1-7 竜の血薬
「……えっ、オレが飲むのか?」
ジロッとガキに視線を戻しながら静かにそう言い放てば、ガキは戸惑いの声を上げて俺を見てきた。
その瞳には、さっき俺が剣を突き付けた時にさえ見られなかった、明らかな焦りが垣間見得た気がした。
こいつ、まさか……。
俺の中の疑問が、確かな確信に変わった気がした。
「だから、お前が飲めって言ってるんだ。ほんの数滴で効果が出るんだろう? じゃあやってみようじゃねぇか!」
「や、やめろ! それは、健康な生き物が口にすれば毒になる! だ、だから、オレが飲んでも逆効果なんだ!」
小瓶のコルクのフタを取り、強引にガキの頭を掴まえて飲ませようとすると、ガキはジタバタと暴れながら必死にその理由を口走っていく。
ほう、健康な者には毒になる、と。
俺は掴んでいた頭を離すと、左手に小瓶を持ったまま右手で再び腰の剣を抜きはなった。
「じゃあ、今この場でお前を滅多刺しにして、これを飲ませればいいじゃないか」
「……くっ。ま、まさかお前、このオレを疑っているのか? 愚か者め。用が済んだのならさっさと帰ってくれ! オレだって暇じゃあないんだよ!」
「ちょ、クソッ、おい!」
ガキは開けられた扉に素早く手を掛けてそれを引くが、閉まり切る前に俺が隙間に足を滑り込ませる。
必死にその足を蹴ってガキが扉を閉めようとしているが、力はやはり子供のそれであるので閉められることはない。
……のだが、俺も今は小瓶を持っているから片手しか使えない。
「おい! やっぱり妙なもの掴ませたんだなこのクソガキめ! 嘘が下手すぎるんだよ!」
「その薬は本物だって! ……あぁ、もうっ!」
ガキは俺が何を言っても、それは本物だということの一点張り。
ますます怪しい。
……しかし、そんなことはもう良くて、問題はどうやってこの扉を開けるか。
このままじゃあ埒が明かない。
そうして状況が進展しないこの場面をどうするか考えていると、閉めさせまいと足を挟んでいる扉からふと力が抜ける。
しまった、と思った時には既に遅かった。
次の瞬間には、閉められようとしていた扉が逆に一気に開いて、扉の前に居た俺は勢いよく弾き飛ばされた。
大きくよろめいた俺の右手の小瓶から、赤い液体が溢れて落ちそうになり、俺はなんとか体勢を立て直そうとする。
「どわっ……あっ!」
「きゅああぁっ!」
なるほど賢い、一度開けて、俺を突き飛ばしてから扉を閉めようとしたのだろう。
しかし、一拍遅れて上がった俺の驚きの声と仔竜の鳴き声に、思わずといった様子でガキも扉から様子を伺ってきた。
堪らず尻餅をつく形で地面に倒れた俺が見たものは、置いておいた仔竜入りの麻袋に、深々と右手の剣が突き刺さっている光景だった。
「ちょっとおい、マジかよ、冗談よしてくれよ? 大丈夫なんだろうな⁉︎」
「きゅうぅ……」
俺は急いで、麻袋の口を開けて中を確認する。
剣は、仔竜の後ろ足の部分を綺麗に貫いており、溢れる血で麻袋の赤いシミがみるみる広がっていく。
ああ、やっちまったよ。
俺はその様子を見てがっくりと肩を落として考える。
辛うじて急所は外れてはいるものの、仔竜というのは酷くデリケートなんだ。
こいつもいつまで持つか分からないし、そもそも無傷か傷物かで天と地ほどの売却の値段差がある。
それに今重要なことは、こうして血を出してしまった以上、匂いを辿ってドラゴンが俺を追ってくるリスクが高まるということだ。
「くそったれが……」
ふと、左手に持っている小瓶に目がいく。
たちどころにどんな傷でも治る、か。
正直言って嘘だろうが、この際試してみるか。
どうせ、このままだとこいつはここに置いていかないといけないんだ。だったらもうこの薬がどんな効果かを示す実験台にでもなってもらおう。
俺は瞳をうるうるとさせている仔竜の頭を掴んで上を向かせ、その口の中に数滴、小瓶の中の液体を垂らす。
既にぐったりとし始めていたそいつが、口の中の液体を確かに飲む込むのが分かった。
「きゅうー!」
「あ、ありえない……。ウソだろ? こんなことが」
すると驚いたことに、仔竜の身体を輝くオーラが包み込んだかと思うと、みるみるうちに後ろ足の傷が治っていくではないか。
そうしてしばらくもしないうちに、なんとまるで最初から傷など無かったかのように、傷跡さえ残ることなく完治してしまった。
おまけに声を上げる仔竜は、眠り薬の効果も完全に打ち消して体力も十分に回復しているようだった。
俺は、左手の小瓶をまじまじと見つめる。
……とんでもない薬だな、これは。
「だ、だから言っただろう! その薬は本物だって! じゃあ、もう用事は済んだだろう? じゃあな!」
「……。」
様子を伺っていたガキは、何か驚いた様子のままそう言い残すと、扉をパタリと閉めてしまった。
あいつ、こんな薬を作るとはなかなかやるガキじゃねえか。
もう大分時間も使ってしまったことだし、今回はこの薬の効果に免じて、これくらいで退散するとするか。
俺は騒ぎ立てて逃げようとする仔竜を素早く引っ捕まえ、口を手持ちの縄で縛ってひとまずさっきの麻袋に詰め込む。
それから剣を鞘に仕舞って、左手の小瓶を慎重に顔の上に掲げた。
効果は保証された。こいつがあれば、俺の横腹の痛みもすぐに引くのだろう。
まだ若干の不安は無いこともないが、ここで根性を見せないでどうする。
俺は意を決して、仔竜と同じように上を向いて開けた口の中に、何滴かその液体を垂らし込む。
口の中に何やら薬品っぽい味と、鉄を舐めているかのような風味が広がり、俺はそれ以上考える前にそれを飲み込んだ。
「……ふう。確かに、力が湧いてきたぞ」
全身に何か温かいものが駆け巡る感覚がして、不快ではなくむしろ心地いい。
また、今は見える怪我をしていないからか、俺にはさっきのような輝くオーラは現れなかったものの、たちまち横腹の痛みは気にならなくなり、感じていた疲労もすっかり無くなってしまった。
たった数滴で、この効き目か。
小瓶の中には、そんな薬がまだ半分以上も残っている。
いざという時に使える上に、もし売りに出したりでもすればとんでもないことになりそうだ。
……もしかしたらこの薬、仔竜より高く売れるんじゃ無いだろうか?
俺はそんなことを考えながら、小瓶のコルクのフタをしっかりと閉めて道具袋に仕舞った俺は、二つの麻袋を来た時のように肩に掛けて歩き出した。





