2-13 村人のエール、竜の追跡
「グ……ガゥ」
俺は、その場に力なく崩れ落ちるようにして座り込んだ。
これで、全員か。
ごうごうと燃え盛る正面の家が、大きな音を立てて崩れ落ちた。
俺の隣には、たった今助け出した二人の娘が横たわっている。
最初に助けた娘は既に逃げた後だが、この二人はかろうじて息があるだけで、ぐったりとして起き上がらない。
少し、助け出すまでに時間が掛かり過ぎてしまったか……大丈夫だろうか。
「……。」
ふと後ろを振り返れば、心配そうに俺と助けられた娘を見る青年と、申し訳なさそうに視線を逸らしている若い男他、攻撃してきた一同。
しばらくして、娘たちの関係者だろうか、数人の村人がぐったりとする彼女らに駆け寄ってくる。
どうやら、村人の思い込みは青年がなんとかしたようだ。
その時、ふらっと視界が一瞬歪んだかと思うと、俺は堪らず全身を地面に横たえた。
もう一度地面を見れば、傷から滴り落ちる血でいくつもの斑点が出来ている。
「ちょっと、大丈夫⁉︎」
青年が近寄ってきて、俺の傷の具合を見ていく。
どの傷も致命傷ではないということは自分でも分かっているのだが、いかんせん出血と疲労の蓄積で意識が朦朧とし始めている。
しっかり、しっかりするんだ、俺。
「良かった、そこまで酷い怪我じゃないみたい。手当すればすぐに良くなると思うから、少しここで──」
そう言って、やはりあの時のようにどこかに走って向かおうとする青年を、その腕を咥えることで止める。
引き止められて驚いた様子の青年を放すと、俺は今度は尻尾に刺さっている二本の槍を咥え、強引に引き抜いて見せた。
刺さった時以上の激痛と共に、たらりと、さらに尻尾を垂れていく血の筋が増える。
「わ、ちょっと、ダメだよそんな無理に引き抜いちゃ!」
「グゥ……グルル」
その様子を見ていた青年が、俺の頭を抱え込んで止めようとする。
俺は血の滴る槍を地面に落として、小さく唸る。
止めるな、青年。俺は行かないといけないんだ。
こんなところで、くたばるわけにはいかないんだ。
その制止を頭を振ってそっと振り払うと、背中と首の後ろの方にそれぞれ刺さっている槍と矢に目を向ける。
青年は、それで俺が何をして欲しいのか察したのか、しかしそれでも制止をやめようとはせずに、尚も続けた。
「そんなことしたら余計に怪我が酷くなっちゃうよ!それに、止血もしないと、本当に──」
青年が言い終わる前に、俺は勢いよく自身の尻尾を、俺の後ろの燃え盛る民家の中に突っ込んだ。
俺の突然の行動に、驚いて息を呑む村人たち。
ジュウッ、という肉の焼けるような確かな感覚が伝わってきた。
ぼんやりとしていた意識が強制的に引き戻され、激痛で声を上げそうになるのを歯を食い縛ってなんとか堪える。
こんなの……ラゥナの痛みに比べれば大したことなどない。
数秒間そうしたあと、俺は尻尾を外に出した。
ところどころ煤けている鱗はなんとか無事なようで、傷口だけが焼かれてかつ流血も止まっているようだった。
「グルルォ」
何か言いたげな青年が口を開くよりも先に、俺は村の外の森を前足で指し示して唸る。
先を急がないと。
俺には、立ち止まっている暇が無いのだ。
「でも、そんな身体じゃあ追いかけても無理だよ! もう限界じゃないか!」
「グゥ」
青年は、やはり俺のしようとしていることが分かっているようだが、なんとかして止めようとしているようだ。
俺は首を横に振って、すぐにでも行かないといけないことをなんとか伝える方法を考えていた。
このままでは、埒が明かない……。
「……。」
しかし、どうしようか考えたものの結局何も思いつかずに、ただ青年の瞳をじっと見つめるだけになってしまった。
そうしてしばらくの沈黙が続いた後、青年がおもむろに俺の肩に手を掛けると、身体の上によじ登ってきた。
「分かったよ……きっと、何を言っても行くつもりなんだろう? なら、僕だってできるだけ協力するよ。でも……」
首元まで登った青年は、そう言いながら背中に刺さる何本かの矢と槍を引き抜いていく。
しばらくして全て引き抜き終わった彼は、村人の一人から受け取った松明を掲げていた。
「必ず、生きて帰ってきてよ。君のことは、もう多分村のみんなが見ている。みんなも、君に恩返しがしたいと思っているはずだよ」
「……ッグル」
傷口に松明の炎があてがわれて、再びジュッという感覚と共に鋭い痛みが襲う。
決意は、もう既に固めてある。
ラゥナがそうしたように、命を尽くして、子供たちを救ってみせると。
しかし、もし……もしも、無事に帰ってこれることがあったなら──
今度は、この村を、命を掛けて見守っていきたいな。
この命は、同時に彼ら、俺を救ってくれた村人たちのものでもあるのだ。
たとえもうすぐ命を失ってしまう運命だとしても、そのことは決して忘れないようにしておこう。
確かに、エールは受け取った。
俺は、背中に感じる熱さが、何故だか俺を後押ししてくれるような気がした。
「グアルル」
ありがとう。
するりと俺の背中から降りた青年を振り返ると、俺はそれだけ言って南の森を目指して一歩を踏み出した。
青年は、何も言わなかった。
村人も、ただ俺の通り道を開けるだけだった。
……最後まで、ここの村人たちには助けられてしまったな。
俺は村の出口にまで歩いて、そこで一度立ち止まる。
しかし俺は振り返らずに、そのまま森の中に全力で駆け出した。
◇◆◇
俺は一度も足を止めることなく、森の中を南に少し進んだ場所にある、片側だけ急斜面になっている丘に向かっていた。
俺の記憶が確かなら、『俺』は逃げ切れたことを確信してあの丘の上から村の様子を伺っていたはずだ。
ふと通り過ぎる木々の隙間から東の夜空を見れば、遠くの山からちょうど満ち切った月が半分顔を出している。
俺は足をただ前へ前へと進めていく。
焦りと怒りのような感情が、頭の中をグルグルと巡っているが、結局何も考えられない。
満身創痍で森を走る。
まるであの時のようだが、今回は背中のあの重みはもうない。
そのことが、ひどく切ないほどに身体を軽く感じさせて、俺に立ち止まることを許してくれなかった。
「……グゥ?」
それからしばらくして、ようやく丘の緩やかな坂の方を登り切った。
そこですぐに『俺』の姿を探すが……。
おかしい。
なぜだ。
誰も……いないだと? そんなバカな。
俺は丘の先端の方にまで駆けていき、地面に鼻先を近付けて匂いを嗅ぐ。
しかし、『俺』の匂いはおろか、子供たちの匂いすら欠片ほども残っていなかった。
心にさらに焦りを募らせながら、東の空を再び見る。
月は既に山から出てしまっている。
思わず俺はその場に前足を付いてうなだれた。
まさか、少し遅かったってのか?
だが、と過去の『俺』について思い出しながら考える。
あの楽観した状態だった俺が、すぐに場所を変えることなどあり得るのだろうか?
何か場所を変えなければならない理由があったか、そもそもどこかで運命が変わっていて、『俺』はこっちに来ていなかったのか……。
その時、ふわりと嗅ぎ覚えのある匂いが風に乗って俺の元にやって来た。
それによって思い出されるのは、最後のラゥナとのやりとり……。
そこまで考えたところで、俺は限界に近い身体のことなど忘れて一気に立ち上がる。
ラゥナの、血の匂いだ。
さっき見たじゃないか、『俺』がラゥナの返り血を正面から浴びた光景を。
しかも流れてくる方向は、丘から見て村とは反対方向。
つまり、『俺』はこの先に居るはずだ。
俺は取り返しのつかないことになる前に追い付こうと、それ以上は何も考えることなく再び森の中に全力で駆け出していった。





