三
技術研究本部地下施設、第三実験室。
「72時間周期の通信、開始まで残り30分」
田村美咲は新たに設置された解析装置のモニターを確認する。装置の心臓部には最新の量子コンピューティングチップが組み込まれ、従来の百倍の処理能力を持つ。彼女の横では、佐々木課長が腕を組んで待機していた。
「今回は掴めるはずです」
田村の声には、静かな自信が滲んでいた。三日前から、彼女のチームは信号の暗号化方式の解析に成功していた。あとは実際の通信を待つだけだ。
モニターには複数の波形が表示されている。海底からの音響データ。電磁波の変動。水温変化。そして、もう一つ。
「あれは...」佐々木が指さす画面に、微かな変化が現れ始めていた。
「はい」田村が頷く。「反応です」
スクリーン上のデータが、突如として生命を持ったように蠢き始める。量子解析エンジンが、瞬時にデータを処理していく。
「暗号化方式、確認」システムエンジニアの一人が報告する。「予測通りのパターンです」
「解読開始」
画面上に、次々とデータが展開されていく。
「これは...」田村の声が震える。
***
那覇海上保安部通信室。
「はまゆき、はまゆき」通信司令の声が響く。「新たな指示、発信します」
暗号チャンネルが開かれ、データが送信される。巡視船では、山本当直司令が新たな命令を確認していた。
「古賀さん」
「はい」
「針路を変更します。新たな定点に向かいます」
古賀は黙って海図を確認する。指示された位置は、先ほどまでの警戒海域から約十海里離れた地点。そこには、特に目立った地形も施設もない。
「了解しました」
しかし、古賀は直感的に理解していた。これは、ただの定点移動ではない。何かが始まろうとしている。
***
技術研究本部に戻って。
「艦艇の動静データ」田村が声を詰まらせる。「過去72時間の全ての動き。位置、速度、進路...」
「他には?」佐々木の声が低く響く。
「海底地形データ。音響分析結果。そして...」田村は画面をスクロールする。「将来の予測パターン」
「将来の?」
「はい。AIによる行動予測です。私たちの艦艇の動きを分析して、今後の展開を予測しようとしています」
佐々木は深くため息をつく。状況は予想以上に深刻だった。
その時、別のアラートが鳴り響いた。
「新たな信号!」システムエンジニアが叫ぶ。「これまでとは異なるパターンです」
「発信源は?」
「同じ位置...いいえ、wait」エンジニアが画面を凝視する。「複数のポイントから...これは...」
突如、メインスクリーンが赤く点滅を始めた。
「課長!」田村が立ち上がる。「周辺海域で、新たな音響信号を複数検出。これは...」
佐々木は既に携帯電話を取り出していた。ある番号をプッシュする。たった一言。
「始まりました」
電話の向こうで、短い応答があった。
地下室の空気が、より重く沈んでいく。窓のない空間で、唯一の音は機械の発する低い唸りだけ。しかし、全員が感じていた。これは、新たな局面の幕開けだということを。
田村は再び画面に向かう。データは途切れることなく流れ続けている。その中に、彼女たちの知らない真実が隠されているはずだ。
「解析を続行します」
彼女の声は、静かだが芯が通っていた。
(続く)