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二度目の結婚 前編

妻となったイネスが自殺した。


エルネストの人生は、そこから最悪な方向へと転んでいく。そして彼もまたその人生の幕をおろした。


だが死んだはずのエルネストが目を覚ますと、そこは地獄でも天国でもなかった。

何故かイネスとの結婚式の前日に戻っていたのだ。


二度目の人生を歩むことになったエルネスト。

彼は変わることが出来るのだろうか...



全2話の短編です。

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更新:2022.4.17

 


 僕には妻がいた。




 彼女は物静かで、大人びており、微笑みを絶やさない女性だった。彼女の不平不満など聞いたことがない。

  話をすることはあまりなかったが、僕のことを想ってくれる唯一の女性。




 ……だと思っていたのに、




 彼女は自殺した。




 僕は侯爵家の長男に生まれ、厳格な父の元、厳しく育てられた。一般的な教養やマナーから、社会で必要だと父が思う専門的な知識まで、ありとあらゆることを学んできた。

  本来であれば子供同士で駆け回って遊ぶような年頃に、僕は遊ぶことを許されなかった。学校に通う頃には、基礎的な知識がほぼ身に付いており、授業の無意味さに通うこともなくなっていった。


 それがいけなかったのだろうと僕は思う。周りが青春を謳歌する時期に、僕には友達と呼べる存在すらいなかった。話をしても合わないと感じて楽しいとは思えず、レベルの低さに苛立つことすらあったのだ。


 そんな頃から婚約者として彼女は僕のそばにいた。

  彼女の名前はイネス・ヴェルジー。年は僕より3つ上。だからなのか、僕が癇癪を起こしても、文句ひとつ言わないできた女性だった。

  それは結婚してからも変わらず、彼女は微笑んで見守ってくれていた。文句ひとつ言わず、社交の場では常に夫を立ててくれる素晴らしい女性だった。



 だけどある時、彼女はとんでもないことをしたことがある。



 その日は侯爵家の知人の結婚式だった。僕はどうしてもやらなければならないことがあり、遅れて会場に到着した。その日だけは、彼女の父親に彼女のエスコートを任せて。



 遅れて会場に着いた僕は唖然とした。



 イネスは真っ黒な生地に金糸の刺繍が派手なドレスを着ていたのだ。結婚式に着るようなものでは到底なかった。僕は恥ずかしさでその場に居られずに、彼女を連れて早々に帰った。


 そして、彼女を僕は罵ったのだ。理由も聞かずに。


 それから彼女は日に日に窶れていった。笑顔も消え、それがさらに僕を苛立たせた。毎日のように怒鳴る日々が続き…


 ある日、彼女は毒を飲んで死んだのだ。他殺かとも思われたが、遺書が見つかった。


  ただそこには僕を責める言葉なんて一つも書かれておらず、ひたすらに至らない妻であることを謝罪していた。




『どうか旦那様が幸せになれる結婚を…』




 そう最後に書かれていた言葉は僕の胸を突き刺した。





 それ以降、僕の侯爵令息としての地位は下がり、名誉もどん底まで落ちた。そして、最期は馬車の事故に巻き込まれて、長いとは言えない生涯を終えた……





 はずだった。





「エルネスト様!お目覚めになってください!」


 声に目を覚ますと、僕は自室のベッドに横たわっていた。


 “これは…どういうことだ?僕は死んだはずでは…?”


「エルネスト様、ご気分でも悪いのですか?」


 心配そうに覗き込むメイド長の顔は、最後に見た時よりもずいぶん若く見えた。僕に最後まで仕えていたメイド長だが、僕が覚えている彼女は僕の姿に怯え、僕の言動にビクビクとしていた。だけど、今の彼女にそんな様子は微塵も感じられなかった。

  それどころか僕に対して早く支度をしてくださいと急かしてくる。

  どうしたのかと驚いて見ていたのだが、彼女の続ける言葉に僕はさらに驚かされる。


「今日は結婚パーティーですよ。昨日のお式でお疲れなのは分かりますが、無理してでも出ていただかないといけません。」


「結婚?」


 “結婚パーティー?誰のだ?”


「そうですよ。さあさあ、主役が遅れては大変です。早く朝食を済ませて、準備致しましょう。」


「ぼ、僕の結婚パーティーだって?」


 思わず声に出てしまい、口元を押さえるが既に遅かった。メイド長は驚いた顔でこちらを見ている。


「他に誰のパーティーがあると言うのですか?…まだ寝ぼけているんですか?」


「ぼ、僕にはイネスと言う妻が…」


「はい、ですから昨日奥様になられた、イネス様との結婚パーティーですよ。…相当お疲れのようですね。お医者様をお呼びしましょうか?」


「い、いや…大丈夫だ。悪夢を見て混乱しているだけだ。」


 “時が戻ったと言うことか…?それとも、妻が死んだのは悪夢で夢から覚めた?いや、夢にしては長すぎる。”


 色々と考えてみたが、答えは出なかった。とりあえず、どういう原理か分からないが、僕は時が戻ったと言うことにした。

  あれを悪夢だというには生々しかった。


 それに……


 慌ただしい様子で、朝食を運んでくるメイドたち。僕の目の前に置かれた朝食に僕は見覚えがあった。

  ちょうど昔と同じ時だ。結婚パーティーの日。朝食に出てきた肉にかけられたソースに僕の嫌いなキノコが使われていた。どうやら、メイドが誰かの分と間違えて配膳したのだ。


(このソースは何だッ!?僕は、キノコが何よりも嫌いなんだ!!)


 “そう言って、料理を運んだメイドに投げつけて、そのメイドをクビにした。その後、確か彼女の家は没落したはずだ…。”


 僕は肉をナイフで切って口に運ぶ。やはりキノコの香りが鼻に抜けた。好きではないが食べられないこともない。

  あの時、何故あそこまで腹が立ったのか、今思うとあまりにも稚拙な行動だったと思う。今日は結婚パーティーの準備やらでメイドたちも忙しいのだ。これくらい、大目に見れないで領主など務まるはずもない。

  それに、死ぬ訳でもないのだから、キノコくらい我慢すれば良かったのだと、僕は何も言わずに食べ進めた。


 しばらくして、一人のメイドがバタバタと慌てた様子で部屋に入ってくる。


「エルネスト様っ!」


「何の騒ぎです?食事中ですよ!…エルネスト様、申し訳ございません。」


 メイド長に怒られているのは、僕がクビにしたメイド。名前は確かクロエだったか。


「何かあったのか?」


「え、ええ。…あっ!」


 恐らくはソースに気付いて走ってきたのだろう。


 クロエは僕が既にそのソースを口にしているのを見て、顔がどんどん青ざめていく。


「申し訳ございません!そ、ソースを間違えてご用意してしまい…そ、その…キノコのソースがエルネスト様の所に…」


「ああ、そのようだな。」


 クロエの告白に、周りのメイドたちが凍りついた。


「も、申し訳ございません!」


「次から気を付けろ。家の者だから良かったが、これが客なら一大事になっていたかも知れないんだ。それだけは肝に銘じておけ。いいな?」


「は、はいっ!」


 クロエは震える手を押さえながら、僕に頭を下げる。


「それだけ?」


「ど、どうしたのかしら…?」


「いつもならクビにされて…」


「しっ!お静かになさい。」


 メイドたちがざわめいている。まぁ、確かに前の自分ならクビにしていたのだから、そう言われても仕方ないと思う。


 “今までに何人のメイドをクビにしたか…。それで、何が残った?”


 自分に問いかける。



  答えは、何も残らなかった…だ。



  自分でクビにして人を減らしても、また雇えば良いと思っていた。だけど、人は集まらなくなって、質もどんどん下がっていった。質が下がればまたクビにするという悪循環が生まれ、残っていた優秀な人間も嫌になり辞めていった。


 そして、僕の周りには人がいなくなった。悪いことをしたとは思わなかったが、他にもやり方があったのではないかと今は思う。


 昔、一度だけイネスに言われたことがある。人に優しくした方が良いと。失敗は誰にでもあるのだからと。だけど、その時の僕はそれにキレて彼女を罵ったのだ。出来ない方が悪いのだと…


 何が正しいのかは、今の僕にも分からない。だけど、自分を変えるとしたら、そこなのだろうと思ったのだ。




「さぁ、支度が終わりましたよ。」


 メイド長に言われて鏡を見る。白のテールコートは眩しく、自分には合っていないように感じる。前に着た時はそんなことひとつも思わなかったのに。


「…変じゃないか?」


「とんでもございません。とてもお似合いですよ。」


 作り笑いではない笑顔で微笑むメイド長。


「そうか。…いつも、ありがとう。」


「え?」


「い、いや、何でもない。」


 僕の言葉は聞こえていたのだろう。メイド長は一瞬驚いてから笑顔を向けた。それが、とても優しいものに感じたのだった。




「エルネスト様、到着しました。」


 そう言って馬車の扉を開けたのは、執事長のバロン。整えられた白髪に白の髭。長身のスラリとした人物。彼もまた最後まで私に使えていた古株の使用人だった。


  彼は昔と何一つも変わっていなかったが、心の中ではどう思っていたのだろうか。と、ふと疑問に思う。そんな答えが出るはずもなく、僕は彼の言葉に頷いて馬車から降りた。



  そこは懐かしい場所だった。



  イネスが死んでからは一度も訪れることはなく、二度と訪れることはないと思っていた場所。


 門を潜れば、色とりどりの花が出迎えてくれる。



 "そうだ…彼女は花が好きだった。"



  そんなことを今更ながらに思い出した。結婚してすぐの頃は部屋によく花が飾られていた。だけど、僕はその匂いが臭いと言って、置くことを禁止にしたのだ。自分の好きなものを取り上げられて、彼女は悲しかったに違いない。



  そんなことを考えながら庭園を眺めていると、花の中に一際美しく咲く一輪の花を見つけた。


「イネス。」


「あら、旦那様。もう、いらしたのですか?」


(早く着いて何が悪い?何か不都合でもあるのか?)


 傲慢な自分の言葉が思い出される。だけどその時のイネスは、ただ微笑んでいた。


 “どう思っていたのだろうか…”


「旦那様?どうされましたか?」


「いや、何でもない。準備が予定より早く終わって、早くイネスの顔を見たくなったんだ。」


「まぁ。」


 イネスが驚いたように目を見開く。何となくだが頬が赤く見えるのは、気のせいではないだろう。


「昨日とはまた違うドレスなのだな。」


 以前の僕は彼女が結婚式とパーティーでウエディングドレスを変えていたことに、金の無駄だと思うことしかなかった。


「ええ。」


「なぜ、変えたのだ?」


「え?」


「同じドレスでも問題ないだろう?」


「そ、それは…」


 気まずい空気が流れる。そんなことを望んではいないのに、言葉は冷たく彼女に突き刺さってしまった。自分の情けなさにため息をつくと、イネスはビクリと身を竦めた。


「あぁ、別に責めているのではない。ただ気になったんだ。」


 僕が言葉を掛けても、イネスは言いづらそうな雰囲気のまま。でも、話そうとするつもりはある様子だったので、僕は彼女の言葉を待った。


「旦那様に…よ、喜んで頂けるかと…」


「僕に?」


「え、ええ…」


 もじもじと、恥ずかしそうに話すイネス。前ならこんな反応、気付きもしなかっただろう。


「どうして?」


「えっ?そ、その…も、申し訳ございません。余計なことでしたよねっ…」


「いや、そういう意味じゃない。」


 続けようとしてその言葉を躊躇った。こんなことを伝えて、馬鹿にされるのではないか?冷たい態度を取られるのではないか?と、悪いことばかりが頭によぎる。


  他人の言葉を馬鹿にして、冷たい態度を取る。それは、自分がしてきたことじゃないか…と気付いて自嘲する。自分がしてきたことをされたって文句は言えない。甘んじて受け入れるしかないのだ。


  そんな様子を彼女は黙って見守り、僕の言葉を待っているようだった。だから、僕は勇気を出して初めて彼女に弱い部分を見せたのだ。


「僕は…人の気持ちが分からないんだ。いや、分かろうとしなかったと言うのが正しいかもしれない。だから、イネスがどう思っているかも、僕には分からない。だ、だから…教えて欲しいんだ。イネスの気持ちを…」



 僕の言葉をイネスは真剣に受け止めてくれる。


 “彼女はそう言う人だった…。僕はそれを…”




 踏みにじったんだ…




 彼女は少しだけ困ったような表情を見せてから、でも覚悟を決めたようにこちらを見た。


「わ、私、取り柄がなくて…旦那様に喜んで頂きたくて…でも、こんな方法しか思い付かなくて…だ、だから…そ、その…」


「イネスは僕のこと…好いてくれているって意味?」


「……はい。」


 恥ずかしそうに言う彼女は、とても健気で可愛かった。


「そうか。僕は君の努力も君の優しさも…何も知らなかったのだな。」


「え?」


「いや…何でもない。」


「…。」


「ちゃんと伝えてなかったな。イネス、とても綺麗だよ。昨日もそうだが、今日のドレスもとても似合っているよ。」


 やはり驚いたように目を見開く。そして、はにかんだような笑みを見せてくれる。それは、とても可愛らしく本当の彼女らしいと感じた。


 自ら命を絶つ前の彼女からは、こんな姿すら想像出来なかったのに…






 ヒソヒソ…


 会場に来て気付いたのは、イネスを値踏みするような視線とクスクスと笑う嫌な声だった。


 この婚約は少し強引だったのだ。イネスの両親が事業拡大のためにと、願ったものだった。僕の父がその事業に興味を持ち、婚約が成立したのだ。


 正直、婚約者候補は引く手あまたいた。だからイネスは周りからよく思われていなかっただろう。


 “確かパーティーで両親に挨拶するときにイネスが転ぶんだ。こんな大事な場面で転んだことを、僕は部屋に戻ってから彼女に説教した。”


 僕はそんなことを思い出す。





 だけど…


 僕は、彼女が転ぶのを回避できなかった…




 

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