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6/23(木) 部田凛々子

 カフェの扉を開けると。



「おかえりなさいませ、ご主人様ー♡」



 カフェリトルバードの名物ウェイトレス、いちごが笑顔で迎えてくれた。

 なんの店だよここは!


 しかし忙しいのか、いちごは「あとでね☆」と言うとすぐに、脱力していた俺から離れて仕事に戻った。店内を見ると、なるほど、ほぼ満員だ。


 ふと、奥に珍しい人物を見つける。



「お帰り、チュン太」


「なんで……会長がいるんっすか」



 私服だったからすぐに気づかなかったけれど、カウンターに会長がひとりで座っていた。


 カーキのタンクトップに白シャツを羽織って、下はデニムっていうラフな格好だけど、サマになってるんだよなあ。



「今日は親がいないから晩ごはんをいただきに来たんだけど、な・に・か?」


「いや別に。珍しくて」


「ならいいんだけど。今なら隣に座ることを許可するわ」


「どーも」



 勧められるがまま座ると、母親がカウンター越しに顔をのぞかせた。



「おかえり知! ねえ、凛々子ちゃんきれいになったわねー」


「そんなことないですわ、おばさま」



 オイ声! 誰だよ! 猫かぶって、まあ……。



「ううん、とても美人なお姉さんになっちゃって。あ、今も知がお世話になってるんですって?」

「うん。まあ、委員会の集まりでね」



 そう答えて、全部覚えてしまったメニューを読むふりをする。すごく、気まずい……。



「そういえば、最後に会ったのは中学だったわね。この子、凛々子ちゃんのこと大好きだから。高校でも仲良くしてもらえてるなら安心だわ」



 おいおい、マジかよ。何言ってくれてんだよ!


 隣を盗み見ると、案の定、会長も湯のみを見て固まっていた。それに気づかず母親はしゃべり続けている。


 ぶっちゃけそのあとの言葉は何も頭に入ってこなかった。中学の話はわざと避けていた話題だった。俺と会長にとって、暗黙の了解になっていた。というか、そうせざるを得なかったんだけど。



「あ、注文入ったからちょっと外すわね。知、ごはんもう少し待ってて」



 そして最悪なタイミングで去る母親。沈黙のまま、俺たちは横並びで座っていた。



「「……」」



 気まずい時間はなぜもこんなに長く感じるのだろうか。耳に飛び込むのは意味のない雑音ばかりで、たまにオーダーを取るいちごの声が混じった。



「……相変わらずね、おばさま」



 ぽつりと、苦笑いで会長が口を開いた。



「中学か。ここも久しぶりに来たけど、覚えていてくれたから、調子に乗ってたくさん話してしまったわ」



 手元の湯のみをぎゅっと握りしめているのが視界の端に映った。



「もし、あんたが良ければ、強制はしないけど……あんたの気持ちもあるだろうから、聞き流してもいい」



 そう前置きして、ふうと息をついて。



「中学の頃みたいに、な、名前で呼んでくれても……いいんだけど」



 心臓が跳ねた。


 頭の中に響く血流のどくどくと波打つ感覚。薄暗いところから急に日の下に出て来たときのように、視界が白くぼやける。


 それを悟られないように。できるだけ自然にふるまえるように深く息をはいた。



 そうか。会長がそれを望むのであれば、俺は。



「そうだね、凛々姉(りりねえ)



 にっこりと笑って、部田凛々子を見た。



 小学生の頃はずっと、そう呼んでいた。


 中学の途中で避けられるようになって、虎蛇に勧誘されるまで、正直彼女と話した記憶がない。


 だから、名前を呼ぶのがなんとなく気まずくて、ずっと“会長”って呼んでごまかしてた。


 彼女は、そんな俺のことを前と同じあだ名で呼んでくれていたのに。そうやって、小さく拒絶していたのは俺だけだった。


 あはは。拒絶、か。


 俺が葛西先輩に感じていたような不安な気持ちをずっと、凛々姉も感じてたのかな。



「凛々姉……」


「なに?」


「あ、いや言ってみただけ」



 名前をつぶやくために作る唇の形に、懐かしさがこみ上げてくる。



「気安く呼ぶなばか」


「なっ……っ!?」



 文句を言おうとして凛々姉を見ると、耳が真っ赤になっているのに気づく。だから俺は口ごもってしまった。



「か、帰る! 日野、お会計お願いっ!」


「あ、凛々姉」


「だから呼ぶなっ!」


「呼べって言ったり呼ぶなって言ったり、なんなんだ!!」


「は? 呼べとは絶対に言ってない! 別に呼んでもいいとしか言ってないっ!!」


「わかったわかった、もーどっちでもいい! あのさ相談があって! 夏休み、虎蛇のみんなで合宿しようよ!」



 大声を出したせいでお客さんの注目を浴びてしまい、恥ずかしいけど一気にまくしたてる。


 凛々姉の勢いは止まったけど、その頭に疑問符が浮かび上がるのが目に見えるようだった。



「というのもさ、夏が終わると文化祭だけど、それまでにみんなの絆を深めたいなって思ったんだよ。とくに葛西先輩はまだ自分を出せてない気がする」



 今日、五百蔵に見せていたあの笑顔も、虎蛇の誰もが知らない表情だ。



「そう……。副会長がそこまで考えてるなら、前向きに考えるわ。また学校で話しましょう」



 伝票を持って席を立つ凛々姉の背中を、黙って目で追った。


 ことん、と目の前に料理が置かれて、母親がカウンターの上から見ていたことに気づく。



「どしたの知、見とれちゃって」


「そんなんじゃねーよ」



 ふてくされながら、目の前のナポリタンに顔を埋めるようにして、一気にほおばった。


 ちりりん。


 玄関のドアベルが、涼しげな音を立てた。

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