第一章7 雷雷の心
その日の夜、雪見時雨は意を決して雷雷のもとへ向かった。
彼女は相変わらず本社の前で座り込み、後悔にうちひしがれたように黄昏ていた。
「雷雷、少し話さないか」
「話ですか……。分かりました」
雪見時雨は雷雷の隣に座り、ホットなジュースを差し出した。
「良いですよ。気を遣わなくて」
「今日だけは遣わせてくれ。気を遣いたいんだ」
「では、頂きましょうかね」
雷雷はホットなジュースを手に取り、温まっていた。
その様子を微笑ましく思った雪見時雨は、コーヒーをひと飲みすると、話し始める。
「雷雷、お姉さんのことなんだが……雷雷はお姉さんが好きか?」
「ええ。大好きですよ。でも今のお姉ちゃんは少し怖いというか、変わってしまったというか……なんというか近づきがたい存在になってしまった気がするんです」
「良いお姉さんだったんだな」
「はい……本当に昔から世話をかけちゃって、お姉ちゃんは優しいから、そんなお姉ちゃんに私はいつもあまえてばっかだった。学校でいじめられてた時も、お姉ちゃんはいじめっこたちから私を助けてくれた……。優しい優しいお姉ちゃんが、私は大好きなんだ」
雷雷は姉との思い出を語りながら、目に涙を浮かべる。
「でも今のお姉ちゃんは少し怖かった。雰囲気から何まで、全部変わっちゃった。でもその原因は私にあるんです」
雷雷は辛そうにしながらも、雪見時雨へ話し始める。
「実は私、この能力で両親を殺しているんです」
「……え!?」
「私が能力を発現した時、確かあれはまだ幼い十歳の頃の話です。その日は私の誕生日だったので、皆でパーティーをして祝ってくれたんです。でもそんな時に、私の能力が発現したんです。
まるで爆発したように、私の周りは黒焦げで、その黒焦げた残骸の中に両親は倒れていました。唯一怪我をしてなかったのは私だけで、お姉ちゃんはなんとか一命を取り留め、しばらく病院で入院していました。
その事件以来、私とお姉ちゃんの間には大きな溝ができたんです。気付けばお姉ちゃんは病院から失踪し、私は一人になり、そこでこの会社にいるというわけです」
雷雷は冷静に、そう話した。
しかしその冷静さは表面上で、その話を終えるとともに瞳からは涙がこぼれ落ちる。
「笑っちゃいますよね。全部私が悪いのに、お姉ちゃんは勝手に私を救いに来て……。どうすれば良いかすらも、もう分からないんです」
「君のお姉さんが君にこだわる理由は分かった。もうこれ以上、家族を、大切な人を失いたくないという気持ちは痛いほど分かる。私も昔、大切な人を失っているから」
「師匠もそういう経験をしてきたんですね」
「ああ。私の目の前で死んでいったよ。彼女は誰よりも勇敢な奴だったから、最後まで笑って笑顔でこう言ったんだ。『雪見時雨、お前は生きろよ』って。雷雷、お前の気持ちは痛いほど分かる」
「はい……」
「だけど雷雷、お前にはまだお姉さんが残っている。だからまた昔のようなお姉さんを取り戻すために協力させてくれ」
「協力って……」
「お前のお姉さんのところに一緒に行く」
「そんなことをしても、お姉ちゃんと前のように話せるか分からない」
「それでも向き合わないと、いつか必ず後悔する」
「怖いんですよ私は。私は凄く怖いんです。私がいなければ、きっとお姉ちゃんはこんなにも苦しい十字架を背負わなくて済んだんですよ。私がいなければお姉ちゃんは今ごろただの学生として、日常を送っていたんです。その日常を壊した私をきっと恨んでいる、恨んでいるに決まってるんだ」
雷雷は感情的になりながら強く訴えかけた。
怖いから、向き合うことに恐れていたから。
「それじゃ駄目だ。まだ君のお姉さんは生きているんだ。だったら相手の気持ちを確かめないと、こんな関係のまま終わらせちゃいけないんだ。絶対それは駄目なんだ」
「なんで……私は嫌だ。向き合うなんて、私にはできない。師匠、もう私のことなんて放っておいてくださいよ」
そう叫ぶと、雷雷は走ってどこかへと逃げていく。
雪見時雨は追いかけるが、彼女の身軽で素早い動きに翻弄され、いつの間にか雷雷を見失っていた。
「どうしてだよ雷雷、私は何か、間違ったことを言ったのか……」
雪見時雨は吐息を漏らすように壁に背をつけ、石畳の地面に重たく座り込んだ。
頭を抱え、彼女は遠い夜空を眺めた。
目に見えているのに、そこに届くことは一切ない果てない夜空。そこへ手を伸ばしても、届くことのない遥か高み。
雪見時雨は悩み、悔やむ。
人と関わり続けなかった彼女だからこそ、人一倍人の気持ちを分かろうとする彼女だからこそ、雷雷と向き合った。けれど雷雷は向き合うことが怖かったから、だから彼女はこの選択を選んだ。
間違いなんて、正しさなんて、最初からこの世界にはそんなものはないのだろう。
ただそこに残ったのはその選択を選んだ後悔と、その選択を冒してしまった憤り。
雪見時雨はこの選択を誰よりも悔やんだ。
しかし、たとえまた同じ状況に出会った時、他の選択など選べるはずもない。だって彼女は自分に真っ直ぐな生き方しかできないのだから。
ーーたとえそれが間違った選択であったとしても。
間違いを冒しても、また間違いを冒し続ける。
だから彼女はその選択に悔やみ、嘆いた。
いつか変われる日を願って。