1 幽霊に襲われたとしても、風のようにすり抜けていく
もし今この瞬間が小説の一行目なら、どのような文章で始めるべきだろうか?
まあいずれにせよ、きっともう二行目なのだろうし、今更そんなことを考えたって遅い。
ほら、もう三行目だ。
四行目。
千行目。
うそうそ、今のは五行目(これは六行目)。
ばかな空想はやめて、ぼくは、歩道橋の階段を一気に駆け上がった(ぼくは学校から帰る途中だったのだ)。
そしたらそこには女の子がいて、それも、歩道橋の手すりの上に立っていた(危なくないのかな?)。
「え」
それから女の子は、ぼくの方を向いて、ちょっと微笑んだ。
「え」
かわいいな……と思ったのもつかの間、女の子はそこから道路に飛び降りたのだった。
「え」
……。
手すりに蝶々が止まった。
………………。
「え、え、え、えぇ~~~っ!?」
蝶々が飛んだ。
大事故の予感がしたぼくは、あわてて110番に電話をかけつつ、下の道路を覗きこんだ。
だけど正直見るのがこわかったので、ばかみたいだけど、目をぎゅーっと閉じてしまっていたので、何も見えなかった。
ぼくは徐々に目を開けていく。
やがてぼくは呆然としながら道路を見下ろしていた。
「変だなあ」
そこに女の子の姿はなく、ただ当たり前に車が走っているだけだった。
「どうされましたか!?」
と電話の向こうから、切迫した声がした。
「どうされましたか!?」
ともう一度言われてぼくは我に返る。
いや、ほんとにどうなってるんだ?
「……なんでもありません」
とぼくは言った。
「はい?」
「多分」
「ふざけてるんですか!?」
「うっ」
とぼくは電話を切った。
いたずら電話だと思われたに違いないけれど、しょうがない。
それより今のはいったい……まさか幽霊?
こわっ!
ぼくは、さっき女の子が立っていたはずの、手すりの上を調べてみることにした。
靴の跡でも見つかれば、少なくとも、彼女が幽霊ではなく、手を伸ばしてもすり抜けない、確かな実態を持った女の子だった、と言うことができるだろうから。
ところで全然関係ないことかもしれないけれど、人間が幽霊をこわがるのって、なんだか不思議なことだ。
だって、幽霊は壁をすり抜ける。
それならば、幽霊に襲われたとしても、風のようにすり抜けていくだろうから、なんともないはずじゃないか。
実際こうしてこわがっている今のぼくが、こんなことを言ったとしても、全然説得力はないのだろうけれども。
がくがくぶるぶるである。
それで、靴の跡はあるだろうか。
あった!
「やっぱりね」
それからぼくは、自分がシャーロック・ホームズにでもなったつもりになる。
わずかな痕跡から推理して、真実を見破るのだ(真実というものはいつも一つだとぼくは思う)。
ぼくはまず、筆箱から定規を出して、靴の跡に当てた。
ここから、靴のサイズを導きだすことができる。
「だいたい24センチか」
だけど、そんなことがわかってなんになるんだ?
「やっぱり探偵には向いてないのかなあ」
とためいきをついたぼくは、筆箱に定規を収める。
「別に探偵になりたいわけでもないし、まあいっか!」
その時だった。
再び靴の跡の形が、ぼくの目に止まったのである。
何かが引っかかった。
「この形、どこかで……うーん?」
と、ぼくは歩道橋の上を何度も行ったり来たりしながら考えこんだ。
さっき、あの女の子がどんな靴を履いていたかを、ちゃんと見るべきだった(結果論だが)。
突然ぼくは立ち止まる。
「そうか、わかったぞ! この靴は、この靴は……」
ゲタだった。
「……なんでゲタ?」
それでぼくはなんだかガクッと来てしまって、この薄気味悪い歩道橋を後にすることした。
なんだかよくわからなくない状況だ。
きっとぼくは疲れてるんだ。
うんきっと疲れてるんだ。
さっきのは見なかったことにしよう。
そして、明日からは、別の道を通って、帰ることにする。
それが精神衛生上、一番いい……。