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第18話 姫プレイ新生活・芽衣のルームツアー

 新しい部屋で迎える最初の朝、芽衣はまだ夢を見ているような気持ちだった。昨日までの段ボールと梱包材の山が、今ではすっかり消え、リビングには陽射しがいっぱいに差し込んでいる。新品の冷蔵庫が低い音を立てて動き始め、窓際には小さな観葉植物。すべてが、自分の「初めての一人暮らし」の象徴だった。


 ポストに届いていたのは、役所の案内状、ネット開通工事完了の報告書、宅配ボックスの使い方ガイド。それらを手に取りながら、「不思議なくらい全部が順調に進んでるなあ……」とつぶやく。暗証番号の初期設定も、備え付けのタブレットで指示通りに操作するだけ。何かに悩む前に、管理会社のカスタマーサポートから「ご不明な点はありませんか?」と先回りのメッセージが届く。新しい部屋の生活リズムが、自分でも驚くほど自然に馴染んでいくのを感じた。


 「困る前に全部助けてもらえるなんて……私、本当に運がいいんだろうか」


 芽衣は思わず小さく笑った。最初の頃は、不安がなかったわけじゃない。引っ越しの手続きや郵便設定、役所への転入届――友人や同期から「めちゃくちゃ面倒だよ」と脅されていた数々の小さな壁が、芽衣の前では何の抵抗もなく消えていった。


 「あれ、これで本当に終わり?」


 郵便ポストの設定に戸惑いかけた時も、ふとスマホを確認すれば「郵便番号登録ガイド」のリンクがカスタマーから送られてきている。宅配ボックスの使い方も、帰宅するとポストに丁寧なイラスト入りの手紙が入っていた。「初心者向け・新生活便利グッズ」の案内がポストに入っていた時は、思わず声を出して笑ってしまった。


 夜、ベッドに横たわりながら芽衣は思う。「きっと、誰かが見えないところで私の背中を押してくれてるんだろうな……」


 そんなことを考えていたある日、ふと「せっかくだから、おしゃれにアレンジしたいな」と思い立つ。ネットで調べてみると、すぐに「初心者歓迎・相談無料・女性一人暮らし特化」という広告が目に入り、気軽な気持ちで予約フォームを送ると驚くほど早く返事が来た。「ご希望の日時、すぐに対応可能です。お部屋の雰囲気やご希望をお聞かせください」というメッセージ。少し不思議な気持ちで、そのまま依頼してみることにした。


 約束した時間にインターホンが鳴り、現れたのは明るくて落ち着いた雰囲気の女性コーディネーターだった。「芽衣さんの理想や好きな色、普段のお洋服の雰囲気も教えていただけますか?」と緊張をほぐすように声をかけてくれる。


 「予算はあまりないんです」と口にすると、コーディネーターは「大丈夫です。今は季節限定のキャンペーン品や、セール品の中でもお得なものがいろいろありますから」と優しく微笑む。「しかも、実は当社と提携のあるメーカーから“ちょうどいいセット”が今日だけご用意できて……」


 見本カタログを眺め、部屋のあちこちで「ここにはこういう照明を」「ここは季節のリースを」と具体的な提案を受ける。すべてが、自分の想像を遥かに超える“おしゃれ空間”にまとまっていくのを、ただ感動しながら見守っていた。


 作業が終わると、リビングはまるで雑誌の一ページのよう。芽衣は思わず「これ、本当に私の部屋ですか?」とつぶやいてしまう。


 「はい、お引っ越しのお祝いも兼ねて、できる限り特別なコーディネートにさせていただきました」


 支払いの段になっても、「えっ、この内容でこの値段でいいんですか?」と驚かされる。「特別なご紹介枠でのキャンペーン適用ですので、ご安心ください」と、コーディネーターは穏やかに言った。


 その裏で――。

 コーディネーター事務所には、個人名義での正規依頼と十分な追加費用の振込通知がすでに届いていた。「南野結衣」からのメッセージには『最高クラスのサービスと商品の中から、芽衣さんの希望を最優先してご提案を。追加費用や特注はすべて私個人で負担しますので、お客様には“ご紹介枠で予算内”と説明してください』と依頼が記されている。スタッフは「“南野”様のご依頼ですから」と、すべてを最高の形で整えていた。


 芽衣はまだ何も知らないまま、新しい空間と小さな幸せに胸を膨らませていた。


 やがて週末が訪れ、新生活がすっかり落ち着いたタイミングで、芽衣は思いきって「新居お披露目会」を開くことにした。会社でお世話になった先輩や同期、仲良しの女子たちに声をかけると、「行きたい!」とすぐに返事が集まる。自分の部屋にこんなに人を招くのは初めてで、朝からソワソワが止まらなかった。


 午後、玄関のチャイムが鳴るたびに、芽衣はどきどきしながら扉を開ける。


 「……え、これ本当に芽衣ちゃんの部屋? 広っ!」


 同僚たちが次々にリビングへ足を踏み入れ、まず驚いたのは空間の広さだ。十六畳はありそうな明るいリビング。白い壁とウッド調の床、対面式キッチン、季節の花が飾られたダイニングテーブル――築浅の1LDKの室内は、プロのコーディネーターに彩られ、雑誌の一ページのように整っていた。


 「都心でこの広さってすごくない?」「新卒一人暮らしで、ここは反則じゃん」「引っ越したてでこの完成度は絶対プロの仕業!」


 リビングにはセンスの良い家具と小物、北欧風の照明や観葉植物。女子たちが「カフェみたい」「もうここ女子会の定番にしようよ」とはしゃぐたび、芽衣は「南野さんに紹介してもらったコーディネーターさんなんです」と笑って答える。


 同期や上司も「収納も多いし、片付け上手」「プロに頼むってやっぱり違うな」と感心しきりだ。


 パーティの間、みんなでキッチンに集まり手料理を並べ、ダイニングでおしゃべりに花が咲いた。「ここまで来ると、もはや私の知ってる新卒の部屋じゃない」と、誰かが冗談めかして言うと、芽衣は「たまたまいいご縁が重なっただけです」と何度も繰り返した。


 けれど、その“ご縁”がどこからどこまで続いているのか、芽衣自身にももうはっきりとはわからなかった。


 ふと、リビングの隅で控えめに座る結衣の姿が目に入る。皆と笑い合いながらも、どこか舞台裏の演者のように静かに全体を見守るその背中――


 パーティの終わり、芽衣はそっと結衣のそばに寄る。


 「南野さん、本当にありがとうございました。最初は“紹介してくれた”だけだと思ってたんですけど……なんだか、それだけじゃない気がしてきて」


 「全部、芽衣ちゃんが自分で選んで進んできたことだよ。私はちょっと背中を押しただけだから」


 結衣はやさしく微笑んだ。


 帰り際、女子たちが「この二人、ほんと姉妹みたい!」と声を上げてまた笑いが起こる。


 みんなを見送り終えたあと、芽衣はリビングの中央で深呼吸した。静かな部屋に、賑やかだった余韻だけが残る。


 ――南野さんの紹介で、ということはちゃんと分かっている。でも、引っ越しも、手続きも、インテリアも、全てが自分の期待より一歩早く、一歩上の形で進んでいった。


 まるで、自分が何か大きな力に守られていたような、そんな不思議な感覚。


 夜景の明かりが窓から差し込む部屋の中で、芽衣はそっと呟いた。


 「……南野さんって、いったいどこまで私のこと考えてくれてるんだろう」


 それは、うれしさと戸惑い、そして深い感謝が入り混じった、春の夜のひとしずくだった。


 お披露目会の週末が明けて間もなく、芽衣の母が「どうしても一度部屋を見ておきたい」と上京してきた。「本当に一人でやっていけてるの?」と、少しだけ不安そうな母に、芽衣は新しい部屋をひとつひとつ案内する。


 「玄関もオートロックだし、管理人さんも感じいいよ。キッチンも広くて、収納もたっぷりなの」


 母は感心しながら何度も頷き、窓から見える街の景色に目を細めていた。


 その日はちょうど、インテリアコーディネーターが追加の小物を届けてくれる日でもあった。コーディネーターと一緒に部屋に現れたのは、会社の先輩・南野結衣。


 「お母さん、紹介するね。この人が私の先輩の南野さん。引っ越しから何から、ずっと相談に乗ってくれてるんだ」


 芽衣の紹介に、母は深々と頭を下げた。


 「まあ、いつも娘が本当にお世話になって……。こんな立派な部屋に住めるなんて、夢にも思いませんでした」


 「いえ、私も芽衣ちゃんにいろいろ助けられてるんですよ。お母様、ご安心ください。困ったことがあったら、私にもいつでもご連絡くださいね」


 そんな会話が自然と弾み、母と結衣はすぐに打ち解けていった。芽衣がお茶を入れに台所に立つと、リビングではふたりが家族のように穏やかに話していた。


 「娘、昔から少し心配性で……。新しい生活でも、きっと何かと頼ってしまうと思うんです」

 「頼ってくれるうちは、どんどん頼らせてあげてください。ひとり暮らしも、みんなで見守れば大丈夫ですよ」


 その場で連絡先を交換した母は、安心しきった表情で「本当にありがとうございます」と何度も頭を下げていた。芽衣はその様子を見ながら、少し照れくさそうに笑った。


 夕方、母を駅まで送り届けて帰宅すると、部屋は夕日でオレンジ色に染まっていた。「なんだか、全部うまくいきすぎて……本当にいいのかな」芽衣はふと、窓から街を見下ろしながらつぶやいた。


 その夜、結衣は自宅のデスクでPCを開き、防犯会社や管理会社に“ご家族サポート”強化の依頼を済ませていた。


 『もし何かあれば、すぐに芽衣さんにもご家族にも連絡が届くように。ご本人たちには“通常サービスの一環”としてご案内をお願いします』


 全てを手配し終えてから、結衣はふっと肩の力を抜いた。


 夜、ベッドに横になった芽衣は、どこかで誰かが“ちゃんと見守ってくれている”気配を感じていた。


 それは、家族の安心がそっと手渡された、静かな春の夜のことだった。

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