7/11(月) 葛西詩織⑥
地面につけた膝に合わせて、両手を前につく。
「ってことで、俺は合宿に行きません!」
「!?」
目の前の高貴な老年男性が息を飲むのが聞こえた。
「だからお願いします、先輩だけは合宿に参加させてください! 先輩に高校の思い出を。仲間との楽しい思い出を……」
先輩が今まで体験できなかった、青春を。
「本で得た擬似的な経験だけでいいなんて、それは違う。大人になって、つらいときにふと思い出して笑みがこぼれるような、優しい経験を作らせてあげてください!!」
言い切ってから額を土にすりつけた。勢い余って、ごつんと音がした。……痛かった。
「……っお願いします!」
それで、みんなと仲良くなって帰ってきてくれたら、俺的には充分ハッピーエンドだから。
「『本で読んだ知識は、半分の知識でしかない。人生でそれを体験して、本当の知識になる』……。ゲーテの言葉……」
頭上から小さく呟く声が聞こえたかと思うと、それはすぐに叫びに変わった。
「だからって、そこまでしないでください!!」
先輩がしゃがみ込んでくれる。
「頭をあげて。私は小鳥遊くんを置いて、こんな土下座まで……っ! そこまでして行きたくはありません! ごめんなさい小鳥遊くん、ごめんね……っ!!」
隣で膝をついて、先輩は泣きじゃくっていた。
「ちょ、そんなこと言わないでくださいよ。全部台無しじゃん……」
本当に、この人は。しっかりしているかと思えば、こうやってふと感情を見せてくれる。無防備で、ずるい。
「……許可はできない」
しかし、そんな俺たちの頭上から返ってきた答えは、限りなく冷酷なもので。
俺は苦笑いのまま、視線を再び地に落とした。
あーあ、奥の手もだめかあ。結局、俺は先輩に何もできなかったな……。
「お嬢様はお身体がお強くないのを忘れていないか?」
ゆっくりと頭を上げる。今さら何を。
「そんなことを忘れられては、お嬢様を預けられません」
だからなんだよ……。
って。ん?
「……君がいなくて、誰がお嬢様を守るんだ」
「えっと……??」
「お嬢様を合宿に行かせたいなら、君がしっかりしなさい。良家の令嬢を預かるという意識はないのか!?」
五百蔵の雄々しい立ち姿に、惚けていた思考が瞬時クリアになる。
「あ、あああります、もちろん!」
「守れるか?」
「守ります、俺の命に変えてでも!!」
「言ったな小鳥遊。死んでも守りなさい!!」
「鹿之助っ……ありがとっ!!」
先輩は立ち上がって、五百蔵の首に抱きついた。
先輩さえ許してもらえれば……と思っていたけどまさか、俺まで認められるとは。
はは、マジか。やった。
「ありがとうございます!」
俺は再度、深々と頭を下げた。
「小鳥遊くん、ありがとうっ」
五百蔵の隣で、先輩は満面の笑みを浮かべる。
「じゃあ先輩、虎蛇行こっか!」
「え、でも……」
不安げだった。ズル休みをした手前、行きづらいのだろうが。
「お嬢様。私はまた後ほど迎えに参ります」
「えっ鹿之助?」
「じゃあ決まりっすね。虎蛇に遠慮することはないんだから」
俺は先輩のカバンを拾い上げて先に歩く。すぐに後ろから、追いかけてくる足音が聞こえた。
これでメンバーは揃った。俺たちの夏を迎えられる。
次は7月17日(日)更新。合宿編です。




