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気を利かせたのか何なのか、櫻井は永友が震えているのに気付くと僕を置いてルクナの所へと行ってしまった。僕は溜め息をついて横にいる永友を見下ろした。指先は未だに震えている。それを一瞥してから、彼女の手を振り解いた。
左手を腰に添え、虚空にある鞘を持つ。太刀を鞘に収めるイメージで左手の輪の中に通すと、それは音も無く消えていった。最後に柄から手を離すと、柄は小さく弾けて霧散した。本物の太刀を同じ様な仕舞い方である。誰に教わったわけでもなく、このやり方は本能的に知っていた。
抜刀時もやはり太刀と酷似している。違うのは右手で刀を持とうと念じた時には既に柄が左拳の前に現れていることである。後は仕舞うときの逆をすれば良い。鯉口を切ると、太刀はするすると姿を現す。これが今の所僕に与えられている覚醒者としての力である。
僕は太刀を仕舞い、改めて永友を見やった。
「腰抜け」
僕がそう言うと、少し遅れて返事があった。耳が赤かったが僕は何も言わなかった。
「うるさい、ばーか」
僕はその場に腰を下ろした。永友は軽く舌打ちした。
「さっさと雪の後を追えばいいじゃない。私の事は放っといて良いわよ」
「そんな顔色で言われたところで説得力に欠けるな。諦めろ」
「近寄らないでよ」
「諦めろと、言っただろう」
「嫌よ、そんなの」
僕は苛立って彼女の頭を小突いた。
「こんな時くらい人の言うことを聞け。本当なら立てないお前さんの首根っこを掴んで玄関まで引きずってやったって良いんだ。櫻井の手前、それは出来なかったがな」
「……じゃああんたは、私が立てるようになるまで監視していると、そういう事ね」
言うなり彼女はポニーテールを揺らして立ち上がり、踵を(きびす)返した。僕はその手首を掴んで強引に引き寄せた。
「まあ待てよ馬鹿野郎。僕も丁度お前さんに話があったんだ。座ってくれ」
永友は振り返って僕を見た。黒くて綺麗な瞳である。ややあって、渋々と彼女は座った。座るときにまた舌打ちをしたが、聞こえない振りをした。
「何よアホ」
「僕はちょっくら遠出する。次にいつ会えるか解らない。櫻井も同じだ」
彼女は形の良い眉を寄せて怪訝そうな顔をした。垂れた髪の毛が肩に掛かっている。
「何よそれ。訳分かんないわ」
「だよな。僕も解らないんだ」彼女が何かを言おうとしたのを遮って、僕は空を見ながら続けた。「僕はあの雲の向こうの世界に行く……らしい。お前さんも見た僕のあの力が、今世界で起こっているこの未曾有の事態と関連があるから来て欲しいと櫻井の仲間から言われたんだ。拒否権は無い。いつまで掛かるのかも解らない。何をすれば良いのかも、結局の所皆目見当が付かない。ただ一つ解っているのは、この状態を長引かせていると世界が消滅する、それだけだ」
「つまり何も解っていないじゃない」
「確かにそうだ」
「私に伝えたかったのはそれだけ? 当分会えなくなるって」
「そうだ」
はっ、と永友は鼻で笑った。
「それなら好都合よ。そのまま向こう側の世界とやらで死んじゃうが良いわ」
僕は笑い返した。
「そう簡単に死ねるかよ。せいぜい足掻いて、またお前さんに会って苛めてやるよ」
「最低。野垂れ死んじゃえ」
「言っていろ。まあ、そういう事だから」
言いたいことは言えた。当分帰って来られない、伝えたかったのはそれだけだった。だからといって何があるわけでもないが、彼女に知らせの無いまま別れるのは嫌だった。彼女が僕の腐れ縁だということもあるが、何より、近いうちに離れてしまうこの世界が名残惜しかったのが大きいのかも知れない。誰にも気付かれずに消えるより、誰かに僕が何処かへ行ってしまうことを知っていて欲しかった。
僕は櫻井を追いかけるために立ち上がろうとした。だがまたしてもその袖を引っ張る者がいた。バランスを崩しそうになった僕は隣にいる彼女を睨め付けた。
彼女の目は何かを請うていた。両手でしっかりと袖を持ち、泣きそうな顔で僕を見上げていた。思わぬ表情にたじろいた僕が無言のまま見返すと、永友はふと我に返ったのか顔を赤くしてそっぽを向き、手を引っ込めた。僕は彼女の頭に手を置いた。
「腰抜け」
「……うるさい。馬鹿」
彼女の声はどことなく上擦っていた。面白がってそのまま頭を撫でると、手の甲をつねられてしまった。
「怖いか?」
僕は彼女を見下ろして問うた。
「……そりゃあ、ね」
「だよな。僕も怖い。あんな化け物共と戦わなくちゃいけないと考えると鬱病になりそうだ」
「あんた万年病んでるじゃない」
「心が病むのなら別に大したことじゃないんだが、命が関わるとそうもいかない。それに僕の双肩には世界中の命が乗っているらしいしな。櫻井のお仲間さんの話を信じる限り、僕は何でも、この世界を救う英雄なんだとさ」
「あんたが? 笑えない冗談なんて聞きたくないわよ」
「それはこっちのセリフだ」
ある豪雨の日、倒れている少女を助けた。その少女が人捜しをしていて、偶然その子が僕の知り合いだったから連れて行ってあげた。本当ならそこまでのはずだった。そこで僕の物語は終わり、屑の襲撃の被害者になれるはずだった。なのに僕は衝界と同時に常軌を逸した力を手に入れて延命した。もしあの力が無かったら僕はあの場で二つに分かれて死んでいただろう。
使い方も知らない訳の解らない力をいきなり持たされて、素性の知れぬ異質な少女に双子世界を救う英雄と奉られた。だが今の力だけで世界が救えるとは到底思えない。強敵が出て来たときに勝つ自信も無い。元々僕はただの中学二年生なのだから。
空に現れているから信じるより他ないが、ルクナの説明する双子世界の有り様もいまいち信じられない自分がいる。何もかも解らないのに、僕の周りは僕を置いてけぼりにしてどんどん前へと進んでいく。追いつこうと必死にもがいても空回りして、結局先に進んだ彼等に迷惑を掛けることしか出来ない。
本当に世界を救う力があるのだろうか、僕にはそれが不安でならない。もしかして僕はもっと根本的なところで彼女等を裏切っていないか、この力は本当に人の為なのだろうか。不安は悪循環という蔓から伸びた更なる不安を掘り出していく。誰も道を示してくれる人がいないのが不安でならない。誰も僕を証明してくれない。それが頭の奥の方に巣を張ってしまっているのだ。思考はそれに絡め取られてしまう。
「まあ、言ったって始まらないんだがな。この力は本物だし、この現状と深い関わりを持っていることは確かだ。それはどうやった所で変わりはしない」
永友は黙って聞いていたが、僕がそこで黙ると口を開いた。
「ま、そうやって悩んで周りを見渡せるだけ、あんたは良い方よ。あんたなんかに世界が救えるだなんて思っていないけど、救う為に模倣できるじゃない。せいぜい頑張ってみると良いわ」
相変わらずの口調である。だが、これでいい。普段通りの憎まれ口を叩く彼女を見て少し安堵感が湧いた。物事が急変する中で、流れに逆らって不動を維持するもの。それは流れに呑まれる者にとって癒やしであった。僕は人知れず笑うと、ポケットから携帯を取り出してキーホルダーを外した。
「永友」振り返った彼女にそれを投げた。「僕の母さんが南米のどっかで買ってきたお土産だ。嘘か本当か魔除けの効能があるらしい。そいつは僕より、お前さんの方が必要だろうからな、やるよ」
「何でよ。そんなもの、どうして私が――」
「――持っていろ。……いや、持っていてくれ」
彼女はしばらくその奇妙な形をしたキーホルダーを眺めていたが、ふと顔を上げた。
「貰うだなんて嫌よ。だから、預かっておくわ――次に会ったときに返すわ」
彼女が言外に込めている意をくみ取った僕は笑った。
「一応母さんからのプレゼントだからさ、傷付けないで返してくれよ。近いうちに返して貰うからな」
「約束よ」
僕は頷いた。永友はキーホルダーを自身のポケットに仕舞うと立ち上がり、僕に背を向けて歩き出した。その華奢な背中を眺めていた僕はややあって櫻井の走り去った方へと向かった。拳はいつの間にか握り締められていた。
必ず帰る。それを心に刻むかのように。




