2. 人違い
「くッ! 離せよ!!」
姿すら見えない何者かは俺の体をがっしりと掴んで離さない。ただただ木々の間を抜け、ひたすらにロックさんたちから距離を取っているようだ。
せめてもの抵抗にしばらく大声をあげながらもがいていると、急に体を支えている感触が消えた。俺は刹那の浮遊感を感じた後、地べたに尻もちをついていた。どうやら米俵スタイルは終わったようである。
「クソ...PVPゲームの殺人鬼みたいな真似しやがって」
悔し紛れに口を開く。平然を装って軽口を叩く。そうでもしていないとあまりの恐怖に押しつぶされてしまいそうだった。姿の見えない相手が自分を狙っているなど、恐怖以外の何物でもない。
「...姿を見せろ」
だが、俺はあえて強気にいく。もし殺すつもりなら俺みたいな素人なんていくらでも殺せたはずだ。俺が今無事でいるということは、襲撃者は生きている俺に用があるのではないか。その用を済ませた後は知らないが_____ともかく、相手が目的を果たすまでにできるだけ時間稼ぎをする。ロックさんたちが助けに来てくれることを願って。
「威勢がいいねえ」
聞き覚えのある男の声とともに、目の前に人間らしき影が浮かび上がった_____否、それは陰ではない。
それは、確かに人間だった。彼はダルラさんの着ているものよりもはるかに漆黒の衣装に身を包み、先ほど俺たちを囲んだ人々と同じく顔を覆面で覆っていた。ゆえに表情はわからないが、少なくとも自分に良い感情を抱いていないということだけは俺にもわかった。
「透明人間...しかも臨機応変に元に戻れるってか」
「おや、隠密魔法をご存じでない? 『世界の破壊者』ともあろう者が意外なことだ...」
隠密魔法...そういえばさっきダルラさんが口にしていたような気もするが、あの時の俺はそれどころではなかったし、そもそも魔法というものがイマイチ理解できない。あと案の定『世界の破壊者』絡みで俺はさらわれたようだ。とんだ人違いだ、と言ったところで信じてもらえるわけもないので黙っておくが。
「あぁ、そうそう。自分で言うのもなんだが私の隠密魔法はかなり精密でねえ。ここ一帯も隠させてもらったから、助けは期待しないことだねえ」
助けがこない_____それが本当なら非常に不味い状況だ。とはいえ、その真偽など関係なく俺に取れる手は一手のみ。とにかく時間稼ぎをして光明を探すしかない。
「俺に何の用だ」
震える声を抑え必死に冷静を装う。現在進行形で俺の体は震え、心中には思わず泣きたくなるほどの恐怖が渦巻いていた。しかし、相手はそんなことなどお構いなしで、ほんの少しでも悪手を選択すればすぐさま命を刈り取りに来るに違いなかった。
「あぁ、君には少し聞きたいことがあってねえ。無論『世界の破壊者』についてのことなんだけどねえ」
語尾をふざけ気味に伸ばす男の表情は見えない。
「『世界の破壊者』、ね。申し訳ないが...それなら俺は役に立てそうにない」
慣れないブラフは逆効果だと判断し、俺は素直にそう答えた。こうなるならロックさんにもっと詳しく『世界の破壊者』について聞いておくべきだった、と今更ながら後悔する。今のところ組織の長が自分と瓜二つであること以外に『世界の破壊者』について知っていることがない。
俺の返答を受け、覆面の男は深いため息をついた。
「まともに答える気はないってこと?」
口調も声のトーンも先ほどと変わらない。だがその言葉にはまるで暖かみがなかった。冷たいナイフを押し当てられたような感覚に、全身の毛が逆立つ。どうやら俺は選択を間違えてしまったようだ。慣れない嘘でも何でもいいから適当に答えておくべきだったか_____いや、そもそも最初からこの問答に正解などなかったのか。
「『世界の破壊者』のリーダーを、一人でどうにかできるとでも?」
苦し紛れに口を開くが、やはり覆面の男は動じない。
「一人でどうにかできるから私がここにいる。君、魔法が使えないみたいだしねえ」
この言い草からして、どうやら本家も魔法が使えないらしい。もしも俺が魔法を使えたら目の前の男に泡を吹かせることができたのだが、こいつは運が良い。というより俺の運が悪すぎるのか。
「君が失踪したと聞いてから、私たちは死に物狂いで君を探したんだよねえ。果たしてその苦労をわかってもらえるかな」
「失踪...?」
「...とぼけているつもりかい?」
とぼけるも何も俺は最初からお探しの人物ではないのだが...。
それはともかく、『世界の破壊者』のリーダーが失踪しているとはどういうことか。というかそれが確かならば、俺はどれだけ間と運の悪い人間なのか。本人が失踪している間にそれと瓜二つの俺がのこのこ現れれば、確保されるのは至極当然ではないか。
いや、そもそもこの事態は本当に俺の運の悪さが引き起こしているのか? いくら何でもタイミングが良すぎる(俺にとっては最悪なのだが)気がする。まるで何者かが意図的にこの状況を仕組んだかのような_____。
「黙っていたらわからないねえ」
その言葉に俺の思考は中断された。いや、言葉というよりはその語気。あるいは俺の首元に突き付けられた『何か』。
「そろそろ私も我慢の限界だ。これ以上何も情報が出ないようなら...わかるよねえ?」
「...どっちみち、だろうが!」
そう叫び俺は首元の『何か』に手を伸ばした。どうせ殺されるのならやるしかない。たとえどれだけ実力差があろうとも、それは何の言い訳にもならない。
急な反抗が奇襲になったのかどうかは定かではないが、俺は覆面の男が行動を起こす前に『何か』に触れることに成功した。そして『何か』をそのまま男の手から奪い取る。ひやりとした感覚が伝わってきたが、俺はそれを無視して急いで男から距離を取った。
「これが何なのかは知らないが、それでも凶器の有無は大きいだろ...う...」
俺の言葉が尻すぼみになっていく。原因は覆面の男の周りに展開された...何だ? これは何と言えばいいのだ?
「これは驚いた。その様子を見るに本当に魔法について何も知らないようだねえ」
手にあった冷たい感覚が消える。ふと手を見ると、そこにはすでに何も握られていなかった。先ほど男から奪い取ったはずの『何か』が跡形もなく消えていたのだ。
「私は隠密魔法以外にも水魔法が得意でねえ。それを応用すれば氷を使ってこんなこともできるんだよ。...こういう風にね」
男はそう言って周りに展開された『何か』を俺の方へと勢いよく飛ばしてきた。
ひゅぅ、と思わず声が漏れる。命の消失すらも覚悟したその瞬間、『何か』は俺の顔のすぐ横を通り過ぎて近くの木の幹に突き刺さった。もしこれが本当に顔に当たっていたら...想像は難くない。
『何か』が刺さった木の幹へと目を向け、俺はそこであることに気が付いた。これは記憶を失った直後に襲撃されたとき足に刺さった『何か』と同じだ_____この男の言うことを信じるならば、氷の短剣と言ったところだろうか。
「お前、だったのか...」
「どの件を言っているのかわからないねえ」
どこまでもふざけた様子で男は言葉を紡ぐ。あぁ、そうか。この男は俺の命を奪うことすらおふざけ程度にしか思っていないのか。人の命を何とも思っていない。そうでなくてはおかしい。
「ま、そんな怖い顔しないで。殺そうと思えばいつでも殺せるからねえ。例えば、さっき君の手に握られていた氷の短剣を操ってあげるとかねえ? 結局消すに留めたけれど、やっぱり君は貴重な『世界の破壊者』の情報源だからさあ」
わざわざ威嚇射撃もしてあげたでしょ、と男は付け加える。
「...でも、話さないならそうだねえ。話したくなるようにするしかないよねえ」
男の言葉に俺は今日何度目になるかわからない寒気を覚えた。要は情報を吐くまで拷問ということだろう。問題は、俺が吐くべき情報を持っていないということ。そして、男が俺を『世界の破壊者』であると信じてやまないことだ。下手をすれば文字通り死ぬまで拷問されるかもしれない。
冗談ではない。死ぬまで拷問されるなんて、死ぬのと同じぐらい嫌だし、怖い。
そもそもなぜ俺がこんな目に合わなければいけない? 記憶をなくして、襲撃を受けて、保護されて、わけのわからない厨二病みたいな組織のボスと勘違いされて、今度は拷問される、だって?
いくら何でも理不尽な現実に、いい加減怒りが湧いてきた。この理不尽の原因が記憶を失う前の俺にあるとしてももう関係ない。記憶を失う前の俺なんて今の俺にとっては他人にすぎない。理不尽になすがままにされてやるのもここまでだ。
「...いよ」
「は?」
怖いものは怖い。ただ、足がどれだけ震えていようとも、その場に立っている限り立ち向かうことはできるはずだ。
「かかって、こいよ...!」
俺は覆面の男____もとい、理不尽な現実に対して啖呵を切った。