2-10
喧噪が広がった時私は背後を振り返って拓斗さんを呼ぼうとしたのです。ですがつい先刻までそこにいたはずの彼の姿は何処にも見当たりませんでした。まだ大衆が動く前の事です。私は目の見える限りで彼の姿を探しましたが遂に見つからず、大衆の波がその場を包み込んでしまったのです。
「どうするのさ」
「解りませんよ」
大声で怒鳴り合いながらどうしたものかと考えました。今から探しに行くのは困難を極めるでしょう。取り敢えずこれをやり過ごした後早急に市場を出て周辺を探す、それが最善でしょうか。
私が考え終わった瞬間視界が一気に開けました。ほっとして見上げた先にいたのは、片腕が肥大化した一体の屑。
私達は咄嗟に左右に飛び退きました。大振りの一撃を躱された屑は櫻井さんの槍によって胴体を断たれ消滅しました。
「ここを抜けて、周りを探しましょう。遠くには行っていないはずです」
「それよりあんた、戦えるの?」
魔導を発動させようとした私に櫻井さんが問いました。私は苦い顔をしました。
「出来るだけ、やってみます。無理はしませんよ」
私は辺りを見渡しました。周囲にはこの屑に殺された無惨な死体が数体、屑は人波が消えた方向に四体ほど、しかし今なお屑は増え続けています。拓斗さんがいなくなったとすればあの人混みの中の可能性が高いでしょう。私は櫻井さんとアイコンタクトを交わすと、人混みの抜けた方へと走り出しました。
屑が私達に気付き、攻撃態勢に入りました。私は神経を足に集中させます。
「――光の靴(Shoes of Light)」
魔導が展開、靴が淡い光に包まれ、その瞬間私の体は超加速しました。脚力を飛躍的に高め、更に空中の光の粒子を踏み跳躍出来る魔導です。十メートル相当の距離をゼロコンマ秒で縮めた私は両手を背後へと持って行き、そこにある大気を掴みました。否、光子を。
「光の息吹(Breath of Light)」
大気ごと掴んだ光子を前方へと放つ衝撃技。靴による加速も手伝って、肉薄された屑の一体は私が手を前へと突き放すのと同時に大砲に匹敵する衝撃波を上半身に喰らって胴体が千切れて飛んでいきました。
衝撃波の反動で減速した私は軟着陸すると、追いついた櫻井さんと共に残りの屑を無視してまた走りました。この町にも、いえ、この街だからこそ、専属の兵士がどこかにいるはずです。残りの屑の後始末は彼等に任せることにしました。
商店街を抜けると、辺りは人一人いないがらんどうの状態でした。皆逃げたのでしょう。ですがこれでは、拓斗さんが何処にいるのか解りません。
「手分けしよう。あたしはあっちに行くね」
「了解です。ではまた、ここで」
彼女は頷くと走り去りました。私も彼女と反対方向に向かいました。
屑は市場に最初に現れたらしく、市街地にはまだ繁茂している様子はありません。皆が各々の家へと引き籠もってしまった今、街道には人の気配も血の臭いもありません。
私が民家の角を曲がるまでは。
「……まあ、世の中そんなに甘くはありませんよね」
大通りから分岐した道の一つが、その路面のレンガを赤く彩らせていました。そこには屑が四体――塵が三体と、芥が(あくた)一体。芥が私に気付きかぎ爪めいた両腕を高く上げました。獲物を見付けた、と騒いでいるのでしょうか。
その足下には数体の死体が腹を切り裂かれ中身を撒き散らして捨て置かれています。私は一度眉を顰めると、芥を睨みました。
境界の力の欠片から生まれた異形の物質体、それが屑です。当然欠片には大きさがあります。それが小さく、微少な力しか持たない個体を総じて塵、塵よりも大きい欠片から生まれた屑の上位個体を芥と称しています。
個体の形はそのものの持つ力に関係しているらしく、それが微量の塵は皆一様な体型しか持ちませんが、芥の場合数が少ない代わりに独特な形をしているのです。
目の前の芥はひょろりとした背の高い体に地面まで届いている長腕、足には三本の指と水かきが付いている、金木犀と呼ばれている種です。
金木犀のいる街路は横幅も狭い戦いにくい空間です。出来ればこの大通りに誘き寄せた方が始末しやすいでしょう。彼我の距離は十メートル程。不意に、金木犀が高く跳躍し私に躍りかかりました。
バックステップでそれを躱すと、空ぶった腕が地面を抉りました。それをすぐに引き抜いて左腕を袈裟懸けに振り下ろしてきます。私は金木犀を軸にして左へと跳び退き、水平に襲い掛かる右腕を潜り抜けて芥の背後へと回りました。
「光の息吹(Breath of Light)」
芥が振り返るよりも先に背中へと衝撃波を当てました。芥の体が数メートル吹き飛ばされます。これだけ開けば、私の間合いです。
「光の剣(Sword of Light)」
手を前に伸ばした私がそれをトランプを横に広げるようにスライドさせると、その軌跡に現れるのは虚空に浮かぶ八つの短剣。私の意志にそって空中を駆け巡る、十八番の魔導の一つです。
ですがそれを呼び出した瞬間、私の思考は一時的に止まりました。短剣を構成しているのは空中の光の粒子です。ですから、短剣は淡く光る白い色をしているはずなのです。だというのにその時の私の目には、それらが一瞬、青い燐光を放っているように見えました。
予想だにしない出来事に私の脳は演算を中止してしまい、結果上空より襲い掛かる金木犀の攻撃に反応するのが遅れてしまいました。
短剣を前方へと集中させて飛来する攻撃を防御しました。腕に掛かる魔導の圧力。私は芥を何とか地面にたたき落とし、バックステップで距離を取りました。一つ、深呼吸。青かろうと何だろうと光の剣(Sword of Light)はいつも通り動いてくれています。つまりそこに異常は無い。私は一切の疑問を放り投げ前方の敵を睨みました。
片腕を胸の前で振ると、短剣が様々な軌跡を描いて金木犀へと突撃しました。芥はその常人を越えた肉体でそれを弾き、躱していきます。弾かれた短剣は私の指示の元再び刃を芥へと向けて飛来します。
八つの短剣による、八つの方向からの乱撃。幾度か被弾しながらもそれを殆ど躱しきっている金木犀の動きは確かに目を見張るものではあります。
でも、この間合いに入った芥など私の敵ではありません。出来れば昇級(Promotion)したいところですが、残存する魔導の量から考えてもそれは負荷が大きいでしょうから、今は小手先の魔導だけで相手をせねばならないのが歯がゆいです。せめて剣を一段階上げられれば一瞬で勝負が付くのに。
このままでは殺されると感じたのか、金木犀は短剣が腕に刺さるのも厭わず高く後ろに飛び退きました。強靱な脚力によって芥は一瞬で十メートル以上飛び上がり、民家の屋根へと着地すると、横に脱兎の如く走り出しました。正確には、走り出そうとしました。
「逃がすものですか――光の光線(Ray of Light)」
金木犀の腕に突き刺さった短剣が形状を変化させました。切っ先が割れ、まるで花弁が花開くように裂け、広がります。そこから放たれるのはレーザーそのものです。
レーザーが芥の両足を切り落とし、更に転んだ所を断頭しました。そこでやっと金木犀は沈黙しました。私はそれが虚空に溶け始めるのを認めてから魔導を解き、踵を返して歩き始めました。早く拓斗さんを探さなくてはいけません。
ですが私が足を踏み出した途端、体が急に支えを無くして膝を着いてしまいました。咄嗟に手が出ていなければそのまま倒れていたかも知れません。面白いくらい全身に力が入らないのです。理由はすぐに判りました。
「はは、ここで電池切れですか……」
どうやら私が思っていた以上に魔導の備蓄が底をついていたようです。歩ける程度に回復したことで甘く見ていたのでしょうか。まさか、あれくらいの魔導で尽きるとは、情けないにも程があります。私は自分の油断を恥じました。
これでは彼を助けに行くどころか、逆にお荷物ではありませんか。拓斗さんや櫻井さんに合わせる顔がありません。ああせめて、彼の居場所だけでも解れば良いのですが。
溜め息を付いて俯いていた私は、諦観の眼差しで顔を上げました。せめて視認できるところにいないかと。
ですが、いるはずもないと諦めようとしていた私の視界に飛び込んできたのは、全く別の世界でした。黒く塗りつぶされた世界。そこに並ぶのは輪郭だけを持った建物と、その中にいる人間。それらの形は暗黒の視界の中でぼんやりと浮かんで見えました。
そこに生命は感じられません。気が狂いそうに成る程の、無機質。いいえ無機質などではありません。無なのです。先程まであるはずだった様々な事がたった今私の中で無へと変換されてしまったのです。別次元と言った方が良いのでしょうか。
先程までの私の世界と今の私の世界は、認識するもののベクトルがまるっきり異なっているようです。私はそれを直感しました。また、私はこの光景をさして驚きもせずに受け止めました。まるでこの景色が見えるのが当たり前であるかのように。
膝を付いている私の周りに白い霧のようなものが集まり始めました。私はそれに親近感を覚えました。この視覚の中においてその霧は有機的な存在に思えたのです。それは私を取り囲みました。私はそれを好意的な眼差しで眺めていました。
それは私にとって、食物だったから。
私はそれを喰らいました。口ではなく体全体、心でそれを喰いました。霧は吸い込まれるように私の体の中へと入り、私に融けました。それは私にとってエネルギーの元でもあり、体の構成要素でもある。先程まで力の入らなかった体が途端に軽くなりました。私は立ち上がり、周囲を見渡しました。
右斜め前方に大きな塊を発見しました。大きな力の胎動が見て取れます。それは私にとって宝石よりも輝いて見えました。どくん、と鼓動がします。私の中の私でない何かがその力の塊に呼応しているのです。私は塊が覚醒者であると瞬時に理解しました。
そして彼の力の輝きに涙すら流しそうになりました。
なんて美しい。この無の世界において、なんて凜々しい存在なのでしょうか。私の内側からふつふつと感情が這い上がってくるのを感じました。近づきたい。触れたい。そして、喰いたい。ですが唐突にその感情は氷水の中に突っ込んだかのように急速に熱を失い、萎んでしまった後には忘れかけていた理性が残りました。あの輝きを、私は――。
そこで視界が元に戻りました。色を取り戻した世界。視線は覚醒者のいた方向に向かっています。急に、先程までの景色が恐ろしく思えました。あんな不可思議な世界をどうして受け入れたのか説明が付きません。
私は頭を音がする程振りました。せっかく拓斗さんの居場所が解ったのです。今は私の事より、彼の事を優先しなくてはなりません。
私は彼がいるであろう所へと走り出しました。あの不可思議な世界の光景を頼りに進みます。
その足は、酷く重く感じられました。陰鬱で漠然とした、ガムのような不安が靴の裏にべっとりとへばりついて踏み出す足を妨げているのではないか、そう感じずにはいられませんでした。




