1-3 俺とオスドラゴン
「グゥゥ……」
突然様子のおかしくなってしまったオスドラゴン。
そいつは前足で頭を抱え込んで、その場に蹲ったまま苦しそうに呻いていた。
もちろん俺の方は見えていないようで、俺を油断させようとしてやっているにしてはあまりにも違和感が無さすぎる。
そもそも、ケモノの分際でそんな小賢しい真似をしてくるとは思えない。
「何か知らないが……それ!」
「ガァ‼」
俺はすかさず剣を構えながらオスドラゴンの懐に飛び込むと、大きな動作でそいつの腹を左下から切り上げる。
鮮血が飛び散り、ドラゴンが大きく横向きに怯んで半歩後ろに下がった。
そして上げた剣を両手で持つと、一歩踏み込んで今度は無防備な右翼の付け根を切り裂く。
こっちもそこそこの手応えがあり、ドラゴンはさらに後ろに下がって大きく体勢を崩した。
そこで生まれた距離を利用してもう一度踏み込み、切りつけた腹部に勢いを乗せた蹴りをお見舞いする。
「おらぁ!」
「グゥァ⁉」
ただでさえバランスを崩していたドラゴンが、ついに仰向けに倒れ込む。
しかも、依然としてそいつは頭を押さえたまま悶えていて、全く起き上がる様子が無い。
「へっ、あばよ!」
オス野郎には致命傷は与えられなかったが、足止めさえ出来れば十分。
それに加え、よく分からない症状も出ている。この様子じゃあそう簡単にはもう追ってこれないだろう。
とにかく、先を急がないと。
この場でもたもたしていたら、このオスドラゴンのように、また別のドラゴンが応援に来てしまうかもしれない。
俺は剣に付いた血を払って腰に仕舞うと、さっきメスドラゴンが逃げていった方向の森の中へ走り出した。
と、そこで気が付いたが、この方向はドラゴンの群れの中心とは反対向き。助けが来てしまうことが不安要素である俺にとっては、非常に好都合だ。
わざわざアウェーの場所に逃げた上に、頼みの綱であるツガイであろうオスドラゴンも来られないときた。
こんなチャンスを逃す俺ではない。
一匹でも良い、殺してでも仔竜を捕まえてやる。
そうやって森の中を全力疾走していくと、すぐにメスドラゴンを視界に捉えた。
もう逃げ切ったとでも思っているのか、オスドラゴンの方……つまり俺の方を心配そうに見つめたまま草原で佇んでいる。
俺はそんなドラゴンの目の前の草むらから一気に飛び出すと、何かされるよりも早く腰から剣を抜きはなってそいつの鼻先を掠めた。
「ガアッ!」
「あいにく時間がねぇんだ。大人しくしてもらう」
そのまま俺は、怯むメスドラゴンの横腹、ちょうど鱗の薄い部分を切り裂く。
痛みに耐えるように傷を前足で押さえているそいつを蹴飛ばすと、急いで剣を仕舞って奥にいる仔ドラゴン二匹を両脇に抱える。
「……ガァァ!」
「「キュイイ! キューッ!」」
「貰ってくぜ! じゃあな……って、くそっ! 離せ!」
さっさとこんな所からズラがろうとしていたその時、俺の右足がメスドラゴンの前足に掴まれてしまった。
咄嗟に足を振って引き剥がそうとしても、皮の軽防具にそいつの鉤爪がしっかりと食い込んでいて離れない。
このっ、さっさとしないとあのオス野郎なり仲間のドラゴンが──
「グルガアァァアアッ!」
「あー……、おいおい、嘘だろ?」
森の奥から響き渡る、ドラゴンの咆哮。
俺とメスドラゴンがほぼ同時に森の方を振り向いた。
おそらくさっきのオス野郎のものだろう。
俺は焦って、掴まれていない方の足で闇雲にその前足を踏みつけて、なんとか離そうと試みる。
「ああ鬱陶しい! 離せよっ! 死にたいのか⁉」
「ガゥウ!」
メスドラゴンは俺のことを死んでも離さないといった様子で、もう片方の足にも噛み付こうとしてくる。
ええい、これでは埒があかないじゃないか!
「くそがっ!」
俺は堪らず右脇に抱えている方の仔竜を投げ捨てる。
その瞬間、メスドラゴンの注意が俺からその仔竜へと逸れて、噛み付こうとする頭の動きも止まった。
マヌケめ!
「ゥグアッ!」
空いた右手で素早く剣を抜くと、俺を掴んでいる前足と顔面を思いっきり切り裂いた。
鱗に弾かれて大した傷にはならなかったが、痛みに堪らず怯んだらしいメスドラゴンは俺を離す。
その隙に俺は投げた仔竜を回収すると、今度こそ森の中に逃げ込もうと走り出す。
「……グウゥゥッ‼」
「なっ、こいつ!」
しかし、またしてもメスドラゴンが俺の足を掴まえて睨み付けてくる。
その紅炎のような色の瞳からは、確かな意思のようなものを感じた気がした。
いつも、親竜を殺してからか、もしくは親竜にバレないように仔竜は攫ってくるから、こんなにもドラゴンが仔竜に執着するとは正直思っていなかった。
ケモノのくせして、面倒臭い……!
「ガアァァアアッ!」
それと同時に、森からさっきのオスドラゴンの咆哮も再び聞こえてきて、俺の心は焦りと緊張でいっぱいになりそうだった。
もう、オスドラゴンはかなり近い。
これ以上、数瞬でも長くここに居るのは命取りになる。
俺は、もう迷ってる暇なんて無かった。
「しっつけぇんだよ! クソトカゲがっ‼」
俺はまた右脇の仔竜を投げながら、メスドラゴンを渾身の力で蹴り上げる。
どうせ背中を向けて走り出したらまた足止めしてくるのだろう。
大人しくしていればこうはならなかったというのに。
怯んで無防備に晒されたそいつの首に、俺は抜きはなった剣を深々と突き刺した。
「くたばれ……」
「……ァゥ」
一度剣を深く刺し直すように力を込めてから、勢いよくそれを引き抜く。
確かな手応えと共に鮮血が噴き出て、しかし突き刺したことでその血の飛び散る範囲は決まっているので、俺は簡単にその返り血を躱すことが出来た。
ドラゴン狩りでやむおえず殺してしまう時に、追跡されないようにする常套手段の一つだ。
そうして剣を振って血を払っていると、しばらく硬直していたメスドラゴンは、ふと力が抜けたようにその場に崩れ落ちて力尽きた。
まだ息はあるように見えるが、その命も時間の問題だし、もう俺を足止めしてくることはないだろう。
「……ッ!」
「あ、やっべ」
その時、オス野郎が俺の居る少し開けた草原にようやく辿り着いたようだ。
俺の目の前に横たわる、ツガイであっただろうドラゴンの亡骸を、信じられないと言った様子で見つめている。
俺は剣を仕舞って地面に転がるもう一匹の仔竜を抱え上げると、一目散に逃げ出した。
もう戦う必要は無い。
後はこいつらを持って逃げるだけ。
幸い、ここから村まではそこまで距離はない。
村まで辿り着けさえすれば、あとは追われないように仔竜を布袋に入れて、臭い消しの粉塵も使って、どこかに潜伏していればいいだろう。
もし村まで追ってきたとしても、ドラゴンどものことだ、きっと手当たり次第に村を破壊していくだけだろう。
その間に、俺はいくらでも逃げるなりなんなりすることが出来る。
「はあっ、はあっ、ふぅ……」
そんなことを考えながら全力で駆けていたが、しばらくしてふとスピードを緩めて周囲の気配を探ってみる。
オトリの男どもの居る方面から喧騒が聞こえてくるが、それ以外は何も聞こえない。
あのオスドラゴンは、追いかけてきていないのか……?
普通なら木々をへし折りながら、もしくは上空から追い掛けて来るものだが、周囲の様子を見てもその気配は全く無い。
理由は分からないが、どうやらあのオスドラゴンは今のところ俺を追ってきてはいないらしい。
……今日の俺は、ついてるのか、ついてないのか分からないな。
だが、と両脇で煩く鳴きながら無力な抵抗をする仔竜を見て思う。
結果的に二匹の仔竜を手に入れることが出来た。
これがあれば、十年単位で遊んで暮らせる金が手に入るはずだ。
どちらかと言えばなどと考えるまでもなく、俺はついているのだろう。
仲間を失ってしまったのは非常に大きいが、仕方のないことだ。
あの便利なオトリどもも、今日が使い時だったのだと考えれば、また補充すればいいと諦めがつく。
ありがとうお前ら、便利な……いや、頼りになる仲間だったよ。
気が向いたらお前らの冥福でも祈っておいてやる。
そうして俺は内心で心を躍らせながら、油断だけはしないようにと自分に言い聞かせて、森の中を走っていった。