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光の旅路 -怒りは悲しみに、悲しみは虚無に。母星へ送還される罪人は最後、何を想う-

 宇宙裁判所の法廷は、緊張感に満ちていた。壁一面のガラス越しに降り注ぐ星々の光の中、衣擦れの音も聞こえそうな静寂が空間を支配していた。そんな中、傍聴人たちは息を詰めながら中央の被告人席に立つ人物の動向を伺っていた。


 被告人席に立っていたのは思わず目を惹くような存在感を放つ女性だった。彼女の髪は長く美しいプラチナブロンドで、どこか高貴な雰囲気を漂わせている。しかし、その端正な口元には、大きな火傷の跡が刻まれていた。半ば灰色に変色したその傷跡は、彼女の苛烈な人生が物語っていた。

 その女性──アリスは、被告人用のグレーの法廷服を纏い、冷たい床の上に立っていた。そのまっすぐ伸びた背筋からは、どこか潔さすら感じられる。


 裁判官たちが審議を終え、各々の席につく。中央に座った主裁判官がハンマーを叩き、法廷内に乾いた音が響き渡る。


「被告人アリス・リヴィエール」


 裁判官の声が厳かに響く。


「あなたは銀河統合議会に反逆し、その命令に背いて独断で第7惑星タルミスにおける軍事作戦を実行した。この行為により議会の権威を著しく損ない、多大な混乱を引き起こしただけでなく、銀河系の安定を脅かす結果を招いた。この罪状により、第13星系連邦法第72条に基づき、母星帰還刑を言い渡す」


 瞬間、法廷の空気がわずかに揺れた。母星帰還刑──それは罪を犯した者を故郷に送り返す、過酷で孤独な罰だった。


 しかし、アリスは動じなかった。判決が下された瞬間も、ただ静かに法廷の中央に掲げられた銀河統合議会のシンボルを睨み続けていた。


 裁判官は再びハンマーを振り下ろす。


「これにて閉廷とする」



. . . . .




 この宇宙の秩序を著しく乱した重罪人は生まれた星に長い時間をかけて送還される。それが母星帰還刑だ。数十年前、人権保護を名目に死刑をはじめとした罪人を直接的に害する刑罰が廃止されて以降、最も重い刑罰とされている。


 通称、ルクスと呼ばれる刑罰に用いられる1人用のポッドは、星間飛行を行わず通常航行で罪人を母星へ送還する。中央星系を母星とする罪人であれば生きているうちに故郷に帰ることもできるだろう。しかし、辺境星系を母星とする者にとってはルクスに乗ることは、即ち死を意味する。


 私の生まれ故郷であるエルヴァナは辺境星系の中でも、特に外れに位置する星だ。何十年後、いや何百年後に私が故郷に辿り着くのか……予想もつかなかった。そもそも、無事故郷に辿り着く保証などない。ルクスにいる間は生命維持装置で半強制的に生かされ続けるが、デブリにでも衝突すればすぐにこの船ごと宇宙の藻屑になってしまうだろう。ルクスを回収し、人身売買を行うならず者もいると聞く。


 私は数時間前、この刑に処された。そして今、狭苦しいルクスの中で目を閉じている。ルクスの内部は、少し大きな棺桶ほどの広さしかなく、身を捩るのが精一杯で、満足に動くことはできない。息をするたびに、酸素供給装置が微かな音を立てる。その音は、遠い星々がささやくように静かで冷たかった。


 私は、銀河統合議会に対する反乱軍を指揮し、数えきれないほどの命を奪ってきた。その結果がこれだ。反論の余地もなく、自らがその罰に値することは理解していた。だが、胸の中に燻る怒りの炎は未だ消えない。


 銀河統合議会に集う中央星系の惑星たちは、私たち辺境星系を搾取し、虐げてきた。


 目を瞑ると、まだ美しかった故郷の景色が浮かんでくる。星の象徴だった神樹と、それを取り囲む雄大な自然。しかし、中央星系の奴らが美しい星を──愛する故郷を奪い、私の両親を殺した。

 誰かがこの腐敗した仕組みに立ち向かわなければならなかった。命を賭けてでも。


「許さない」


 私は何度も呟く。魂に刻み込むように、この無念を決して忘れないように。


 不意に何かが腕に刺さる感覚があった。痛みはわずかで、むしろ鈍い重さがじわりと広がる。それが血流に溶け込み、体を冷たい液体が満たしていくような錯覚を覚える。


 瞼が重い。思考がゆっくりと霧の中に沈んでいくのが分かる。必死に意識を保とうとするが、コールドスリープ──その言葉が頭に浮かんだけれど、すぐ思考は霧散し、やがて意識は深い闇に引き込まれていく。


 そして私は、冷たい眠りについた──。



 * * *



 ルクスが銀河に放たれてから、幾度目かのコールドスリープから目覚めた。


 ぼんやりとした頭を何とか持ち上げ、目覚めの度に指先に刻んだ印を確認する。傷跡の数は16本だ。私はそこに、爪の先で17本目の傷跡を刻む。

 故郷エルヴァナにどれほど近づいているのか、この刑罰がいつ終わるのか、何も分からない。ただ一つ確かなことは、私はもう随分長く、このルクスで宇宙空間を彷徨っているということだ。


 ルクスに閉じ込められてからしばらくは、この銀河や自分に対する憤りが胸を埋めていた。けれど、いつしか怒りの感情は蝋のように溶けて輪郭を曖昧にし、代わりに悲しみの感情が胸を埋めるようになった。


 ルクスの窓から宇宙空間を眺めながら今まで別れてきた革命同士の……いや、仲間たちのことを想う。

 彼らとともに戦った日々。彼らが最後に見せた目の色、声、血の匂い。私の命令が、大切な人たちの命を奪った。いくつも、いくつも……。私が目指した星系格差の解消は果たして本当に必要な正義だったのだろうか。こんな私を支えてくれた優しい人たちを犠牲にしてまで、目指すべきものだったのだろうか。


 私の手で命を奪った多くの人々のことを想う。

 この手で直接命を奪ってきた敵軍の兵士たち。間接的に被害を与えた多くの罪のない人々。彼らの敵意、恐怖、憎悪、祈り――。大きすぎる負の感情のうねり。私の我儘のために生まれてしまったこの世の悲劇。その当事者がまた、今も新たな悲劇を産んでいるのだろうか。


 そして、故郷の星で死に別れた、父と母の顔がふと記憶の底から浮かび上がる。

 エルヴァナが急速に開拓され、多くの命や自然が喪われ、それを止めるために私の両親は必死になって戦った。そんな両親はある日、何者かに命を奪われた。今際の際に、優しい父は、美しい母は、何を想ったのだろうか。

 昔は2人のことを思い出すたびに、胸に怒りが熱く込み上げてきたものだ。しかし今は冷たい感情が胸を満たす。2人は私がこんなことをすることを望んではいなかったのではないか、と……。


 唐突に腕に針のようなものが刺さる感覚があった。また、私は眠るのか。そんな言葉が頭に浮かぶと同時に霧散し、やがて心臓から脳別々冷たい感覚が登ってくる。思考を覆う闇が全ての感覚を遮断し、私はまた眠りについた──。



 * * *



 重いまつ毛をもたげ瞼が開く感覚を、久々に感じる。久々に訪れる肉体的な感覚に、自分は目覚めたのだと自覚するが、自信がない。ルクスの中での永い時間のなかで、私の記憶は断片化し、夢と現実の境界は曖昧になっていた。


 目覚めた数を刻んでいる場所を見ると、無数の印が無秩序に刻まれていた。私はその隅に新たな印を一つ刻もうとするが、指先はもう随分前から思うように動かない。


 ルクスの中で過ごすうち、私には色々な感情が去来した。けれど、その全てはもはや私の存在を通り過ぎ、抜け落ちた。私という存在は過去の事象を感じることを止め、事実をただ受け止めたのだ。アリスという女は多くを犠牲にして、罰を受けたのだという、その事実を。



 しかし、抜け殻のような私は今、瞳を通して窓の外に広がる光景を()()()いた。


 その光景はどこまでも続く、冷たい銀河とはまるで違っていた。そこには生命があった。青々と茂る森、澄んだ湖、そして空の果てまで届かんばかりに伸びた大木……。


 これは現実の光景なのだろうか。もしかしてルクスは、本当に私を故郷の星に送り届けてくれたのだろうか。もしそうなら、死んだはずの私の星は、息を吹き返し、自然の豊かさを取り戻していた。


 アラーム音が鼓膜に響く。しばらくして、肺が軋むような感覚が訪れる。どうやら、酸素供給が停止したようだ。呼吸が浅くなり、意識が朦朧としていく。


 美しく緑に満たされた故郷。その姿を目に焼き付けながら、私は喉から掠れる声を絞り出す。



「ただいま」



 いつか聞いた自分の声がわずかに鼓膜を揺らすのを感じて、私の意識は深く、深く沈んでいった。

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