薬を飲みますか?
一日目。
スーツを着た三十歳くらいの男が訪ねてくる。
「お悔やみ申し上げます。あなたの奥さんがお亡くなりになりました」
「えっ……」
それからのことは、よく思い出せない。
二日目。
妻の両親に連絡する。やはり、そういう使者が家に来たということだった。でも、どうしても理解できない、と両親は言う。苦笑するような声も聞こえる。あいつが死んだ? そんなことあるわけない。と俺も思う。
被害者救済システムについて、検索する。事件や事故の被害者の関係者を救うためのシステム。殺人事件や過失致死の場合は、その被害者の家族は、事件のことを忘れるために忘却剤を必ず内服させられる。そして、忘れさせられる。妻のことを。愛していた妻のことを。そして新たな人生を歩め、ということらしい。
上手く物事を考えられなくなっているので。アルコールを飲んで眠る。
三日目。
システムについて、何となく話は聞いていたが、自分には関係ないことだと思っていた。だから、詳しく知らなかった。まさか自分が被害者の家族になるなんて思ってもいなかったのだ。
頭を整理して、何とか自分の気持ちを確認した。妻のことを忘れることなんてできない。そして、犯人は絶対に許さない。必ず殺してやる。
スーツを着た男が訪ねてくる。今度は後ろに白衣を着た屈強な男が二人ほど控えている。
「楽になりましょう」
そう言って、俺に薬を内服するように言う。もちろん、俺は拒否する。いろいろ不都合なことがあると男が言う。そんなのは関係ない。妻のことを忘れることなんてできない、と俺は言う。
「では強制入所になります」
そう男が言うと、それまで控えていた屈強な男たちが俺を取り押さえようとする。俺は暴れ、逃げようとするが捕まってしまった。地面に押さえつけられて、腕に注射されそうになる。腕に針の痛みが走り、記憶が途切れる。
四日目。
俺は鍵のかかる部屋に入れられている。これから、毎日面接を受けるらしい。俺が自発的に忘却剤を飲むまで、ここから出ることはできない、ということだった。
鍵の開けられる音がして、医師が部屋に入って来る。後ろには、白衣を着た男が二人控えている。俺が暴れた時のためなのだろう。
「薬を飲みますか?」
「絶対に飲みません」
「なぜですか?」
「どうして、妻のことを忘れなくてはならないのですか」
「あなたのためです」
「俺は、絶対に飲みません」
五日目。
この部屋は六畳くらいだろうか。白い壁に囲まれた、何もない部屋。さすがに鉄格子はないが、トイレはむき出しになっている。天井に監視カメラがついており、常に見張られている。
「薬を飲みますか?」
「飲みません」
「なぜですか?」
「そんなことより、なぜこんなところに閉じ込められなければならないのですか」
「入所時に説明したと思いますが、あなたが自殺しないためです。あなたを守るために入院してもらっているのです」
「なぜ、愛する妻を殺された俺がこんな目にあわないといけないんですか。犯人はどうなったんです」
「薬を飲みましょう」
「俺は絶対に飲みません」
六日目。
作戦が失敗する。部屋に入ってすぐに、医師の胸ポケットからボールペンを奪い、それを医師の喉元へ突きつけ、人質にとって施設を抜け出そうと思っていた。しかし、ボールペンを奪おうと、飛び掛かった直後に後ろに控えていた男たちに取り押さえられ、俺は床に這わされて注射を打たれる。
七日目。
この部屋には、マイクとスピーカーも設置されているらしい。昨日のこともあり、医師との面接が、直接に会う方式ではなくなった。
『薬を飲みますか?』
「犯人は、どうなるのですか?」
『受刑者も、忘却剤を内服します』
「なんだって?」
『受刑者も、忘却剤を飲んで、事件のことを忘れるのです。そして、人格を矯正するプログラムを受けます。そして最後には、その矯正プログラムを受けたということも忘れてもらいます』
「意味がわからない。本当に、意味がわからない」
八日目。
壁を殴り続け、出血する。ベッドに四肢を拘束され、治療を受ける。面接は中止になった。
九日目。
『薬を飲みますか?』
「犯人は事件のことを忘れてのうのうと暮らし、被害者は家族に覚えていてもらうことすらできない。そんなことが許されていいはずがない」
『薬を飲みますか?』
「いっそ殺してくれ。妻のことを覚えているまま、死にたい」
十日目。
『薬を飲みますか?』
「……」
『薬を飲みますか?』
「ここから出られたら、必ずお前を殺してやる。それで忘却剤を飲んでやろう。必ずお前を殺す。お前だけじゃない、目についた人間を、殺せるだけ殺してやる」
『もう、殺したでしょう?』
「何だと」
『二十歳の時、何をしていましたか』
「何の関係がある」
『……』
「俺は会社を首になって、家にずっと引きこもっていた。何もしていない」
『会社名は?』
「……そんなこと、覚えていない」
『辻褄を合わせているだけなのです。その時、あなたはそもそも会社に勤めてはいませんでした』
「そんなことはない」
『あの時は、あなたはすぐに薬を飲みましたよ。今とは逆に、殺した側でしたが』
「……」
『薬を飲みますか?』