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7/27(水) 小鳥遊知実

 目を覚ますと、目の前に美原さんの顔があった。



「うっ……」


「……ほらバケツ」



 渡されたバケツに思いっきり吐く。バシャッという音と、すえた臭いが部屋に広がる。胃液と水分しかもう出ない。



「ぐっ……」


「人の顔見て吐かれるのは、あまりいい気分じゃないわね」


「すんませ……っごめっ」



 バシャッ。


 バケツが音を立てる。


 喉の奥に何かがいる。何かがごろごろと転がって、刺激する。手足がしびれて、身体を起こすのが辛い。頭が、働かない。



「……」


「……これ、今後も続けるから」



 美原さんは静かにそう言った。



「……いっそ、殺してくれ」



 口から出たのはそんな情けない言葉だった。半分冗談で、半分本気。



「初めての割には頑張ってると思うけど、この治療、月見里はずっと受けてるからね」



 治療? これが?? むしろ、身体を破壊してるだろ。マジふざけんなよ。


 頭の内側がぷくぷくと膨らみ続けている気がする。目を開けているだけで苦しい。気持ち悪さが増すため、ふたたび目を閉じた。



「あの子の腕、見たでしょ、たくさんの傷」



 そういえば……初めて会ったとき。



「あたしたちがこれであの子を追いつめて、自傷させてたのよ」



 自傷……って?



「自殺……?」



 美原さんは首を振った。



「いいえ。あれくらいじゃ人は死なない」



 そうなのか。なんだよ、人間って簡単に死なないじゃんか。


 まあ、俺がこうやって死にそうになりながらも、生きているのと同じか。


 そして俺は思い出す。



『ねえ、なんで人は簡単に死ぬの?』



 ……あれは皮肉だったのかもしれないな。



「それが、小鳥遊が来てから、月見里は自傷しなくなった」



 それは知らなかった。俺が関係しているのかはわからないけど、素直にうれしいな。



「……ありがとう、感謝してる。小鳥遊がいることで月見里は変わってる。無表情でほとんど喋らなかったあの子が、年相応の女の子らしくなったよ」



 うっ……だめだ。


 身体を少しずらし、バケツに体内のものを吐く。


 もうお腹のなかになにもないですよ……。カンベンしてくれ……。


 美原さんが水さしで水を飲ませてくれた。



「ねえ小鳥遊。手術を」


「いらん」



 即答する。


 そんなことはどうでもいい。この戦いが早く終わりますように。



 昨日から始まった投薬の副作用は想像をはるかに越えていた。手術をしないで薬でごまかす、ってこういうことかよ。身体の中の血を全部抜いて洗いたい。自分の身体が自分のものじゃないみたいだ。


 死ぬかもしれない、と何度も思った。だけど、気を失って昏睡してもその度に必ず目は覚める。目覚めて、絶望する。痛みに。そして、孤独に。


 ほたるが俺を慕ってくれた意味。やっと、本当の意味で分かったんじゃないだろうか。


 痛みや辛さは本人しか分からない。どんだけ重い軽いと差があっても、本人が辛いならばそれは立派な痛みと判断され、第三者から見れば平等だ。それは他人が判断するのは難しいから。


 でも、俺たちは同じ痛みを分かっている。だからこそ、思い合う資格があるんだ。



「あたしの個人的な意見だけど……、あんたを失いたくないのよ」


「……」


「あんたはどうせこのままだと死ぬ。だったら手術するのも手かもしれないわ」


「ゴホッ……」


「必ず、助けるから」



 ふいに涙が目尻からこめかみを伝って、ベッドに落ちた。気づかれないように咳き込むフリをする。


 俺だって、生きたい。でも、手術後もし記憶を失ったとしたら、それは“今の俺”とは別人だ。俺じゃない俺が、俺のポジションで生きることを俺じゃない俺を、俺のように接されるのが、今の俺が、許せないんだよ。


 むかむかしたものが胃を押しつぶし、ねじり上がってくる。



「……ッ!」



 洗面器に飲んだばかりの水を吐いた。



「ちく……しょう……」



 こんな辛い目に合っているのに、なんで人は簡単には死なないんだろうな? ほたる。

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