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かなり体に無理をしているのは事実です。恐らくとっくに体の限界は来ているでしょう。門をくぐった辺りから意識もたまにぼうっとしてしまって、気付くと倒れそうになっていた事もありました。
ですが幸か不幸か、取り敢えず意識をきちんと保てば体はまだ言うことを聞いてくれる様です。もう明日には寝込んでしまうでしょう。だからこそ、今日の日没までには全ての工程を済ませる必要があるのです。
その途中で耐えきれずに倒れてしまう事も十分に考えられます。だからその時の為に拓斗さんに同行して貰うのです。私はふらつく体にむち打って歩きながらそう考えました。思考を止めた瞬間意識が飛んでしまいそうだったからです。
隣に並んで付いてくる彼は私に気を遣っているのか先程から話し掛けてきません。数分の間ふらふらと歩いた後、ふと私は彼の顔を見ました。彼は周りに立ち並ぶ家々に視線を向けていました。森の中にあるこの街は科学界育ちに彼には新鮮に映るようです。
その時、肩に突然衝撃が加わり、私の体が傾ぎました。驚いて視線を戻すと、老人の顔が目に入りました。彼も驚いた表情をしています。
それを認めた後、力の入っていなかった私の体は紙が舞う様にあっさりとバランスを崩して倒れ始めました。
私が倒れるのを覚悟して反射的に目を瞑ったとき、今度は私に背中から押す力が加わり、私はそのまま為す術も無くそれに引き寄せられ、何か硬いものに当たりました。見上げると不機嫌そうな拓斗さんの顔がありました。
「危なっかしいな。付いてきて正解だった」
私は拓斗さんの腕の中にいました。体に力の入らなかった私はそのまま拓斗さんにもたれ掛かりました。
丁度その時でしょうか。私の胸が一度高鳴ったかと思うと、ほんの僅かですが全身に力が漲った気がしました。
体の中で何かが燃えているような感覚。内側から暖められているように力が伝わるのです。それは凍りかかっていた私の脳を柔らかく解し、崩れかかっていた体をそっと支えてくれるのです。
意識が明瞭になった事で今自分が拓斗さんと密着している事を思い出し、胸がまた高鳴りました。胸の中の芯がきつく締め上げられている様な気がして私はすぐに彼から離れました。一拍遅れて顔に熱が溜まっていくのが感じられました。
「あ、ありがとうございます」
やっとそれだけ言った私は踵を返して歩き始めました。それまでの危ない足取りとは打って変わって、今の私はいつも通りにきびきびと歩いて行けました。顔が赤くなっているだろう事を知られたくなかった私は少しだけ早歩きになりました。
「待ってくれよ。どうしたんだ」
拓斗さんが後ろから追いかけてくるのを感じながら、私はふとある疑問を抱きました。
彼に触れて、そして彼と密接していることを理解して、つまり私は計二回心臓の高鳴りを感じたはずです。
だというのに、どうしても、前者の高鳴りがどうして起こったのかが理解出来ないのです。後者はただ単に異性に慣れていない私の恥ずかしさから来るものですが、前者はどうしてなのでしょうか。
それにその後私の力が何故か回復しているのです。光を受けることでしか回復しないはずの私の魔導が、確かに少量だけ回復している現象をどう説明すれば良いのか解りません。
それに前者の鼓動の根源は、妙なことを言うようですが、私ではない気がしてならないのです。いいえ、それは確かに私なのでしょう。ですがその私は私の知っている私とは違う別の私なのです。私の中に潜む全く得体の知れない何か、そんな気がします。
その時突然、脳裏に何かの光景が飛び込んで来ました。急に訪れたそれは瞬く間に私の視界を乗っ取り、目の前は真っ暗になってしまいました。
何処までも果てしなく暗い空間。地面という線すら視認できていないのに、私はそこに横たわっているのです。横たわっているのだと、感じるのです。眼球すら動かせないらしく視界はその暗闇のまま固定されてしまっています。
どうしてここにいるのか、どうしてこうなってしまっているのか。それら一切の質問の答えはとんと見当が付きません。気付いたらこうなっていたのです。
やがて足音が近づいてくるのを感じました。それが私の近くまで来たとき、その人は私を持ち上げました。目の高さが私を持ち上げた美青年に合わせられました。彼はにこりと笑っていました。形の良い口が動き、言葉を吐き出しました。
――君には大役を押し付けてしまったね。
――君が最後の布石なんだ。
――待っていたまえ。今、君を体とくっつけてあげるからさ。
手に持たれている感覚と視界の角度から、その時の私は体が無い事に気付きました。
私はその時首から上しか無かったのです。
「ルクナ?」
拓斗さんの声が目の前の闇を剥がし、私は我に返りました。先程までの漆黒が嘘のように晴れた視界は城下町を映しています。いつの間にか呼吸と動悸が速まっていました。
「大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
顔を覗いてくる拓斗さんに問題ないと答え、私は一度首を横に振って雑念を払い飛ばして再び前を向きました。ついでに額にびっしりと掻いていた脂汗を袖で拭いました。
悪夢に似たあの光景、いえ記憶は目の前から消え去っただけで、封じ込められていた釜の中から出たそれは未だに私の脳の隅に黒ずんだシミを作ってしまっているらしく、思い出そうとすればいつでも蘇ってくるようです。
どうしても自分とは思えない、ただの妄想としか思えない光景のはずなのに、私じゃない私はこれを認めているのです。頭部しか無い私もまた、本当の私であると。
考えれば考えるほど自分が判らなくなっていくので、私は突如蘇ったその記憶の事を出来る限り理性の外に置くことにしました。今優先すべき事は一刻も早く本部に助けて貰う事なのですから。
二人で街の中心部へ向けて歩くこと三十分程でしょうか、段々と周りが賑やかになってきました。
「そろそろか」
「その様です」
人が増え、通りも整備されてきています。その通りに面した家の中には売店を営んでいるものも多く、路上には服やら食料品やら種々雑多なものが並べられています。様々な所から聞こえる人の声に酔ってしまいそうです。
「レトロな町並みでなければ、科学界と大して変わらないんだがな」
隣にいる彼はそうぼやきながら活気溢れる町並みを眺めています。電気やガスが通っておらず家の作りも簡素、極めつけにそびえる半壊した城があるのですから、レトロに見えるのも無理はないでしょう。
「レトロと言うよりもはやおとぎ話の世界だな」
「そう言う人は多いですね。こちらから見れば、科学界もファンタジーの世界ですけどね」
「そうかな」
「こちらでは考えられない事ばかり起きているのですから当然です。高速で動く鉄の塊、空を飛ぶ鉄の塊、独りでに光る電灯、何処にいても会話できる携帯。まるで理想が形になったような世界です」
「その分緑も少ないがな。どっちもどっちだな」
大分周りも賑わってきたので、私達はここで伝書鳩を取り扱っている店の聞き込みをする事にしました。実際には言葉の話せる私が喋り、拓斗さんはその近くに侍っているという感じでしたが。
数人に訊いた結果、伝書鳩のいる郵便屋は城門の近くにある事が判りました。ホテルや多少上質なものを売買する店は軒並み街の中心部、城の周りに集まっているのだそうです。目指す店は鳩のマークが入った看板を下げているらしいのですぐに見つかるでしょう。
そこに行くためには、必然的に今は亡き暗黒魔導最後の国王が住んでいた城に近づかなければいけません。私は拓斗さんに見えないように拳を握り、頭を横に振りました。私情を挟む暇はありません。そう、肝に銘じて。




