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拓斗さん達が各々の部屋に戻り、社長室には私と水無月さんだけが残されました。全員が帰ったのを見届けてから彼は溜め息をつきました。
「あれが英雄か」
「ご不満ですか?」
そんな事はない、と彼は首を横に振りました。
「まあ可もなく不可もなしって所だな。及第点だ。問題は……覚醒者としての力、か」
「ええ」
私の声は自然と暗くなっていました。拓斗さん自身は嫌いではありません。むしろ寡黙で利口な分、好感が持てる人です。どういう訳か男性恐怖症の私が触れることも出来ますし。ですがそれと世界を救う事は違うのです。彼には余りにも力が無さ過ぎる、それは抗えない事実です。
私も溜め息を付いてから、彼に助けられてからの詳細を大まかに説明しました。
彼は黙ってそれを聞いていましたが、次第にその顔は曇っていきました。
「――現時点では武器の行使しか出来ていません。飛行、特技ともに目覚めていないようです」
「特技はともかくとしても、飛行能力は覚醒者の発現と共に開花する力のはずだろう。そんな事が有り得るのか?」
「でも事実なのです。ですが、彼に宿っている力は勇者としてのそれで間違いありません。又、本人は気付いていないでしょうが、戦闘時になると動きががらりと変わりますよ。まるで昔から戦を知っているみたいに無駄のない動きをするんです」
「どんなに武術が優れていようと相手は神だからなあ。あいつの武器は太刀だっけ。それだけで何処まで耐えられるか……」
「でもついさっき、朗報があったんですよ」
彼が二度目の溜め息を付いたとき、私は努めて明るくそう言いました。曇っていた表情を微かに晴れさせ、彼はほう、と言いました。
「何だ。言ってみろ」
「彼が芥、カインの話からするに紫陽花であろう個体を倒した際、両肩に傷を負ったんです。出血量からしてもまあまあ深いでしょうか。それが戦闘を終えてすぐ私が駆けつけたんですけど、私が傷口を検めた時には既に怪我は跡形もなく消えていたのです。私が驚いてそれを告げると、拓斗さんもその時気が付いたらしくて大層びっくりしていましたよ。カインが一度傷を見ているので間違いありません。その傷は魔導を使っても一日の内は傷跡と痛みが残るくらいのものです。それが、たった数分で元通りに治癒したんです」
「つまり、変異か。再生能力が高いタイプだな。それはその時発現したのか?」
「そう見て良いと思います。拓斗さんの話によるとあそこに襲撃が来る直前、何か悪寒がしたとも言っています。その後紫陽花の場所も何となく閃いたものだとも。こういった敵の探知が能力として含まれるのかは謎ですが、彼は完全な不良品ではないことは確かです。まだ彼には可能性があります。これからどんどん強くなっていくと思うんです」
あくまで推測ですが、そう付け加えて私は話を区切りました。自分があの時見たもう一つの世界観については、伏せておくことにしました。言っても場を余計に混乱させるだろうと判断したのです。
「だがそれでは遅いからなあ。衝界が起こってしまった以上、多分この双子世界が存在していられるのは後一、二週間くらいなものか。そうそう余裕ぶっこいてもいられないのが現状だぜ」
「でもだからといって彼以外に希望はありません。どんな形であろうと拓斗さんは神統記に記されたとおり私達の目の前に現れた英雄なのです。きっと彼はやってくれますよ。英雄が現れたということは、世界はまだ私達を見捨ててなどいないのですから」
唸る彼へと私が語調を強めて反発すると、水無月さんはまた呵々と笑いました。私は顔を顰めました。
「なにもそこまで言っていないだろう。頼れるものが九重しかいないもの承知の上だ。なんだってお前はあの小僧の事になるとそんなカッカするんだ。気に入ったのか?」
彼の言葉に私は一瞬言葉を詰まらせてしまいましたが、すぐに反論しました。
「別にそんなじゃないです。変なこと言わないで下さい」
「おいおい勘違いしていないか? 気に入ったかと訊いただけだぞ。恋愛対象かと訊いたわけじゃない」
「あなたこそ何を言っているのですか。私は彼に恋慕しているなどと一言も言っていませんよ」
知らず私は声を荒らげていました。彼はまた笑いました。
「顔にそう書いてある。真っ赤だぞ、今の顔」
今度こそ言葉を無くしてしまいました。片手を頬に当ててみれば、確かにそこは熱くなっていました。私はただ恥ずかしくて歯を噛み締め、立ち上がって大股で扉へと向かいました。今すぐここから離れたかったのです。
「失礼」
私はそれだけ言い捨てると、扉を乱暴に閉めました。顔は未だに熱いままでした。その熱に促されるように私は足早に図書室へと向かいました。
図書室には誰もいませんでした。しんとした空間に日の光が差し込んでいます。私は部屋の中間の所にあるテーブルの一席に座りました。目の前が丁度窓になっているここは設計上、晴れの日であれば日中ずっと日の光が当たっている場所なのです。日光を必要とする私にとってここは部屋よりも落ち着く場所でした。日は傾いてきていますが、まだ沈みはしないでしょう。体の力を抜き、私は椅子の上で瞼を閉じました。
水無月さんに言われたことがまだ私の中で渦を巻いていました。私は拓斗さんを慕っている、という事実。でもこれは嘘です。彼は確かに良い人ですが、そこに恋愛は含まれません。なのに私はこの一言を否定する事が出来ないでいるのです。もう、私が人を好きになれる事なんて無いのに。
私は彼の事、彼に関わった自分の行為を顧みてみました。そうして私は、自分が彼を大切に思っているのかも知れないと思いました。特に私は彼を魔導界に連れてきて以降その傾向が激しいようなのです。まず彼の安否を考えて行動している自分がいて、それがどうしても不愉快でした。英雄だからではなく、彼だから私は守ろうとしているのです。それは言ってしまえば恋愛とは違います。私はただ彼を守りたいのです。それも思考した結果そうしているのではなく、無意識、本能的にそう動いているように思えます。今まで論理的に思考し、まずは己を大事にし、性悪説で生きてきた私には信じられないことです。こんな私を私は知りません。
私じゃない、違う私。瞼の裏に城下町で見た記憶の断片が映し出されました。私が持っているはずのない記憶、感情。ですがそれは確かに私のものであると認識できてしまうのです。今までこんな事はありませんでした。襲撃の時に垣間見た世界観も私のものではないはずです。あんな世界、私は知らない。
私はおもむろに瞼を開き、手を虚空にかざしました。
「――光の剣(Sword of Light)」
一本の輝く短剣が目の前に現れました。私はそれを手に取り、間近でそれを眺めました。本当であれば真っ白であるはずのそれは、注意しなければ判らない程ですが、ほんのりと青みを帯びています。拓斗さんの刀と同じ、青。それが何を意味するのかは、怖くて考えられません。
思えば日陰の森であそこまでアクティブに動けること自体、常軌を逸しているのです。何かの奇跡が起こって私の力が回復したとしましょう。偶然道に月輝石が落ちていたり、日光のエネルギーがある場所を通り抜けたり、それくらいの奇跡であれば起こりうる可能性はあります。ですがそれがあったとしても半日もすれば私はまた衰弱してしまうでしょう。私があそこまで動けたということは、常時何かからエネルギーを補給していた事に他なりません。それは確実に光ではない何かです。それを吸収し続けていた事は奇跡ではありません、異常なのです。
光に当たっていた体が強烈な眠気を誘ってきます。日の光を強烈に欲している証拠です。光を欲するこの時だけが、私が私を認識できる時でした。私じゃない他の姿の私が、私の中で孵化しようとしているような、そんな気がしました。私は思わず身震いをしてしまいました。
激流の様に押し寄せる眠気に負けた私の意識はだんだんと薄れていきました。
体が内側から壊れていく様を思い浮かべながら、私は静かに眠りに就きました。




