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櫻井と別れ、自宅に帰った僕とルクナは魔導界へ旅立つ為の荷物を再確認していた。今日の昼過ぎにここを発つらしい。透き通った水色の髪の少女はその途中で呟いた。
「永友、唯さんでしたっけ。その人は拓斗さんの大切な人なんですか?」
「どういう意味だ」
「ずばり恋人ですか?」
「馬鹿を言え。それはない」
確かに彼女とは腐れ縁ではあるが、会う度にお互い死ねと言い合う恋人など作りたくもない。
「でも拓斗さん、永友さんの話になった途端血相を変えて家から飛び出していったじゃないですか。まるで肉親の危機に駆けつけるみたいに」
「邪推だ」
「そうですかね?」
尚も食い下がる彼女を睨め付けた。
「取り敢えずあいつ相手に恋愛感情など湧かん。ただの腐れ縁だ。それでも助けられると解ったから、助けに行ったまでだ。悪いか?」
彼女は、いいえと短く答えると、麦茶を飲んだ。僕はその青髪を見ながら問うた。
「お前さんも魔導者なのか?」
「そうですけど」
「何の魔導なんだ。まだ見たことがないが」
ルクナは少し唸ってから、その感情の読めない濁った瞳で僕を見返した。
「じきに解ります。それまでお預けです」
「勿体振るなよ、面倒臭い」
「じゃあ逆に、何だと思います?」
「……水関連、かな」
クスクスと彼女は笑った。
「私の髪を見て判断しましたか? 残念ながら外れです」
「いいから教えろよ」
「……近いうちに魔導を見せる機会が来るでしょうから、その時に話しますよ。説明だけしたところで私の魔導は想像しにくいでしょうからね」
結局、教えてはくれないのか。僕は彼女から視線を反らすとテレビを見た。先程付けだが、衝界から一日経った今でも報道している内容に大差は無い。強いて変わったところをあげるなら、最初は科学的に考察した意見が多かったのに対して今では宗教と関連づけた意見が目立つところである。
科学の限界を超えてしまったこの変事を神の所行としているのだ。報道に司教やら仏僧やらが出て来ては、それぞれの宗教に見合った事を言う。神の審判が起こるだの神々の怒りがなんだのと。
面白いことに、神々の怒りは科学の力に向けられていた。神の創った環境を破壊していく人間の科学に怒髪天を衝いた神が世界を終わらせようとしている、といった見解である。
空の向こうの世界こそが神々の坐す世界だとする意見もあった。また、未だにこれを科学で解決しようとする者もいた。衛星写真はしっかりと科学界を写しているのに、肝心の宇宙は観測できない。
いや、宇宙は存在する。夜になれば星の光が夜空を飾るが、その更に奥には魔導界が顔を見せているのだ。昼間は太陽の奥に控えている。気が狂いそうになる光景である。超常現象以外の何物でも無いこれを神の行いとする考えは人の反射なのかも知れない。
もともと神はその為に作られたのではないか。人の常識を超す事態の存在を確立するために、人を凌駕する存在を作り、それらを全てその凌駕する存在と関連づける。
僕はふと、隣の少女を見やった。
「なあ、ルクナ。あいつらの言っている神って、存在するのか?」
彼女は小首を傾げた。綺麗な容姿と相まったその仕草は可愛らしかった。
「何とも言えません。神統記にそれに関する記述はありませんから。まあ存在が確認されていない上にこれといった奇蹟も起こっていませんし、信者には失礼ですが無いものと見なした方が現実的でしょうね」
「だが、世界を統べる神は存在すると」
「そうですね。確かに私達世界結合結社も人のことは言えません。他人からすれば、ただの新興宗教でしょうからね」
彼女は表情を変えずにそう言った。そこでふと、僕は一つの疑問を覚えた。今まで気付く余裕が無かったが、改めて考えてみると、見るからに外国人である彼女がどうしてここまで日本語を話せるのか疑問であった。公用語は英語であるからわざわざ日本語を覚える必要など無いはずなのだが。
だが、返って来た答えは僕の予想の斜め上を行っていた。
「単純ですよ、魔導界の公用語が日本語なだけです。因みに私の母国は英語圏ですよ」
「世界は違うのに使っている言葉は一緒なんだな」
「双子世界はその名の通り非常に似通った、けれども決定的に違う世界ですからね。大陸の形や人種の分布、言語、国に殆ど違いはありません。人間の構造だって殆ど一緒です。魔導界は魔導を操りますが、別段特殊な臓器があるわけではありませんしね。目立つような大きな違いといえば髪の色が豊富な事くらいです」
「魔導の差異は大きいだろうが」
「それ程ペナルティになるようなのは少ないですよ」
「そうかね。じゃあ、魔導界でも携帯は使えるのか?」
ルクナは首を横に振った。そして居住まいを正して僕を見た。
「拓斗さん、丁度良いので言っておきます。魔導界の科学力は科学界においての産業革命以前と考えてください。携帯はおろか電灯すらありません」
流石に驚いてしまった。魔導などといった力が使えるのだから、それを応用した凄い技術力があるものだと勝手に想像していたのだ。
「魔導界の民は、私達の様な例外を除いて皆科学に興味がありません。全員がとは言いませんが、殆どが科学とかけ離れた自然の中の生活を望んでいます。後は神への信仰心が全てである、そういう所です。この世界の尺度でものを考えてはいけません」
改めて、空の向こうにあるのが別世界であることを思い知らされた。今からそこに向かうと考えると、少し怖くもある。
そこで、急に空腹感を覚えた。時計を見ると九時程度であった。朝食を無視してこの身一つで家を飛び出していたのが祟ったらしく、腹の中では虫が奇妙な鳴き声を上げて餌を求めていた。ルクナの方を一瞥すると、彼女も腹を片手で押さえていた。
「待っていてくれ。今すぐ用意する」
僕はルクナにそう告げて台所へと向かった。
魔導界出発まで、後三時間である。




