2−15 人間と竜 変わっていた運命
ラゥナの血の匂いを辿って、確実にあいつとの距離を詰めていく。
それに伴って、消えかけていた俺の前足も復活して、頭痛もしなくなってきた。
やはり俺は、あの男を殺さなければならないみたいだ。
夜空を見上げれば、満月が既に真上を通り過ぎようとしていた。
「どわっ……クソッ」
疲れ果てた様子で俺の前を走っていた男が、ついに足を縺れさせて地面に勢いよく転ける。
なおも逃走を図ろうとしているものの、そのスピードは俺の歩きのそれにも満たない。
残念ながら、ここで終わりのようだ。
「グルル……」
「くそトカゲがっ、しつこいんだよ! さっさとどっか行けっての!」
ついに男がその場に立ち止まって、俺の方を向いて叫び倒してきた。
どうして丸腰の、もう動けないほど弱っている人間を見逃す理由があるだろうか。
男との間の残りの距離も一気に詰めてしまうと、俺はクルリと一回転するようにして尻尾でそいつの横腹を殴り飛ばす。
全く力など込めずに遠心力だけで攻撃したのだが、それでも人間であるそいつは数メートル吹き飛んで地面に叩きつけられた。
「がはっ……」
「グウ」
手加減したからか、男には特に目立った怪我は見当たらず、致命傷には程遠い。
しかし、もうあの様子では立ち上がることもできないだろう。
俺は倒れこむ男に近付いていくと、前足を振り上げた。
と、その時、さっき吹き飛ばした時に男から落ちたのか、男の横に俺のツノの首飾りを見つけた。
そういえば、後々売り払おうとあの青年から奪っていたんだった。
……これ、もうてっきり金に換えるか何かに使ったのかと思ってたが、まさかこんな風に大切に取っておいてくれるとは。
俺は一旦前足を下ろしてそれを咥え上げると、そんな俺の一連の動作を見ながらビクビクと震えている目の前の男を一瞥する。
本能的恐怖に囚われた男……いや、俺。
哀れで、惨めな醜態を晒す俺の姿に、俺はどこか良心を傷つけられるような感覚がした。
理不尽だ。
どうして俺は悪くないと言うのに、俺がそんな気持ちにならないといけないんだ。
そう普通は思うだろう。実際に、今俺もそう思っている。
しかし、あいつは『俺自身』なのだ。
複雑な心境に悩みつつ、前足も振り上げられずにただ『俺』を見つめる。
すると、苦しそうに腹を押さえる男は寝転がったまま顔を上げていて、何を思ったか俺を思いっきり睨みつけて叫んできた。
「……あのガキドラゴンは、もう1匹の方が助けたんだろう⁉︎ だったらもういいじゃねぇか!」
だったらもういいだと?
男の発言に少し引っかかりを感じつつも、俺は動かずにその場で男を睨み返す。
男は動かない俺を見てか、続けて叫ぶ。
「あのツガイのメスを殺したことが、そんなにデカイことなのかよ! ドラゴンのくせに、たかだかツガイを殺された程度で復讐なんざ、笑わせるんじゃねえ!」
思わず地面についていた前足の鉤爪に力が篭って、深々と地面に傷跡を刻んだ。
男の目は、ドラゴンを見下し、自身よりも下等なモノを見る目そのものだった。
ドラゴンなど、ただの金を稼ぐモノでしかない、と。
こいつは、心の底から、そう思っている。
これが……俺、だと?
震えるほどの怒りと同時に、激しい自己嫌悪に襲われる。
「ケモノのくせして一匹のメスに執着するのが悪かったな! お前もさっさと他のメスでも探したらどうだ? どうせ獣慾のままにやってりゃ前の奴のことなんざ忘れちまうだろうがなっ‼︎」
「……。」
そこまで言うと、男は息を切らしながら黙って俺を見上げていた。
言いたいことは、それだけか。
俺は黙って、前足を振り上げる。
渾身の力を込めて。
怒りを全てそこに集約させて。
こいつは、確かに俺なのだ。
こいつの言葉は、間違いなく過去の自分から発せられる可能性のあったものだ。
そして俺は、その言葉に素直に耳を傾けた。
だって……だって、『今の俺』は『過去の俺』とは違うのだから。
いや、正確に言えば、これからその『過去の俺』……、つまり『人間の俺』に、別れを告げるのだ。
俺が過去にどう感じて、どう思っていたのかは今聞いた。
それがこいつの本心なのだろう。
今の俺ならば、納得はもちろん理解もできない。
だって、『ドラゴン』は『人間』とは違うのだから。
「グウォォオ」
「……はは、やれよ。ほらやれよ! お前の“復讐”とやらを果たしてみろよクソドラゴン! 俺を殺したところで、何も変わらないと思うがな!」
だが、違いを知れば、そこから『俺』と別れることが出来るはずだ。
こいつは、俺とは違うのだと。
こんな男は……人間なんか、俺とは違うんだ!
俺は、一気に前足を振り下ろした。
さようなら、人間の俺。
俺は彼の最後を見届けるように、鉤爪を振り下ろした体勢のまま、しばらく動かなかった。
◇◆◇
「……グゥ」
ふらりふらりと、途中で合流したアドルに支えられながら、ようやく村の入り口にまで辿り着く。
背中には、アドルが救ってくれたふたりの子供たちが乗っかって眠っている。
そんな俺らに真っ先に気が付いた青年が、心底嬉しそうに駆けてくる。
「無事に戻ったんだね! それに、子供たちも守れたんだね」
「グゥ」
なんとかな。
どこで運命が変わったのか知らないが、なんとか子供たちだけは守ることが出来た。
……それに、人間の俺とも決別できた。
俺はその場に崩れるように座り込むと、青年に首を伸ばす。
「グゥゥオ」
「ん、どうしたんだい? ……あ、これ、取り返してくれたのかい?」
青年に、咥えていた俺のツノの首飾りを渡す。
まさか返ってくるとは思っていなかったのか、青年は驚いた表情でそれを受け取った。
「でも、よく取られてたって分かったね。僕たちがあの家に捕まってたのもすぐに分かったみたいだったけど……。でも、とにかくありがとう。これ、大切にしてたんだ」
「グゥ」
そりゃあ自分でやったんだから分かるよ、なんて言えないし、きっと伝わらないだろう。
でも、それでいいのだ。
プロセスはどうであれ、結果が一番大事なのだ。
俺も青年も助かったし、ラゥナの遺した子供たちも守ることが出来たのだから。
それだけで、良いじゃないか……。
「じゃあ、僕たちからもお返しをしないとね」
そんなことを考えていると、青年がおもむろに村の奥の方に走っていく。
その後ろ姿を見つめた後、俺はその場にうずくまるように寝転がろうとした。
「グゥア、アウオ」
「……ゥゥ」
しかし、そんな弱り切った姿を晒してたらダメですよ、と俺らのやり取りを見ていたアドルがそう言って止めてくる。
一体何なのだろうか?
弱り切った姿とは言っても、実際にもう限界なのだ。
ここに来るまでの間に、一体何回意識が飛びそうになったことか。
東の空を見れば、既に明るくなり始めている。
一晩極限状態で駆けずり回った俺にとっては、一刻も早く先に休憩を取らせて欲しいところなのだが──。
「クルァァ!」
え、な、今の声は……まさか?





