「有馬!裏山に登るぞ!」天真爛漫な先輩に振り回される日々。でもそういうところが好きなんだ!
「有馬!裏山に登るぞ!」
午前授業の日、弁当を食べ終わりかけたそのとき、底抜けに明るい声が耳を貫いた。声の主である小柄な女子生徒は僕の先輩だ。
「またどうしたんですか、先輩」
「裏山の上に神社があると聞いてな。しかも結構立派らしい。毎日見ている裏山にそんなものがあるとは、灯台下暗しとはまさにこのことだ!」
現代の高校生には似つかわしくないこのもったいぶった喋り方は、何かの影響なのだろうか……
「あぁ……あるらしいですね、神社」
「なに、知ってたのか!どうして私に教えなかったんだ」
そう言うと先輩はちょっと頬を膨らませて僕に顔を寄せてきた。風に乗って甘い香りが漂い、僕は少しのけぞってしまう。
「いや、みんな知ってますよ……つい最近も、何かで話題になってましたし」
「そうだったのか……ともかく!そんなのが裏山にあるなら行くしかないだろう!」
「どうしてそうなるんですか……」
先輩は何か思いついたらすぐ実行してしまうタイプだ。面白そうなことがあると決まって僕を呼びに来る。毎回僕は先輩の遊びに嫌々付き合うような反応をしてしまうが、実際のところ学校生活の一番の楽しみはこれだった。
「じゃあ行こう!」
先輩は僕の腕をつかみ、今にも裏山へ走り出しそうだった。
「いや、まだ弁当食べ終わってないですし……もうちょっと後にしませんか」
「機を見るに敏だぞ、有馬」
「備えあれば憂いなしとも言いますよ。ほら、荷物を持って山に登るわけにもいかないでしょう」
「それもそうだな……よし、じゃあ1時間後に集合だ」
そう言って先輩は教室から駆け出していった。本当に嵐のような人だ。
「仲良しだな、見せつけてくれやがって」
「そんな仲じゃないって」
にやにやしながら僕をからかうクラスメイトをあしらいながら、僕は弁当を食べ終えて山登りの準備を始めた。
調べてみると裏山は意外とちゃんとした山で、いくつか登り口があるようだった。学校に一番近い登り口に行くと、先輩が待っていた。
「遅かったな!じゃあ登るぞ」
「あんまり急ぐと疲れますよ」
「心配無用。このくらい楽勝だ」
実際、山道にしてはそれなりに整備されていて歩きやすい道だった。昼下がりの暖かな陽光が木々の隙間から差し込み、僕と先輩を優しく照らす。どこからか鳥のさえずりが聞こえてくる。石段を飛び跳ねるように、鼻歌交じりに進んでいく先輩を見るだけで心が満たされる。
「思ってたより楽だな」
「そうですね」
先輩は少し退屈し始めたようで、何か面白いものでもないかと辺りを見渡し始めたが、特に目を引くものがあるわけでもなかった。しばらく進むと開けた場所に出た。
「お、看板だ!」
ようやく面白そうなものを見つけた先輩は看板に駆け寄り、嬉しそうに笑い始めた。追いついて看板を見ると、次のようなことが書かれていた。
『左の道、所要時間60分。傾斜の緩やかな道。』
『右の道、所要時間40分。険しい道。老人、幼児、体力に自信のない方は登らないこと!』
どうしてこんな書き方をするのか。こんなの、先輩に右の道を登れと言っているようなものではないか。
「よし、こっちに行くぞ!」
「だめですって、絶対後悔しますよ」
「困難を乗り越えてこそ、真の勇者だ!」
もちろん先輩は僕の制止を聞くわけがなく、ずんずんと右の道を進んでいった。
最初は威勢よく「険しい道も恐るるに足らず!」みたいなことを言っていた先輩も、次第に傾斜がきつくなるにつれて口数が少なくなった。しまいには剥き出しの岩がそのまま鎮座し、両手両足を使わなければ登れないほどになった。
「今からでも遅くないですよ。引き返して楽な方を進みましょう?」
「なんの……これしき……」
先輩は完全に息が上がり、辛そうな顔をしていた。意地でここまで登ってきたが、そろそろ限界だろう。僕でさえかなり疲れているのだから、小柄な先輩はなおさらだ。
「いったん休みましょう」
少し平らな場所に着いたところで休憩を提案すると、今度は先輩も素直に頷いた。手頃な岩に二人で腰掛けた。僕は鞄から水を取り出して飲んだ。運動の後の水分補給は体に染み渡る。
「……」
どうやら先輩は飲み物を持ってきていないようで、水を飲む僕の姿を羨ましそうに見ていた。
「ほら、先輩の分」
僕は鞄からもう一本の水を取り出し、先輩に差し出した。先輩の顔が明るくなり、素早く水を受け取るとすぐに半分ほど飲み干した。
「ぷはーっ!本当に有馬は気が利くな!」
そう言って朗らかに笑う先輩の顔は、僕にとって何よりも価値のあるものだった。こんな顔が見れるなら、この程度の山道は全然苦ではない。
「よし、あと半分ってところか!」
しばらく休んで元気を取り戻した先輩は、立ち上がって先へ進もうとした。
「僕が先に行きますよ」
僕は大きな岩に先に登り、先輩に手を伸ばした。
「ありがとう」
先輩の柔らかい手をつかんで引き上げる。確かに先輩がそこにいるのだという実感が、熱と重みで伝わってくる。
その後も険しい道を登り、厳しい岩のゾーンを抜けてついに山頂付近に到達した。楽な方の道と合流し、再び整備された歩きやすい石段が現れた。
「あ!あれ、鳥居じゃないか?」
神社の鳥居を見つけた先輩は、一目散に石段を駆け上がっていった。「そんなに急ぐと転びますよ!」と言いながら先輩を追いかけて鳥居をくぐると、先輩が地面にへたりこんでいた。
「そんな……」
どうしたのかと思い視線の先を見ると、瓦礫の山が広がっていた。神社だったと思われるものは完全に倒壊しており、ぐちゃぐちゃの木の板の破片の上に落ちた屋根が乗っていた。
ここまで来てようやく、この神社が最近なぜ話題になっていたのかを思い出した。先日の台風による強風で倒壊していたのだ。
「ここまでの努力が……」
「すみません。事前に調べておくべきでした」
「有馬のせいじゃない。私の方こそ、こんなことに付き合わせて悪かった」
涙目になっても先輩は気丈に振る舞っている。
「……帰ろうか」
「はい……」
振り返って思わず息を呑んだ。僕たちの学校、町……山頂から見える沈みかけた日に照らされる景色は美しく、ここまで登った甲斐があるというものだった。
「きれいだ……」
そう呟いた先輩の顔は夕日に照らされ、黒く大きな瞳に太陽が反射して輝いていた。
「はい……きれいです」
僕は先輩の方を見てそう言った。景色に見とれる先輩の横顔を見て、僕は気持ちが抑えられなくなった。
「先輩、僕はあなたのことが――」
「あ!夕日!?夕飯のおかず買ってきてって言われてたんだった!」
僕の言葉を聞く前に、想定より時間が経っていたことに気づいた先輩は石段を駆け下りていってしまった。
「早くしないと置いてくぞ!」
先輩は振り返っていたずらっぽく笑った。
ああもう!こういうところが好きなんだ!
「待ってくださいよ!先輩!」
僕は先輩を追いかけて石段を駆け下りた。