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小鳥のさえずりと、地面の固さで目が覚めた。何も敷かずに地べたに寝たからか背中のあちこちが悲鳴をあげていた。あたしはひんひん言いながら起き上がり、両脇で横になっている二人の顔を見た。どちらも静かに眠っている。
二人を起こさないように立ち上がったあたしは軽く伸びをして体を解し、少しの間拓斗の寝顔を見ていた。
普段無愛想で、口を開くと憎まれ口と屁理屈しか言わないような奴だけど、寝顔はとても穏やかだった。
普段からそうなら女子にもモテるだろうに。彼は他人を拒絶するような態度を見せるけれど、本心から遠ざけたいのではない事くらい付き合いの長いあたしは知っている。
あたしが彼に出会う前に一悶着あって、それが原因で彼の中の何かが変わったらしいのだけどその詳細をあたしは知らないし、知ろうとも思わない。
ただ寂しくて、でもそれをうまく表現できないだけの不器用な奴だとあたしは思っている。だから確かめたかった。彼は良くも悪くも正直者だ。あたしの事をどう思っているのかを率直に言ってくれると信じていた。過去にこの魔導のせいで多くの人間があたしから離れていった。彼も離れてしまうのか、それが怖かった。
いや、もう忘れよう。昨夜の事は無かったことにするんだ。そう考えていると拓斗が呻きだした。見守っていると数刻して彼が瞼を開けて起き上がった。先程までの穏やかな表情は顔の奥へと沈んでいってしまった。もったいない。
「おはよう」
彼はあたしに短く返答し、唸りながら背伸びした。背骨が小気味よく音を鳴らした。
「背中が痛い」
「あたしも一緒さ。やっぱベッドが無いと駄目だね」
「せめて何か敷いておけば良かったな。腹も空いたし」
「昨日の昼から何も口に入れてないからね。喉もカラカラ」
あたしがぼやくと、彼が何かを投げて寄越した。水の入ったペットボトルだった。曰く、日本の水質に慣れると他の水が飲めなくなるから数本バッグに入れておいたらしい。
「新しいのを空けるのは面倒だし、僕が飲んだ奴で良ければやるよ。それとも新品が良いか?」
これで十分だと答えて、水を飲んだ。久々の水の感覚が喉を通っていく。自分では抑えたつもりだったけどかなりの量を飲んでしまった。しまったと思ったあたしは小さくごめんと言いながらそれを拓斗に返した。彼は随分と軽くなったそれを受け取ると、無表情のまま中身を全部飲み干した。
「気にするな。遅かれ早かれ、どうせ無くなるんだ」
空になったペットボトルをバッグの中に戻した彼は未だに横で寝息をたてているルクナの方を見て怪訝そうな表情をした。長いまつげが風に震えている。
「まだ起きないね」
「朝は弱いのか?」
釣られて彼女を見たあたしが呟くと、彼はそう訊いてきた。
「そんなはず無いよ。ルクナの起床は日の出と同じタイミングだもん」
「だがもう日は昇っているぞ」
「やっぱりこの森が原因なのかな。ちょっと強引だけど、日光に当ててみるよ」
朝の陽はまだ低く、影は細長く伸びている。この森一帯が木の葉のせいで日の差すところが見当たらないようになってしまっているから、彼女に日光を当てるためには必然的に木を倒さなくてはならなくなる。
「拓斗、離れていた方が良いよ。ここら辺全部燃やすから」
「そこまでするか」
「ちょっぴり本気で行く。念には念をね」
彼から返事があったのを確認して、あたしは静かに魔導を発動させた。左手で右手首を強く持つ。力を込めて握り締めると腕の形状が変化し、もっと細く、硬いものに変わった。槍のような感触のそれを一気に引き抜く。
右腕が肩から消滅し、その代わり左手には炎で出来た槍が握られている。あたしはそれを持って拓斗から離れ、静かに言葉を紡いだ。
「――這う獄炎・灰色の轍・(わだち)臭うは焦げた骸の山・烈火の版図を今広げん」
槍を地面に突き刺す。そこから波紋の様に紋章が広がって行く。
「紅蓮・丹陽・神火煉獄!」
詠唱に合わせて紋章が光り、爆発が起こった。紋章から垂直に青い業火が生える。五メートルは伸びただろうか、それは捻れ始め、そして巨大な炎の渦となった。
鉄をも瞬時に溶かす程の熱量に周囲は一瞬で更地へと変わってしまった。あたしはそれを確認して魔導を解いた。焼け焦げた大地に、ぽつんとあたしだけが立っている。
それを見届けてあたしは振り返った。そこには口をぽかんと開けている拓斗がいた。
「凄いな」
近づいたあたしに彼が言った。あたしは頭を掻いた。
「まあ、破壊するだけなら十八番だからね」
あたしはルクナを担ぎ、焦げた大地の真ん中に寝かせた。彼女の体に日光が当たり、天使のように美しく見えた。人形のように白くて整った顔は、ともすれば死んでいるように見える程動きがない。胸の辺りが微かに呼吸に合わせて上下している。豊かな水色の髪は日の光を受けて銀の輝きを放っていた。
「寝顔は穏やかだよな」
拓斗がそうぼやいた。あたしは彼の顔を見て、ブーメラン、と言ってやった。
それからややあって、ルクナがゆっくりと瞼を開いた。呆けた顔であたしと拓斗の顔を見比べた後真っ黒の大地を見、小さく礼を言ってきた。
「色々とご迷惑をお掛けして、済みません」
「別に良いよ。それよりルクナ、もう動けるの? 大丈夫?」
彼女は一度起き上がろうとして、途中で断念した。空を見上げて彼女は嘆息した。
「もう少し、このままで……。まだ動けそうにありません」
言うや否や彼女はまた瞳を閉じてしまった。よく見れば顔色が悪い。唇も青く、元々白かった肌は病的なまでに白くくすんでしまっている。息づかいも荒く、まるで病人の様であった。
「僕達は何ともないのに、ルクナだけどうしたんだ」
「知らないよ」
あたしと反対側に座った彼が訊いてきたけど、無論答えられるはずはない。あたしはかぶりを振った。その時二人の間に消え入りそうな声が割って入ってきた。
「ここ一帯は、日陰の森、そう言われています」
声の主はルクナだった。目を閉じたまま少しだけ口を開いて、空気を吐き出している。
「起きていたのか」
「あってま、寝ていなくて大丈夫なの?」
「多分今寝たら、明日まで起きないでしょうから……」
ゆっくりと、一語一語を吐き出している。眠気覚ましに喋っているということなのかな。つまり、それだけ彼女が疲弊している事になる。あたし達が何も言えないでいると彼女は自分から語り出した。
「そこら中に生えている木は、日輪という種類のものです。とても繁殖能力の高い広葉樹で……私の天敵です。私も運がありません、ね」
「何だ、この木攻撃でもしてくるのか?」
ルクナは首を振った。
「私は日光を受けることで、それに含まれているエネルギーや光子を吸収し、それを糧にして生活しています。ですがこの木は信じ難いことに、葉の面積以上の光エネルギーを吸収してしまうのです。ですから、この木が群生しているところは、エネルギーがとても乏しく、光魔導は力を補充する事が出来ないんです」
「何だそりゃあ」
「まだその原理は、解明されていません。光を吸収するのではなく、あくまでエネルギーだけを吸い取るので、見かけは何も変わりませんしね……。見かけの上では昼の景色でも、科学的には夜、それが日陰の森……です」
「非科学的な木だな。本当に木なのか?」
「まあ、ここは魔導界、ですからね。今の所、日輪にも魔導……しかも光魔導が存在しているのでは、と言われています。この様な科学で証明できない性質を持った動植物が、他にもいますし」
その代表例に月輪という木がある。これは日輪と対照的な性質を持っている。光を吸収する量は普通の広葉樹のそれと等しく、またそこで手に入れたエネルギーの一部を夜に放出する特異な性質だ。この木が群生する森は日向の森と呼ばれている。
日陰の森にはその性質上、日の光を嫌うものが集まる。ルクナとは正反対の魔導、暗黒魔導の者は特にこの森を好み、森の中に村を、遂には城を作って生活するようになった。ルクナが見付けたのはその城跡を中心として広がっている街だ。そこに数日泊まり迎えを待つことになる。
ルクナは途切れ途切れに、大体この様な内容の事を喋った。
「しかし、そう都合良く迎えが来るのか?」
「ここは、本部から程近い所にあります。伝書鳩に頼めば……大丈夫です」
電波は言わずもがな、郵便制度も整っていない魔導界では手紙などを伝書鳩に頼んでいる。頼むのにはお金がいるらしいけど、それはルクナが有事の際に備えて持ってきた魔導界の金から出すのだと言う。
「よく近い場所だって解ったな」
拓斗が訊くと、ルクナは目を瞑ったまま顔を顰めて見せた。
「ええ。ここは暗黒魔導の王が住んでいた所ですからね……嫌でも忘れられませんよ」
あたしは息を詰まらせた。そうだった。ここは彼女にとって――。
「気にしないでください。私のこれは完全に私情です」
「でも……」
「任務が優先です。よ、と」
彼女は目を開けるとゆっくりと起き上がった。大分顔色も戻っていた。
「私はもう大丈夫です。遅くならない内に歩きましょう」
そう言うルクナの顔に表情は無かった。瞳からは相変わらず生気が感じられない。うんにゃ、わざと感情を押し殺しているのだろう。無感情のまま、暗黒魔導の王の城下町にいけるはずが無いのだから。独りで歩き始めるその背中に向けてあたしは声を掛けようとして、結局開いた口を閉じてしまった。
その城の中で彼女は母を目の前で殺されている。彼女の母は暗黒魔導の王に体を引き裂かれ、バラバラになって死んだらしい。




