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第17話 姫プレイ新生活~芽衣の楽々お引っ越し

 「結衣さん、聞いてください! ついに、新しいお部屋が決まりました!」


 その朝、営業部フロアの空気はいつもより少しだけ浮き立っていた。出社したばかりの芽衣が、まだコートを脱ぎきらぬまま、結衣のデスクに駆け寄ってきたのだ。小柄な体を弾ませて、まるで春の陽差しそのものみたいな笑顔。


 「おはよう、芽衣ちゃん。引っ越し先、見つかったの?」


 結衣が手を止めて顔を上げると、芽衣は嬉しそうに頷いた。


 「はい! 駅から五分で、すごくきれいなマンションなんです。オートロックも宅配ボックスもあって、それに……えへへ、眺めも最高なんですよ!」


 「おお、やったな芽衣ちゃん。あの辺って今、空き物件少ないだろ?」


 隣のデスクの野間が、コーヒーカップを片手に声をかける。芽衣は少し照れながらも、満面の笑顔を見せた。


 「偶然が重なっただけです。でも、実は一番悩んだのが冷蔵庫だったんですよ」


 「家電はな、最初の出費が地味に痛いよな」と野間。


 「そうなんです。ネットで中古も探してみたんですけど、現地渡しとか動作保証なしとか……どうしたらいいのか分からなくなっちゃって」


 「たしかに、ネットの中古家電は怖い部分も多いよ」と結衣も頷く。


 「最初から無理しないで、安全なところで買うのが一番だよ。もしよかったら、知り合いの業者さんを紹介しようか?」


 その提案に、芽衣の顔が一気に明るくなった。


 「本当ですか? 南野さんの知り合いなら、絶対安心できます!」


 その様子を見て、周りの同僚たちが冗談めかして声をかける。


 「南野先輩の伝手、また発動かー」

 

 「芽衣ちゃん、まさか最初から勝ち組一人暮らしコースじゃない?」


 芽衣は慌てて両手を振る。


 「いやいや、そんな大したことじゃ……ただ、南野さんのおかげで安心できるなら、それだけで嬉しいです!」


 「困ったときは、何でも頼って。最初の一人暮らしは戸惑うことも多いから、無理しないでね」


 結衣はやんわりと微笑んだ。


 芽衣が新居探しを始めたのは、実はもっと前。仕事帰りの電車の中でスマホを開き、「駅近 安いマンション」と検索をかけると、星の数ほどの広告と物件情報が画面にあふれた。


 「敷金礼金ゼロ」「初月家賃無料」「女性限定・管理人常駐」と、どれも魅力的な言葉が並ぶが、口コミを見ると“連絡がつかない”“内見後に追加費用を請求された”“夜に変な人がついてきた”など、不安な情報も多い。


 「どうしよう……やっぱり、不動産屋さんって怖いな……」


 芽衣はため息をつき、思わず画面を閉じた。


 翌朝、勇気を出して結衣に打ち明ける。


 「南野さん、私、物件探し始めたんですけど、どこも広告ばっかりで……よく分からなくて。不動産屋さんの評判って、どうやって見分ければいいんでしょう?」


 結衣は静かにうなずいた。


 「たしかに、ネットの広告だけだと分かりにくいよね。実は、昔から付き合いのある業者さんがいるんだ。女性の一人暮らしに詳しくて、親身になってくれるところだよ」


 芽衣はほっとしたように肩の力を抜いた。


 「本当ですか? 南野さんのおすすめなら安心です……!」


 その夜、結衣は自宅の書斎で信頼する不動産業者の担当者に個人名義で連絡を入れた。


 「今回は“ごく普通の会社員の後輩”のため。法人名義もファンドの力も一切使わず、個人名義で。いつもの丁寧なサポートをお願い」


 業者側も“南野結衣”のプライベート案件と知るや否や、即日で数件の安全・快適な物件をリストアップしてくれた。


 数日後、芽衣のスマホに「非常に評判の良い物件の紹介」が届く。


 「この担当さん、本当に親切で……夜遅くでも対応してくれるし、こっちの条件もちゃんと聞いてくれるんです!」

 芽衣は社内の休憩スペースで、結衣に嬉しそうに報告した。


 「よかった。いいご縁に恵まれたみたいだね」


 「はい。やっぱり南野さんの力って、すごいんですね」


 結衣は首を横に振り、「運がよかっただけ」とだけ笑った。


 けれどその裏では、悪質な業者や怪しい広告は芽衣の検索画面から静かに“消され”、良質な選択肢だけが芽衣の元に集まるよう、結衣個人の資本と人脈が密やかに張り巡らされていた。


 昼休みになると、営業部のデスクは一気ににぎやかさを増した。温かい弁当の香りが漂い、社員食堂帰りの足音があちこちで重なる。


 芽衣はカバンから小さなランチボックスを取り出し、いつものように結衣の向かいの席へやってきた。


 「南野さん、また席、ご一緒してもいいですか?」


 「もちろん。今日はお弁当なんだね。引っ越しの準備で忙しいでしょう?」


 結衣が穏やかに微笑むと、芽衣はふっと息をついて苦笑いした。


 「節約中なんです。新生活って、想像以上に出費が多くて……。あの、それで、またひとつ相談があって」


 芽衣はランチボックスを置き、スマートフォンをそっと差し出した。

 画面には複数のインターネットプロバイダーの広告が並んでいる。


 「ネット回線、どこにすればいいのか全然分からなくて。安いとこ見つけたんですけど、“契約金ゼロ・キャッシュバック五万円”って、正直ちょっと怪しくて……」


 「うーん、格安キャリアは最近トラブルが増えてるから、慎重に選んだ方がいいよ」


 結衣は芽衣のスマートフォンを受け取り、画面を指でスクロールする。

 「この会社、去年速度詐欺でニュースになったところだよ。やっぱり、大手か信頼できるところが安心だと思うな」


 「さすが南野さん、情報早いですね……。私、まんまと引っかかるところでした」


 「よかったら、昔から付き合いのあるプロバイダーさんを紹介しようか? 手続きも簡単で、何かあったときもすぐ相談できるから」


 芽衣は目を輝かせた。


 「お願いします! 私、機械オンチだし、トラブルになったら絶対パニックになる自信があるんです」


 「大丈夫、最初の申し込みだけ一緒にやれば、あとは向こうが全部フォローしてくれるから」


 結衣はやわらかくうなずき、パソコンからさりげなくサポートの連絡を取る。

 その裏では、結衣の個人契約しているIT顧問が即時に芽衣用の専用プランとサポートラインをセットしてくれていた。


 「あと、新しい部屋には防災グッズもそろえておくといいよ。たとえば非常食とか、簡単な救急セットとか」


 「防災……全然考えてなかったです。実家だと全部親任せだったので……」


 「大丈夫、困ったらうちに余ってる備蓄品を少しおすそ分けするよ。会社のロッカーに持ってきておくから、好きなときに持っていって」


 「えっ、本当ですか? 助かります!」


 そのやりとりを耳にした女子社員たちが、すかさず会話に加わってきた。


 「さすが南野先輩、気が利く~」「芽衣ちゃん、安心して新生活スタートできるね」


 「最近は地震も多いし、防災意識高いのは大事よね」と上司の小松原課長まで話に加わる。


 芽衣は皆の輪の中で少しだけ肩をすぼめながら、心からの笑顔を浮かべていた。


 「なんか、ここまで順調だと逆にバチが当たりそうです」


 「そんなことないよ。芽衣ちゃんが頑張ってきたご褒美だと思えばいいさ」


 結衣はそっと肩を叩き、もう一度優しくほほえむ。その胸の奥では、自分の資本と人脈が静かに芽衣の新生活を守っていることに、ひそかな誇りを感じていた。


 昼休みが終わり、社員たちが各々の席に戻っていく。芽衣は持ち帰り用の防災袋を受け取りながら、結衣に小さな声で礼を言った。


 「南野さん、ほんとに……私の人生の“お姉さん”です」


 「そんなことないよ。困ったときはお互い様だからね」


 淡い春の日差しの中、芽衣は防災グッズの詰まった袋を大切にカバンへしまった。その姿を見つめながら、結衣はまたひとつ、芽衣の“姫プレイ”を水面下で支える喜びをかみしめていた。


 新居契約が進むにつれ、芽衣は「何も困ることがない」ことにかえって戸惑いを覚えていた。

 保証会社の審査も「書類をご提出いただくだけで大丈夫です」と即日クリア。管理会社の担当者も「初めての一人暮らしとのことなので、全工程を丁寧にご案内します」と柔らかく説明してくれる。

 家具の搬入も、水回りリフォームも、まるで“用意されていたかのように”全てが予定通り進んだ。


 「本当に全部スムーズでした。保証会社の人も“南野さんご紹介なら心配いりません”って。やっぱり伝手があると違うんですね」

 芽衣は帰社後、結衣にそう報告した。


 結衣は「たまたま担当さんがいい人だっただけだよ」と微笑み、「何か困ったらすぐ相談してね」とだけ返す。


 ――だが、その裏側。

 結衣は業者の担当者たちと密に連絡を取り合っていた。


 『保証会社審査は書類のみで特別対応、費用はご指定口座から引き落としで承ります。』


 『水回りリフォームは予定より遅延の恐れがありましたが、最優先工事で本日中に完了します。』


 『大型家具搬入については、当社スタッフが現場待機し分解対応可能。追加費用も南野様個人ご負担で手配済みです。』


 結衣はすべて即答で了承。

 「芽衣さん本人には“運がよかった”程度の説明でお願いします」と伝えれば、プロたちは“南野結衣”の個人依頼であることを肝に銘じて、ミスなく水面下で全て整えた。


 芽衣が会社で「全部順調で、むしろ怖いくらいです」と笑うたび、結衣はやさしくうなずきながら、その背後に広がる“見えない手のひら”をひとり静かに見つめていた。


 春の午後。

 芽衣の新生活の「何も起こらない」幸運は、圧倒的な資本とネットワークの舞台裏で、密やかに守られていたのだった。

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