二度目の結婚 後編
「キャッ…」
イネスは父と母の前で派手に転んだ。周りがざわつく。クスクスと嫌な笑い声も再び聞こえてきた。
「大丈夫か?」
「も、申し訳ありません。」
手を差し出すと、彼女が震える手を乗せる。完全に怯えきっていて、今にも泣いてしまいそうな危うい雰囲気だった。
「え、エルネスト様っ!?」
僕は勢いよく引き上げると、そのまま彼女を横に抱き抱える。イネスは戸惑い焦っていたが、僕は気にせず父と母の方を振り向いた。
「父上、母上、申し訳ございません。ご挨拶は後程改めてお伺いさせていただきます。」
驚く両親を気にも止めず、僕はイネスを抱えたまま部屋を出た。
「旦那様…も、申し訳ございませんでした…。」
会場に近い客室へとイネスを運ぶと、ソファに腰かけさせる。彼女の顔は青ざめており、倒れてしまうのではないかと思う。
「さっきからそればかりだな。」
ビクンと身を竦めてからイネスは頭を下げる。
「す、すみませんっ。」
「別に怒っている訳ではない。それよりも、足は大丈夫か?くじいたりしてない?」
「だ、大丈夫です。」
「とりあえず、靴を見せて。」
声をかけてから、僕はイネスの靴を脱がせた。見ると純白の靴は、ヒールの部分が外れていた。
“これは…ナイフの跡か…”
外れたヒールを確認すると意図的に外された跡があった。普通に考えて、イネスがあんな所で何もないのに転ぶこと自体おかしかったんだ。だけどあの時の僕はそんなことも気付かず、転んだ彼女に苛立ち、その感情をぶつけた。言葉の暴力で彼女を傷つけたのだ。
「ヒールが外れている。気づいていたんじゃないのか?なぜ、先に言わなかった?」
「だ、旦那様にご迷惑をおかけしてしまうと…」
「この状況も十分迷惑をかけていると思うが?」
「そ、そうですよね。申し訳ございません。もう大丈夫なので旦那様は…」
「違うんだ、そういうことじゃないんだ。」
言葉は難しい。前の自分は、必要な場面以外は相手にどう受け取られるかなど気にしないで話していたから、こういうときにどう言葉をかけたらいいのか思いつかないのだ。
「…今更こんなことを言えた義理ではないと分かってはいるが……せっかく、夫婦になったのだから、僕を頼って欲しい。」
「旦那様…」
「それも」
「え?」
「その呼び方も…エルネストと呼んではもらえないだろうか?」
「エルネスト様?」
「呼び捨てが良いんだが。」
「えッ?」
「ダメか?」
困った様子のイネスだったが、頬を赤らめながら小さな声で言葉にしてくれる。
「エルネスト。」
少し恥ずかしそうに名を呼ぶ彼女を抱きしめたいという衝動にかられた。それをぐっとこらえて、冷静を装う。
「ありがとう。イネス。…とりあえず、その靴は危ないから変えてもらおう。…クロエ。」
「は、はいッ!」
部屋に控えていたクロエに声をかけて新しい靴を用意させた。
「足を出して。」
「え?」
「もう、夫婦なのだから構わないだろう?」
本来、足を見られると言うことは、女性にとって恥ずかしいことなのだ。脱がせるときもそうだったが、恥ずかしがる彼女に気を遣って、足をなるべく見ないようにして新しい靴を履かせる。もちろんヒールの部分が外れないかは確認して。
「あ、ありがとうございます。」
ふぅ。と、何だか疲れて僕はイネスの隣に座る。彼女の顔色もまだ良くないし、ちょうど良いと思った。
「え?エルネスト、戻らないのですか?」
「ああ、少し休んでから戻っても問題ないだろう。」
「私なら大丈夫です。」
「僕が休みたいんだ。」
そう言ってクロエにお茶を用意させる。その後、クロエには部屋の外で、人が来ないか見ているように頼んだ。
「靴が壊れていたことに心当たりはないのか?」
「え…」
少し良くなっていた顔色に影が差す。ここで聞くことじゃなかったかと反省するが、問題があるなら早めに解決しておきたいと思ったのだ。
「あるんだな。」
「…。…は、はい…おそらく、私の結婚をよく思わないギレム家の方かと…」
「ギレム家か…」
ギレム家は僕の婚約者の有力候補だった。おそらく、イネスと婚約していなかったら、ギレム家の長女である、ヴィクトリアが僕の婚約者になっていただろう。だけど、僕はイネスと婚約を結んだ。
“それが気に入らなかったのだろうな。”
「今まで、嫌な思いをさせてしまったな。この嫌がらせ、今日だけではないだろう?」
僕はそう声をかけ、隣を見て目を見張った。イネスの瞳から涙が零れ、頬を濡らしていたからだ。今まで彼女が泣いているところなんて見たことがなかった。彼女は主張しない従順な性格であったが、気が弱いわけではなかった。その彼女が目の前で涙を流しているのに、僕は驚いて言葉が出てこなかった。
どうしたら良いのか分からず、僕は衝動的に彼女を引き寄せ抱きしめた。すると、彼女はそれにこたえてくれるかのように僕の背中に腕を回した。心臓が跳ねドクドクと脈の音が耳に聞こえる。イネスにも聞かれているかもと思いながらも、僕は腕を解くことができずに彼女の頭をそっとなでた。
「…エルネストに嫌われていると思っていました。」
「僕が君を?」
コクンと頷いたのだろう、彼女が身じろぎする。
「イネスのことを嫌いだと思ったことはない。ただ、僕の態度が君を傷つけていたのだと反省している。すまなかった。」
イネスのすすり泣く声が耳に聞こえ、しばらくの間僕は彼女の頭を撫で続けた。
「ご、ごめんなさい。もう大丈夫です。」
そう言われて僕は彼女を放す。じっと見つめてしまったら、見ないでと手で顔を隠すイネス。目が少し赤くなって化粧も落ちてしまっていたが、そんな姿が隠すことのない本当の彼女なのだと僕は思った。
そんな風に考えたら、急に胸が苦しくなって自分を抑えられなかった。僕はイネスの手を取ると顔から離す。抵抗されたが、少し力を込めるとあっさりと彼女の手は退けられる。ソファーに押し付けるように彼女の手を強く握り締める。
泣き顔を見られたくなかったのだろう、イネスはうつ向いてしまった。その頬は朱色に染まっており、何だかそれをとても愛おしく思った。
「…嫌だったらそう言って。」
僕はその可愛らしい頬にキスをした。
イネスは抵抗しなかった。だから僕は彼女の唇にキスをする。
もう、手を放しても彼女は抵抗しなかった。僕が再び彼女を抱き寄せて今度は唇で彼女の首に触れると、彼女の声が漏れる。それがとても色っぽくて僕の鼓動を早くした。
再び唇に触れ、口を開けて舌を絡めた。彼女の温かさを感じながら愛を交わす。
だけど、しばらくするとイネスが僕の肩を押して離れてしまう。
耳まで真っ赤にしている彼女は愛らしく、僕の胸を締め付けた。
「ご、ごめんなさい。これ以上は…」
「うん…戻らないといけないからね。とりあえず、タオルで目を冷やした方がよさそうだ。化粧も直してもらわないといけないな。外で待たせているクロエに伝えて来るよ。」
口早に言って僕は部屋を出た。外で控えていたクロエにタオルや水など必要なものを伝えて、用意してもらい彼女を任せることにした。
“僕は何をやっているんだ…”
頭を抱えて1人廊下で項垂れる。心臓はまだドキドキと早鐘を打っていた。
イネスが止めなければ僕は彼女をどうしていたかと、考えるだけで恥ずかしく床に転がりたい気持ちになった。
「エルネスト様、こんなところにいらしたのですか?」
僕が心の中で葛藤しているところに、女性の声が耳に入る。声の方を見ると、先ほど話に出たヴィクトリア・ギレムがこちらに駆け寄って来るのが見えた。
清楚なイメージのイネスとは正反対の女性。彼女の着ている服はワインレッドを基調とし、銀糸で刺繍されたかなり派手なものだった。くびれや胸を強調する作りになっており、彼女をさらに妖艶に見せている。どうみても結婚パーティーに着て来るものではない。
“誰も服装について注意しなかったのか…”
「主役がいないとダメですよ。ほら、会場に戻りましょう。」
ギレム嬢は何の躊躇いもなく、僕の腕を取ると自分の腕を絡める。豊満な胸が腕に押し当てられた。僕はそれを不快に思ってスッと振りほどく。
「ギレム嬢。申し訳ないが、私はイネスを待っているんだ。彼女と一緒に戻るから、先に戻っていてくれないだろうか。」
あからさまにムッとして口をへの字に曲げる。イネスならこんな風に感情を表に出さないだろうなと考えていたら、先ほどの可愛らしい泣き顔を思い出して口元が綻びそうになった。
「メイドに任せているのでしょう?大丈夫ですよ。エルネスト様のお父様とお母様が心配していましたよ。私、呼び戻すように頼まれたのですわ。だから…」
「では、少ししたらイネスと戻るからと、伝えておいて頂けないだろうか?」
「それでは、私が叱られてしまいますわ。」
食い下がるギレム嬢に僕はどうしたものかと悩んでいると、後ろで扉の開く音がした。
振り返ると僕の妻がこちらを見ている。その顔は少しだけ驚いているようにも見えた。
「準備できたか?」
「…はい。」
可愛らしく鈴が転がるような声で返事をして頷く彼女に、手を差し出すと素直に手を取ってくれる。それがとても嬉しくて、頬が緩む。
だけど、その手が少しだけ震えているのが分かり、僕はその原因となっている人物に向けて冷たい視線を送る。
「イネスと戻りたいので、先に1人で戻ってもらえないだろうか。」
「私を蔑ろにしなくても良いじゃありませんか。会場までご一緒させてください。」
視線に気づいていないのか、神経が図太いのか分からないがギレム嬢はイネスの反対側に回ると再び僕の腕を取って腕を絡めてくる。
すると、イネスが僕の手をギュッと握ったのだ。その可愛さに笑みが溢れそうになるのを、僕は必死にこらえた。
「…申し訳ないが、ギレム嬢。その手を放してもらえないだろうか?」
「良いじゃないですか。これくらい。」
「イネスが躓いてしまった時に、支えてあげられないのが嫌なんだ。」
「フフ…あんな所で転ぶ人ですものね。私ならあんな恥をかかせませんわ。」
上目づかいで妖艶に笑うギレム嬢。絡める腕を締め付けてくる。まるで獲物を逃がそうとしないヘビのようだ。
だから僕は蛇を振り払うように、力を入れて腕を振りほどいた。その勢いでギレム嬢が尻餅をつく。
「な、何するんですの!?」
「申し訳ない。だけど私は妻を傷つける者は許せないんだ。」
「傷つける?私がですか?…あっ、先ほどの言葉を言っているなら謝りますわ。ですから…」
「僕が言っているのは靴のことだ。細工をしたな。」
「え?」
一瞬ギレム嬢がギクリとしたのが見て分かった。どうやら彼女は感情を隠すのが下手なようだ。
「貴女が仕組んだのだろう?」
「な、何のことか分かりませんわ。」
「まぁ、調べさせればすぐに分かることだ。私の家を侮らないでもらおうか。」
僕は彼女に何を言っても無駄だと感じ、そのどうしようもない女を睨み付けた。声に感情が乗ってしまったが、気にしないことにする。
目の前の女は睨まれたのが余程怖かったのだろう、目に涙をためている。そこに僕は追い打ちをかけるように、ことさら怒りを露わにして言葉を続けた。
「今後、私の妻に何かしようとすれば、私の持ちうる権力を使って潰す。分かったな。」
「ひっ…」
ビクリと体を竦めて震えあがるギレム嬢は尻餅をついたまま数歩後ずさり、慌てて起き上がると躓くのも気にせずに走って逃げてしまった。
「あ、あの言い方はあまり良くないかと…」
「あれくらい良いだろう。」
「ですが泣いていましたよ。」
「君だって泣いたじゃないか。それだけ酷い目にあったんだろう?」
「…。」
困ったような顔をしてから、しかし彼女は小さく頷いた。
「それに、これくらい言っておけば、今後ちょっかいを出すこともないだろう。それにもう僕からは何もしないよ。」
「それなら…」
「もし、それでも何かあればすぐに言ってほしい。」
「はい、ありがとうございます。エルネスト。」
彼女は微笑んで僕を見上げる。それだけで僕の心は彼女で満たされる。たまらず僕は彼女の頬に軽くキスをした。
「じゃあ、戻ろうか。父と母に挨拶しなければいけないからね。」
「はい。」
そう言って俯くのは恥かしさで染めた頬を隠すためだろう。それがまた可愛いのだ。手が伸びそうになって、僕はぐっと堪えて前を向いた。
少しして彼女も前を向く。そして僕たちは歩き出した。
今度こそは彼女を幸せにすると心に誓って
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