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九月の出来事B面  作者: 池田 和美
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九月の出来事B面・④



 清隆学園の近所に一軒の喫茶店があった。

 店名を<コーモーディア>という。

 幼年部(付属幼稚園)から大学まで揃った清隆学園の学生たちや保護者たちを目当てにした、ちょっと小洒落た個人経営の店である。

 大手チェーン店に見られるような規格化された店舗とは違い、店のオーナー兼マスターが人生と経験と魂をこめて欧州風の落ち着ける内装にまとめた店だ。

 店内には、マスターの人生と経験と魂をこめて厳選した豆たちを、これまた人生と経験と魂をこめて調合したブレンドコーヒーの香りが、いつでも漂っていた。

 湯気をくゆらせた白いカップに舌鼓を打つ物静かな客と、たまに教養のある一言を交わすだけの遠いような親しい関係。ここに店を構える時にマスターは、ちょっとそういった世界を夢想していた。

「今日はベルヌーイの詩集ですか?」

「いえ、道造ですよ。マスターは『夢と昼の間に』って、どう解釈されます?」

 などという、とても知的水準の高い言葉のやり取りがある大人が集う都会の隠れ家を夢見ていた。

 そしてマスターの試みは見事に外れていた。

 自慢の一杯が、あまり学生たちに人気が無さすぎた。だいたい店で一番の売り上げは幼年部への送り迎えの途中で駄弁るお母さま方や、各年代の女子学生たちが注文するパフェなのだ。

 そして店内で交わされるのは、けたたましいと言っては失礼かもしれないが、女性たちの歓声が混じった噂話だらけ。どこそこのクラスの先生は不倫していそうだの、つい最近結婚したあの女優さんは絶対に離婚するだの、取り留めない話ばかりだ。

(いや、でも)

 今日も自慢の一杯に腕を振るえないマスターは、洗い物をしながら気を取り直した。

(これも小鳥たちの囀りとすれば、案外店の雰囲気とあっているのかもしれない)

 いちおう店の内装は、欧州の森をコンセプトにしたつもりだ。

 プロは自分を慰める術を知っていた。

 などと、マスターが自分の人生と経験と魂の世界と、苛烈で残酷で無慈悲な現実との折り合いをつけていると、カランと耳に心地いい音がした。

 扉に取りつけたカウベルが新たな来客を告げたのだ。

「いらっしゃいませ」

 下げた頭をもたげながらマスターは入店してきた客を観察した。

 おそらく清隆学園の学生であろうと見えた。

 白いレースの袖なしギャザーブラウスに、紺色をした巻きスカート風のボトムを組み合わせて、頭には日射病予防に白いキャップに赤いリボンを組み合わせた帽子を被っていた。

 装飾が巻きスカート風になっていて大胆なスリットが入っているボトムであるが、同色のキュロットが余分な視線を遮っていた。

 肩からはバスケットバッグを提げ、化粧気のない頬骨あたりにはソバカスが散っていた。

(清隆大学の学生さんだろうか)

 最近の女子高生ですら化粧をするというのに、彼女にはその気配もない事から、最低でも社会人では無かろうとマスターは推理した。

 パッと見、どこのお嬢さんだろうかと育ちの良さを感じさせる立ち姿だった。

(私の人生と経験と魂をこめて言わせてもらえれば、あれだけの素質を持っているのだから、ちゃんとした美容院で化粧してもらえれば、相当の物になるだろうに)

 彼女は少しだけ不安そうな表情をして店内を見回した。

(どうやら待ち合わせのようだ)

 マスターは店内へ視線を走らせた。いま店内にいるのは制服姿のまま来店した高等部女子のグループしかいない。いまもなにか恋の話しで盛り上がって歓声を上げていたが、彼女のような大人な女性を待っている雰囲気ではなかった。

「いらっしゃい」

 いつもニコニコ笑顔で応対するウエイトレスが、大きな窓際のボックス席に座った彼女へ親し気に声をかけた。

「今日は、いつもとは違ってお洒落ね」

 お冷を置きながらウエイトレスの話しかけた言葉に動揺するマスター。

(今日「は」? 「いつも」と? だとすると初来店ではないのか?)

 マスターももちろんプロであるから、常連客どころか一ヶ月に一回ほどしかご来店しないお客様であろうとも、名前はともかく顔は憶えているつもりだった。だが脳内の名簿に彼女に該当しそうな人物が見当たらなかった。

 マスターが首を捻っている間にも会話は進んでいた。

「今日はガッコに用事が無いから」

 帽子を四角く畳んでバックへと仕舞った彼女は、入れ替わりにスマートフォンを出してテーブルへと置いた。

「きしし」

 お盆で口元を隠したウエイトレスがわざとらしい笑い方をした。

「おデート?」

「違います」

 バッサリと一言で否定した彼女の態度に、いささかも怯まずにウエイトレスは訊ねた。

「いつもの?」

(さすがだ)

 マスターは彼女のプロとしての姿勢を心の中で称賛した。

「んー」

 ちょっと眉を顰めた女性客は、テーブルの上に置いたメニューを見る事無しに「コーヒーを」と注文した。

「アイスじゃなくていいの?」

「待ち合わせただけだから」

 儚げにも見える小さな笑顔が似合っていた。ウエイトレスが戻ってくる前に、マスターは豆を入れたガラス瓶を手に取っていた。

「マスター、ホット一つ」

「…」

 ミルへ適量入れた豆がガーッと挽かれている間に、サーバーとドリッパー、そしてマスター自慢の白いカップへお湯をかけて温めておく。と、ちょうど作業が終わる頃に豆が挽き終わるので、サーバーと組み合わせたドリッパーへとペーパーフィルターを敷く。粉になった豆を落としてから丁寧に揺らして馴染ませることも忘れない。そしてマスターの人生と経験と魂を込めてお湯を注いでいった。

 もちろん一回目は染み込ませる気分で少なめだ。ちょっと置いてから溢れる直前まで回し注ぎ入れる。そして生まれた泡の具合を見ながら、味を確定させるためにコーヒーケトルに三度目傾きを与えてお湯を注いだ。

 毎日行っている作業であるが、会心の出来の一杯というのは、毎回できる物ではない。珈琲道の奥は深かった。

(うむ。今回の一杯はうまく行った)

 暑くなりアイスコーヒーばかり作っていたが、修業をサボるマスターではない。始業前の掃除が終わった後には、必ず自分用の一杯を淹れて腕が錆びつくことを防いでいた。

「…」

「持って行きますねー」

 声をかけるまでもなく、レシートと銀盆を用意していたウエイトレスが、マスターの人生と経験と魂がこもった至極の一杯を送り届けた。

(お嬢さま風の客に、阿吽の呼吸で配膳される一杯のコーヒー。コレだよ。私が求めていた物は)

 感動のあまりちょっと涙ぐんだのは秘密だ。

 と、さりげなく出したハンカチで目の端を押さえるのを待っていたかのように、再び扉につけたカウベルが鳴った。

「いらっしゃいませ」

 今度入店してきた客をよく見ずに頭を下げ、顔を上げたところでマスターの表情筋が一ミリだけ動いた。

 なにせ入って来た少年は、神宮球場を本拠地にしている球団のユニフォームを模したシャツを着ていたからだ。

 マスターは赤いヘルメットを愛用している球団のファンであった。

(しまった、他球団ファン立ち入りお断りの貼紙をしておけばよかった)

 特に昨夜のナイトゲームの対戦相手であり、しかも逆転満塁ホームランでエースが負け投手となる展開だったため、今日だけはツバメ関係の物は目にしたくもなかった。

(だが、私もプロ。たとえ他球団のファンであろうとも、私の人生と経験と魂をこめて完璧なおもてなしをしなければ)

 少年は膝まであろうかというユニフォームシャツをジーンズに入れることなく出しっぱなしにしており、陽射し避けも兼ねた帽子まで同じ球団のキャップであった。

 マスターもプロであるから少年が初来店、そうではないとしてもまだ来店が数回の客であるぐらいは、顔を見ればわかった。

 彼は外から確認していたのか、迷うことなく大窓に面したボックス席へと近寄った。

(なに?)

 つい動揺してしまうマスター。

(あんな少年が、お嬢さまと待ち合わせ? なにかの間違い? いや姉弟ということはないか?)

「お休みにゴメンね」

 少なくとも親しい関係であるかのような言葉つかいである。彼女の方が先輩で、少年の方が後輩であるという可能性もこれで無くなった。

 少々乱暴気味にジーンズのポケットからスマートフォンを出して、放り投げるようにテーブルへと散らかした。遠慮なく反対側に座ったところを見ると、恋人同士というより友人同士という関係だろうか。あのぐらいの年頃ならば、恋人ならば空席があろうとも隣に座ることが多いはずだ。

「室内では帽子取りなさいよ」

「あ、うん」

 指摘されて慌てて「YS」と書かれた帽子をソファの上に脱ぎ散らかす少年。

「ええと、あと一人来るんだっけ?」

「まあそう」

 少年の問いかけに不満そうにこたえた彼女は、目でテーブル上のメニューを指差した。

「いちおう何か頼みなさいよ」

「ああ、ええと」

 タイミングもバッチリに、お冷を乗せたお盆を持ってウエイトレスがボックス席に近づいた。もちろん少年の尻が落ち着くのをカウンターの横で待っていたのだ。

(ううむ)

 マスターは心の中で唸り声を上げた。

(ここまでは、彼のファッション以外、私の求めていた物が全て揃っている)

 完璧な客に、完璧な接客、そして完璧なコーヒー。彼がこの店を開くにあたって思い描いていた理想が実現していた。

 口元を再び銀盆で隠したウエイトレスが、彼女に何やら囁いていた。

「ちがいます」

「またまた」

 二人が親し気に内緒話をしている様子すらマスターの理想像の内であった。

 その時、お冷を一気飲みにした少年が注文を口にした。

「じゃあコーヒーフロートで」

 ピシリと何かにヒビが入る音がしたような気がした。

(こおひいふろおとだとおぉ)

 気が付くとマスターは唇の端を噛んでいた。咬合力のままに噛み切って血が噴き出した気分までした。

 彼の心の叫びを、離れている位置のウエイトレスは、正確に受信したようだった。

 チラリとマスターを振り返るウエイトレス。メニューにはアイスコーヒーとパフェが掲載されているのだから、作ろうと思えばできなくはないのであるが…。

(こおひいふろおとなる軟弱なメニューは、赤羽伸子さんが許しても、私が許さん)

 マスターの人生と経験と魂のこめた血走る眼を確認した彼女は、クルリと客席の方へ首を戻した。

「お客さま。当店では、そのようなメニューの取り扱いは…」

 彼女は作り笑顔で、少年が口にしたメニューを取り扱っていない事を伝えた。

 呆れたように少年の向かいから、待ち合わせ相手の彼女が言った。

「ちゃんとメニュー見なさいよ」

「ええ?」

 小さなスタンドで立てたメニュー表には二列五段のお品書きしか書いていないはずだ。本当はもっと品数を増やせるのだが、マスターには一つの美学があった。それによると本のような大きなメニューがテーブルに散らかっている様子は悪であった。よってマスターの人生と経験と魂で厳選した品しか掲載していないのだ。

「じゃあアイスコーヒーでいいや」

(アイスコーヒー「でいいや」?)

 マスターもプロであるから、客の言葉一つ一つに表情を変えたりすることはまずなかった。だがさすがに、この物言いには眉が寄るのを押しとどめられなかった。

「マスター、アイスコーヒーひとつ」

「…」

 ウエイトレスが帰ってきてマスターの表情を確認するように見た。

(よろしい、バリスタとしての私に対する挑戦だな。いいだろう、そんな君にも完璧なアイスコーヒーをお出しする、私の人生と経験と魂をこめた姿を見るがいい)

 なにせ凝り性のマスターが作るアイスコーヒーである。氷だって家庭用冷蔵庫に付属する製氷機で作るような普通の物ではない。わざわざ氷屋に注文して届けてもらう、味わい深い逸品である。

 深煎りしたコーヒー豆の瓶を開けると、ミルのダイヤルを中挽きへと合わせる。一人前の注文に二杯分の豆を用意するのは、マスターの味に対するこだわりというやつだ。それを濃い目に抽出し、まだ全てが出きる前にドリッパーをサーバーから外す。ポタポタとまだコーヒーが出ているが、余分はエグみの素になるので使わないのだ。

 そしてあらかじめ大きめに砕いておいた氷を、サーバーへ直接投入する。褐色の液体が、湯気の立っていた状態から急激に冷やされていく。こうすると透明感のある味わいを生み出すのだ。

 溶けなくなるまで氷をたっぷりと入れたらできあがりだ。パフェにも使うグラスに、冷やすことに使用した物とは別の小振りな氷を用意し、サーバーから液体だけを移す。これで完璧なアイスコーヒーの完成だ。

「…」

 完成したアイスコーヒーをカウンターに置こうとしたところに、銀盆が差し出された。もうミルクとガムシロップ、そしてレシートが用意してあった。

(さすがだ)

 店のスタッフの完璧な動きに、マスターは再び満足感に包まれた。

 と、さらに入り口のカウベルが鳴った。

(むむ)

 再びお嬢さま風の外見をした方のご来店であった。

ショートヘアと言うには長めの髪を釣り鐘型の麦わら帽子で覆い、あまり装飾のついていない白いブラウスと細かいチェック柄のサロペットスカートというシンプルなファッションである。

 透明なビニールでできたハンドバッグを手にした彼女は、窓際のボックス席へと、勝手知ったる我が家のような小走りで移動した。

「まった?」

 急いできたのか、ちょっと上気した顔が色っぽかった。

 テーブルに散らかしたスマートフォンをチラリと確認したギャザーブラウスの女性がこたえた。

「おまえにしちゃ珍しいな。約束の三分前に来るなんて」

「え、だって。姐さんとのデートの約束だもの。遅れるわけないよね?」

 まるでこの世の物とは思えないような極上の微笑みが向けられても、最初の女性はビクともしなかった。少年の方は純粋なのか顔が真っ赤になった。

「よいしょ」

 断りもせずに女性同士で並んで座ると、自分の分の面積が狭いのか、お尻で最初の女性を窓際へと押した。

「ちょっとぉ」

 不機嫌な声を上げるが、それでも場所を作ってあげる優しさが垣間見えた。

「いらっしゃいませ」

 ウエイトレスがお冷を持ってボックス席に近づくと、マジマジと三人目の客を見た。

 彼女はビニール製のバッグから、華奢に見える彼女には似合わないゴツイ外見をしたスマートフォンがテーブルへと出された。

 ウエイトレスからの不躾な視線にそこで気が付いたようだ。

「? なにか?」

「ええと、ご兄弟がいらっしゃいます?」

「はい」

 笑顔を作り直した彼女は明快に答えた。

「姉が一人」

「ああ、そうですか…」

 首を捻るウエイトレスに、彼女はメニューも見ずに「ココアを」と注文を口にした。

「ホットですか?」

「はい」

 艶のあるリップを塗った唇は、緩やかな曲線を描いていた。

 ウエイトレスが背中を向けて席から離れて行くのを見送った少年は、テーブル越しに並んだ二人の美人を見比べた。

「で? 藤原さん。この方がサトミさん?」

「そうよ」

 麦わら帽子を畳んで茶色がちな髪を晒した三人目を、恨めしそうに見ながら最初のお嬢さま…、藤原由美子がこたえた。

「こちらが噂のマカゴくん?」

 紹介された人物が興味深そうに赤味がかった茶色い瞳を少年に向けた。

「姐さんのクラスメイトですってね。私の事はなんて聞いているのかしら」

「え…」

 反射的に答えそうになった真鹿児孝之は、口を開いたが言葉は呑み込んだ。彼の様子を真正面で見たサトミがクスクスと笑い出した。

「まあ、それだけで分かるわ」

 ちょっと細くした目を隣の由美子へと向けた。

「命の恩人だって言ってあるわ」

「ま」

 由美子の言葉を聞いたサトミは驚いたかのように目と口を丸くした。

「姐さんが私を褒めるなんて。うれしいわあ」

「それと変人だって」

「私のドコが変人よ」

 間髪入れずに跳ね返って来た言葉に、由美子は深い溜息をついた。

「すまん、間違えた。変態だった」

「ぶー」

 まるで幼子がするように、サトミは頬を膨らませた。

「だいたいだなあ、休みにンなカッコで現れるだけで充分だよ」

「姐さんだってお洒落してるじゃん。私とのデートが楽しみだった?」

「このぐらいの身だしなみはエチケットの内だろ」

 いつも図書委員会の根城である司書室で交わしている調子で二人が言い合っていると、遠慮気味に孝之が口に手を添えて由美子の方へ乗り出して来た。

「あ、あのさあ」

「ンだよ?」

「サトミさんって、もしかして…」

「もしかして、ンだよ?」

「いや、その…」

 急に自信を失ったようにしどろもどろになる孝之。

「ま、世の中には不思議がたくさんって事よね」

 孝之の態度を意に介さないという顔でサトミが言い切ると、ソファに座り直して声を改めた。

「そうよ不思議は一杯なの」

 立てた人差し指を唇に当て、内緒話をするようにサトミは続けた。

「そんな不思議な相談を随時受け付けている、今日案内するのはそういうところ」

「本当に大丈夫なんだろうな?」

 全然信用していない声で由美子が訊ねた。

「お二人に金銭的負担がかからないように配慮するわ。それでいいでしょ?」

「それはそれで、おまえが相手だと不安になるンだが」

 由美子の正直な感想に、ウインクを返すサトミ。

「行く先は心霊探偵を名乗っている方のところ」

「しんれいたんていねえ」

 由美子が溜息のような声を出した。全然信用していない声だ。

「どこにいンだよ、そんな人」

「ここから遠くないわよ」

 ニッコリと作った笑顔で答えたサトミは、清隆学園が存在する地方自治体北部の地名を上げた。

「ちょっとアルわね」

 ざっと頭の中に東京多摩地区の地図を思い浮かべて由美子の顔が曇った。集合場所とした<コーモーディア>からだと、学園への通学に利用しているバスに乗り、終点であるJRの駅でオレンジラインが入った電車に乗り換えて一駅である。もしくは歩いて別のJRの駅まで出て、黄色オレンジ茶色という三色のラインが入った電車に乗って二駅南にある駅に行き、客サービスもしている環状貨物線に乗り換えてさらに二駅である。

 どちらにせよ距離的には近いが、直接アプローチする手段が乏しく、遠回りをして行かなければならないようだ。

 いっその事タクシーでも使うかと考えていると、サトミが注文したホットココアを持ってウエイトレスが近づいて来た。

「どうも」

 彼女の銀盆から直接ココアをカップソーサーごと受け取ると、喋っていて喉が渇いたのか、一口含んでみせた。

 サトミはテーブルへと茶器をおろしながら微笑んだ。

「大丈夫。ここにお迎えの車が来ることになっているわ」

「車って…」

 不安げな顔をする由美子。あまりにも普段がワイルドなので忘れられがちだが、由美子だって社長令嬢である。よって誘拐などを警戒するように教育されて来た。知らない人の車に乗るなんていう事になると身構えてしまうのだ。

「大丈夫よ、探偵さんの使用人が運転する車だから。それよりも…」

 安請け合いのように「大丈夫」を連発したサトミは、孝之の方へと乗り出した。

「頼んだ件、ちゃんとしてくれた?」

「言われた通りに写真、撮って来たよ」

 テーブルの上に放り投げていた自分のスマートフォンを取ると、孝之は電源を入れた。さっさと操作してから、二人の方へ天地が正しくなるように回転させてから差し出した。

 小さな液晶画面一杯に、愛らしい幼子の写真が表示されていた。

「きゃあ」

 サトミが悲鳴のような歓声を上げた。

「え、ヤバ、かわうぃうぃ~」

「おまえ、その取ってつけたような言葉つかいやめろ。わざとらしい」

 今どきの女子高生ですら使わないような反応に、本物の女子高生である由美子は、冷静な声でツッコミを入れた。指摘されたサトミはつまらなそうに彼女を見た。

「えー、でも可愛いじゃない。この子が例の『突然現れた子』ね?」

 サトミの再確認に孝之はうなずいてこたえた。

「画像が必要としか言われてなかったんで、動画も撮ってきた」

 サッと横に撫で(スワイプす)ると動画に切り替わった。どうやら建売住宅である真実鹿家の前にあたる市道で、写真の子が小さな砂場用のシャベルらしい物を振り回して遊んでいるようだ。

 夏らしくオモチャのような小さな麦わら帽子を被った子が、画面(こちら)に向けて、スコップから持ち替えたゴムボールを差し出したり、撫でたり、齧ったりしていた。

「きゃー」

 あまりの可愛さに由美子が目眩を感じていると、横のサトミがまた声を上げた。

「ちょ~かわいい。まるでお人形さん。ね、ね、姐さんも見て見て」

「見てるよ」

 サトミのはしゃぎっぷりに、かえって冷静さが強まった由美子は、つまらなさそうにこたえた。

「なによ、その薄い反応。こう母性本能が刺激されない? こんなに可愛いと」

 サトミの言葉に由美子は深い溜息をついた。

「おまえに母性本能があるなんて、初めて知ったよ」

「いやあん、キュンキュンきちゃう」

 なにがキュンキュン来るのか分からぬが、サトミは身悶えするようにして、動画を喜んでいた。

 さんざん黄色い声を上げるサトミであるが、離れた席にいる、同じ清隆学園高等部の制服を着た女子たちのおかげで目立たなくて済んだ。向こうの方がもっとうるさかった。

「で? どうなんだよ、おまえは?」

 変に反応をするサトミの事は放っておいて、由美子は暗い顔をしている孝之に心配そうに訊ねた。

「まだ、この子がイレギュラーに見えンのか?」

「う、うん」

 孝之は自信なさそうに頷いた。

「ンなに可愛いのに」

 由美子はそう口にしたが、同情するところが大きいのか、決して押し付けるような言い方ではなかった。

「変な事を言っていい?」

 孝之の前置きに頷いて由美子はこたえた。

「普通、こんなに人間って早く成長する物なのかな」

「いやあん。他の家の子は早いって言うじゃない」

 サトミが横から口を挟んできたのを一睨みで黙らせた。

「だって一歳になっていないはずなのに、もう自分でトイレに行けるようになったんだよ。歩けるのだって、ちょっと早すぎない? 普通はまだハイハイしているんじゃないかな。あと喋るんだって早すぎだよ」

「しゃべるの?」

 つい由美子は眉を顰めてしまった。中等部時代に受けた保健の授業では、保育の触りしかやっていない。だが、今の孝之が言った事に、疑問を覚えるぐらいの知識は頭に入っていた。

 由美子の質問に孝之が手を伸ばして、遊んでいる幼子の動画をリピートしていたスマートフォンの画面を、もう一度スワイプした。動画が切り替わると、道でうずくまっているキジトラの猫を指差した幼子が半べそをかいていた。

「ニャーがペンって」

 どうやら野良猫に不用意に手を出してネコパンチをくらったと訴えている様である。感情が赴くままに、幼子は大泣きを始めた。

「いやあん」

 またサトミが歓声を上げた。

「アカチャンの泣き声を聞いてると、お乳が張るわあ」

「おまえは、いつ経産婦になったンだ!」

 さすがに現在地球上に存在するどころか、歴史上存在し、また未来に存在するだろう全女性の尊厳が汚されたような気がしたので、サトミを殴り倒した。

「きゅ~」

 目を回して背もたれに寄りかかって静かになった。まあいつもの事だからサトミの事は放っておいて、由美子は不安そうな顔をしている孝之を見た。まるで迷子になった小学生である。軽く握った両手をテーブルに置き、もう一つ何かあったら泣き出しそうにも見えた。

「ほら、暗い顔をしてンと、余計不幸がよって来るわよ」

 その右手を両手で包むように握ってやると、固かった表情が少し解れたように見えた。

「ありがとう藤原さん」

「…」

 頬に視線を感じるので、横を見ると、いつの間にかに復活したサトミが、つまらなそうに口を尖らせていた。

「アによ?」

「なんでも」

 いちおう否定する言葉が返って来たが、非難めいた言葉が出かかっている様子である。

「言いたいことがあンなら、言えよな」

「何も無いってば」

 ちょっと強めの否定が返ってきて、由美子は驚いた。こんな子供が拗ねたような反応をするサトミは初めてだったからだ。

 違和感に眉を顰めていると、また<コーモーディア>の扉につけられたカウベルがカランと鳴った。

「うっ」

 サトミから聞かされていた待ち人かと思って、扉へ目を移した由美子が軽く絶句した。

 向こうで騒いでいた女子たちも黙ってしまった。

 現れただけで店内に静寂が訪れたのだ。

「い、いらっしゃいませ…」

 いつも明るいウエイトレスの出迎える声すら尻つぼみに消えたほどだ。

 入店してきたのは、そういった雰囲気を持った異貌の女性である。

 まず天井に頭がつくような身長であった。プロスポーツの選手など身長の高い女性がいないわけでは無いが、あれほどまでの高さを持った女性というのは珍しいのではないだろうか。由美子の周りで身長が高いと言えば、隣に座るサトミも一七五センチを超えるので、由美子にとって見上げる相手ではあるのだが、その比ではない。同級生の男子に、高さも幅も一八五センチという、お相撲さんのような男子がいるが、狭い店内で一層強調されているのか、彼よりもさらに高く見えた。

 逆に幅の方は全くない。女性用のスーツを着ているので性別はまず間違いないだろうと思うが、余分な脂肪どころか、女性ならば持っていて不思議ではない起伏すらはっきりしない。こう言っては失礼かもしれないが、電信柱のような印象なのだ。

 顔の造形は、まるで大理石で形作った彫刻のような整った物であるが、痩せすぎの身体とあわさると、さらに作り物めいて見えた。

 鼻の高さやくっきりした目などから平均的な日本人で無い事は確かだ。その目にも特徴があり、左右で瞳の色が違って見えた。虹彩異色症(ヘテロクロミア)という物なのか、右が灰色、左が鳶色という珍しい色彩をしていた。

 肌は何か内臓疾患を患っているかのような土気色をしているが、荒れているなどの様子はない。頭は見事な黒髪を丁寧に編み込んだシニヨンにしており、清潔感はあった。

 細かく見て行くと上げる点はまだまだあるが、簡単に言えば「人ではない何か」に見える女性であった。

 扉を閉めて店内を見おろすように確認し、横に動いた首が由美子たちの座るテーブル席で止まった。

 足元は編み上げのブーツであるが、足音がしないように靴底に仕掛けがしてあるのかと思うほど静かに、テーブル席へと歩み寄って来た。

「サトミさま。お迎えに上がりました」

 右手を胸に当てるような丁寧な挨拶であった。

「おはようミセス・トリア」

 サトミはニッコリと笑顔でこたえ、自分が注文していたココアのカップを指先でつついた。

「コレ注文しちゃったから、飲むまで待っていてくれない?」

 言われて初めて気が付いたとばかりにテーブルの上に並ぶ三つの飲み物へ視線を移すと、彼女は丁寧に頭を下げて告げた。

「時間までまだありますので、大丈夫でございます。わたしは外でお待ちしております」

「車は同じ物?」

「はい。車道に停めておりますので、すぐに分かると存じます。それでは」

 再び一礼した彼女は、また音もなく移動すると<コーモーディア>のカウベルを鳴らした。

 彼女が出て行くのを待っていたように、女子高生たちの喧騒が戻って来た。

「ミセスぅ」

 疑い深そうな声を由美子が出した。

「独身の女性に失礼だろ」

「あ、さすが姐さん」

 由美子の目には、彼女の左薬指に何もつけられていなかったと見えていた。

「ミセスっていうのは、呼び名だよ。本人も了承しているんだから、そう呼ばないと」

「本名は? トリア?」

「あまり人に名前で呼ばれたくないんだって」

「そ、そうか」

 たしかに父親の仕事相手にも名前で呼ばれるよりも愛称や、いわゆるアダナで呼ばれる方を好む人物がいた。そういう方と同じならば、彼女の考えを尊重しないといけないだろう。

「さて、急いで飲まなきゃ」

「まだ時間あるって言ってたじゃん」

 慌てて自分のホットコーヒーに口をつける由美子に、サトミがのんびりと言った。

「でも人を待たせるのも、ねえ」

 同意を求めるように孝之へ視線をやると、ストローを咥えた彼の顔が顰められる瞬間であった。

「どうしたの?」

「うひゃ、苦い」

「そらそうよ」

 なにを当たり前のことを言っているのだろうと由美子は呆れた声を出した。コーヒーが苦いというのは、砂糖が甘いと同じ事なのではないだろうか。

「なにせココのコーヒーは…」

「マスターの人生と経験と魂がこめられているからね」

 最後のフレーズはサトミと異口同音になった。カウンターの向こうに立つマスターがちょっと涙ぐんでいたような気がしたのは、きっと見間違いか何かだろう。

 由美子が注文したホットコーヒーは、冷房のおかげか程よくさめていた。飲み頃の温度となった代わりに酸っぱさが強調されたような気もするが、今日はお茶を嗜むために来店したわけではないので、あまり気にはならなかった。

 おそらく<コーモーディア>が初来店である孝之は、アイスコーヒーにシロップを一つ入れただけでは足らずに、添えられていたミルクを全て入れて薄めていた。

「そんなに色々入れたら、味が分かんなくならない?」

 ココアの成分が沈まないようにカップを揺らしながらサトミが訊いた。

「でも、苦いし」

 孝之は、まるで小学生のように舌を出して苦さを表現した。サトミはクスリと笑った。

「苦いのがダメなら、私みたいにココアを頼めばよかったのに」

 もちろんテーブルの上に立っている小さなメニュー表にもココアは掲載されていた。

「それとも…」

 イジワルするように目だけが細められた。

「姐さんの前じゃ、お・と・なを演じてみたかった?」

「アに言ってンだよ」

 何も入れずに(ブラックのまま)自分のカップを空にした由美子が、切れ長の目をさらに鋭くしてサトミを睨みつけた。

「いやあ、そんなことはないよ」

 孝之も慌てて否定した。

「ただ缶コーヒーのつもりで注文しただけ」

「あ、そ」

 つまらなそうに答えたサトミは、三枚のレシートを掬うようにテーブルから持ち上げると、席から立ち上がった。

「ちょ、ちょっと」

 由美子の反応が遅い事を良い事に、スマートフォンと畳んだ帽子、それと透明ビニールでできたバッグを手にレジへと向かった。

「ほら、おまえも早くする!」

 さすがに孝之を席に置いて行くわけにもいかず、由美子は急かした。が、ホットコーヒーに比べて量が多めなことに加えて、孝之の舌に合わせて色々と入れてしまったので、アイスコーヒーは全体の嵩が増えていた。

 凄い勢いでストローを吸うが、息継ぎをした瞬間に、孝之は頭を抱えてしまった。

「?」

「ちょ、ちょっとまって」

 すると笑い声が降って来た。見上げるとレジで三人分の会計を済ませたらしいサトミが戻ってきていた。

「アイスクリーム症候群ね」

「そんな名前だっけ?」

 シーハーと噛み締めた歯の間から息を抜きながら孝之が聞き返した。

「ええと」

 苦しむ孝之と、テーブルに置かれたメニュー表を、見比べるようにして視線を走らせた由美子は、財布を取り出した。

「税込みで…」

「いいのよ、たまには私のオゴリ」

 まだ笑っているサトミは、テーブルの上に置きっぱなしになっていた自分の分のお冷を手に取り、まだ苦しんでいる孝之のコメカミに当てた。

「どお? 少しは楽になるでしょ」

「あ、ああ」

 いつまでもサトミに持たせているのも悪いと思ったのか、お冷を受け取って孝之は自分でコメカミを冷やし始めた。

「また、下らない事は知ってンな」

「そお? 常識じゃない?」

 サトミが平然と言った。だが油断してはいけない。サトミの常識と一般常識の間にはマリアナ海溝よりも深い溝がある。例えば今みせた医学知識だ。道で誰かが倒れた場合、サトミならば平気で蘇生処置を行うことができるプロレベルの知識を持っていた。ただし気分屋のくせにムラっ気で、それに加えて騒動屋というねじ曲がった性格をしているので、素直に人助けをするのかは甚だ疑問を感じるところなのだ。場合によっては「面白いから」という理由だけでトドメを差しかねないと由美子は思っていた。

「ふうふう」

 大きく息をついた孝之が、再びアイスコーヒーに取り掛かる。悲壮な覚悟の彼を見おろしたサトミは事も無げに言った。

「残しちゃえばいいのに」

「いや、それはちょっと」

 どうやら孝之は「出された物は残さず飲み食いする」と教育を受けてきたようだ。

「おのこしは許しません」

 由美子も賛成する意見のようだ。

「ほら、濡れてるわよ」

 再びお冷をコメカミに当てた孝之の頬へ、おそらく結露してコップの外側についていた水分が汗のように流れた。由美子はハンカチを取り出してテーブルの反対側から拭ってやった。

「じゃあ、私も外で待っているわ」

 まるで仲睦まじいカップルのような様子に、サトミはプイッと背中を向けて、カウベルを鳴らして出て行ってしまった。

「ごめんね、藤原さん」

 なすがままに顔を拭いてもらった孝之が、本当に申し訳なさそうに言った。

「いいのよ。もともと今日は、おまえのための一日だかンな」

 なんでもない事のように由美子はこたえ、ハンカチを仕舞うついでに手元の物をバスケットバッグへとまとめた。

「このぐらいでいいかな?」

 孝之が自分のグラスの中を覗いた。あまりにもミルクを入れすぎて茶褐色と言うより茶色く汚れた白色に見える液体は、氷の間に毛細管現象で残るだけとなっていた。

「まあ、いいんじゃない。待たせるのも悪いし」

 大きな窓から外を見れば、あまり育っていない街路樹の根元で、先に出た二人が何事か言葉を交わしている様子であった。

 二人してカウンター付近で待機しているウエイトレスに挨拶をしてから<コーモーディア>の外へと飛び出した。

 途端に夏の陽差しに殴られたような衝撃を感じる。一億五千万キロ近く離れていても、核融合の炎は確実に地上へと降り注いでいた。

「あちー」

 つい口に出てしまった由美子の言葉が耳に届いたのか、木陰で何やらミセス・トリアと話していたサトミがクスクスと笑った。

「それで冬になったら『さみー』って言うんでしょ。人間って我儘ね」

「あちーものはあちーの。少しは地球から離れろってンだ」

 どうやら太陽にまで文句をつけるつもりのようだと知って、サトミの笑いが一層大きくなった。

「藤原さん…」

 孝之が言いにくそうに口を挟んだ。

「地球と太陽の距離は、夏の方が離れているんだよ」

「…、し、知ってるわよ、ンな事」

 しかし由美子の動揺は声に現れていた。

「地球の公転軌道は楕円形だからねえ。中学でも遠日点と近日点ぐらいは習ったでしょ?」

 これはサトミだ。

「う、ううむむ」

「あと一万年ぐらいは七夕さま辺りが遠日点のはずだよ」

「さらに付け加えさせていただきますと」

 どうやら街路樹の根元で煙草を吸っていたらしいミセス・トリアが口を開いた。

「近日点と比べましてエネルギーとして七パーセントぐらい弱まっている計算となります。もし夏の時期と近日点が重なっておりましたら、もっと気温が上昇するかと存じます。これは北半球の場合で、南半球では逆になりますが」

 彼女には木陰程度で充分なのか、まったく汗を掻いていない様子である。

「じゃあ南半球の夏はもっと暑いの?」

 そんなニュースを聞いた事が無い由美子が眉を顰めると、今度は横の孝之が口を開いた。

「地球の南半球は海が多いでしょ。だから気温の上がり方が北半球よりも緩やかなんだよ」

「…」

 由美子が腕組みをして首を捻っている目の前で、火の点いた煙草の先だけを握りつぶして地面に落とした彼女は、火種をブーツで踏み消した。煙草の残りはそこら辺に投げるのではなく、スーツのポケットへと落とした。

「それでは参りましょうか」

「まいるって、コレで?」

 街路樹の日陰に寄せて一台の小型自動車が停められていた。

 世界的に有名な大衆車であった。

「ワーゲンって初めてだ」

 孝之が目を丸くして言った。

「正確にはフォルクスワーゲン・テュープ(アイン)ね。まあカブトムシ(ビートル)っていう名前の方が有名かな」

 サトミが経年劣化のせいか黄色に退色しているオレンジ色のボディを眺めた。

「何年製よ?」

 由美子が最近では見られない丸っこいボディへ疑わしそうな視線を送った。

「さて? 最終生産車はたしか二十一世紀のメキシコだったはずだけど? これはいつの?」

「さて? 本人(クルマ)に訊いてみます?」

「あはは」

 ドライバー手袋をポケットから出した彼女が言った冗談に、孝之が渇いた笑いでこたえた。

「いちおう車検は通っているみたいね」

 フロントウィンドの中央に日本の公道を走る時に必要な証票が貼ってあるのを確認する由美子。

「さあ、どうぞ」

 丸ボタンを押し込むという古めかしいドアノブを器用に操作して、運転手も務めるらしいミセス・トリアがビートルのドアを開いた。

「鍵かけてなかったの?」

「逆にさア」

 驚く由美子にサトミが訊いた。

「こんな古い車、今の日本に運転できる人いると思うの?」

 確かにサトミの言うとおりである。見たところオートマチックミッションに乗せ換えてある様子はない。古めかしいギヤレバーが床から生えていた。

 シートを倒して後部座席に入れるようにしてくれた。

「一番いい席は姐さんに譲るとして、その次はきみに譲るよ」

 サトミが先にどうぞと腕を開いて孝之に後部座席に入るように促した。

「姐さんは助手席へどうぞ」

 どうやら輸入車だったらしく、このビートルは左ハンドルであった。由美子はわざわざ車道へ出て反対側のドアへ手をかけた。

「う、ううむむ」

 開けようとドアノブに手をかけるが、うんともすんとも言わなかった。それを見越していたのか、彼女の後ろに回ったミセス・トリアがスッと音もなく手を伸ばして、助手席のドアを開けてくれた。

「ありがとう」

「いえ、お気になさらずに」

 由美子が滑らかな仕草でシートに腰をおろし、脚を車内へ収めると、丁寧な様子でドアを閉めてくれた。

 エンジンがかかっていない車内である。木陰を選んで駐車してあるとはいえ、熱気がすでに支配していた。

「はやくしなさいよ」

 一気に不快指数を上げた由美子が、まだ運転席側のドアの外で乗ることに躊躇している様子の孝之に声をかけた。

 ビートルは二つしかドアが無いから、後部座席に乗るには、前席を倒して体を潜り込ませるしかない。つまり二人が乗らないと運転席には誰も座れないことになる。運転席に誰も座れないという事は、エンジンをかけることができないということだから、カーエアコンも動かないということだ。

「で、でも…」

 孝之は遠慮気味にサトミのサロペットスカートを見ていた。

「あー」

 彼が気にしていることを察する事ができた由美子は、少々怒った声で命令するように言った。

「そいつにはセクハラだのモラハラだの、なんでもしていいから、はやくしなさい」

「酷いよ姐さん」

 いちおうサトミは抗議の声を上げた。

「ほら、マカゴくん」

 孝之に振り返ったサトミは優しい声を出した。

「運転するミセスはシートを一番後ろに下げないと、体が入らないから、手前の席は狭くなっちゃうのよ。私がソコの席に座るから、きみは姐さんの後ろに入りなさい」

 どうやら何も考えずに席を勧めていたわけではなさそうだ。だが体の大きさで言ったら、サトミはこんなお洒落をしていても、孝之より身長が高かった。

「でも…」

 まだ躊躇する孝之に、サトミはウインクを贈った。

「今日は、きみがお客さんの立場だから」

「じゃあ、あたしはアんだよ」

 つい眉を顰めた声が出た。

「え? 姐さんは決まってるでしょ」

 しれっとサトミが言った。

「『拳の魔王』に並みの席などご用意しませんとも」

「よし、あとでアームストロングパンチだかンな」

 由美子の死刑宣告に等しい言葉に、サトミは肩をすくめてみせた。

「じゃ、じゃあ、お先に」

 二人の軽妙な会話を聞いて心が明るくなったのか、孝之が身を滑りこませた。

 すぐさまサトミも続いて、自分から運転席のシートを引き寄せるようにして起こし、ミセス・トリアが乗れるようにした。

「一番後ろで大丈夫だよ」

 体が柔らかいのか、大してスペースがない後部座席でも膝を折って脚を横向きに折り畳み、彼女が楽に座れるようにと配慮した。

「それでは出発いたします」

 まさに鉄板という感じのドアを閉めたミセス・トリアが、エンジンを始動させるとビートルを発車させた。



「そう落ち込んじゃダメダメ!」

 ホテルのラウンジに黄色い声が響き渡った。

 何事だろうと視線が集中するが、声を上げた本人は気が付いていないようだ。

 教育が行き届いているはずのアテンダントたちすら、つい顔を向けてしまった。

 ラウンジに設けられた喫茶店の廊下側の席である。アンティーク調どころか、そのものという調度類が揃えられた席に、場違いという言葉が当てはまるような二人組の客が座っていた。

 なにせ高級という言葉の上に、超という字が幾つつくのか分からないような一流ホテルである。

 二人とも年の頃は十代後半といった少女で、こんな紳士淑女が時間をゆっくりと楽しんでいるような大人な空間には甚だ似合わなかった。

 しかも制服らしい茶色い襟をした白いセーラー服に、同色のプリーツスカートという出で立ちだ。ここは学生がたむろするような場所では絶対無いはずだ。雰囲気がまったくそぐわないし、第一お値段が学生レベルでハイそうですかと払える基準ではないのだ。

 ただ二人が身に着けている制服は、厳格さで有名なミッション系女学校である『聖アドルフ学園』のものだった。あそこの学生ならば、十歩譲って良家のお嬢さまという可能性が高いので、まあココに座っている資格はギリギリありそうだ。

 声を上げた少女は、フワフワな髪をツインテールにしていて、どこか落ち着きの無さそうな仕草をしていた。

 印象だけで表現すると、全身からピンク色のオーラが湧き出ているような若々しさである。まあ制服は茶と白という二色で構成されていて、そんな色の小物を身に着けてはいなかったが。

「ヒナタ」

 同席している少女は彼女よりも良識があった様で、大声で視線を集めた事が恥ずかしがって、立てた人差し指を唇に当てていた。

 こちらの少女は薄い色の髪をポニーテールにして、茶色い瞳を持っていた。その茶色い目の中には青い炎のような光があるように見えた。

 彼女もまた『施術』の恩恵を受けた身であった。ただし『クリーチャー』ではない。大怪我を負ったが『生命の水』による超回復で死を逃れた存在なのだ。よって『クリーチャー』とは言えなく、身体は人間のままと言っても間違いはなかった。

 一学期最終日に、アキラたちと共同戦線を張った大岩(おおいわ)(だいや)である。

 彼女がヒナタと呼んだ少女と違い、周囲へ遠慮する態度を見る限り、どちらかと言えばダイヤの方がここに座る権利を持っているように見えた。

「なにを遠慮してるのよ、もお。ダメだよダイちゃん。ヒトは主張する生き物なんだから、主張する時は主張する。周囲はワタシの意見を聞いて納得する。そうじゃなきゃいけません。そういえば昔の人が『他人のアラ探しをしている間は、自分の姿を見なくて済む』って言ったらしいけど、納得できない?」

 どうやらダイヤが受けた理不尽な行いに憤慨してくれているようだ。タレている目尻をキッと鋭くしようとしているが、もとがもとだけに普通の顔になった程度にしか表情が変わっていなかった。

「わかった、わかったから」

 せめて声量を落として欲しいのか、ダイヤは手を振ってみせた。校庭の端から端へ呼びかけているのではない、木製の丸テーブルの直径しか離れていないのだ。

「ダイちゃんも、ちゃんと声に出していいましょう。『出来ないものは出来ません』。はい」

 ツインテールの少女は、まるで英会話のレッスンのように手をダイヤに向けた。

「…」

 ダイヤは顔を赤くして俯いてしまった。後頭部から垂れ下がるポニーテールの先っぽが揺れる。ダイヤは周囲の視線が気にして、物理的に肩身を狭くしてボソボソと何事かを口にした。

 耳に手を当てて眉を顰めていたヒナタは、小さな声が許せなかったようだ。

「ダイちゃん。もう一度!」

 最初の声よりも一段階大きな声で求められ、ダイヤは、さらに顔を赤くして口を開いた。

「できないものはできません」

 蚊の鳴くような声である。しかし耳に手を当てて待っていたヒナタは、満足そうに腕を組むと何度も頷いてみせた。

「そ。ちゃんと言いましょう。ダイちゃんが、いくら剣道が得意でも、切れないものは切れないってハッキリ言ってやるべきよ。それをやったこともない人が、切れるはずだとか無茶を言うなんてねえ。憤慨ものの噴飯ものです」

「け、剣道じゃなくて居合ね」

 小さな声で訂正したがヒナタの耳に届いていたかどうか分からなかった。

「だって世の中には切れる物と切れない物があると思わない? ダイちゃんだってそう思うでしょお。たとえばマネキンは切れるかもしれないけど、地球を切れなんて無理無理。そんなことできるのは、どこぞの村に住む眼鏡をかけたアンドロイドの女の子ぐらいなもんだって。んちゃ。電球を切る事ができても光は切れないし、時計を切ったって時間は切れないでしょ。無理難題を言われて、ハイそうですかって引き下がっちゃダメだよダイちゃん!」

「わかったから、わかったから。ね、声、小さくしよ」

 ダイヤの困った顔を誤解したのか、ヒナタはさらに眉を顰めて喋り続けた。

「ダイちゃんが入院した時は、本当にびっくりしたよ。なんか事故に巻き込まれた~って聞いてさ。その時、そのお婆ちゃんが助けてくれたから死なないですんだらしいけどさ。それに恩を感じるとか、なんか負い目があるのかもしれないけど。ちゃんと無理な物は無理って言った方がいいよ」

 どうやら彼女なりに友人の心配をしているようだ。

「モラハラだっけ? ロジハラだっけ? 頭が昭和な人間がやりがちな事だよ。いまはもう年号が二つも変わったんだから、やり方も変わったって言った方がいいよ? 泣き寝入りが一番悪い。そういう悪い考えが無くならない原因だよ」

「でも居合のお師匠でもあるし…」

「ダイちゃん!」

 さらに声を大きくしたヒナタは、友人の方へ乗り出した。同じ分、ダイヤが仰け反って距離を保った。

 彼女にしては厳しくしている顔つきを、コロッと笑顔に変えた。

「時間です。今日はつきあってくれてアリガト」

「へ?」

 視線を離れた位置にあるクロークカウンターに掲げられた時計へさっと走らせると、ヒナタの用事があると言っていた時間になっていた。

「おじいちゃんだっけ? に、ヨロシクね」

「うん。田舎から従姉妹(おねえちゃん)と一緒に出て来たの。これから三人でネズミー」

 ヒナタはブイサインを突き出した手で、テーブルの上のレシートを取り上げた。

「今日は付き合ってくれたお礼に、ここは奢るね」

「いや、そういうわけには行かないわよ」

 慌てて財布を取り出そうとするダイヤへ、待ったをかけるように平手を突き出した。

「次。次はダイちゃんが奢ってね。今から何を頼むか考えておくから」

 竹を割ったようにスパッと言い切ると、ヒナタはスカートを翻して立ち上がり、チョキで敬礼の真似事のような挨拶をした。

「で、でも…」

「あ、おじいちゃんだ。おじいちゃ~ん」

 ラウンジとは低い植木が植えられたプランターだけで仕切られた喫茶店の出入り口に、杖をついた老人が現れた。どことなくヒナタに似ている気がするのは、そう彼女に聞かされていたからだろうか。

 老人の脇には大学生ぐらいの女性が寄り添っていて、店内を見回して見つけたヒナタへ小さく手を振った。

 ブンブンと二人に手を振っていたヒナタがパッと振り返った。

「じゃあ、ごきげんよう」

「はい、ごきげんよう」

 離れた二人へ会釈しておいて、ヒナタと別れの挨拶を交わした。

 ヒナタが注文したクリームソーダは半分ぐらい残っていたが、彼女は目もくれずに、まるで岩場を渡る小鹿のような足取りで、二人連れのもとへと行ってしまった。

 なにやら言葉を交わしている三人。二人の声はラウンジの雑踏に紛れる程の大きさだが、ヒナタは「うん、お友だち!」とか「ここまで付き合ってもらったの!」とか相変わらず声量に気を使っている様子は無いようだ。

 ヒナタが会計でいつものお財布を取り出した頃、いいだろうと思って彼女が残したクリームソーダのグラスを手に取った。

「甘」

 すっかりクリームが溶けて別の飲料と化していた。

 笑顔を一層大きくした二人連れがダイヤに向かって会釈したので、もう一度頭を下げた。その途端に口をつけたクリームソーダだったものを噴き出しかけた。

 ヒナタが待ち合わせしていた相手をかわすように、二人組の少女が入店してきたのだ。

 しかも二人とも自分と同じ聖アドルフ学園の制服を身に着けているではないか。ヒナタは、もう親戚と話すのに夢中になっているようで、後から入って来た二人には気が付かなかったようだ。

 二人組の少女は店内を見回し、そして席に座っているダイヤを見つけて目を丸くした。

 一回だけ顔を見合した二人は、彼女が座る丸テーブルの方へとやってきた。

「よ」

 気安く声をかけてきたのは、ボブカットのした黒髪を美容院へ行きはぐって伸ばしてしまったような頭をしている少女だった。

 大きい瞳の中には、青い炎のような光があった。

 何を隠そう海城アキラその人であった。

「ご、ごきげんよう」

 つい癖でいつもの挨拶をしてから、ダイヤは当然の質問を口にした。

「どうしたの、そのかっこう」

 もちろんダイヤは、二人が自分と同じ聖アドルフ学園の生徒では無い事を知っていた。

「似合わないか?」

 アキラは茶色い襟を引っ張って皺を消しながら訊き返した。

「ええと?」

 説明を求めて視線が、アキラの隣に立つ少女、新命ヒカルへと移った。

 ヒカルはあからさまに舌打ちをすると、咥えていた柄付きキャンディを口の中で転がした。

「ココで人に会う約束をしていて、いいカモフラージュになると思ったんだが…。まさか、オーイワに会うとはな」

 フッと振り返ったので何事とさらに目線を移せば、彼女たちの背後へ静かにボーイが近づくところだった。

「相席、いいか?」

「ええ、どうぞ」

 ダイヤはさも当然のように微笑んだ。彼女の表情を見てボーイが誤解したのか、少し表情を柔らかくした。

「ご注文を」

 二人がダイヤの向かいの席に並んで座るのを待って、ボーイが静かな声で訊ねた。

「あたしゃホットコーヒー。スプーンが立つぐらいのヤツな」

 ボーイがテーブルの上に差し出したメニューも見ずに、ヒカルが注文を口にした。

「ええと?」

 アキラはメニューを受け取り、写真入りで掲載されている品書きを眺めながら、ダイヤに訊いた。

「オオイワさんは何を飲んでいたの?」

「ん? あたしは冷たいココア」

「ココアにしちゃ緑っぽい色だな?」

 いまダイヤが手にしているグラスを見て、不思議そうにヒカルが訊いた。

「これはヒナタが残したヤツ」

「じゃあオレも冷たいココアにするかな」

 ろくにメニューを確認しなかったアキラが決めると、ヒカルがダイヤを促すように首を振った。

「おまえも何か頼めよ」

「え、じゃあバニラアイス」

「かしこまりました」

 三人の注文を聞いたボーイは、復唱することなくアキラから引き上げたメニュー片手にカウンターの方へと下がって行った。

「で、最初の質問に戻るけど、なんで聖アドルフ学園(ウチ)の制服を着てるの?」

「だからカモフラージュのつもりだったんだって」

 面倒くさそうにヒカルが言った。

「ココで待ち合わせて不自然な格好じゃないが、身元が誤魔化せる服って何かなって考えた時、おまえさんの学校が近いのを思い出してな」

 二人の「変装」は念入りで、制服と合わせて制定されている学生カバンまで持っていた。ただ一点だけ違うのは、校章とクラス章を留める胸元のフェルトがついていないだけである。まあ校外では外してもいいという謎な校則があるので、不自然では無かった。いまのダイヤも実は胸元のフェルトを外していた。

 だが学園関係者ならば二人が聖アドルフ学園の生徒では無い事は分かってしまうかもしれない。アキラはリストバンドを巻いており、ヒカルは腰にウエストポーチを巻いているが、どちらも校則違反である。あとヒカルのキャンディも咥えて歩いているのは行儀が悪いという理由で校則違反だ。まあ守っている生徒の方が少ないが。

「まさか迷彩服で、こんなトコに来るわけにはいかないだろ?」

「清隆の制服じゃダメだったんですか?」

「だから身元を誤魔化したかったんだって。でも、これじゃ意味が無かったな」

 つまらなそうに頭の後ろで指を組むヒカル。不機嫌さが咥えたキャンディの柄に出ていた。

「あ~、オオイワさんはどうして?」

 会話を放棄したヒカルの代わりに、アキラが訊いた。

「ヒナタの付き添い」

「ひなた?」

「講習で会ったろうが」

 キョトンとするアキラに、投げやりな態度のままでヒカルが教えてくれた。確かにダイヤが清隆学園で学力アップのために開かれた夏期講習会へ参加した時に、彼女のクラスメイトと名乗った少女に二人は会っていた。

「あ~」

 視線を上の方へやって思い出しているアキラの前で、ダイヤはちょっと不満そうに付け加えた。

「二人とも朝一(あさいち)に学校で用事があったの」

「補習か?」

 意地悪そうに訊くヒカルの茶々入れにもダイヤはめげなかった。

「違います。クラスの花壇の水やりです」

「また、まるで小学生みたいな用事だな」

 ヒカルの感想をスルーしてダイヤは説明を続けた。

「二人組で曜日ごとに決められていて、今日はあたしたちの番だったの」

「なに育ててるの?」

 アキラに訊ねられてダイヤは目をパチクリと瞬かせた。

「朝顔とゴーヤ。ゴーヤは収穫して二学期の調理実習で使う予定なの」

「へ~」

 アキラが感心した声を漏らすと同時に、ヒカルが鋭い目で振り返った。

 銀盆を持ったボーイが近づいてくるところだ。盆の上には三人が注文した品が揃っていた。

「お待たせしました」

 ちゃんと注文した品を、各人の前に揃えたボーイは丁寧に礼をすると、再び足音もさせずに下がって行った。

 会話が盗み聞きされない距離を測っていたヒカルが、丸テーブルの方へと向き直った。

「そんで?」

 ヒカルが機嫌悪そうな声で先を促した。

「で、ヒナタが『今日は、おじいちゃんが田舎から出て来るんだ~』って言うから、時間まで一緒にお茶を」

「なるほどね」

 腕組みをしたヒカルは納得したように頷いた。ついでに咥えたキャンディの柄も縦に動いていた。

「どうせなら、こんなお高いトコじゃなくて、学生らしい路面店にして欲しかったぜ」

「ダメダメ」

 慌てたようにダイヤが手を横に振った。

「そんな目立つことしたら、誰かに密告されて、後で生活指導の先生(ガマガエル)にミッチリ怒られる事間違いなし」

「はあ」

 ヒカルは呆れたような溜息をついた。

「オーイワも大変なんだな」

「あんな学校に入れられちゃったからね」

 なにせ聖アドルフ学園は校則の厳格さで有名だ。SNSなどで「ウチの学校の変な校則」とかいう話題が盛り上がる時には、必ずと言っていいほどに二つ、三つ投稿がある程だ。

「たしか『夏でもパンツは二枚履く事』だっけ?」

 届いたアイスココアにストローを差しながら、聖アドルフ学園で一番有名になった校則をアキラが口にすると、二人のジト目が頬に刺さった。

「ほらな」

 ヒカルが指摘すると、ダイヤが意を得たりと頷いた。

「ですね」

「な、なんだよ」

 自分の分からないところで意気投合したらしい二人に、アキラはうろたえた。

「やっぱ、こんなナリをしてても、男は男なんだよ。エロいことしか考えてない」

 ヒカルの咥えたキャンディの柄がアキラを指差していた。

「いや! あの!」

 慌てて何か弁明しようとするが、なにも思いつかなかった。

「エッチ」

 とどめにダイヤの一言を喰らい、アキラはガーンと衝撃を受けた。

 仰け反ったアキラを放っておいて、ダイヤは添えられたウエハースへ、バニラアイスをちょっと乗せて口へ運んだ。

「んで?」

 ひょいとヒカルの咥えたキャンディの矛先が変わった。

「本当に二枚履いているのか?」

「の、ノーコメントですっ!」

 今度はダイヤが真っ赤になる番であった。

「その様子だと、下にはシルクの無地のヤツ。たぶん白。上にはトランプ柄のちょっと見えてもいいヤツなんかを履いてるな」

「な、なんで分かるんですか」

 座ったままでスカートを上から押さえて耳まで赤くしたダイヤに、見事な推理を披露したヒカルが、ニッと白い歯を見せて笑った。

「初歩だよ、ワトソンくん」

 慌ててスカートが乱れていないかをチェックしだすダイヤから、アキラは慌てて視線を外して高い天井に下がるシャンデリアを眺めた。

「さてと。で、どうするか?」

 ヒカルが周囲を確認しながらアキラに訊いた。

「どうするって?」

「オーイワが、あたしたちに今日は会いませんでしたって事にしてくれんなら、話しは簡単なんだが」

「は?」

 アキラとダイヤが同時にキョトンと首を傾げた。同じ反応をした二人に忌々しさでも感じたのか、ヒカルは舌打ちを隠そうとしなかった。

「そういうわけにはいかないよな。オーイワ、今日の予定は?」

「はあ? いちおうこの後はフリーですけど?」

「じゃあ一時間ぐらい付き合ってくれ。まあ単純なバイトみたいなもんだと思ってくれて構わない。お代は、ここの払いでどうだ?」

「はあ、まあ、いいですけど」

「よし決まりだ」

 ヒカルは大きく頷くと、鋭い視線を喫茶店の入り口の方へと走らせた。

「なにをすれば?」

「アキラと駄弁ってくれてりゃいい」

「それだけ?」

 確認するダイヤに口先だけ振り向いたヒカルが答えた。

「それだけだ。あたしはちょっと小難しい話を、大人としなきゃならねえんでな」

 視線が他に固定されているので何事だろうとアキラも喫茶店の入り口の方を見ると、昨日会ったクマのような男が入店して来るところだった。

 こんな高級ホテルに来るので、さすがに昨日のような異装ではなく、ネクタイまできっちりと締めた紺色のスーツ姿であった。だが、まあ似合わない事に限りが無かった。いつもは工事現場で肉体労働に従事しているオッサンが、間違えてハイソサエティの空間に入り込んでしまった感じと、アキラは見たままの感想を抱く事しかできなかった。

 四角い体に紺色のスーツは若干サイズが合っていないし、なにより立ち振る舞いに迷いがあって、こういう高級ラウンジに慣れていない事は一目で分かった。

 しかも、せめて小物なども服装に合わせればよかった物を、昨日と同じ「どこに野宿するんですか」という印象の大きな冬登山用らしいバックパックを背負ってきていた。

 頭だって少しは整えればいい物を蓬髪のままである。

 まあ、昨日よりはまともな格好していて蓬髪に髭面なので、今日の印象はクマというよりライオンといった感じだ。清潔さは保っている髪や髭がタテガミに見えなくはなかった。

「よし、他人のふりだ」

 クルリと丸テーブルの方に向き直ったヒカルが一言。それに、つい頷いてしまうアキラ。

 マサミチは喫茶店の入り口から店内を見回し、そして眉を顰めた。

 目の泳ぎ方からして、完璧に女子高生を演じているアキラとヒカルを認識できなかったようだ。とはいっても、二人の正体はまだしも、肩書は間違いなく本当の女子高生なのだが。

 キョロキョロとあからさまに挙動不審な態度で店内に足を踏み入れると、見かねたのかボーイが声をかけた。

 離れているので話している声は聞こえないが、どうやら「お待ち合わせですか」というようなことを訊かれたようだ。

 マサミチが渡りに船とばかりに何かをボーイに話しかけている。まあアキラたちの特徴を口にして、先に来ていないかを問うているのだろう。

 超一流のホテルには、超一流のボーイがいるようだ。現在店内に座る客の容姿を完璧に記憶しているようだ。

 ボーイの首が横に振られたので、どうやらマサミチは昨日のようにヒカルがスーツでやってきていると説明したようだ。

 ちょっとがっかりした雰囲気になったマサミチを案内して、ボーイがこちらにやってくる。アキラは何となく視線を外したが、ヒカルに至っては完全にソッポを向いた状態だ。

 三人の座る席の横を通り過ぎる瞬間、ヒカルの手が動き、マサミチのスーツの端を摘まんだ。抵抗を感じた彼の動きが止まった。

「?」

 見おろして白い手が自分の服を摘まんでいることに気が付き、手から腕、そして頭から顔へと視線が移動してきた。

「『おはよう』ぐらいは言って欲しいな」

「は?」

 身長に加え、立っているマサミチと座っているヒカルの差から、見おろす形になっている彼の顔がポカンとなった。悪戯が成功して得意げな顔になったヒカルがさらに笑みを大きくした。口元のキャンディの柄が天井を向いていた。

「は!」

 秒針が一周できるぐらい時間を経てから、やっと目の前に座るセーラー服を着たものが、自分の待ち合わせ相手と気が付いたようだ。まるでタグボートの鳴らす汽笛が底を抜いたような音が、マサミチの喉から飛び出た。

「え? なんで?」

「おはようございます」

 まだ混乱している内にアキラもマサミチへ挨拶をした。

「?」

 一人だけ彼を知らないダイヤもキョトンとしていた。

「お知り合い?」

「まあな」

 ダイヤに認めてからヒカルは立ち上がり、右手を差し出した。

「おはよう、マサミチ」

「お、おはよう」

 完全に気を呑まれた声でマサミチがその右手を握り返した。

「話はアッチでしようか」

 振り返って怪訝な顔をしているボーイにウインクを飛ばし、別の席を用意するように合図した。そこは末端のボーイにも訓練が行き届いた店である。ボーイは一礼すると、手でちょっと離れた丸テーブルを指し示した。

「じゃ、ちょっくら行ってくる」

「オレは?」

 不安そうに曇るアキラの顔と、いまだに話しが見えていないダイヤの顔を見比べて、ヒカルはニヤリとして言った。

「だからさっき言ったろ。二人で駄弁って…」

「?」

 不自然に言葉を詰まらせて天井に下がるシャンデリアを見上げたヒカルは、妙に清々しい笑顔を二人に向けて告げた。

「若い二人で、おデートしていてくれ。仕事の話しはあたしが聞いておくから」

「で、でえと」

 ポッと赤くなるダイヤの表情を新鮮な物を見るようにして眺めてから、まだ何か言いたそうなアキラへ、上から見おろして言った。

「どうせ相談事なんだから、おまえだって一緒にいたって話はピーマンだろ? だったらココでオーイワの相手をしていてくれよ」

「う、うん。わかった」

 確かにこれから始まるであろう話し合いの席にいても、アキラはただ聞いているだけの存在になるだろう。ならば邪魔をしないように、この席で待っていた方が正解であるはずだ。ただ出会ってからいつも一緒に行動していたので、一抹の寂しさがあった。

 アキラの心の動きは表情に出ていたのだろう。クスリと笑うとヒカルはアキラの頭を撫でた。

「わかったわかった。後でアイスでも一緒に食おうな」

「子供扱いすんな」

 さすがにヘソを曲げた声が出た。アキラのむくれた顔を見たヒカルは、カンラカンラと笑いながら、マサミチが待つ席へと移動した。すかさずボーイがヒカルの注文したコーヒーを移動させた手際は流石と言う他は無かった。

「ええと」

 改めて席の向かいに正対する。

 そこには淡い色の髪をした美少女が一人座っていた。

 いや、いまのアキラの外見だって、町を歩けば振り返る男性がいるほどの物なのだが、なにしろ(まが)い物だ。だが向かいに座るダイヤは中身まで正真正銘の美少女である。

(男の頃にこんな美人と一対一で席に着いたら、舞い上がっていただろうな)

 ダイヤと最初に出会ったのは、彼女が清隆学園に殴り込みに来た時だ。まあ些細な誤解から生じた事件だったのだが、正直に言ってアキラは呆れたものだった。

 それからは天使関係の事件で集合する度に会っていた。共同戦線を張るための話し合いの時と、実際に天使を迎撃した時だ。

 まあ天使と戦う前の神経が尖っている時であったから、世間話をしていても慣れ合うという感じでもなかったが。

 彼女の意外な面を見たのは先月のこと。清隆学園の夏期講習で出会った時だ。

 今も高級店に座っているのでそうだが、見事に猫を被って大人しくしていた。それまでは普通の女の子だと思っていたが、こうまじまじと見ると『お嬢さま』然としていて美少女と褒めてもおかしくない容姿に気づかされた。

 クラスメイトに清隆学園の生徒会主催の学園(裏)投票で選出される『学園のマドンナ』となった美人がいて、その()とは学業などで同じ班を組んで行動する事が多かった。ダイヤは、その彼女とはまた違った美しさをしていた。

 例えるなら、向こうはコンピュータが計算の末に造り出した人工的造形物の美で、ダイヤの方は自然に存在する美とでも言おうか。スポーツをやっているため肢体はのびのびと育っていて、これに大人の魅力が加わったら、敵う者は居なくなるのではないだろうか。

(おや?)

 心の中で称賛している彼女の顔が、少し曇ったように感じられてアキラは少しだけ首を傾げた。

「なにか悩み事でもあるの?」

 アキラは、あまり喋ることが得意ではない方だ。ヒカルに置いて行かれてどんな話題を持ち出せばいいのかちょっと怯んではいた。なにせ学校も違うし、住んでいる地域も少しずれている。さらに言えば海城家では入店する事に勇気が必要なこんな高級店に、プライベートで座っているような家柄でもあるようだ。

 共通の話題としてすぐに思いつくのは夏休みの最初に交戦した天使の事か、『施術』に関する事だけである。そして、両方ともこんな誰が聞いているか分からない場所で、気軽に口にしていい話題ではないはずだ。特に口止めされているわけではないが、壁に耳あり障子に目ありという諺もあった。

 ダイヤの方も何を話題にしていいのか、ちょっと迷っていたようだ。アキラの向けた水に乗って来た。

「奥さまにね」

 奥さまというのは、彼女が家政婦(メイド)としてバイトしているお屋敷の主、醍醐クマのことだ。ダイヤが重傷を負う原因となった人物でもあり、半分だけ人外になる治療を施した人物でもある。

 もう前世紀の遺物といった態のお婆さんだが、正体はヒカルと同じ『構築』された『クリーチャー』であった。

 醍醐クマの『マスター』もすでに亡くなっており、皺だらけになった身体を若返らせる術は失われたと思われていた。

 そこに瀕死のアキラを救った明実の『施術』の成功である。

 醍醐クマは『クリーチャー』として長く生きる間に、それなりの財産とそれなりの地位を手に入れて、さらにそれなりの情報網を持っていた。その情報網で『施術』の成功を掴んだらしく、新しい『マスター』であるところの明実に接触してきた。

 目的は醍醐クマの身体を生きながらえさせること。対価となったのは明実が知らない『施術』の知識や技術の提供である。

 だが、今のところうまく行ってはいなかった。どうやら『施術』の要である『生命の水』は『マスター』ごとに成分が微妙に違うらしく、明実の『生命の水』では醍醐クマの細胞を若返らせるどころか、灰にしてしまう。よっていまだ醍醐クマは、しわくちゃのお婆ちゃんのままだ。

 もちろんアキラも関係者として醍醐クマに会ったことがあった。

「ああ、あのお婆ちゃん」

 アキラが醍醐クマに持っている印象は、広いベッドに埋もれるように横たわる痩せた枯れ木のような人物である。

「奥さまに叱られてしまって」

「なんでまた? お皿でも割っちゃった?」

 ちょっと元気づけようと軽口を混ぜてみたが、一向にダイヤの表情は晴れなかった。

「アレを切れなかったから」

「あれ?」

 おうむ返しに訊いたアキラに頷き返してダイヤは繰り返した。

「そうアレ」

 あとは分かるだろうと言いたげな態度であった。

 だがしかし。アキラが察しの良い方であれば、ヒカルの罵詈雑言の半分はこの世に生まれなかっただろう事は、関係者ならば断言できる話だ。

「あれ?」

 キョトンと首を捻るアキラに苛立ったのか、丸テーブルの下でチョンと弁慶の泣き所を爪先でつつかれた。

「…」

 ダイヤの唇が動かされた。アキラは読唇術など習ったことも無いが、さすがに声に出さなくてもダイヤが「天使」と言った事が分かった。

「それは無理じゃない?」

 話しが見えたアキラは、ダイヤを励ますというより、世の理不尽を嘆く声で言った。

「あんなバリアー使えるんだから、無理だろ」

 天使の体は、こちら側が「イコノスタシス」と仮称する一種の力場(バリア)に包まれていた。その作動原理など一切不明なのだが、ともかく通常の武器での攻撃は、すべて防がれてしまうのだ。

 剣で斬ってもダメ、銃で撃ってもダメである。

 唯一の弱点というか隙は、顔面付近に銃撃をした直後の数秒間だけ通る斬撃だけである。

 過去に天使と交戦したらしい他の『クリーチャー』は、その隙を利用して倒したようだ。

 もちろん今回現れた天使のイコノスタシスにも同じ隙があった。

 アキラやヒカル、ダイヤも含めて五人がかりで銃や剣を持ち出して何とか対抗しようとしたが、今回の天使は運動能力も高いためか、その隙を掻い潜って攻撃した斬撃を全て逸らされるか受け止められてしまった。

 唯一の例外であったアキラの必殺技が無ければ、退かせることは無理だったと考えられていた。

「奥さまが言うにはね…」

 いくら冷房が効いているとはいえ冷凍庫よりは高い室温である。融けつつあるバニラアイスを見つめてダイヤは元気のない声で言った。

「コクリ丸なら斬れないものは無いって」

「斬れないものはない?」

 こんな言い回しを聞くと、ワルサー使いの世界的大泥棒と組んでいる剣士が持つ、コンニャクだけ切れない刀へ連想が行ってしまった。

「コクリ丸って、アレだよね?」

 アキラの確認にうなずくダイヤ。

 コクリ丸というのは、茶色い豆柴に見える小型犬である。醍醐クマのそばにいるが、戦いとなるとダイヤに預けられて活躍することになる。

 もちろん理由がある。ただの豆柴では無いからだ。

 その正体は心霊兵器『狐狗狸丸』といって、刀身五尺ほどの大太刀である。小型犬から大太刀へ変身する様はアキラも目撃したが、いまだに信じられない光景であった。

 科学で説明できない、質量保存の法則すら守られていないような変身っぷりであった。

 まあ自身も『施術』なんていう非科学的な技術で延命している今、どんな現象が目の前で起きようともドンと来いと構えているアキラなのだが。

「いくらコクリ丸でも、アレは無理でしょ。見てないから言えるんじゃないかな」

「それが…」

 とても言いづらそうにダイヤは言葉を続けた。

「あの時の様子をゴンさんが録画していて、奥さまも動画で見たの」

「何だ見たのか」

 アキラが気軽に頷いた。どうやら許可なしにアキラたちの様子も録っていた事に引け目を感じているようだ。だが、こちら側だって、明実がドローンを使って戦闘の様子は記録していた。

「じゃあ見てわかったでしょ。あんなバリアーなんてズルしてるんだから、無理無理」

 アンティークらしい椅子の背もたれに体重を任せ、アキラは右手首のスナップを利かせて否定の表現をした。

「でも、奥さまが言うには、狐狗狸丸で斬れないものは無いって。あたしの手だと何十分の一の力しか出せていないって」

 思い詰めているのか、ダイヤの口調が早口になってきた。

「地球だって真っ二つ。光だって時間だって斬れなきゃおかしいって」

「はあ?」

 ついアキラの喉から素っ頓狂な声が出た。

「ちきゅうをまっぷたつ?」

 非現実的な言葉に思考が停止してしまった。どこかのギャグアニメのオープニングじゃあるまいし、惑星一つを太刀一本で半分にできるとは思えなかった。

「ええと、ちょっとまてよ」

 ダイヤを手で制して、アキラは中学時代に習った知識を検索した。

「たしか地球の直径って、一万メートルぐらいあったよな。斬れるわけないだろ」

 つまらない冗談を聞いたとばかりに笑おうとしたが、渇いた音しか出なかった。

「奥さまが言うには、あたしには狐狗狸丸を(あけ)る事が出来ていないからだって」

「あける?」

 アキラは腕を組んで、首を捻った。太刀をあけるという意味が分からなかった。

「なんじゃそりゃ」

「でしょお」

 素朴な疑問が口についたアキラに、身を乗り出して賛同するダイヤ。

「朱るってなんだよ、もー」

 どうやらここのところ思い悩んでいた様子で、両手で頭を抱えると、ワシワシと掻きまわし始めた。

「じゃあ、つまり」

 半ば錯乱しているようなダイヤを落ち着かせるには、まず自分が平静で無いといけないと思ったアキラは、アイスココアへ口をつけた。

 よく練ってあるらしくザラリとした食感はまったく感じられない。スーッと喉を通ってお腹へ入るのまで知覚できた。

「コクリ丸には、まだもう一段階上があるってことだ」

「んー」

 ダイヤはバニラアイスを一口入れてからゆっくりと認めるように頷いた。

 どうやら落ち着いてきたようなので、ちょっと変化球で攻めてみることにした。

「光も時間も斬れるって、同じ事じゃないのかなあ」

「?」

「ほら、光の速さで移動すると時間が止まるって話しがあるだろ? って事は、光は時間で、時間は光なのかなって」

「相対性理論?」

「たぶんそれ」

「でも、隣の星まで四光年あるんでしょ? 光が時間なら、星までの距離はゼロ?」

「ああ、違う違う」

 あまり物理は得意ではなく、さらに言うなら中学の天文の授業中に、先生がした雑談程度の知識しかアキラには備わっていなかった。

 それでも子供向けの宇宙の本とかで仕入れた知識で答えることができそうだ。

「光から見ると向こうを出てから地球に到達するまでにかかった時間はゼロだけど、地球上で観測しているオレたちからすると、四光年だから四年経ってるの」

「???」

「それが相対性ってやつ。観測する人によって変わる物なの」

「???」

 頭にたくさんクエスチョンマークを生やしたダイヤに笑顔を見せ、再びアイスココアへ口をつける。

「つまり…」

「つまり?」

 重大な事を告げるように言葉を詰まらせるとダイヤも乗って来た。

「アインシュタインぐらい頭が良くないと分かんねってこと」

「なにそれ」

 おどけてみせたアキラに、ダイヤが吹き出してくれた。



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