実在空想物
よろしくお願い致します。
川の水が太陽の光できらめいていた。泳ぐ魚もきらめき、それを白い鳥が足をそろりそろりと動かし、どう捕まえようか思案している。
風が薙ぎ、桜の花吹雪が舞う。
鴨川の河川敷にカップルが等間隔で座っている、その間を桜が彼女たちを囃し立てるようにヒラヒラと踊る。
彼女たちには、これ以上にない演出であろう。
川に架かる橋を西に進むと大きな通りにあたる。それをさらに越えた先にある寺町通りを南へ下がると、家電量販店のなごりか潰れた大型施設には大型ディスプレイだけが今も稼働していた。
陽射しが強く、アスファルトからの照りつけはさらに強い。
通りを歩く人々は拭っても拭っても止まらない汗を拭い続け、それを不憫とも滑稽とも言えぬ表情でアパレルショップの店員が冷房のきいた室内からぼんやりと眺めている。
大型ディスプレイからは、今はもうあまり視聴されなくなったテレビの情報番組が流れていた。
その情報番組では何十年前とも同じように女性のコメンテーターが興奮気味に自称正義の味方として称して、現在の日本の風刺をしていた。
≪今のこの国はもうダメです。30年前から少子高齢化と問題視され続けていたのに何ら対策が執られていません。団塊の世代は90代に突入し、純日本人の人口は綺麗な逆ピラミッドに…≫
銀色の西洋の甲冑に身を包み、汗一つかかずにディスプレイを見上げる少女がいた。
目が異様に大きく、緑色の髪を後ろに束ね、頭には西洋風の鉢金を付けている。
その風体はよほど目立つようで、周囲を歩く人々は歩を止め無断で写真を撮ったりもしている。
少女はそんなことには構いもせず、大型ディスプレイを真剣な表情で見上げている。
テレビの中では同じ女性がまだ喋り続けていた。
≪もう一度言います。この国はもうダメです。何とかしないといけません≫
無断で写真を撮っていた通行人の一人が少女に話しかけてくる。
「す、すみません。何かのイベントですか?」
「ぼくは…、僕はもう一度世界を護れるん…だね…?」
「え?!」
突如として強い風が吹き、砂埃が舞い上がる。
通行人たちが目を瞑った瞬間に少女はその場からいなくなっていた。
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木崎はひたすらに駆けていた。昔から身体を動かすことは好きだった。
特にこういった森のアップダウンが激しい中を走ることは特別に好きだった。
さかのぼれば、小、中学校では常にさまざまなスポーツで一番であったし、高校でも劣らず上位におり、部活は頼まれるまでもなく掛け持ちをしていた。
警察に入ってからも短距離走や長距離走では自分より速い者は少なからずいたが、好きな気持ちだけでは負けていなかった。
短距離走も人より多く本数を走れたし、長距離走でも一定の時間休憩を取ればまた走ることができた。
そんな中で自分は身体を動かし続けることが好きで得意なんだと自覚するようになった。
仕事では報告書などそっちのけでいつも動いていたかった。
人事考課の際にもいつも抽象的な表現で希望部署を提出していた。
「もっと身体を動かせる部署へ異動したい」
念願の異動願いを聞き入れられた現在、木崎はホシをがむしゃらに追いかけて走っていた。
木崎が今追いかけている対象は、まるで猿のように木から木へと移動を続け、草むらへ落ちたかと思えば、そのまま地を這うように駆けるのだ。
(こんなことなら、異動願いなんて出さなきゃ良かった)
木崎は動き難そうな黒く厚い生地の全身スーツを着ていた。意外に伸縮性はあるのかもしれないが、その上に装置を付けていた。
その装置は肩や肘、太ももから膝にかけた脚全体、そして胸のあたりに鉄ともプラスチックともいえない素材ででき、一見動き難そうにも見えた。
木崎に後悔の念を抱く間も与えぬ程動き回るホシに、木崎は根性で追いすがっていた。
ホシは木崎を嘲笑うかのように軽々と森の中を進んでいく。ホシが跳ねる度に紺色の大きなポニーテールが生き物のように動いていた。
(ちくしょう!追いつけねぇ!!)
木崎の腕時計型の通信機に大町からの通信が入った。
息も絶え絶えだが、この怒りをぶつける先に迷っていた木崎は呼吸の乱れもお構いなく、怒鳴りつけた。
「遅いぞ!大町!どこに行っていやがった!」
≪ひぇ~、お、遅れてなんかいませんよ≫
「お前だけ楽しやがって…!」
≪今日は俺が追うって張り切ってたのは、木崎さんじゃないですかぁ。そんなことより、そのまま追って下さい。そろそろ森を抜けます≫
大町が言った直後森を抜け、蹴上から南禅寺の前を通り疏水へ伸びる廃線の線路付近に出てきた。
観光客が暢気に線路の上を歩いている間を縫うようにホシがすり抜けていく。
木崎もホシと同じく、すり抜けて行こうとするが、あまりの観光客の多さにホシとの距離を縮められずにいる。
ホシが線路から道を外れ、国際交流会館跡の前に向かった所で大町が彼女の行く手を阻むように現れた。
ホシが慌てて、止まる。息は全く乱れていないようだ。
「さぁ、逃がしませんよ~。真佐ちゃん」
真佐という名のホシは成人女性の平均に比べ背が低く、異様に目が大きい。
目の色は髪の毛と同じ紺色で肌は石膏で作られたようにすべすべとし、そしてまるで作り物のように人間味にも欠けた印象があった。
ただ、そのルックスは人間離れしており、周囲にいた観光客の目に留まらないはずもなく、大町と真佐を遠目に人々が囲みだした。
「なにあの子、可愛くない?」
「あれってもしかして」
「まさかぁ、こんな所で会えるの?!」
そこへ野次馬を掻き分けて、木崎が囲みの中に入ってきた。
「離れて下さい!彼女は実在空想物です!」
木崎の一言で周囲は先ほどよりもざわつく。木崎は続けて発する。
「彼女は皆さんに危害を加える可能性があります!」
その間にも木崎は自身の腕時計型通信機で真佐をスキャンし、彼女の状況を確認していた。腕時計型のディスプレイには、『和』の文字が表示される。
(よし、まだ間に合う)
自然と木崎と真佐が対峙の型となる。大町は木崎と入れ替わりに野次馬に離れるよう注意喚起を続けている。
真佐が脇に差した刀に手をかけ、ゆっくりと刀を抜く。
野次馬からは騒ぐだけでなく悲鳴が起きた。
木崎が応じるように拳銃を懐から抜きだすと、悲鳴はさらに大きくなった。
「木崎さん、何やってんですか?!民間人が周囲360度にいるんですよ!流れ弾で被害が!」
「うるせぇ!俺がこの距離から外すような腕と思ったか!」
興味本位で集まっていた野次馬も自分の命欲しさから三々五々に散り始める。
構えたままだった木崎が見計らったように拳銃を数発ぶっ放す。
全て真佐に命中したかに思えたが、全弾刀で弾かれた。
「くそ!こいつにはこんな玩具意味がねぇ!」
「そういうのを経費の無駄というのじゃ」
笑みを浮かべた真佐が刀を華麗に二度回し、鞘へ仕舞い込む。
「木崎さん、何遊んでるんですか!あれ使って下さいよ」
「仕方ねぇ…」
渋々と木崎が胸の装置の電源を入れる。小さな起動音とともに後方へ空気を排出する音が漏れた。
「何かは知らぬが、私の抜刀をそんな玩具で凌げるのかの」
「やってみなくちゃ分からんだろ」
真佐が気を充実させ、気が頂点に達したまさに抜刀しようとしたその刹那、木崎が真佐の懐に潜り込んだ。
「なっ…!!」
真っ二つになっているはずの木崎が真佐に急接近していた。
抜刀すらできずにいる真佐は違和感からか視線を落とすと、木崎が刀の頭を左手で抑えていた。
木崎は左手へ全体重をかけているようで、真佐の刀はビクともしない。
真佐の動きを一瞬止めた後、木崎は頭を抑えていた左手を素早く鍔へ伸ばし、鍔と鞘を同時に掴んだ。
真佐が咄嗟のことで無意識に前方に体重移動をしたその力を利用し、真佐の右腕に自身の右腕を絡ませ、一本背負いで投げ飛ばした。