第13話 ジェットコースターの裏で守るもの――二つの顔のリアル
配信のクライマックス。
チャット欄が熱気で沸騰するなか、結衣は静かにモニター越しのリスナーたちを見つめた。
「今日は、ちょっと勇気を出して……私の攻め部分の“全部”をお見せしますね」
画面が切り替わる。
そこには、ここ数年で大きく動いたポートフォリオの“勝ち銘柄”と“負け銘柄”が、ドローダウンの履歴までリアルに記されていた。
【勝ち銘柄】
メタプラネット +380億円(最大ドローダウン率:-60%)
BTC +220億円(最大ドローダウン率:-45%)
Coinbase +260億円(最大ドローダウン率:-55%)
ARKK +180億円(最大ドローダウン率:-52%)
CoreWeave(IPO)+75億円(最大ドローダウン率:-48%)
AI中国新興株A +50億円(最大ドローダウン率:-43%)
【負け銘柄・含み損銘柄(一部抜粋)】
NFT&Web3特化米国株(XYZ Holdings) -260億円
超小型バイオ銘柄(BioHope) -87億円
新興AIベンチャー(NY-AI-Solutions) -52億円
EUグリーンエネルギーETF -61億円
SaaS高速成長株ファンド(SAAS-MAX) -31億円
仮想通貨ALTM -17億円
東南アジアモビリティETF -14億円
チャットがざわつく。
”え?もはやグロ画像なんだけど”
”最終的に上がってるとはいえ、途中の損失とんでもなくね?”
”メタプラ、最大ドローダウン60%は普通に胃が死ぬやつ”
”勝ち続けるわけないって分かってたけど、やっぱリアルやな”
”これ見ると、損切りも勇気いるって分かる”
”いや、でも正直ここまでぶっちゃけるの怖いわ……”
”NFT-260億で草"
結衣は少し照れたように微笑む。
「投資って、どうしても“勝ち続ける人”ばかりが目立っちゃいますけど……
実際には、途中で大きく下がったり、失敗したり、怖くなって手放しそうになることもたくさんあります。
勝った銘柄も何度もピンチを乗り越えていますし、負けたままの投資も正直いっぱいです。
大事なのは、完璧に全部当てることじゃなくて……
“全体のバランスを守りながら、諦めず立て直していくこと”。
自分もまだまだ修行中ですが、“守る資産”と“攻める資産”をちゃんと分けて、どちらも絶対に一気に崩さないように心がけています。
リスクを取る以上、損切りやドローダウンは避けられない。でも、だからこそチャンスをつかめる時もある。
もし今つらい人がいたら、“失敗しても大丈夫。立て直せる”って伝えたくて――。自分もまだその途中です」
ここでアセットくんが、いつもより辛辣に割り込む。
「ね?正直、女帝はネジ何本抜けてるかわかんないよね!
負け銘柄を公開する“自虐芸”はそれなりに見るけど、普通は2~3回大損したら大人しくなるもんでしょ?
この人、内蔵がどっか特殊合金か何かでできてるよ。100億単位をぶん回して”命綱なしで座席の上に逆立ちしながらジェットコースター周回”みたいなことして、よく平気で画面の前に座ってるな~って僕は思ってるんだけど?」
アセットくんは"頭大丈夫?”と首をかしげながら結衣の方を優しく見つめる。
結衣は少し引きつって苦笑しながら、肩をすくめる。
「平気ってわけじゃないよ。本当は怖いし、夜中に一人で頭抱えてることも多いんだから。
ただ……怖くても止まれないのは、たぶん“見てくれてる人がいるから”かな」
アセットくんがさらに畳みかける。
「いやいや、そうやって“ちょっと普通っぽい”コメント出すのが一番怖いからね?
みんな勘違いしちゃダメだよ。
“失敗しても大丈夫”って言うけど下がりっぱなしになることだってあるんだし、これだけ損したら普通の人間は3回異世界転生してもメンタル持たないから!」
チャット欄が笑いとツッコミで溢れる。
”いや、そこまで言う!?”
”胃に穴あきすぎ女帝”
”確かに損失芸じゃない“本物のヤバさ”がある”
”破壊神……”
”真似したら人間辞める羽目になりそう”
”いやでも、そのメンタルだけで飯食えるレベル”
”こっちも肝臓にくる”
結衣は照れ笑いしながら頭をかく。
「みんなは真似しなくて大丈夫ですからね……!」
チャットはやがて拍手と共感の嵐。
”負けた話も聞けるの助かる”
”7割勝てれば十分って本当なんだ”
”勝ってる裏で何回もピンチがあるんだな”
”現実的な話が沁みる”
”勇気もらいました”
――そんな声が画面いっぱいに広がった。
翌日の会社。
「昨日の女帝配信、ガチの損失履歴出してたの見た?」
「なんかすごかったらしいね、切り抜き動画がおすすめに出てきたよ」
「260億溶けてても平然と話せるメンタルすごすぎ」
「失敗談まで全部出せるの、本当に信頼できる感じだよね」
「うちの南野さんも女帝配信見てるんだっけ? まさか本人なわけないよな(笑)」
「投資は怖いけど、ああやって“守りも攻めも両立”してるの見ると学びになるなあ」
推しを公言している芽衣が話題にする女帝配信に周りも盛り上がるが、誰も“自分たちの南野さん”と女帝本人を結びつけようとはしない。
それを横目で聞き流しながら、結衣はそっとため息をつく。
自分の居場所がふたつあること、それが守られていることに、心のどこかでホッとしていた。
給湯室では井出と野間が芽衣にささやく。
「てかさ、芽衣ちゃん――もし南野さんが本当に“億トレーダー”だったら、もう会社辞めてどっか行ってるよね?」
「むしろ、あの鋼メンタルだけちょっとわけてほしいよ。絶対うちの部署じゃ出世間違いなし」
芽衣は笑いながら首を振る。
「いや、南野さんはたぶんどこにいても“普通”の顔して働いてそうです。
あの落ち着き、憧れちゃうけど、心の中どうなってるのか一度だけ覗いてみたいかも……」
結衣は遠くからその会話を聞きながら、
「もしこの人たちが、昨夜私が胃薬を握りしめてチャート見てたこと知ったら絶対びっくりするだろうな」
ほんの少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
***
金曜日の夕方。
定時の少し前、芽衣は普段より静かな様子でスマートフォンを握っていた。
心配になった結衣が声をかける。
「どうしたの?」
「……実は、うちのマンション、水道管が破裂しちゃって。
今日の夜は断水で、お風呂もトイレもダメらしくて……家族も全員帰省や出張中で、今日だけ泊まる場所がないんです」
「それは大変だね。ホテルとかは……?」
「今からだと予約も厳しくて……カプセルホテルも空いてないみたいで、どうしようかなって。
友達も今日はみんな予定あるし……」
芽衣の声がほんの少し震えていた。
結衣は少しだけ迷い、すぐに微笑む。
「もしよかったら、うちに泊まっていかない? 一人分くらい全然大丈夫だから、気にしないで」
「……本当にいいんですか?」
「もちろん。たまには誰かとご飯作るのも楽しいし、うち広いから。気を遣わずに使ってくれて大丈夫だよ」
「ありがとうございます……! 南野さん、優しすぎます」
二人はタクシーで結衣のマンションへ。
制服警備員と二重のオートロック、静まり返ったエントランスホール。
芽衣は思わず「すご……」と呟く。
専用エレベーターで最上階へ。
重厚な玄関扉を開けると、広い玄関、大理石の廊下、間接照明に浮かぶ空間が現れる。
「え……本当に南野さんの家……?」
リビングのドアを開けた瞬間、芽衣は言葉を失った。
「広っ……! 体育館みたい……!」
都心の夜景が広がる窓、二つ並んだ大きなソファ、壁いっぱいの本棚と大型テレビ。
芽衣はキョロキョロと見回し、ぽつりと呟く。
「……相続で“ひと財産”あるとは聞いてたけど、ここまでとは……」
結衣は苦笑しながら、本音を漏らす。
「あのときは色々大変だったんだ。でもこうして人を泊めてあげられるくらいには余裕できたかな」
芽衣はベッドルームや書斎、趣味部屋を次々に覗き、
「寝室が二つ? 書斎も? ……トイレとお風呂も二つ!? シャワールームだけの部屋もあるの?」
廊下の奥、ガラス張りのキッチンとワインセラーにも目を丸くする。
「いやこれ、普通の会社員の一人暮らしのレベルじゃないよ……! でも、こういう“現実離れ”も、ありなんですね……」
結衣は「掃除だって意外と大変なんだから」と笑ってごまかす。
キッチンで一緒にパスタを作り、夜景を眺めながら手料理とコンビニサラダで軽い夜ご飯。
「こういうとき、ちょっと贅沢してるだけなんだよね」
芽衣は、非日常の体験を素直に楽しんでいた。
夜遅く、ゲストルームで芽衣は「今日は本当にありがとうございました」と布団にくるまり、
結衣も静かに自室の扉を閉めて、パソコンの画面でチャートを確認する――“女帝”の夜はまだ終わらない。
その夜、結衣は一人でコーヒーを飲みながら、自分の“怖さ”について、ほんの少しだけ自覚的になる。
(冷静に考えて――よくまあ、こんなアップダウンを何年もやってきたもんだな、って我ながら思う。
最初は“失ってもやり直せる”って思ってたけど、今は“何度もやり直しても前に進める自信”がちょっとだけついたかもしれない)
(でも、本当に普通の感覚だったら、たぶんとっくにやめてる。
ちょっと自分でも、怖い部分があるって認めた方がいいんだろうな――)
翌朝、芽衣は起きると目を輝かせて結衣に話しかけた。
「南野さん、本当にすごい大人だなって思いました! いつか私も、こんな余裕のある大人になりたいです」
「大丈夫、芽衣ちゃんならきっとなれるよ」
と結衣は優しく返す。
週明けの会社。
芽衣が給湯室で同僚たちに囲まれて、泊まり体験を語ることになった。
……芽衣は朝一番、結衣の席にやってきて小声で尋ねた。
「南野さん、週末のこと、同僚たちがすごく興味津々で色々聞いてくるんですけど……
“お家が広かった”くらいなら、話しても大丈夫ですか? プライベートなことは絶対言わないので!」
結衣は安心して微笑む。
「うん、ありがとう。派手な写真とか細かい話はナシで、普通に“泊めてもらった”くらいなら全然大丈夫だよ」
「よかった……! 本当に、ありがとうございます」
それから芽衣は、同僚たちの輪に戻る。
「え、南野さんの家って、そんなに広いの?」
「どんな感じ? 本当に高級マンション?」
「エントランスもすごくて、ホテルみたいでした! 最上階で夜景がとにかく綺麗で……」
「へー、私も行ってみたい!泊まってみたい!」
「写真とかないの?」
「いや、さすがにプライベートなので撮ってませんってば」と芽衣は手を振る。
「でも本当に、人生で一度はああいう家に住んでみたいって思いました!」
興味津々の同僚たちが、「今度女子会やろうよ!」「結衣さんにも相談してみてよ!」と盛り上がる。
結衣が給湯室に顔を出すと、一斉に視線が集まる。
「南野さん、週末の芽衣ちゃん、ほんとにお世話になりました!」
「今度みんなで南野さん家でホームパーティとか……どうですか?」
「いやいや、私、片付けが全然追いつかないから!」と苦笑いする結衣。
「また機会があったら、そのときはぜひ!」
「うん、みんなで騒ぐのも楽しそうだね」と結衣は穏やかに返す。
(みんながこうして笑って話してくれる――
けれど、“本当の顔”を知るのは、この中の誰もいない)
夕方、デスクに戻った結衣は、モニターの奥で静かに息を吐いた。
自分はまだ、二つの顔を持つ“普通の会社員”でいられる。
けれど夜になれば、また“女帝”としての新しい波に身を投じることになるのだ――。