7/17(日) 小鳥遊知実④
しかしすぐに親友の背中に顔をぶつけて立ち止まることになった。
「いや、止まるんかい!」
抗議すると、いつになく神妙な面持ちで野中は辺りを見回した。
「なあ。俺、ここで遊んだことあるわ。ガキの頃」
「は?」
「じーちゃんちが近いんだよ」
急に何なんだ?
「夏休みに連泊したときに、この砂浜で近所のガキと遊んだ年があるんだけど、結局何も言わずに実家帰ってさ。なんか数日落ち込んだんだよな」
あれ? それってもしかして……。
「俺がこないだ話した怪談?」
「そう。状況似てね? なっちゃん、その幽霊とかけっこしなかった? 例えばあの岩ゴールにして」
「……した。つーか、まさにここなんだよ。俺が幽霊と会ってたの」
指差すのはさっき野中が不時着していた岩場だった。近くにいたときはわからなかったけど、あの岩、見たことある。
少しずつ、氷を溶かすようにして思い出が流れてくる。
「……道路走り回ったり、草取って薬作ったりした?」
「おーしたした!」
野中が肯定するたびに、ばくばくという心臓の音が拡大していく。
「いや、でもなんで『カタちゃん』?」
いちばんの疑問がそれなんだ。
「俺はそうやって呼ばれていた記憶はまったくないんだが、俺の名前を言ってみ」
「野中貴臣、だろ?」
「いいか? の、な、か、た……。かた」
「…………お前じゃん!!」
「俺じゃねーか、この腐れ縁!!」
手を挙げてハイタッチする。
「いやまじか。まじかー野中だったかー!」
おいおいおい! なんだよこの突然の再会は。
「ふふ。女なら運命感じたんだろうが、残念だったな」
野中がニヤニヤと笑う。
「何言ってんだ、幽霊は最初っから男だっつの。それがお前で最高だわー!」
まさかの急展開! 超スッキリ!! お前はコ◯ン君ですか!
いつも以上にはしゃいで野中の後ろから抱きついた。
そうやってじゃれ合いながら歩いていたけど、今度は野中の視線が前方で止まったことに気づいてそっと離れた。
「っていうか、詩織は誰としゃべってんだ」
「なにが?」
視線の先は俺たちのパラソル。
その下に葛西先輩がいて、隣に見知らぬひょろっとした男が座って話しかけていた。
先輩は明らかに作り笑いで、どうやら知り合いではなさそうだ。
「ナンパかね」
野中はあきれたような声で言った。
「ちょっと俺、行ってくる」
せっかくこっちは気分が良かったのに。先輩が迷惑そうにしてるの悟れよ、なんだあいつ。
腹の底からふつふつと怒りがわき上がってきていて、そろそろ沸騰するんじゃないでしょうか、というところだ。
「んじゃお供しますわよ」
俺たちは自然に目配せをした。
そして、パラソルに近づこうと足を踏み出したとき。
「必殺カニ爆弾!!」
そんな情けなく幼い声が響いて、思わず立ち止まる。
「ぎゃあ!?」
男が悲鳴を上げて後ろにのけぞった。腹の上で数匹のカニがうごめいている。
音和!? つか、なに仁王立ちして勝ち誇ってんだあいつは……。
「チッ、ガキかよ! お母さんのところに戻りなさい!!」
男は声を裏返らせながらもしっしと偉そうに、音和を追いやろうとしていた。
「ガ……ッ!? お前たかおみより失礼でうざいな」
おー怒ってる怒ってる。
「おい俺ってそんな失礼でうざいの!?」
お前はもうちょっと自覚してくれ。
「音和ちゃーん、しゃがんでください」
いつも通りのんびりとした先輩の声は、臨場感たっぷりのバトルフィールドと化したこの場所では異質だった。
音和が言われた通りにしゃがみ込むと、男と音和の対角線上に突如それが現れた。そう、競泳用水着が。
「教育的指導ーーっ!!」
大きく振りかぶったかと思うと次の瞬間、その手から放たれた黒いものは音和の上を飛び越え、そのまま男の額に突き刺さっていた。
「ぶぎい!!」
悲鳴を上げて、男はそのまま後ろに倒れる。
刺さっていたものがぽろりと落ちる。大きなハマグリだった。
「うちの書記に汚いツラを近づけるな外道」
音和の隣まで歩くと、腕組みし、倒れた男を見下ろしているのはやはり、暴虐非道で名高いうちの会長様だ。
「ソレ、足で踏み潰すわよ」
「ど、どれを!?!? なっちゃん、どれのこと!?!?」
「いや、ま、まさかそこまで非道なことはっ!?」
灼熱の気候の中、怖気に襲われ、自分で自分の身体を抱えるようにして震える俺たち。ちょっとだけナンパ男に同情してしまった。
「ひいいい、お、鬼ババア!!」
腰を抜かした男は這うようにして逃げて行った。
「は!? 誰が鬼ババアだ!!」
最後まで凛々姉をブチキレさせるとは、あいつもなかなかのツワモノだな!
男がいなくなったのを確認すると、葛西先輩は端っこに追いやられていた身体の位置を、元の場所に戻し、何もなかったかのように座りなおした。
「音和ちゃんも部田さんも、ありがとうございました」
「貧弱な男ね。もっと命張るような男じゃないと許さないわ」
凛々姉と付き合う男は大変だな……。
「ところでなにもされてない? 詩織」
「ええ。すぐに助けてくださったので」
良かった、笑う余裕があるみたいだ。とりあえず安心した。
「……命かけろだって? なあこの委員会どうなってんの。頭おかしいだろ」
隣で野中が吹き出した。
「はは。でも嫌いじゃないだろ?」
「まあなあ」
俺の好きな居場所をそうやって肯定してくれる野中の言葉が、心からうれしかった。
「ところで詩織、チュン太たち見た?」
おや。俺たちの、話……?
「いえ。いらっしゃらないのですか?」
なんだか雲行きが怪しくなってきたところで、野中の笑顔も引きつっていた。
「あいつら勝手にどこか行って、戻ってこないんだけど」
いえいえ! 戻ってますよ! ただ、出て行くタイミングを失っていただけですよ!
「海で勝手な行動をするのがどんなに迷惑か、戻ってきたらきつくお灸を据えてやらなきゃ」
体から血の気が引いていくのが感覚でわかる。ヤバい。これはマジでヤバいやつだ。
「かいちょ、さっきからそこに」
ぼんやりしているように見えた音和が、俺たちの方へ寸分違わず指をさした。
出たよ、ストーカーレーダー!! こえーよ!!
いや、これはチャンスだ! 一気に弁解をすれば!!
野中と目配せする。
「その通り。俺たちはさっきからずーっとここにいて、どこにも行ってません!」
「うんうん、ナンパ撃退すごかったよ! ナイスだよ凛々姉!」
「ほう……。詩織が困っていて音和でも助けに入ったのに、あんたらは見てただけと?」
ひーーー! そうなんだけど、そうじゃないんだってばよーー! 恐怖で歯がガチガチと鳴り、汗が吹き出る。
「せっかくだからいい機会だわ。あんたたちちょっと鍛え直したいのだけど」
「げえ!」
絶! 対! いやです!
「なっちゃん頑張ってね♡ アタシはお先に遊んできちゃったから」
とん、と野中に背中を押される。裏切り者!!!! と目で訴えるが刹那、腕を強力な握力で掴まれた。
「んじゃ、チュン太。時間はたっぷりあるからいらっしゃい。あたしと遊びましょう?」
凛々姉はなぜか満面の笑みを浮かべている。
音和、お前なら助けてくれるだろ!? と、音和にアイコンタクトを送るが、こっちはこっちで「へへ。強くなって帰ってこいよ」みたいな達観した顔してるうう〜。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ……」
ド◯ゴンボールのク◯リンがセルを見つけたときのような情けない声で、俺は地獄へと引きずられて行った。




