思い出の「お弁当」
思い出の弁当はどんな お弁当?
平安時代の旅行に持っていく携行食は餉と呼ぶ。
塩、ワカメを添え、湯水を入れてふやかし、柔らかくして食べるが、分かりやすく今風に表現すると、雑穀米で作ったお粥を旅先で作っていた。
旅先には色々食べる物が多いであろうこの時代、保冷技術もないため、基本は乾燥物メインである。
そんな時代の寂しい弁当とは違い、思い出の弁当。
筆者の思い出の弁当は
遠足だったり、学校への弁当の中に、三色弁当が楽しみであった。
ご飯の上に
①マグロを炒めてソボロにし茶色。
②卵を細かくした黄色。
③桜デンブのピンク。桜デンブは時々別のものに。
3色が綺麗で壊すのが勿体無いが、空腹には耐えられずすぐに無くなってしまう。
そんな思い出の弁当が1番目に思い出す。
お弁当は作る側はどんな想いだったのだろうか?
食べる時は分からなかったが、今は考えてしまう。
誰しも思い出の弁当はあるだろう。
藤原夏良の思い出の弁当
それは幼稚園のお昼に弁当を忘れて皆んなから分けてもらった弁当。
忘れたと言うことになっていたが、酔い潰れた母親が作れなかった。皆には言えずに忘れた事にしたのだ。
いつもは自分で作ったのを持ってくるのだが、その時だけは僕の誕生日だからと母親が作ると言っていたのを信じて待ってしまったからだ。
半分のコロッケ、タコ足ソーセージ、さつま揚げ、きんぴら牛蒡を分けてもらい食べた。味にも統一感はないが感謝の味だった。
藤原涼の思い出の弁当
皆で旅行に行く朝、母親が弁当を作っていたのを覚えている。サンドウィッチには、たまご、ハムとレタス、ツナの3種類を切って、耳を食べさせてくれた。バケットカゴに入れて笑顔で車に乗っけ、運転父親、母親が助手席、後部座席に自分と脇にバケットカゴを置いて出かけた。バケットカゴを膝おきにがわりにしていたのを思い出す。
居眠り運転のトラックに、横から突っ込まれ、バケットカゴからサンドウィッチが飛び散り、横転する車の回転とサンドウィッチの散乱を今でも忘れない。
悲しい思い出の弁当である
それぞれの思い出のお弁当には、楽しい想いも、悲しい想いも、色々な想いがつまっている。
まるで弁当箱の箱に最後に残った卵の欠片のように
あなたの思い出の弁当は?
「藤原夏良」は平安時代の歴史物で連載中
「藤原涼」は推理小説で掲載中です
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