2-12
歯を食い縛って痛みに耐える。鋭くも重い痛みは時間とともに徐々に薄れていった。
「おい、大丈夫か?」
その時後ろから声を掛けられた。膝を付いたまま振り向くと、色の黒い少年が駆け寄ってきていた。日焼けしたにしては黒すぎる肌。瞳と髪は紫に染まっている。
何より特徴的なのは腕だった。肘から先が完全に真っ黒に変色しており、爪はおろか手の平までもが影をくみ取ったように黒い。彼を見て、ルクナの言葉が思い出された。
「平気か? やられたのは腕だけだよな。見せてみ」
近くまで来た色黒の彼は僕の了解も待たずに腕を取り、傷口を見つめた。痛みはまだあったが耐えられないほどでは無かった。
「そこまで深くはねえな。止血さえすれば大丈夫だぜ」
そう言うと少年は笑った。屈託の無い笑顔だった。流石に、歯は黒くなかった。
僕は少年に頷くと立ち上がった。彼の背後を見やると、融けて無くなりかけている屑が数体見受けられた。周りに人はいないので彼がやったのだろう。戦闘の名残なのか、道の数カ所には大きな槌で殴られたかのような窪みがあった。それを見て驚いていると、少年が話し掛けてきた。
「お取り込み中だったんで周りの雑魚を片付けていたんだ。やっぱり芥が出るところには結構塵も出るんだな。いやでも、良い戦いだったぜ、お前。介入する前に倒しちまったからな、俺も出番が無かった」
彼はまた笑った。口ぶりからして僕が戦ったのが芥、他のが塵というのだろうか。それも問いたかったが、それより先に疑問に思っていた事を口に出した。
「カイン、なのか?」
「ん、ルクナちゃんから聞いていたのか。いかにも俺がカインだ。カイン・コロブスフィ。カインで良いぜ、覚醒者」
「覚醒者だなんて呼ばないでくれ」
「じゃあ何て呼べば良いんだ? お前、名前は?」
僕目当てで来た癖に名前すら知らなかったのか。喉の先まで出かかった文句を何とか飲み込んで僕は答えた。
「九重拓斗。どう呼んでも構わないけど、覚醒者と英雄だけは止めてくれ」
「そっか。じゃあ九重だな。珍しい名字だから忘れなさそうだ」
カインと名乗る少年は笑った。暗黒魔導だと聞いていたからもっと陰鬱で湿っぽい人間を想像していたが、彼は僕のそれを正反対にしたような性格をしているようだ。ルクナの事も呼び捨てはおろかちゃんまで付けて呼んでいる辺り二人の仲はかなり親密な風に思える。そう言えばルクナもカインの事だけは敬称無しで呼んでいた。
僕がそうして損にも得にもならない事を考えていると、拓斗さん、と叫ぶ少女の声がした。青髪の美少女は僕の元まで全速力で走ってくると、僕の足下に落ちている血と、そこに居合わせている色黒の少年を見て戸惑った表情を見せた。
「え、何でカインがいるんですか? ああそれより拓斗さん腕大丈夫なんですか?」
「大したことないらしいぞ」
「そんな訳ありますか。この出血量ですよ」
彼女は少し乱暴の僕の腕を取り、傷口を検めた。そして彼女は表情を曇らせて小首を傾げた。曇った藍色の瞳が僕を見上げる。
「拓斗さん、この血は本当にあなたのなんですか?」
「そうだが」
彼女は更に首を曲げた。
「でも傷なんてありませんよ」
そんなはずはないと答えながら僕は自分の腕を見た。そこにはべっとりとくっついた赤黒い血と傷一つ無い肌しか無かった。確かに、あの時付けられたであろう傷はどこにも見当たらなかった。僕はカインの方を向いたが、彼も首を横に振った。
「でも怪我したのは確からしいですしね、もしかして変異が発現したのかも」
「それしか説明が付かねえな。あの傷は一日で完治するようなものじゃなかったから」
ルクナの呟きにカインが同調した。僕は独り取り残されて、ただ傷があったであろう所を見ていた。痛みもいつの間にか完全に消えていた。傷の深さは痛みを体験した僕が良く知っているが、確かに常人ではこの一瞬で自然治癒することは不可能だろう。治せるのは、化け物じみた再生力を持った生き物くらいだ。つまり、僕は――。
「あ、変異を知らないんでしたね、拓斗さんは。車の中で話しますから今は帰りましょう」
彼女の言葉で思考が寸断された。
「帰る?」
「ええ。ここにカインがいる事からも判ると思いますが予想よりかなり早くお迎えが来てくれたようです。日陰の森を少し抜けたところに車があるそうですから、早く行きましょう」
彼女の後ろではカインが頷いている。出ていくのは良いが、その前に色々と必要なのではないだろうか。
「櫻井さんは市場の入り口にいるはずですから無問題です。荷物もカインが取ってくれます。お世話になって仕方がありませんが、あの家には寄らない方向で行きましょう。実は宿泊代がかなり予算オーバーしていたんです。市場で少し調達しようと思ったんですが、手間が省けました。このまま襲撃に乗じてとんずらしましょう」
「屑はどうするんだ」
「この町にだって警備員はいます。彼等なら撃退くらいは出来るでしょう」
何よりもまず本部に戻ることが優先らしい。確かに、この広い街を駆け巡って屑を掃討しようとしたらかなりの時間と体力を消費するだろう。多少の後ろめたさはあったが僕は首肯した。カインはいつの間にかいなくなっていた。
「あいつは?」
「荷物の回収です。ここは彼にとってホームですから、造作もないでしょうね」
荷物は部屋の中にあるから、その部屋に侵入するという事だろうか。僕は首を傾げて歩き出した彼女の後ろに付いていった。
「あいつもお前さんみたいに透明になれるって事か?」
「ああ、まあ大まかにはそうですね。でも彼の方が厄介な能力ですよ。彼は影に入り込んで移動できるんです。地中にいると考えて貰って構いません。そこから影を伝ってどこまでも移動できます。地中は常時日陰、つまり日の光が来ませんから、もし彼の体力が無尽蔵にあるならいつまでもどこまでも地中で移動することが可能です。その代わり再び地上に上がるためには影を通らなくてはいけませんけどね」
だがこの日陰の森では一帯が全て日陰と見なせるため、彼は事実上どこにでも姿を現せるらしい。また音も無く対象の影から這い出ることで奇襲を掛けることにも長けている。
「森を抜けるって、どうやってだよ」
「さあ。それは知りませんよ」
程なくして櫻井と合流した。血の跡については驚かれたが、ルクナが一言変異だというと納得したように頷いた。秘密にされているようで気分が悪かったので変異とは何だと詰め寄ると、車の中でちゃんと話しますから、と謝りながら返された。
「覚醒者の特殊体質の一つです。それも踏まえて、覚醒者についてちゃんと説明しますから待っていてください」
仕方無く僕は了承した。
果たして街の出入り口である門の所までくると、荷物を抱えたカインと、その脇に白髪の交じった頭をした初老の男性が立っていた。黒くて皺一つ無い礼服をきっちりと着こなし、背筋は手本になるくらい真っ直ぐである。気品が溢れ出ている様な、でも威圧感は感じない人物だった。
襲撃の際に逃げ惑っていた人達はとうの昔にここからいなくなっているらしく、門の前には僕達しかいなかった。初老の男性を見てルクナと櫻井はあっ、と声を上げた。礼服を着込んだ男性は柔らかく笑った。
「誰なんだ?」
「メナード・ブルンダっていう人です」
「本部の人なのか」
彼女は激しく首を振った。
「全然違いますよ。現法王の孫の側近にいるお方です。もの凄く偉い人なんですよ」
言ってルクナはメナードにお辞儀をした。連れられて僕と櫻井も頭を下げた。法王という滅多に聞かない名が出て来た事に驚いていると、メナードは笑って言った。
「どうぞそんなにお気になさらないでください。硬くなってはいけませんよ」
「でも、どうしてあなたが」
「この事態には私の力が最適だとお嬢様がお考えになったからでしょう。ああ、そちらからも私を派遣するようにと要請があったらしいですね。まあ、ここで立ち話も何ですから、出発しましょうか。貴方方で全部ですね」
「はい、よろしくお願いします」
ルクナが答えると、彼は胸のポケットから金色に光るコインを一枚取り出した。
「金貨、なのか?」
疑問を口にした僕に笑うと、彼は祝詞を上げた。
「――眠る金・鐘の音・鈴の音・降臨・光臨・光輪・せよ・別れ・分かれし片割れ・再会・せよ」
キンと、コイントスをした音がした。金貨が宙を舞い、光を反射させる。それは綺麗な軌跡を描いて地へと落ちる。
地に触れた瞬間金貨は地面へと潜り込むようにして消え、代わりに僕達全員を囲む巨大な紋章が浮かび上がった。メナードは更にもう一枚金貨を取り出してそれを拳の中に仕舞い、紋章の中心に歩み寄った。閉じていた手の平が開かれると、そこには黄金に輝く水があった。それがゆっくりと紋章へと流れ込んでいく。
紋章が金色の輝きを放つ。メナードは僕達を見渡して、軽く会釈をした。
「では、しっかりとふんばってくださいね」
そう言った瞬間、体が宙に浮くような感覚に襲われた。
越界の時に似ているな、と思える程度には耐性が付いたらしい。
そのまま僕の視界は光に包まれてしまった。




