学校トイレのあの二人
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、つぶらやくん。七不思議の取材をしているのかい? 新聞部でもないのに、君もなかなか好きだねえ。
七不思議って言葉、本来は怪談を示しているわけじゃないんだ。英語で「世界の七大素晴らしい景観」というのを和訳する時、誤って「七不思議」としてしまったのが始まりだ。不思議といったらオカルト的な解釈がつきもので、「人力ではとうていできそうにない」ようなイメージが先行するようになったとか。
しかし、それとは別に日本では、昔から7という数は「割り切れない」ということで関心を集めていたらしい。同じように「割り切れない」不思議な出来事を地域ごとにまとめ始めた。それが今、この学校という特殊な環境のもとで、生まれ続けているのだよ。
さて、取材だったね。じゃあ定番の「トイレの花子さん、太郎くん」に関する話をしようか。先生が体験したバージョンのね。
当時、先生は学校のすぐそば。道路を挟んで向かい側にある家に住んでいることが、ちょっとした自慢だった。それこそ家を出て30秒もあれば校門をくぐれてしまう立地だ。こう聞くと、遅刻とは無縁じゃないかって思う人が出てくるんだがどっこい。先生は遅刻常習犯だった。
遠くから通っているのなら、間に合うラインと間に合わないラインは、おおよその見当がつく。どこで急ぐべきかが自覚できるのさ。それがなまじ、すぐに行ける場所にいたりすると、ぎりぎりまでだらけてしまってね。ついチャイムと一緒に学校へ飛び込む、なんてこともしばしばあったのさ。
そんなに近いものだから、家にいる親いわく学校の賑わいというのが、よく聞こえてくるらしい。先生自身も家に帰ってから、まだ校舎に残っている生徒たちの話し声が届くことも多かったよ。
ただちょうど夏にさしかかる時期。静かな夜の学校から人の話し声が聞こえ始めたんだ。
先生の部屋は二階。わずかに外側へ張り出していて、家の中では最も学校に近づいた部分だといえる。そこで眠る先生の耳に入るのは、男女の話し声らしきものだった。
しきりにしゃべっているらしいが、ひそひそ話にしては声が大きすぎる。先生の部屋からでははっきりとした意味までは汲み取れなかったが、ここまで漏れるほどの音量で話す理由はなんだ?
当時からすでに、夜遅くまで残る教員の方々の姿はよく見受けられた。こちらに聞こえるものが、校舎内に届かないはずはないと思うのだが。
その頃から、とある怪談話が先生たちの間でまことしやかにささやかれ始めた。「トイレの花子さんと太郎くんが、夜の学校でおしゃべりをしている。その現場を見てしまうと、二度とこの世に戻って来られなくなってしまう」というものだ。
花子さん、太郎くんについては、今さら詳しく話すまでもないだろう。トイレに住まうお化けとして有名な彼らの存在を、みんなは強く信じていた。
実際に声を聞いている先生としては前半に関しては興味があるが、後半に関しては懐疑的。この世に戻ってこられないなら、この事実を持ち帰ることができる者など、いないはずだからだ。ならいっちょ、自分が帰還者になって目立ってやろうか思っちゃったんだよねえ。
おしゃべりは三日に一度ほどのペースでやってくることは、すでに把握済み。前回、聞こえてきたのは午後11時から一時間ほどの間だった。
最後に聞こえてから三日後の夜10時45分。先生は足音を忍ばせて家を出ると、靴下のまま道路を渡り、閉じられた正門を身軽に乗り越える。そしてまだ開いているお客様用の玄関から、校舎の中へ潜り込んだんだ。
職員室からは明かりが漏れている。これもすでに先生にとっては想定していたこと。近寄らずにそのまま手近な階段を上がっていった。
一応、懐中電灯は持ってきたものの使うことはせず、暗さに目を慣らしながら慎重に歩を進める。明かりをつけるということは、自分が視界を確保するより、相手に存在を知らせることの方が多い。感づかれる材料は、減らしておくに越したことはないだろう。
先生は腕時計を見る。かろうじて見える針は、いよいよ11時5分前を示していた。目指すのは二階の男子トイレ前。先生の寝ている部屋と直線状にあるのが、この空間だったんだ。
あのうわさも、まんざら作り話というわけではないのかもしれない。先生は喉から心臓が飛び出てしまいそうなくらい緊張しながら、秒針が進んでいく様をじっくり見つめていた。
やがて時計が11時を指すと、トイレの中から廊下まではっきり響いてくる声がした。
「帰った?」
「うん、帰った帰った」
最初に尋ねたのは女の子。答えたのは男の子の声。どちらもまだ声変わりしていない、幼さを感じさせるものだ。
「じゃあ、遊びましょ?」
「あーそびましょ」
ほどなく二人の声は、「アルプス一万尺」を歌い出す。手を打ち鳴らす音は聞こえてこない。二人はそのまま一番の歌詞だけを三度繰り返すと、今度は「一週間」の歌う声が響き始める。
暗い校舎の中、ひたすら民謡が歌われる空気にさらされること。これが案外、先生の心にこたえた。これが世間話だったならまだ気が楽だったろう。どうしても人間臭さが言葉の端々ににじむから、それを安心のよりどころにできる。
だが歌、それも誰もが聞くであろう民謡の歌詞からは、人物像を察する材料があまりに少ない。中の二人の声はいささかもよどむことなく、淡々と謡っていく。いずれも先生のよく知るものばかりを。
もう聞き始めて15分が経とうとしていた。前回が12時まで続いていたとはいえ、今度もそうとは限らない。先生は思い切って、男子トイレの中へ潜り込むことにしたんだ。
入り慣れた狭い空間に足を踏み入れるや、入り口わきの蛇口から音を立てて水滴が落ちる。びびってたたらを踏みそうになる足、声を漏らしそうになる口を、必死に押さえつけた。蛇口の先には、非常にゆっくりと水が溜まっていき、やがて大きくなる自分の重さをこらえられず、落下する。その繰り返しだった。
下手に止めて、中の存在に察せられても困ると、先生は放置。歌の出どころへと迫る。
歌は「とおりゃんせ」を終わり、「かごめかごめ」へ移ったところだ。歌詞の内容を先取りし、つい背後を確認しながらトイレの奥へ。どうやら歌は一番窓際の、四番目の個室から聞こえてくるようだ。
間近まで迫っても、中の誰かは歌を止める様子はない。先生はトイレの入り口から迫ってくる者がないのを確認し、「かごめかごめ」が歌い終わる前に、力いっぱい戸を開いた。
カツン、と固いものと戸がぶつかる音。先生の目の前で糸に釣られた何かが、大きくトイレの奥へ揺れ、振り戻しで先生の顔面へ一直線に向かってくる。かろうじてかわした先生は、それが小型のウォークマンだったことを確認した。
男女の声、入り混じる吊るされたウォークマン。テープの中の彼らは戸にぶつかられながらも、民謡を歌い続ける。「かごめかごめ」が終わり、次は「花いちもんめ」だ。
ふうう、と息を漏らす先生。「やっぱりいたずらだったか」と、先ほどまでの高揚が一転、安堵感の氷に冷やされていく。花子さんも太郎くんもいなかったんだ。頭の中はもう怖さより、この事実をどう伝えてやろうかという、いたずら心の方が勝っている。
ただ話したとしても、とうてい信じてもらえないような内容だ。ならば、このウォークマンを持ち帰り、実際に見せた方がいいかも。いや、下手にいじらずに、度胸のある奴だけ夜の学校に呼び出して、真相を明らかにしてやるか……。
ぴちょん。
先生の耳にまた水音がした。今度はもうさほど震えず音源を見ることができたが、出どころはその吊るされたウォークマンからだ。
録音されているものとは別。ウォークマン本体の下部から一滴、また一滴と、水が洋式便座の中へ垂れ落ちていく。しかも、そのペースはゆったりしたものから、だんだんと速さを増していった。
精密機器がこれほどに水を垂らしながら、無事に動くとは思えない。いよいよ水滴の落下から途切れが消え、先生の背筋に再び冷たいものが湧きだした瞬間。
「ごぼぼ」と水を受け入れていた便器がうなると、その中から太い管のようなものが飛び出したんだ。吊り下げられたウォークマンをまるごとくわえこむと、あっという間に元いた便座の中へ戻っていってしまう。存在していた証拠はもはや、周囲に飛び散るしぶきの湿りのみ。
先生はしばし腰を抜かしていたけど、「かっかっかっ」と早足で廊下を進んでくる足音に肝を冷やす。教員の巡回にしては、立ち止まる様子がまるで見られず、まっすぐこのトイレへ向かってくる。
入り口から逃げよう、などとは思わなかったよ。とっさに先生はすぐそばの窓から身体をくぐらせると、二階から地面へダイブしたんだ。上手いこと足から行ったものの、真っ先についた右足首に鈍い痛み。
でも、ひるんではいられなかった。あの早足の主は、もうトイレのタイルを踏み始める音がしたから。最後の力を振り絞り、先生は窓からは見えない校舎の曲がり角へ身を隠す。少ししてから目だけでのぞくと、先生が落ちたあたりの地面を執拗に照らす、懐中電灯の光が見えたんだ。
命からがら逃げ帰った先生は翌日、件のトイレが使用禁止になっているのを確認したよ。
花子さん、太郎くんの噂はそれからも長く続いたけど、先生はツッコミを入れる気になれなかった。
あれから長い年月が経ち、再び戻ってきた時には当時を知る人はもういなくなっていて、あの晩の真相は今も分からずじまいなのさ。




