6/5(日) 芦屋七瀬⑤
眠っていたじいさんのまぶたがぷるぷると震え、ゆっくりと開いた。そして呼吸器を外すようにと、初老の男性に目で訴えた。
「……ふう」
「お、じいちゃん、これっ」
「話すのに、邪魔だから、な」
呼吸器が外され、ニヤリと片方の頬を吊り上げる。
「お父さん!」
「みんな揃って……悪いな……。遺言は、あとりえの……ばあさんのミニ仏壇の中じゃ。シクヨロ、な」
長男らしき男性にゆっくりとした動作でウインクをする。次にその瞳は七瀬を捉えた。
「ナナ、ちゃん……聞き捨てならないから……生き返ってしまったわ」
「おじいちゃんごめんね、ごめん。あたし、おじいちゃんを喜ばせたくて化石探してたけど、見つからなくて!!」
早口でそう話しながら、七瀬はじいさんの手をぎゅっと握った。じいさんはかすかにうなずきながら、七瀬を見つめる。
「そ、それで、落ちてきた邪魔な岩を粉砕しようと思って、アトリエにあった爆薬に火をつけてみたんだけど……爆発しなくて。おじいちゃんの爆薬も、あたし、ダメにしちゃったぁぁぁ」
そして握っている手に額を寄せて、彼女は泣いた。
親族たちはぎょっとしていたが、先ほどごちゃごちゃ言っていた男は俺の隣で「チッ」と分かりやすく舌打ちをしたので、もう一回にらんでおいた。
告白を聞くと、じいさんは目を瞑って大きく深呼吸をした。それが亡くなる前の最後の呼吸なのかと、全員が息を飲む。
「ふふふふ……ふふふ」
しかし、じいさんの呼吸は止まらなかった。そればかりか、心底うれしそうに笑ったのだ。
「おじいちゃん……?」
「ああ。ごめんねナナちゃん。……おじいちゃんは、嘘をついていたんだ」
優しい視線が孫に注がれる。
「アトリエの爆薬は、爆発しないんだよ。なにせレプリカ……だからな……」
七瀬は何度も瞬きをしていた。
「ど、どうしてそんなものが、アトリエに……」
「ちょっと、悪い仲間との……趣味の遊びで……浪漫だな」
くすくすと笑って、目だけで長男風の男性を見た。
「恥ずかしいことだ。……本当は最後の化石なんかを探していたんじゃない」
ふうとため息をつき、ゆっくりと言葉をつなぐ。
「……本家仏壇の奥、だったかな。そこに化石も隠してある。……それもよろしくな」
「と、父さん! なんで隠していたんだ!! 世界にとっての大発見だというのに……!!」
男性がじいさんに詰め寄っると、ばつの悪そうな顔をして白状した。
「……あそこを掘り続ける理由が……必要だったんだ」
俺の隣の大学生も口を開けていた。部屋にいた全員わけがわからず、じいさんの次の言葉を待つ。
じいさんは続けてその名称をつぶやいた。
「指輪、だ」
じいさんの手を見る。指輪はもちろんはめていない。
「ばあさん……との指輪を、あの事故で落として……な。それをばあさんに隠して、化石を拾いに行くと言って……ずっと探していたんだよ」
愉快そうに笑うじいさんの声だけが病室に響く。
「……悪ふざけは……もう、おしまいだな。天国で正直に……ばあさんに謝るよ」
「おじいちゃん!!」
「じいさん!」
「お父さん!!!」
はっとして俺は肩にかけていたかばんから麻の採掘袋を取り出した。
っていうか。
「……じいさん、指輪ってコレ?」
くすんだシルバーのわっかをつまんで見せた。
じいさんの目が丸く見開き、それに釘付けになる。
「それなら七瀬がバッチリ採掘しました」
そして指輪を七瀬に渡す。
「……あ、これっ」
「掘ってるときに出てきたものとりあえず袋にぶち込んでたじゃん。その袋に入ってたの」
「でもこれ、なっちゃんの袋に……」
「俺は掘り出した記憶がないから、お前しかいない」
ぽんと背中を叩いてやる。七瀬は体操服の裾できゅきゅっと指輪を磨くと、じいさんの手に、汚れて形も歪んでしまったそれをのせた。
指輪を顔の近くに寄せる力もないのだろう。仰向けで目を瞑ったまま、その、手触りを大切そうに確かめていた。
「……ああ、生きているうちに戻ってくるとは。よく、この手の中に……返ってきてくれたね……」
つつと、老人の目の端から涙が流れた。
「ふふっ。世界的な発見よりも、わしにとって、なによりも価値がある発掘だ……。ありがとう、ナナちゃんと……いけめん、くん……ゴホッ!!」
じいさんの身体が少し浮いたと思うと、急に咳き込みはじめた。
「看護師さん呼んで!!」
「ちょっとみんな部屋から出て!!」
親族たちが狼狽しながら口々に声を上げる。
「おじいちゃんっ!!」
「大丈夫、また落ち着くさ」
名残惜しそうに病室の中を見る七瀬の手を引いて廊下に連れ出した。
かわりに看護師さんと医者が入り、目の前で病室の扉が閉まった。