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私鉄電車


 例の半田老人が、話したいことがあると大田の来訪を求めたのは、ある夏の盛りのことである。

 半田老人とは大阪府警のOBで、退職後は猫坂に引っ込み、俗世を離れて静かに生活している。大田は再び人車の客となり、ガタゴトと揺られることになった。

 半田老人の家は、猫坂温泉街のはずれの小さな借家であるが、元々は似たような風流人の別宅であったらしく、屋根は低く小さく、狭くとも、みじめったらしいものではない。小さな庭もあり、公道との間には、背の低い植え込みが作られている。

 山間の猫坂の夏は日差しが真上から照り付け、ひどく暑いが、ここは木々が縁側に影を落とし、戸を開け放つと谷川を渡る風が吹き込んで、具合がよいのである。

 小さな土産の菓子包みを持って現れた大田をさっそく迎え、半田老人は部屋にあげた。

 半田老人も元は刑事なのだが、色白の顔は小ぶりで、いかにも警察官じみたところはなく、特にこのような着物姿でいると、まるで品のいい商家の隠居という感じである。

 目の前に出された茶で、大田は早速のどを湿らせ、

「それで半田さん、ワシを呼び出して、いったい何のお話なのです?」

「いやいや、こんな暑い日に、わざわざ遠くまですみませんでした。年を取ると、出かけるのがおっくうになって…。まったく年寄りのわがまま、というしかありませんな」

「こちらこそ、半田さんのお呼びとあれば、課長も不承知にはできません。しぶしぶ休みをくれました。ワシは明日帰ればいいのです」

「おや、せっかくのお休みですな。それは申し訳ない」

「いいんですよ。半田さんには、幾度もお世話になっております…。それで、どういうお話なのです?」

 そう大田が水を向けると、ついに半田老人は話し始めた。

「もう今から15年も前のことですが、大阪のあるデパートで、『世界秘宝大公開』という大げさな名のもよおしが行われたのをご存じありませんかな?」

 だが大田には記憶がなく、そうですかと半田老人は説明をつづけた。

 昔からデパートでは、定期的に大きな催しを開き、客を呼び集めていたのである。

 展示するのは、美術品や工芸品というのがまあ普通で、中には世界中の毒蛇や毒キノコばかりを集めた物騒なのや、歴史上の偉人、有名人の遺髪や遺骨を集めたという真贋しんがんの疑わしいもの、子供向けに、有名な漫画家の原画を集めたものなどと、いくつも種類があった。

「その中であるとき、Pデパートというのですが、『世界秘宝大公開』をやったのです。その最大の目玉はなんと、ノストラダムスのトランプというものでした」

「ノストラダムスって誰です?」

「ノストラダムスというのは、16世紀の予言者です。戦争だの災害だの、『未来には、きっとこのようなことが起こるぞよ』などと予言する人物でした」

「その予言は的中したのですか?」

 目を丸くする大田に、半田老人はニヤリと笑い、

「まあ、当たったり当たらなかったり、というところでしょうか。予言といっても、あいまいな詩のようなもので、後世の人々が勝手に解釈して、『的中している』と言っているだけだという意見もありますな…。しかし今は、その予言は問題ではないのです」

「そのノストラダムスのトランプと言われましたな。ババ抜きや、七並べをするあのトランプのことなので?」

「これも当てになる話じゃありません。『これこそが、かのノストラダムスの使ったトランプである』とは、企画をデパートに持ち込んだプロモーターの言い草にすぎません。しかしPデパートにとっては、真贋などどうでもよいことでした。催しの呼び物になり、客さえ集めてくれれば良かったのです」

「そのトランプって、どういうものでした?」

「トランプというのは普通、紙で作られるのでしょうが、ノストラダムスのトランプとは、なんと純金製だったのですよ。金を叩いて、薄く伸ばしましてね。その表面に、数字だの絵だのが刻んであるわけでした」

「…」

「しかも大田さん、トランプとは通常、53枚で一組でしょうが、『16世紀以来の長い年月の間に失われた…』という触れ込みで、展示されたのはたった1枚きりだったのです。しかもジョーカーのカードで、これだけでも大阪中の人がデパートに押しかけたのだから、金儲けの世界というのはよく分かりません」

「他にも展示品はいろいろあったのでしょう?」

「よく覚えてはいませんが、『コロンブスのかじったゆで卵の殻』だとか、『ナポレオンが用いた地図のきれっぱし』だとか、信用性はずいぶん低かったと思いますよ。しかしノストラダムスのトランプ、これにはいいところが一つだけありました」

「純金製だというところですね」

「それは嘘ではなかったようです。どこかの鑑定家に見せはしたようで、『これは正真正銘の純金である』という鑑定書まで並べて展示していましたからね」

「まさか、そのトランプが盗まれたんですか?」

 今度は、半田老人が目を丸くする番だった。

「おや、よくお分かりで…。催しが始まって、11日目のことでした。催しは2週間の予定だったのですが、その日は平日ということで、混雑も日曜日ほどではなかったのです。もちろん警察官が警備しているわけではなく、いるのは警備会社の人たちばかり。そこへ突然、ボンと大きな爆発音が響いたではありませんか…。ねえ大田さん、警察官ならともかく、一般の市民にとって、爆発音とは耳慣れないものです」

「そうでしょうね」

「それは客やデパートの社員ばかりでなく、警備員たちも同じだったのですよ。犯人が持ち込んだ小型爆弾だったのですが、大きな音と、目を焼くような閃光。そして大量の白煙が突然、会場を包んだわけですから、何がなんやら分かりません。驚きが大きすぎて、体が動かなくなるのも当然でした」

「賊は一人でしたか?」

 半田老人はうなずいた。

「岩倉という男です。岩倉肇。30代半ば。少し前まではある会社で働いていましたが、そこが倒産し、事件の時には無職でした」

「ほほう」

「爆発の一瞬後、人々は我先にと会場から逃げ出し始めます。ポケットの中に、岩倉は小さなハンマーを忍ばせており、それで展示品のガラスをガチャン。後はトランプをひっつかんで、一散に駆け出すだけです」

「警備員は追跡しなかったので?」

「今も申した通り、大きな爆発音と突然の出来事に、あっけにとられている間のことでした。一方、事前に何回も下見をしたに違いありません。岩倉は迷わず非常階段へと通じるドアを開け、あっという間に姿を消したのでした」

「乱暴で単純な犯行ですな」

「ここまでは岩倉にがあったのです。トランプをポケットに非常階段を駆け下り、表通りへと走り出ました…。だけど結局、1時間もしないうちにつかまってしまったのです」

「どうしてです?」

「警備員の中に、機転の利く者がいました。催し会場は5階でしたが、すぐさま1階へと館内電話をかけました。そして岩倉の人相、服装を伝えたのです。だから岩倉が表通りに駆け出た時には、追跡者がいたのです」

「警備員の一人ですね」

「その警備員は足に自信があったようで、白昼の通りで岩倉を追ってゆきました。ご存知でしょうかね? Pデパートのすぐ隣には駅があります。そこで岩倉は、ちょうど発車まぎわだった電車にうまく飛び乗ることができたのです」

「電車に飛び乗るって、切符はどうしたんです?」

「用意周到な奴で、始めから購入してポケットの中にありました。逃走経路も考えてあったわけですね」

「Pデパートのそばの駅といえば、『待たずに乗れる』がモットーの、あの便の多い電車ですな…。なかなか頭がよろしい」

「でもね大田さん、追っていく警備員は、もっと頭が良かったのですよ。電車に乗り込まれ、目の前でドアが閉まって、いったんは岩倉を取り逃がしたわけですが、実は事件発生と同時に、警察へは通報がされておりまして、パトカーが何台も現場へ急行しつつあったのです。かくいう私もその車内にいたのですが、警備員は駅前でそのパトカーを止め、警察官たちに事情を説明したのです。今しも電車は駅を発車し、テールライトを見せて遠ざかってゆくところでしたが」

「ほう…」

 いかにも興味ありげに大田がひざを乗り出すので、半田老人は満足そうである。

「駅には鉄道電話がありました。警察官が駅員に命じて、隣の駅へと連絡し、大急ぎで信号機を赤に変えさせるのも不可能ではなかったのです。今のような民主主義の時代ではなく、とにかくも戦前の事件ですから」

「ははあ」

 大田は、現場の地図を思い浮かべようとした。

 Pデパートの最寄り駅は路線の終点だから、そこから伸びる線路は南へ向かうしかない。『商都電鉄』という私鉄である。

 そして次の駅はM駅。M駅の手前で、線路は大きな河川を鉄橋でもって渡る格好になる。

 大田は不思議そうな顔をした。

「しかし半田さん。いくら戦前、いくら緊急事態とはいえ、よくも信号機を赤に切り替えて、電車を止めるなんて芸当が許されましたね。鉄道会社って、『ダイヤ通りに電車を走らせる』ことに執着しそうなもんですが…」

「そこにはカラクリがあるのです。あなた、電車が走る私鉄には2種類あることをご存知ですかな?」

「電車に種類があるんですか?」

「電車ではなく、鉄道会社にです。鉄道会社とは、『地方鉄道法』に基づいて建設、運営されています。警察が警察法に基づいて活動するのと同じようなことですな。しかし、すべての私鉄が『地方鉄道法』なわけではありません。一部の私鉄は、チンチン電車などと同じ『軌道法』でもって運営されているのです」

「どう違うのです?」

 半田老人は少し首を振った。

「大きな違いはありません。『地方鉄道法』は国の所管、『軌道法』は国と県の共同所管という程度でしょうか。しかし商都電鉄は『軌道法』による会社、つまり一般的な意味での私鉄というよりも、むしろチンチン電車に近い存在だったのです…。私見ですが、それが理由で、定刻運転にはあまりこだわらなかったのではないか、とも思います。もちろん、戦前における警察の権威の大きさも忘れることはできませんが」

「ははあ」

 殊勝しゅしょうな顔で聞いているが、少年時代には大田も、警察の権威の大きさは見聞きしていたのである。その権威をわが身につけたいと願い、警察官への道を歩んだのであるが、この場では大田も賢く口を閉じ、別の話題を振ることにした。

「半田さん、M駅に命じて、急いで信号機を赤に変えさせたということですが、すると岩倉を乗せた電車って、M駅手前の長い鉄橋の真上で停車する格好になったのではありませんか?」

「よくお分かりですね。その通りなのです。長い鉄橋のど真ん中、電車は停車して動かない。車掌はドアを開けない。ということで、さすがの岩倉も逃げ場を失ってしまいました。M駅からはすぐに駅員が走り、運転手に事情を伝えたので、警察が来るまで、電車は鉄橋上から本当に一歩も動かなかったのです」

「すると岩倉は、袋のネズミではありませんか? すぐに逮捕できたのでしょう?」

「私たちもすぐにM駅へと向かい、二手に分かれて、前後から電車に近寄りました。ええ、すぐに岩倉の身柄を確保することができましたよ」

「確保? 緊急逮捕ではなく?」

 大田の疑問ももっともではあるが、半田老人はため息をついたのである。

 半田たちが駆け付け、電車に乗り込むまで、岩倉は逃走することができなかった。窓を開け、河に飛び込むことも不可能ではないが、季節は冬であり、しかも岩倉は水泳ができなかったのである。

 当時、車内はすいており、警察が岩倉を確保するのに困難はなかった。しかし逮捕はできなかったのである。

 まず第1に、

「Pデパートにおける盗難事件のことなど、自分は全く知らない」

 と岩倉本人が訴えた。もちろん身体検査がされたが、ノストラダムスのトランプなど、どこを探しても出てこない。

「では表通りから駅まで、なぜ全力疾走をしたのか?」

 と問われても、

「電車に乗り遅れそうだったから」

 と岩倉は答える。

 そう言われると警察も弱いのである。

 Pデパートの5階から1階まで、強奪犯は非常階段を駆け下りた。館内電話で連絡を受け、1階の警備員が追跡を開始したのは、岩倉が表通りに出てからである。だから当然、この警備員は、5階における強奪犯の顔を見ているわけではない。

「館内電話で伝え聞いた真犯人の特徴とたまたま似ていた俺を、警備員は間違って追跡したのだ」

 と岩倉は主張した。

 Pデパートの玄関口から、電車に飛び乗るまでの間、岩倉は誰とも接触しておらず、共犯者にトランプを手渡したはずもないことは、追跡した当の警備員も認めているのである。

 ならば、岩倉は電車の車内にトランプを隠したのだろうか。

 岩倉が乗車したのは、商都電鉄の始発駅であり、平日の日中であるから、乗客数はごく少なかった。

 しかも駅出入口の関係で、2両編成のその電車のうち、乗客は後ろの車両にばかり集中していた。前の車両には誰も乗っておらず、車内は岩倉が一人きりだったのである。そのことは、乗客たちと車掌が証言している。

「岩倉の身柄を確保した後、もちろん私たちは、電車の車内をくまなく捜索しました。乗客を全員おろし、車庫へと回送させて、本当にくまなく調べたのです。でもトランプは見つかりませんでした」

 と半田老人は語ったのである。

 大田は、指で頭をポリポリとかいた。

「隠し場所について、もちろん岩倉は自供しませんよね?」

「しませんとも。自分は犯人ではないと言っているのですから。先ほども申した通り、他の乗客はみな後ろの車両におり、前の車両には岩倉一人でした。だから岩倉が車内のどこかにトランプを隠したとしても、それを見ていた目撃者は存在しないのです…」

 そのまま半田老人の家に一泊し、翌日になって帰阪したが、その車中でも、大田は小難しい顔で考え込んでいた。カバンの中には、渡された捜査資料の一式が入っている。

 逮捕も起訴もされず、岩倉はすぐに釈放された。新聞やラジオがいろいろと騒いだものの、ノストラダムスのトランプ盗難事件は、そのまま迷宮入りとなったのである。今から15年も前の事件だから、すでに時効も迎えている。

 半田老人はこう語った。

「ところが大田さん、私は気になって仕方がないのですよ」

「なんです?」

「捜査責任者として、私は全力をつくしました。岩倉の身辺を洗い、特に電車の車内捜索は完ぺきを期したのです。それでもトランプは出てこない」

「そういう美術品…になるんですかね? もしも岩倉が真犯人ではないとしても、美術品市場にそのトランプは持ち込まれなかったのですか? そんなに有名な品なら、盗品と分かっていても大金を支払い、わがコレクションに加えようという好事家もいるでしょうに」

 半田老人は首を振った。

「そういう話は一切ありませんでした。この事件は、私の刑事生活の最大の汚点かもしれません。今でもよく思い出して、どこが悪かったのだろうと考えることがあります」

「…」

 そしてつい最近、半田老人は気が付いたのである。

 電車車内の捜索は、本人も言う通りの徹底したものだった。すべてのつり革を分解し、座席を裏返し、ドアを外し、天井の室内灯の内部まで調べた。

 電車の床には、モーターに給油し、整備をするための点検口があるが、それまですべて開いたのである。

 それだけではない。尾籠びろうな話ではあるけれど、戦前の車両には、しばしば『たんツボ』が作りつけてあり、床の上に数メートルおきに並んでいた。もちろんその中までも調べたのである。

 それでもトランプは発見されなかった。

 そのまま年月が過ぎ、半田は退職して、老妻とともに猫坂に引退した。

 ところが、ここへ来て突然に気が付いたことがある。

「おや、電車の車内で、あそこだけは調べ落としていたぞ…」



 15年前に半田老人が調べ落とした場所。そこを調べることを、大田は依頼されたのである。

「しかし、事件から15年も経過しているからなあ…」

 年月だけでなく、その間には戦争まで、はさんでいるのである。

 半田老人の手前、引き受けはしたものの、大田もあまり乗り気はしなかった。最大の理由は、15年前の当の電車が現在、どこでどうしているのか。そこから調べなくてはならないということだ。

 2両の電車の番号だけは、渡された捜査資料から知ることができた。

「デハ51と、クハ68ねえ…」

 電車の記号など、もちろん大田には何の意味もない。サッパリ理解できない。

「こんなことは畑違いだし、面倒な調査にならねば良いが…」

 こういう時に助けを求める相手は、始めから決まっていた。鉄道趣味用品の専門店を経営している大場栄一である。

 さっそく訪ねてゆくと期待にそむかず、栄一は必要な情報を与えてくれた。

「デハだの、クハだのというのは、電車の機能を表す記号ですが、今回の場合、意味を知っておく必要はないでしょう」

 と栄一は言った。

「そうかい?」

「ええ、どちらも自動車のナンバープレートみたいなものですよ。一台一台の電車にみな違うナンバーがつけてある、という理解で十分だと思います。ですけどね…」

 と栄一は顔を曇らせた。

 面倒なことになりそうだ…、という大田の予感は的中したようである。デハ51も、クハ68も、もはや商都電鉄には在籍していないというのである。

 天井にも届く高さの本棚から、売り物の一冊を取り出し、ページを広げて、栄一は見せてくれた。

 それは、商都電鉄の電車リストであった。なるほど、そこにデハ51と、クハ68はもう存在しなかった。

 鉄道会社とは、毎年のように何両かの新車を購入するのが普通である。新車が購入されれば、古い電車は不必要になり、順番にスクラップにされてゆく。

「デハ51も、クハ68も、相当に古い型の電車ですから」

「もうスクラップにされたというのかい?」

 何を思いついたのか、栄一は同じ棚からもう一冊を取り出してページを開き、

「確かこのあたりに載っていたと思うんですがね…、ほらありました。大田さん、どうやらあなたは、H県へ出張しなくてはならないようですよ」

「どうしてだい?」

 そもそも、自動車や電化製品と同じように、電車にも中古品があるということを、大田はまったく知らなかった。



 その日はちょっとした用があり、大田は大阪府庁舎まで足を延ばしていた。

 用事はすぐに済んだが、昼過ぎでもあったので、食事をして帰ることにした。

 県庁や市役所などの大きなオフィスのそばには、よくそこの職員たちを当て込んだ食堂街が形作られるものだが、大田もそんな店の一つに入ったのである。

 店内はすいており、すぐにテーブルに着くことができたが、ホッとしてグラスの水に手を伸ばす間もなく、

「おや大田の旦那、変なところで会いますね」

 と声が聞こえた。

 顔を上げると一人の男がいて、なにやら嬉しそうに笑っているのだ。

 背はあまり高くなく、しかもやせていて、一応は背広を着込んでいるものの、どうにも油断のならない感じがする。こすっからい野良猫のような顔をした人物なのである。

「やあ、あんたかい」

 大田はこの男を知っていた。清水沢という名のブンヤ、つまり某新聞社の事件記者なのだ。

 清水沢もここで食事をしていたらしい。何も言わずコーヒーカップだけを持ち、大田のテーブルへと移動してきた。

「相席は同意してないぜ」

 と大田は言ったが、気にする様子もない。

「府庁舎へ何か御用ですかい?」

「大したことじゃないさ。ただの書類仕事だよ。もう済んだ」

 それは事実だったのである。大田の声の響きに『嘘のなさ』を感じ取ったのか、清水沢もそれ以上は尋ねなかった。しかし全く別の話題を振ってきたのである。

「ねえ旦那、隠すなんて水臭いですよ。何年の付き合いだと思ってるんです?」

「何がだい?」

 ここでウエイトレスが大田の料理を運んできたので会話は中断したが、清水沢もすぐにあきらめる男ではない。

「俺も聞いてますよ。なんだかすごいヤマなんでしょう? ここのところ、旦那がたった一人で専従になって予備捜査をしてるってのは、府警近辺のもっぱらの噂ですぜ。秘密漏洩を警戒して、部下を一人も使ってないというじゃないですか」

 ここで大田は、やっと意味を悟ったのである。

「なんでえ、しまらない。そんなヤマじゃないよ。もうとっくに時効になったやつだから、正式の捜査ができないだけさ」

「…」

「あんたらも知ってるように、ワシは部長にも課長にも信用がなくて、員数外の余りものだからな…。犯人が分かっていても逮捕できない、時効すぎのケースの後始末を命じられただけだよ。なぜかこのところ事件が少なくて、うちの課は暇だからな」

「それって、どんな事件なんです?」

 しばしば批判的な記事を書かれはしても、警察と新聞は持ちつ持たれつ。時には新聞に花を持たせてやる必要があることは大田も理解していた。

「ああ、いいよ。失敗談でよければ、話してやるさ。紙面の埋め草にでもすればいいが、誰がしゃべったかの情報源は秘密にしてくれよな」

「いいですよ。その話、乗りましょう」

 という景気の良い返事とともに、ちょうど食べ終えもしたので、テーブルの上で食器を押しやり、大田は話し始めた。食後のコーヒーは、清水沢が代わりに注文してくれた。

 そうやって大田が語ったのが、もちろんあのノストラダムスのトランプの件なのである。半田老人の名は伏せたが、それ以外のことは、ほぼ包み隠さず。

「なあ清水沢君、あんた自動車だけじゃなくて、電車にも中古車があることを知ってたかい? ワシは知らなかったね。商都電鉄のクハ68は、事件後に売却されて、他の私鉄へ移っていったのだよ」

「どこの私鉄なんです?」

「H県のY電鉄というところさ」

「だから旦那は、H県まで出かけたと?」

「よく分かるじゃないか。しかし無駄足だった。クハ68はまだ走っていたが、隠されているトランプなんてカケラもなかったよ」

「ねえ旦那、それっていったい…、つまり『旦那にこの再調査を依頼した匿名のお人』としておきますが、そのお人は15年前、電車の車内のどこを調べ忘れたと言ってるんです?」

「お守りふだの金具さ」

「なんですって?」

 清水沢が意外そうな顔をするのも無理はない。半田老人の口から聞かされるまでは、大田自身も全く知らなかったのである。

 私鉄の電車には、しばしばお守り札が取り付けられている。もちろん無事故や安全運行を願ってのことだが、地域の有名な神社に初穂料はつほりょうを収め、いただいてくるのである。

 当然ながら国鉄では、そんなことはしない。『政教分離』の原則に反する行為で、憲法問題にまで発展してしまうからだ。

 電車を製造するメーカーの側も、そういう事情は理解していて、国鉄車両には決して装備されないが、私鉄車両については、客室内の一角、少し高い位置にお守り札のための金具を取り付けるのは珍しくないのである。

「けど旦那、そのお守り札とトランプと、どう関係があるんです?」

 と清水沢はまだよく分からない顔をしている。

「ワシに調査の依頼をした人は、15年前のあの日、車内でそのお守り札だけは調べ忘れたと言っているのだよ」

「調べ忘れた? 車内でも決して目立たないわけじゃないでしょうに」

「いやいや、お守り札とは紙製の薄っぺらいものだが、それを入れる金具も同じように薄っぺらい。その人はもちろんお守り札を引き抜いて、金具を調べたさ。だけど、お守り札の内部まではあらためなかったんだ」

「へ?」

「お守り札を開いて、その内部に隠すなんて、そんな不敬な奴はおるまいと、無意識に思い込んでいたのかもしれない、とはご本人の弁だがね」

「だけど旦那は、わざわざH県まで調べに行っても成果はなかったのでしょう? それじゃあ記事になりませんや」

「事件に関わった電車は2両あったのさ。1両はクハ68。もう1両はデハ51といってね」

「そのもう1両も、どこか別の鉄道会社に売却されてたので?」

 猟犬のように食らいついてくる清水沢の顔つきに、ふとおかしくなり、大田は笑いながら、

「そのデハ51の行き先を調べるのに、どれだけ骨折ったことか。コーヒー一杯ぐらいじゃ教えたくないほどだぜ」

「ねえ旦那、そんな意地悪言わずに…。ブンヤをいじめても、面白くはありませんぜ」

「クハ68もそうだったが、デハ51についても外部の助けを借りたよ。こういう電車の歴史に詳しい専門家がいてね。だけどクハ68の時とは違って、商都電鉄をお払い箱になった後の行き先が鉄道会社でない場合には、追跡が困難でね」

 本当にそうなのである。中古電車が、ある鉄道会社から別の鉄道会社へと売却されたのであれば、運輸省の届け出書類を見ればすぐに分かる。なぜなら受け取った鉄道会社が新たに登録をし、この登録が済んで初めて、この車両は乗客を乗せて営業運転ができるようになるからだ。

 しかし、売却先が鉄道会社ではない場合には…。

 話はもっと面倒になる。受け取った会社は、電車を登録などしないからである。

「電車を登録しないって、じゃあその会社は、そもそも何のために中古電車を購入するんです?」

「電車を購入する目的は、なにも鉄道業だけじゃないさ。車輪を取り外せば、電車ってデカい箱だろ? 地面に置いて、そのまま倉庫に用いたりするんだよ。海に沈めて、漁礁ぎょしょうにすることもある」

「へえ…」

「そういったケースが、これまた少なくないから困るんだ。だけどワシが頼んだ専門家は、古い鉄道趣味雑誌を何十冊と調べて、やっと突き止めてくれた。車輪を外されて地面に置かれたデハ51の姿を目撃した人がいたんだな。その人が短い記事を書いていた。なんとまあデハ51は、ある海水浴場で更衣室として使われていたんだよ」

「どこの海水浴場です?」

「これもH県だった。クハ68とは全く離れた別の場所だけどな…。『哀れ2両の電車は、廃車後は離れ離れに…、ヨヨヨ』というわけさ」

 思いがけない大田の芝居っけに、清水沢は驚くような、あきれるような顔をしたが、やがて言った。

「それで旦那は、もちろんその海水浴場へもお出かけになったんでしょうな」

「そりゃあ行ったさ。駅から遠い場所だったから、雨の中、傘をさしてね…。ところが、この雨が逆に幸いした。この暑い季節に海水浴場だろう? 本当なら人だらけのはずが、砂浜には誰もいなかった。人のいない海水浴場ってのも、うら寂しいもんだな」

「…」

 デハ51は砂浜の少しわき、小さな松林に寄り添うように置かれていた。潮風で腐食しないよう、ペンキが厚ぼったく塗られ、8割がたの窓に木の板が打ち付けてあるような姿だったが、間違いなく電車なのである。

 ここまで聞いてきて、清水沢はゴクンとつばを飲み込んだ。

「それで旦那、例の物は見つかりましたので?」

「デハ51、つまり電車の内部は、見かけほどには荒れ果てていなかったよ。内壁を見上げて、すぐにお守り札の金具を見つけることができた。そこらへんに落ちていた木箱を足がかりに、ワシは手を伸ばし…」

 デハ51が商都電鉄からお払い箱になったのは、おそらくトランプ事件からさほど日がたっていない時期だったのだろう。大田もあまり期待してはいなかったが、お守り札はまだそこにあったのである。

 神社からお守り札をいただいてきても、あまり信心のない鉄道会社だったのかもしれない。売却して車体を運び出すにあたり、お守り札の存在に誰も気が付かなかったのか。

 しかし大田には、その不信心が幸いしたわけである。

 相当に古びていたが、大田はお守り札を金具から引き抜くことができた。和紙を折りたたんだ封筒状のもので、おもてには神社の名が書かれている。

 そして大田は、お守り札の内部にあるものを発見したのである。

「それはノストラダムスのトランプだったので?」

 と清水沢の表情はもう、はちきれそうだ。

「ん? うん…」

 わざとじらし、

「…どう思うね?」

 と大田はボールを投げ返した。

「ねえ旦那、そうだったのでしょう?」

「いやいや、さっきワシは、失敗談と言ったはずだ」

「すると中身は違ってましたので?」

「純金製のトランプどころか、薄汚れた紙切れが一枚だったよ。きっとノートの切れ端でも、ちぎったんだろうな。へたくそな手書き文字で、こうあったよ…。

『おまわりさん ごくろうさん』

 とね」

 何秒かの間、清水沢は当てが外れたようなポカンとした顔をしていたが、やがてゲラゲラと大きな声で笑い始めた。

 本当に遠慮のない笑い声で、多少の嘲笑は覚悟していた大田も眉をひそめるほどだったのである。

「ハハハ旦那。そりゃあ結構でしたね…。それでその紙切れは、犯人の岩倉が書いたものなので?」

 一度はムッとしたが、すぐに大田は機嫌を直した。そもそも怒りや不快を長くため込めないほどの単純な人物なのである。

「おそらくそうだろうよ。事件後、嫌疑不十分で釈放された後、なんとか機会をうかがって電車に乗り込み、ついにトランプを手に入れたのだろう。その時の置き土産さ…」



 いきさつを話してやったものの、清水沢が本当に記事にする気なのか、大田は自信がなかった。

 記事になっても、ならなくても、どちらでも良かったが、よほど事件や事故が少なく、暇で困っていたのだろう。約束通りに情報源と、半田、岩倉の名はうまくぼかしてあったが、ある日の夕刊のすみに掲載されたのである。

 調査結果については、すでに大田は半田に手紙を書き、詳細を知らせていた。すぐに半田からは、感謝を伝えるていねいな返信があった。

 事件記者の清水沢が、府警にいた大田の元へ顔を見せたのは、それから2週間ほどたったころのことだった。突然、刑事部屋へ現れたのである。

 やはり目当ては大田らしく、まっすぐこちらの机へと歩いてくるのだ。

 机の向かい側までやってくると、清水沢は立ち止まり、吸っていた煙草の灰を大田の灰皿に落とした。

「なんか用かい?」

「俺の書いた記事は、ご覧になりましたかい?」

 と言う清水沢の顔は、いかにも腹に含むところありげである。悪戯者のネズミみたいな顔だな、と大田は思った。

「記事は読んだよ。編集長殿は喜んだかい?」

「埋め草にはなりましたよ。もちろん読者からの反響など期待してなかったが、それが世の中の面白いところでね」

「反響があったのかい?」

 腹の中に何を含んでいるにしろ、それが今のもこぼれ落ちそうな顔をして笑い、清水沢がポケットから取り出したものがある。

 一枚の白い紙にわざとらしくはさんだ、薄っぺらいものだ。

「なんだね?」

 清水沢が目の前に置いたので、大田は手を伸ばした。そして紙を広げ、息をのんだのである。

「どうです旦那、ちょっとしたもんでしょう? ブンヤのペンの力も、バカにはなりませんや」

 それは、金色に輝く一枚のトランプだったのである。

 サイズだけは、どこの家にもある普通のトランプと同じだが、キラキラと光をはね返している。大田は思わず目を近づけたが、表面に刻まれている模様は、確かにジョーカーではないか。

「こりゃあ、一体どこで見つけたんだい?」

「封筒に入れて、郵便で送られてきたんですよ。うちの新聞社あてにね」

「岩倉からかい?」

「それは分かりません。差出人は書いてありませんでした。手紙もそえてなくてね。ただそれだけが一枚きり、中に入ってたんですよ」

「これはあんた…」

 ところがここで、清水沢の表情が少し曇るのである。

「証拠はありませんが、それが15年ぶりに岩倉から送られてきたのだというのは、まず間違いないでしょうよ。だけど、話はそれだけじゃ済まない。念のため、そのトランプを鑑定に出してみたんです」

「鑑定?」

「ええ、冶金やきんの専門家にね。エックス線なんとかって、大げさな機械を用いていましたよ。その結果、分かったことですが…」

「うん」

「そのトランプは、純金製だなんてとんでもない。ただの金メッキでした。安価な金属で作って、表面にだけ金メッキしてあるんです」

 ドタン。

 部屋の中に大きな音が響いたが、なにも大田が気絶したのではない。あきれたような驚いたような、当てが外れたような表情で、イスの背に勢いよく、もたれかかったのである。

「やれやれ、ワシはとんだ無駄足をしていたのか…」

 清水沢は鷹揚にうなずき、

「どなたかは存じませんが、旦那に調査を依頼したというお人もね。15年間追い続けた恋が破れ、後に残ったのは、ただ金メッキの板切れ一枚ときたもんだ」

 あまりの言い草に、大田は清水沢をにらみつけてやろうと思ったが、その前に気が変わった。もっと不愉快な現実に思い至ったのである。

「すると清水沢君、だまされたのはワシたちだけじゃないことになるぞ」

「ええ、『世界秘宝大公開』の企画を立てたプロモーターとPデパートは、このトランプが真っ赤な偽物であることを百も承知で、大阪市民をだましたことになりますな。ちょっと調べてみたが、15年前の催しは大盛況で、プロモーターとPデパートは大儲けをしたらしいですよ」

「そりゃあ、まあね…」

「変じゃないですか。本当に価値のあるお宝が盗まれたのなら、催しのためにトランプを貸し出した所有者が実在して、この所有者が文句を言うなり、プロモーターとPデパートを相手に、損害賠償を求める裁判ぐらい起こしそうなものですよね」

「…」

「社の資料室にもあたってみたが、そんな動きはカケラもなかったと分かりました」

「どういうことだい?」

「つまりトランプが盗まれても、誰も困らなかったということですよ。そこから考えても、ノストラダムスのトランプとやらが本当の宝物じゃないことは、事件の最初から十分に予想できたはずなんですがねえ…」

 大田は、頭の中がグルグルと回転するような、足元の床がパックリと口を開けて開くような、そんな気持ちがした。依頼を受けて自分が費やした日々。物静かに語る上品な半田老人の顔。

 そういったものが、自分めがけて、いっせいに飛びかかってくるかのような。

「ううむ…」

 清水沢はまだ機嫌よさそうに笑っている。その憎らしい顔めがけて、何か気の利いた反撃の言葉を投げてやりたかったが、もう大田には、言うべき言葉は何一つ見つからなかったのである。



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