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双子世界のパラドックス  作者: 喫茶店ラギ
Ⅱ、鼓動 ――Pulse――
16/32

2-6

 更にそこから歩くこと十分程、もう城は見上げなければ全貌が拝めないほどに近くに来ました。周囲も賑やかな市場風景と違って、ここ一帯が高貴な雰囲気を醸し出している様に感じました。道を歩く人々の顔が市場のそれとは違うのです。


 もっと厳かな気品のある表情をしているように思えました。こういった周囲の空気と、郵便屋がもう目前に迫っているという緊張と興奮から私の精神は何処か落ち着かず、地表をふわふわと漂っていました。

「あれだな」


 拓斗さんが指差した方向に飛び立たんとする鳩の影絵が載っている看板がベランダに掛けてありました。私は頷いて、気持ち早足になりました。


「でも書いてある字は判らんな」

「この街は英語が使われていますよ」


 彼は頭を掻きました。


「お前さんの話しぶりからそれはなんとなく察しが付いていた。が、これ、筆記体だろう。それもかなり崩してある」


 看板は大きな木の板にペンキで書き込むといったもので、彼の言うとおりこの郵便屋の看板の字は私でもギリギリ読めるか読めないか、そのくらい汚かったです。彼は何らかのデザインだと思い込んでいるようなので、私は敢えて相槌を打つだけに(とど)めておきました。


 扉を開けて中に入ると、広くも狭くもない部屋の奥にカウンターがあり、そこに禿げ頭の男が葉巻を咥えて座っていました。客は私達以外には今はいないようです。男は私達に気付くとにっと笑って見せました。壁沿いに置かれている長いすに拓斗さんを座らせて、私はカウンターに向かいました。


「いらっしゃい」

世界結合結社(ユニバース)まで一通。お願いできますか?」


 私が持参した便箋を差し出しながら言うと、それを受け取った男は葉巻を口の端に咥えたままそれを訝しげに見ました。


世界結合結社(ユニバース)、ねえ」

「知らないのですか?」

「あの物好きな酔狂が集まっているって噂の奴だろう。廃墟になった城に住んでいるんだっけか。ここに住んでいる奴なら皆知っているよ。あんたもそこの人なのか?」

「だったら何だというのですか」


 男は両手を挙げて見せた。


「そんな怖い顔しないでくれよ。別にだからって何もする気は無い。で、その知らせは急用かい?」

「速達で」

「なら値が弾むけど勘弁してくれよ。鳩が足りなくて今予約待ちなんだ」


 どうしてと問おうとしましたが、その途中で理由に気付いた私はただ値段を聞きました。料金は確かに倍額くらい高かったですが、私の持ち金からギリギリ出せる程度だったのでその場で頼みました。


「まだここには現れていないらしいが、近くの街で異形の化け物が湧いて出たって話で最近は持ちきりだな。それにあの空もあるし、本当、この先どうなっちまうんだろうな」


 金を受け取った男が首を捻りながら言いましたが、私は何も言いませんでした。世界が滅んでしまうなどと伝えたところで彼も私も何の得もしないと思ったからです。


「ルクナ、伝書鳩がいないのに届けられるのか?」


 不意に背後から日本語で言われ、私は振り返りました。拓斗さんは私と視線があってから、すぐに届けるんだろう、と加えました。確かに言われてみれば肝心の鳩がいないのだから速達もヘチマもありません。


 突然聞こえてきた外国語に驚いた禿げ頭の男にそれを訊くと、彼は無問題だと答えました。


「有事の際に備えて絶対に数匹はストックしておいているんだ。普通ならお偉いさんとか自分用に使うんだが、あんたはべっぴんさんだから特別だ。金も貰ったしな」

「そりゃどうも」


 無愛想に返す私に男はもっと笑えば良いのにと言いましたが、私はそれを黙殺しました。どうしても褒められるのが苦手で、ついつっけんどんになってしまうのは悪い癖です。


 その後適当な書類をパスした後、私達はその店を後にしました。


「よく解りましたね」


 私が唐突に切り出したので、拓斗さんは首を傾げました。


「英語とはいえ、良く聞き取れましたね」


 科学界の日本では英語が義務教育となっているのは知っていますが、あの場で使われていたのはネイティブに匹敵するレベルの英語、しかも多分に訛りが含まれているものでした。それを聞き取った彼の英語力はかなりのものです。


 彼は耳の裏を掻きながら答えました。


「別に全部解ったわけじゃないさ。特にあのおじさんの方は発音が悪かったしな。ルクナのがギリギリ、微妙に判るかどうかって所だし、まあ確かに話の概要は何となく解っていたけどさ」

「それって凄いことなんじゃないですか?」

「そうでもないだろう……櫻井には無理だろうがな」


 私はそれに苦笑いで答えました。そこで、彼はそうだ、とこちらを向きました。


「まだお前さん時間的に大丈夫か? 行きたいところがあるんだが」

「え、まあ、多分平気ですよ。多少なら」


 予想以上に伝書鳩が早く見つかったので、少しであれば散歩するくらいの余裕はあります。途中で何故か私の力が回復するという予想外の出来事もありましたし、彼が何処か回りたいというのなら、多少は付き合おうと思いました。


「そうか、なら、あの城の方まで行っても良いか? 近くで見てみたいんだ」


 体の芯が急速に冷えるのを感じました。一瞬動きが止まった私を訝しんで拓斗さんが顔を覗き込んできましたが、私はすぐにかぶりを振ると、それを了承しました。


 行きたくないと喚く心と行かなくてはいけないと思う心が私の中でせめぎ合っていました。あんな所二度と見たくもありませんが、きっとそのままではいけないのです。いつか、何処かで私は自分のトラウマを乗り越えなくてはいけないと感じて、私は半壊した城に行くことを決めました。


 数分ほど城に向かって歩いて行くと、城門の所まで来られました。戦争の被害で城壁の所々が破損しているとはいえここは一国王の城でしたから、間近に来るとその大きさに圧倒されます。隣の拓斗さんもそれを満足そうに見上げています。


「楽しいですか?」


 私が問うと、彼は城を見たまま答えました。


「結構楽しい。城なんて滅多に見られるものじゃないからな」

「こんなもの、全然楽しいものじゃないのに……」

「え?」


 いつの間にか私は俯いていました。なのに見える景色は城、否城内の光景でした。思い出したくないと願って目を固く瞑り、他のことを考えようとしても、思考の進む先には必ず幼少の頃の赤黒い記憶が壁となって現れ続けます。手の平から血が滴りそうな程強く拳を握り締めても無駄でした。


 薄汚い牢獄。鈍色の鉄柵の向こうには狂った声で高笑いする独りの男が立っていました。その足下にはつい先程まで私の名を呼んでいたはずの女性の肉体が千切られて捨て置かれています。


 引き千切られた手足からは白い骨が覗き、胴は裏返しにされて守られているべき臓器を辺りにぶちまけていました。死んで間もないそれらはぬらぬらと光っていました。私は悲鳴と涙を忘れました。


 私が再びそれらを思い出したのは、それからしばらくして薄汚い男共が私の牢に入ってきたときでした。私が全てを失ったその日に――。


「こんな、街……」

「ルクナ?」


 拓斗さんが私を訝しんで肩を揺らしました。それで私ははたと正気に返りました。


 顔を上げようとしたとき、彼は私の頭を押さえてそれを阻止しました。


「俯いていてくれ」


 抑えられた衝撃で私の目元から滴が垂れて、足下のレンガに染みを作りました。よく見てみればその染みは何個も出来ています。


「泣き顔なんて、見たくない」

「私……は……」


 負けた。結局、過去の記憶に勝つ事は出来なかった。その重みが私の言葉を潰しました。


 拓斗さんは私の頭をそっと撫でました。


「もう帰ろう」


 私はただ頷いて、俯いたまま彼の手を取りました。何かに縋っていないと自分の体が支えのない蔓になって、(ほど)けてしまいそうだったから。

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