3-9
二度目ともなれば多少は衝撃にも慣れてくる。今度こそ転ぶこと無く着地したあたしは周りに広がる広大な庭と転々と転がる赤い死体に顔を顰めた。法王の名に相応しい規模の豪邸の、東京ドームが何個も入りそうな程の敷地に大規模な襲撃が起こった。それによって各国の警備員と屑が死闘を各地で繰り広げているようだ。あたし達のすぐ後ろには天に届かんとする豪邸が鎮座している。
「その彼岸花とやらを倒せば良いのか」
拓斗の呟きに、同行していたメナードさんは頷いた。
「それが目標です。ですが、手が回るのでしたら周りの警備員も援護して貰えると有り難いです。彼岸花も現在地が不明ですから、取り敢えず周囲を見回ってみて下さい。それでは、ご武運を」
そう言って彼は独り豪邸の中へと戻ってしまった。セシリア様を除く法王一家とその側近は邸宅の中の一角に隠れ潜み、襲撃をやり過ごそうとしているらしい。屈強な警備員を何人も従えての籠城というわけだ。セシリア様は襲撃の来ていない本部で待っている。この邸宅の中より本部の方が圧倒的に安全なのは火を見るより明らかなのだけど、法王達はそこに匿って貰う事を毛嫌いしているのだとセシリア様は言っていた。
「異教徒の館になど入りたくないそうですわ。失礼しちゃいますわね」
頬を膨らませながら美女が不満を垂らしていたのを覚えている。本当に失礼な奴等だ。
「でも、ただ虱潰しに回るってのも効率悪いね」
「人助けだと思ってやるしかありませんね。晴天なのがせめてもの救いですか」
「俺にとっては泣きっ面に蜂だぜ、全く」
そう言うカインは砂漠に放り出されたような顔をしている。日光に弱い彼では冬の日差しでもきつかろう。
「大丈夫ですか? 無理しないで下さいね」
「そうさせて貰うよ。本当に駄目そうになったら抜けさせて貰う。持って、二、三時間って所かな……」
弱々しく笑うカインから視線を外して、あたしは拓斗を見た。彼は何処か一点を凝視していた。怪訝に思ってあたしもその方向を睨んでみたけど、特に何も無かった。
「何を見ているの?」
「……僕も解らない。だけど、あっちだ。あっちに多分彼岸花はいる」
自分に言い聞かせる様にゆっくりと言うと、彼はその方向を指差した。ルクナは首を傾げた。
「また直感とか言う奴ですか」
「そうだな。見えると言うより、感じると言った方が正しい気がする。確証は無いぞ」
「別に要りませんよ。どうせ当てなんて無いんですから、丁度良いです。あなたはその直感で一度芥を引き当てていますしね」
拓斗とルクナは直感のする方向へと歩いて行った。あたしは手の平から槍を取り出して右手に持ち、カインはがしがしと頭を掻いてその後に続いた。少し歩いたところで何かを感じたのか、拓斗は走り出した。あたし達も釣られて走る。緑が生える庭からはあちこちで男の怒号や悲鳴が聞こえた。視界の端には血を滴らせる死体が度々映ったが、それに慣れているのか、それとも気にもならないのか、拓斗は平然とそれらを乗り越えて行く。
一分ほど走っただろうか、そこでやっと拓斗は足を止めた。そこは浅く広い池がある場所だった。そこには男が一人、膝をがくがくと震わせて立っていた。周囲には頭部を失い、脳漿を撒き散らした死体が二つ。その血のせいで池は紅く染まっていた。死後数分も経っていないようでそれは血の油でてらてらと輝いていた。あたしは一瞬込み上げてきた吐き気を強引に喉の奥へと押し戻した。
男の姿を確認した拓斗は彼に駆け寄った。その右腕には太刀が握られている。
だが拓斗が駆け寄ろうとした刹那、男は忽然と背後に姿を現した灰色の男の手刀によって下あごを残して頭部を砕かれてしまった。破片が飛び、中身がぶちまけられた。残された舌が痙攣を起こしている。血が噴水の様に噴き出した。それが飛んで拓斗の頬を汚した。
たった今死んだ男の体が崩れ落ちていくのを見て我に返ったのか、拓斗は再度太刀を構えて灰色の男へと突撃した。力強い踏み込みと共に太刀を真一文字に振り下ろす。だがその時には既に男の姿は無かった。拓斗の足下には、捨て置かれた死体が血を流している。斬撃が空振りに終わったのを知った拓斗はそれを見て舌打ちした。
「間に合わなかった、か」
「拓斗さん、今のが……」
殺戮の現場を目撃したからだろうか、ルクナの声は震えていた。拓斗は苦虫を噛み潰した様な顔で頷いた。
「まだあいつは逃げていない。ここの辺りにいるはずだ。気配は消えていない。円陣を組んで四方に気を配るんだ、何処から襲ってくるか判らない」
駆け戻ってきた拓斗に指示されて、あたし達は背中合わせで円陣を組んだ。拓斗から時計回りにあたし、ルクナ、カインの並び方だ。
人の頭蓋を容易く砕いてみせる彼岸花の手刀は脅威以外の何物でも無い。それ程の破壊力があるなら受け止めるより避けた方が良いだろう。だけど、予告も無く現れる幽霊のような相手の攻撃を避けられるのだろうか。左右と後ろは仲間が守ってくれている。あたしは真正面を穴が空くほど睨み付けた。周囲の音が消え、自分の心臓音が体の中で大きく響き渡っている感覚。
「カイン、来ますよ」
「三秒後、カインだ」
固まった空気を乱したのは二人の同時に発せられた言葉だった。カインは戸惑うこと無く二人の言葉を信じたらしく、即座に魔導を腕に展開させた。
「――薙ぎ払え・殺害の腕!」
漆黒の腕が肥大化する。影の力を凝縮して腕に溜め、丸太ほどの太さまで強化する魔導だ。同時に腕力にも補正がかかる為単純な身体強化としても強く、攻めと守りに使える初歩の魔導なのだと、彼が昔言っていた。
予告通り三秒後、カインの目の前が一瞬歪んでそこに佇む彼岸花を映し出した。まるで空気のような奴だ。あたしですら、姿を見るまで気配に気付かなかったのだから、ここの警備員が背後から忍び寄られれば必死は避けられまい。
無を思わせるその芥は右腕を肩口から水平に払った。既に臨戦態勢に入っていたカインはそれを腕で防御した。途端衝撃で彼の体が傾いだ。身体強化を加えても耐えるのがやっとの一撃ということだ。
カインは体を傾げたまま、もう一方の腕で彼岸花を殴り飛ばした。その一撃に彼岸花の体は大きく後方に跳ばされたかと思うと、地面に着地する前にまた虚空へと融けてしまった。
「やったの?」
少しだけ緊張を解してあたしが問うたのだけど、カインは苦い顔をして首を横に振った。
「手応えが無かった。野郎、完全に脱力しきっていたんだ。豆腐を殴ったみたいだったぜ。多分ダメージも殆ど入っていねえだろうな」
「打撃では無く斬撃じゃないと駄目って事? でもこのメンバーじゃカイン以外あの手刀を受け止められる人もいないんじゃないの?」
「さっきみたいにルクナちゃん達が教えてくれるなら、多分避けられるんじゃねえかな。そうだ、九重は判るにしても、どうしてルクナちゃんがタイミング解ったんだ?」
言われて、ルクナは困った顔をした。
「私にもさっぱりです。ですが、何か大きな塊がカインの前へと進んでいるのが解ったのでもしかしたら、と」
「何だそりゃ。今は?」
「特にそういうのは見えません。でも、私達、何かに囲まれています」
そう言って彼女は周囲を見渡した。その時の彼女の目が青く光っている気がして、それに気付いたあたしは慌てて前に視線を戻した。見てはいけないもののように感じた。
「驚いたな。そこまで解るのか」
拓斗は純粋に驚きの声を上げた。だがすぐにその口調は変化した。
「櫻井、約五秒後だ」
「……解った」
頭の中が急速に冷えていく。あたしは槍を握り直した。体の力を適度に抜き、即座に動けるよう調節する。
そして奴は現れた。出現と同時に放たれた手刀を腰を落として回避し、下から槍を突き上げる。喉元を狙ったそれは人間を遙かに超える反射神経を持った彼岸花が迅速の動きで引き戻した腕によって弾かれ、そのパワーによって槍はあたしの手から離れて飛ばされてしまった。
それを頭が理解するより先に、あたしは魔導を発動させていた。屈んだ体をバネの様にして奴の懐に潜り込み、至近距離に展開させた方陣に左拳を叩き込む。
「――直裁!」
左腕が吸収され、それを糧とした巨大な火柱が彼岸花を大きく吹き飛ばしつつ焼き焦がす。火柱が消え左腕の再構成を終えたあたしの眼前に彼岸花の姿は無かった。倒してはいないから、消えたか。だがあの炎を喰らってノーダメージとは思えない。そう思って一瞬気を緩めた刹那、あたしの体に影が差した。
「馬鹿野郎」
視界が大きく揺さぶられた。拓斗が叫びながらあたしの襟首を掴んで強引に引き寄せたのだ。先刻まであたしが立っていた場所に轟音と共に大穴が空く。
一度姿を消した彼岸花があたしの頭上に再出現し、上から地面を殴りつけたのだ。その事実を理解するのに数秒を要した。
拓斗は引き寄せたあたしを抱き留めるでもなく、そのまま投げ捨てた。尻餅を付くあたしを尻目に拓斗は地面を穿った彼岸花へと駆け寄り、構えていた太刀の切っ先を下ろして、逆袈裟に斬りかかった。それに気付いた彼岸花が太刀を弾くために手刀を振る。
その二つが交差し、拓斗の太刀は振り抜かれた手刀に弾かれ、彼は大きく体勢を崩してしまった。だがそれと同時に灰色の腕も空中へと飛んだ。彼岸花の腕が千切れたのだ。拓斗の太刀は奴の腕に食い込んだものの圧倒的な速度によって切り落とす前に払われてしまい、また、彼岸花もその速さ故に半ばまで斬られていた腕が耐えられず千切れた。
拓斗は素早く体勢を直すと、再び彼岸花へと斬りかかった。奴は既に立ち上がっていたがもう腕を使わず、拓斗の連撃を体裁きで躱していった。どうやら奴が消えるには前動作が必要らしく、太刀を躱す今の奴が消える気配は無い。だがこのまま連撃を続ければ奴がまた消えることは無いだろうが、拓斗の攻撃が当たらないのでは平行線、先に拓斗の体力が切れてしまうだろう。
あたしは戦闘に介入しようとして、止めた。槍はスペアがもう一本体の中にあるが、こうも彼等が入り組んで戦闘していては逆に妨げになってしまう。あたしの大振りな攻撃では援護すら出来ない。
「――光の剣(Sword of Light)」
その時、横で凛とした声が響いた。詠唱に合わせて現れた光子の短剣が四散し、拓斗の援護へと回った。
だが彼女の短剣は彼岸花に当たるものの、その体に傷を付けられなかった。それ程奴の体が強固なのだ。それが解っているのか、奴は短剣を避けようともしない。
「――昇級(Promotion)、輝け(Bright)」
ルクナが唱えると、短剣に一度紋章が加わった。それによって魔導が強化され短剣は拓斗の太刀と同じ程の長さ、鋭利さをもった西洋剣へと変貌した。それが再度襲い掛かる。
彼岸花はその変化に気付いていないのか、それを躱さなかった。背後から胸を狙った一撃が放たれる。それは彼岸花の心臓部を貫通した。だが奴は倒れない。
しかし、深々と刺さった剣によってその威力を理解したらしく、それ以降の剣の斬撃を躱すようになった。
拓斗の後ろから二本、奴の首元を狙った必殺の突きが彼の顔の両脇を通り抜けて飛来する。拓斗は太刀を上段に振りかぶっていた。躱しきれないと判断した彼岸花はルクナの剣を残っていた腕で弾こうとした。そこに拓斗の太刀が合わせる。再びの太刀と手刀との交差。結果は同じだった。金属音がして拓斗の体が傾ぎ、彼岸花の腕が飛ぶ。
奴は拓斗がバランスを崩したのを認めて、後方へと飛び去ろうとした。だが奴の足は腕が飛んだ瞬間に地面に縫い合わせられてしまっていた。
「消えさせるもんですか、させませんよ」
ルクナの西洋剣が彼岸花の足と地面とを貫いて固定させていた。
「ナイスだルクナ」
拓斗はそれを見てにやりと笑い、太刀を振り下ろした。音も無く彼岸花の体が縦に二つに分かれて地面に倒れた。
「やったの?」
「ああ。倒したはずだ。もう気配が無い」
拓斗は太刀を収めるとその場に座り込んで一つ深呼吸をした。そしてその空気が孕む血と死体の匂いに気付いたのか、顔を少し顰めた。
「ルクナのお陰だ。ありがとう。それにしても良くあいつの出現が解ったな。それも魔導なのか?」
言われてルクナは小さく首を横に振った。だけどその後その首を傾げてしまった。
「私の魔導にそんなものはありません。ですが、まあ、そのようなものなのでしょうか。私にも理屈が解らないのですが、見えるんですよ、姿が」
「妙なものだな」
拓斗はそれ以上追及しなかった。息が荒い。やはり、先程の連撃はかなり辛かったのだろうか。
「ああ。部活でもあんなに動いたことは無いだろうよ。明日には筋肉痛確定だな。それにしても野郎面倒な芸を使いやがったな。芥ってあそこまで芸達者なのか」
あたしは訳が解らず小首を傾げた。拓斗は呼吸を整えるようにゆっくりと、区切りながら話した。
「恐らくだが、あいつは自分の体を霧の様に出来るんだ。ルクナが何かに囲まれているって言っていたがまさにそれだ。獲物の周囲に自分の霧の体を撒き、死角から体を実体化させて攻撃する。だから消えた後の気配がおかしかったんだ。攻撃する瞬間しか、場所を特定出来なかった」
そこまで話して彼は立ち上がった。もう用は済んだだろうから帰ろうと言う。あたしも、いや恐らくここにいる四人全員が、この死屍累々の惨状から一刻も早く立ち去りたいと思っているはずだ。皆拓斗に続いて帰ろうとする。
あたしはふと思い立って、隣を見やった。そこには頭部を拉げ(ひしや)られ潰された憐れな死体が転がっている。無意識の内にそれらに手を合わせていたあたしは、拓斗に呼ばれて急いで三人の所へ戻った。




