美魔女の恋 後編
更新:2021.10.28
私にも恋をした時期はあった。
初恋という名の初だった少女は、奥手で目が合っただけで嬉しくて挨拶ができた日には飛んで喜んでいた。そして、少女は生まれて初めて想い人のために刺繍をした。慣れない刺繍に、手を怪我しながらも一生懸命に縫い上げたのだ。
だけど、それを受け取ってもらえることはなかった。
それどころか男の心ない言葉で、私の心は壊されたのだ。
それからだ、誰かに愛情を求めることをしなくなったのは…
ただ刺激を求めて、身体を交えるだけ。
それをあんな無害そうな顔をしたトマに、見透かされていた。自分でも気付かないようにしていた心を、言われてしまい戸惑ってもいる。
だから、私は逃げ出したのだ。
それからも彼トマは変わらず、毎日のように声をかけてくるのだが、私は理由を付けてはその場を逃げ出した。
それの繰り返し。
それでも彼は諦めることなく、あの笑顔を向けて声をかけて来るのだ。
「明日は祭りの日だ。楽しみだな!昼過ぎには、迎えに行くからな。」
私が待つと本気で思っているのだろうか?そんなことを思いながらも、いつもと変わらないトマの笑顔に、私は心のどこかで安心しているのだった。
私はその日の昼頃、屋敷から逃げ出すために部屋を出る。当然トマを待つつもりなどない。とりあえず、学校にでも逃げれば良いかと考えていた。
茂みに隠れながら庭をこそこそと歩き、門の前へとたどり着いた。だけどあと少しというところで、何やら揉める声が聞こえてきたのだ。
「お嬢様ッ、さすがにそれは…」
「これくらいしないと気が済まないですわッ!」
何やらご令嬢とメイドが家の前で揉めているようだった。仕方なく、私は門の脇に身を隠して様子を見る。
門の前で揉めている令嬢は、この前トマにキスをした女生徒だった。彼女は家に入るつもりはないようで、誰かを待っている様子。そんな令嬢にメイドは説得を試みているが、聞く耳を持たないみたいだった。
少ししてそんな二人の前に馬車が止まる。そして降りてきた人物に、私はギクリと身を竦めてさらに小さくなって隠れた。
「と、トマ様。」
「うん?どうしたんだ?こんなところで…」
「あ、あの!わ、私、貴方のことが好きです。」
「そうなのか?」
「は、はい。だから、私とお付き合いを…」
トマは嬉しそうな笑みを令嬢に向ける。その屈託のない笑みに、令嬢は頬を染める。私の心はざわついた。
「ありがとう。」
「じゃあ…」
令嬢はパアッと表情を明るくする。それは上部だけの笑顔。心の底から喜んでいるようには見えなかった。
だけどそんな偽物の笑顔に騙されるのが男と言う生き物だと、私は知っている。だから、トマがニコリと笑ったことにも驚かなかった。だけどなぜか私の心は落ち着かないのだ。
そんなことを考えていたら、トマが口を開いた。
「ごめん。俺には婚約者がいるんだ。」
私は驚愕した。落ちると思ったのだ。
だけど、目の前の男は断ったのだ。婚約者がいるからと。
「わ、分かっています。ですから、彼女との婚約を解消して頂けないでしょうか?」
令嬢は食い下がるが、トマは首を左右に振った。
「うーん、それはできないよ。」
その答えに私は混乱する。都合良い話なのになぜ断るのか、私には理解できなかったのだ。
トマには迷った様子も見られない。すると、令嬢がしびれを切らせたように声を荒げた。
「な、なんでですか!?」
「婚約を解消する理由がない。」
「理由がない?…噂はご存じなのでしょう?もう何人も男の方を…そ、その……た、食べたと噂になっているんですよッ!」
「うーん、そうだね。」
「だ、だったら…」
「でも、それって、ルイーズだけが悪いの?」
「え?」
「君の婚約者にだって非はあると思うけどなぁ。……まぁだけど、俺の婚約者が、君に迷惑をかけたことは確かだよね。それについては、申し訳なかった。謝るよ。婚約解消以外で俺に出来ることなら何でもするから言って。」
「なっ…あ、貴方に謝られたって…わ、私は…ッ!」
令嬢は感情が高ぶって、泣きそうな顔をしている。
「そうだよな。うーん…」
「だから、私と婚約して…」
「だけど、君…別に俺のこと好きっていう訳じゃないよね?」
「…え?」
「ルイーズへの仕返しのためでしょ?」
トマは困った様子だったがその瞳は、嗜めているようにも怒っているようにも見えた。
「そんな…つもり…」
図星を指されて、令嬢は戸惑い口ごもる。目には涙をいっぱいに溜めていた。
「そんなことしても、君のためにならないんじゃないかな?」
「…そんなこと…私が一番よく分かっているわッ!でも、この怒りを抑えられないのよ!誰かにぶつけないと気が晴れないのだわ。」
「なら、私が謝ればいいのかしら?」
気付くと私は考えもなしに隠れていた門から飛び出していた。自分でも驚いている。
何だかもどかしくなったのだ。どう考えたって自分が悪いのに、謝っているトマを見て腹立たしく感じた。
今にも泣きだしそうな令嬢の目が、私を睨み付けた。
「あ、貴女…」
「ごめんなさい。貴女の大切な婚約者を取るような真似をして、許してとは言わない。気の済むまで好きにすれば良いわ。」
「ッ…!!」
パシン!と頬を叩かれるが、それは一度きりで終わった。私はゆっくり目を開く。すると、目の前の令嬢は涙を流していた。
「わ、私の婚約者も悪いと思うわ。だから、これで良いわっ!ただ許すつもりはないから!だからもう、私たちの前に現れないでっ!」
令嬢はメイドを引き連れて帰って行った。嵐が過ぎ去ったかのような感覚に、どっと疲れが押し寄せる。ため息をついて、隣でニコニコと笑っているトマを見た。
「トマは、私のこと好きじゃないんでしょ?何であんな…」
「うん?俺、お前のこと好きだぞ。」
「え?だって、好きじゃない相手にせまられても嬉しくないんでしょ?なら…」
「勘違いしてないか?俺のことを好きじゃない相手にって意味だぞ。…俺、そう言わなかったか?」
「ええっ!?」
私がこんなに驚いたのは後にも先にもこれが一番だったかもしれない。
「ねぇ…あれって…」
「え?あれが?嘘ですよね…」
「いいえ、間違いないですわ。」
「心入れ替えたって噂は、本当だったのですね。」
学生が口々に驚きを声にするが、私は気にもならない。それどころではないのだ。心臓がバクバクと鳴り止まない。隣には笑顔のトマがエスコートしてくれる。
あの一件以来、おかしいのだ。
とりあえず彼に言われた通り、私は一人を好きになる努力をしてみることにした。他に相手もいなかったし、せっかく婚約者がいるのだ。彼を好きになる努力をしようと試みた。
まずは相手を知るために、たくさん彼と話をした。嫌いだった祭りやパーティーにも出掛けた。すると、不思議なことに周りからの嘲笑など気にもならず、楽しめたのだ。
ダンスがあんなに楽しいものだとは知らなかった。
食事があんなに美味しいとは思わなかった。
彼は私に色んなことを教えてくれたのだ。彼はいつも明るく私を楽しませてくれた。今では少ないが友達と呼べる人間もいる。彼には感謝してもしきれないとすら思い始めているくらいだ。
なのに、最近の私はおかしいのだ。
前までなんともなかったのに、今は彼の顔を見れば心が踊り自然と笑みが溢れてくる。
手を握られれば頬が熱くなり、会えない夜に胸が苦しくなった。
今までこんなことなかったので私は戸惑っていた。
「ルイーズ、どうしたの?」
「な、何でもないわ。」
「そう?でも…」
そう言ってトマは私の髪に手を触れる。ただ、それだけなのに胸が苦しくなる。
触れた手で私の髪をすくってキスをするトマ。心臓が止まるかと思った。
そして、視線が合えば狼のような視線が私を射貫くのだ。それで私の心臓は再びドクドクと速くなる。
「そんなに頬を染めて…ルイーズはやっぱり可愛いな。」
そう言って私の婚約者は楽しそうに笑うのだった。
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