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5/23(月) 小鳥遊 知実①

 親に心配されたがとりあえず野中と約束したし、学校には行くことにした。

 病院でもらった薬を飲み、カバンの中にも入れる。

 そしてでかい弁当箱を持ち、いつもどおりドアを開けて目の前の海を……



「おはよーございます」


「……おはよ」



 玄関の前に日野が立っていた。

 バイトに来てくれていたけど、会うのは水曜の俺が倒れたとき以来だ。



「そうだ。じゃーん! 弁当」



 わざと明るい口調で日野の分の弁当を渡す。



「ありがとうございます、あの……」


「先週はびっくりしたよな。ちょっと体調悪化したみたいでさ。だからって入院って大げさだよなー。心配かけてごめんっ! つーわけで音和呼んでこようぜ!」



 なにか言いかけた彼女を遮って早口でまくしたて、ささっと歩き出す。日野は小走りで追いかけてきた。


 隣の家の前で音和の支度を少し待つことになった。

 日野がチラチラと俺を伺う。やっぱりまだ勘ぐってるよな……しかたない。



「……敬語やめていいよ?」


「え?」


「タメなんだし。それ気にしてこっちチラチラ見てんだろー?」


「あ、違……」



 彼女はあたふたしはじめる。



「えっと、そうじゃなくてですねっ」


「敬語」


「あっ! すみません」


「敬語」


「ああああたしったら! ごめんなさい!」


「敬語」


「えっ、これもですか!? ……じゃなくて、これもなんですか!? じゃなくて、あの、えっと! ごめん、ですかね! あれっ、またっ!?」



 しばらくそうやってヒマをつぶした。





 学校で普通に授業を受けた。

 授業が脱線し、教師が将来についてどうのこうのと話しはじめた。

 俺には関係がないから黙って立ち上がり、教室を出た。


 そういえば授業中に出て行くなんて初めてだった。俺ってばまじめ君だし。

 だから、クラスがしんと静まり返ってしまった。

 やっぱり来なければよかったかな。すべてが息苦しい。



 行くところもないから、屋上に寝そべって空を眺めた。

 心なしか身体がだるいし、心音が寿命へのカウントダウンのように感じるし。すべてが俺を追い込んでいるような気がする。


 思いっきり泣き叫んでみれば、少しは晴れたりするのだろうか。

 すっと息を吸ったところで、目の前に影が落ちた。



「やっぱりここでした」



 日野の顔が空を遮る。



「……なにしてんの」


「小鳥遊くんを探してきます!って、出てきました」


「それ許可はとれたん?」


「返事なんて待てますか!」


「サボりかよ」


「誰かさんと同じです」


「……敬語」


「はっ!」



 正直、倒れたところを見られている日野には会いたくなかった。彼女がどこまで勘づいているのかわからなかったし。



「倒れたこと、おばさまから貧血って聞きま……聞いてて」



 ……新鮮な日野のタメ口だが、案外、心地いいかもしれない。

 日野は隣に体育座りしてスネた。



「毎日黄色い卵焼き食べてたのに貧血って贅沢だ」


「怒るポイントそこかよ」


「うん。でも……」



 靴の先をいじっていた手が止まる。



「なにか、もっと違うところでつらそうに見えたから……」



 そっと顔を自分のひざに埋めた。


 思わず顔が引きつる。

 日野が首をこっちにまわそうとしたのに気づいて、慌てて体を起こして両手で頭を押さえた。



「え? あれ?」


「頼むから前を向いてて」


「え、どうして?」


「人生前向きがいちばんだからだよ!」


「……よくわからないけど、うん」



 顔を見られたくなくてとっさに出た言葉に後悔する。前向きじゃないのは、明らかに自分のことだ。


 日野の頭は素直にまたひざの間に収まった。

 俺もあぐらをかいて座り直し、前を向く。



「ひとついいです?」


「……」


「知実くんがつらいのは身体? それとも、心?」



 その問いには答えられなかった。


 居心地が悪い。

 日野に心配されるのがキツい。


 適当にはぐらかして逃げるか……と思っていると、



「あたし、知実くんのおかげで楽しいって言いましたよね」



 日野がひとりで話しはじめた。



「前の学校でも家を優先してたから、友だちも上辺だけの付き合いって感じで。本音を話せる人がいなかった」



 俺は静かに耳を傾ける。

 日野は足をもぞもぞと動かしながら、それでもきちんと前を向いたままだった。



「こっちの学校にきてまだ数日なのに、環境がめまぐるしく変わった。知実くんに本音を話せた。お弁当作ってもらえた。下の子のことまでお世話になってる。実行委員にも入った……。それが奇跡みたいで」



 ぜんぶ、普通の高校生が普通に生活しているレベルの話だ。



「知実くんのおかげだね」



 俺は頭を振った。



「そんなこと。だってそれは普通のことだ」


「その普通が難しかったんだよ」



 日野は遠慮がちに横目で俺を見た。



「黄色い卵焼きだって、ずっと食べられなかった。そういうところで生きてきたの」



 なにも言い返せないのは、それは日野にとっては冗談でもなんでもなくて、それが彼女の生活だったから。



「でもそんなことみんなに話してさ、お涙頂戴とか情けないからしなかっただけ! ううん、自分のこと、情けないって認めたくなかったから。情けないのに」


「日野っ」


「あ、えっとだからね、そんなあたしを救ってくれたのが知実くん。あたしだけじゃなくて、知実くんはみんなから頼りにされてる。音和ちゃんはもちろん、虎蛇会でも、クラスでも。その優しさには自覚ないのかもしれないけど」


「買いかぶりすぎだ。好きにしてるだけだし……」


「それすごいよ。なかなかできないよ……あたしにはそんな知実くんが輝いて見えるから」



 俺は黙り込んで足元を見た。誰かの役に立っているなんて思ってはないけど。少なくとも、まっすぐな日野がそう言ってくれたことがうれしくて。ありがたいと思った。


 隣の友人を見た。

 彼女の笑顔はまぶしかった。


 日野。

 そして音和や虎蛇会のメンバー。

 みんなの笑顔をもっと見たいな。

 今はまだぎくしゃくしている虎蛇だけど、もっと仲良くなれると思うんだよ。

 だって俺の好きなヤツらで構成されてるメンバーだから。できないはずはないんだ。


 そういう心残りを片付けること、なんて言ったっけ。

 えっと……。あ、そうだ。たしか。



“身辺整理”?

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