛り上がっているのを見ると、私まで楽しくなってくるな。芽衣ちゃんの話、聞いてるだけで元気がもらえるよ」
芽衣はさらに目を輝かせて話を続ける。
「次はどんなお祭りになるんでしょうね? 今度の企画、ちょっとだけ噂聞いちゃいましたけど、絶対すごいですよ!」
「それは楽しみだね。こうして話を聞いてると、私までわくわくしてきちゃう」
そう言いながらも、結衣はごく自然な動作で手首のスマートウォッチに目を落とす。
知財担当からのライセンス交渉の進捗、AI分析スタッフからの市場トレンド速報、投資部門からの資本提携打診――
膨大な情報が、表情ひとつ変えずに彼女の中で処理されていく。
結衣の声や仕草はいつも通り穏やかで優しい。
けれどその奥底で、女帝様としての獰猛な本性が静かに目を覚ます。
“この先どのタイミングで仕掛けるべきか、誰の動きが次の利益を生むか。
みんなの“夢”を糧に、さらに大きな収穫を得る――”
芽衣は結衣のそんな一面には気づかず、安心しきった表情で笑っている。
「今度、芽衣ちゃんのおすすめVTuberもぜひ教えてね」
結衣はそうやさしく声をかける。
その微笑みの奥で、誰にも悟らせないまま“次の祭り”と“新たな資本の収穫”の青写真を静かに描いていた。