2-11 お前の想いは永遠に
木々を掻い潜り、ラゥナたちの方に向かったはずの男を追いかける。
ラゥナの匂いはかなり近い。まだそこまで遠くには逃げていないようだ。
それにしても……クソッ、どうしても思い出せない。
俺は走りながら、ラゥナたちを追いかけた当時の俺が、その後何をしたのかについて必死に思考を巡らせているが、一向にその答えが出てくる気配が無い。
あと少し、もう少しのきっかけさえあれば。
でも確か、あまり良いものではなかった、と言うことならなんとなく分かる。
実際、今俺がこうしてドラゴンになっているというのも、その時の俺に何かがあったと言うことを裏付けている。
良いことは、おそらく起こらなない。
ドラゴンの俺にとっても、当時の人間の俺にとっても。
もし今のこの状況が、その過去の繰り返しであるならば、その事実を変えることができるかもしれない。
だから、思い出す必要があるのだ。
その時に誰が何をして、何が起こったのかと言うことを。
そんなことを考えていると、遠くに少し開けた場所があるのが見えてきた。
俺はさらに足に力を込め、全力でそこまで駆け抜けていく。
「……グウゥゥッ‼」
「なっ、こいつ!」
絶対に離すもんかっ!
そんなラゥナの声が聞こえた。
「ガッ──」
やらせるか、と牽制の意味を込めてもう一度咆哮を上げようとしたところで、俺は目の前に突如として現れた『それ』に思わず足を止めた。
ひらりひらりと舞い、ぼやけるように黄金色に輝いている、まるで幻を見ているかのような蝶。
この場だけ時間が止まったかのような錯覚に陥りながら、俺は何故かその蝶から目が離せなくなってしまった。
どうして、彩幻蝶がこんなところに?
貴重で、滅多に現れることは無いと言われているそれが、今まさに俺の鼻先を優雅に舞っている。
手を伸ばせば、すぐにでも捕まえられそう……。
そう考えた時には、俺はまるで何かに操られるように無意識のうちに彩幻蝶に前足を伸ばしていた。
普段ならば捕まえようとすると幻のように消えてしまうと言うが、驚くことに目の前の彩幻蝶は伸ばした俺の前足の上にひらりと舞い降りた。
間近で見るそれは、ただ単に黄金色なのではなく、赤や緑と言った様々な鮮やかな色から構成されていることが分かる。
と、しばらくすると彩幻蝶は俺の前足の上でふわりと跡形もなく消え失せてしまった。
まるで蒸発するように空に散っていった彩幻蝶を見上げて、俺はしばらく呆然としたまま動けないでいた。
彩幻蝶。何か、それにまつわる逸話があったような気がするが……。
────
「……グウゥゥッ‼︎」
「なっ、こいつ!」
絶対に離すもんかっ!
そんなラゥナの声が聞こえた。
その声を聞いて、ハッと俺は我に返った。
何故か止まっている足を、半ば反射的に再び動かて再び声の方に走り出す。
なんだろう……今何か、不思議なものを見ていたはずなのだが、思い出せない。
しかし、そんなことは今はどうでも良いのだ。
早く……。一秒でも早くラゥナのところに行かなくては。
手遅れになる前に。
そうして、身を焦がすような焦燥感の中、俺はようやく開けた場所にまで辿り着いた。
森の中から一気にそこに躍り出て、素早く周囲を確認した俺は、すぐにラゥナたちと人間の俺を見つけることが出来た。
「しっつけぇんだよ! クソトカゲがっ‼」
俺が見たのは、両脇に仔竜ふたりを抱えて、それに掴みかかっていたラゥナを蹴り上げる『俺』だった。
そのタイミングで、そいつの視線が俺を捉え、驚きの表情になる。
我を失いそうなほどの怒りに襲われながらも、俺はそんな『俺』目掛けて駆け出そうとした。
その時、『俺』はオスドラゴンの姿を見つけて危険を悟ったのか、慌てた様子で右脇の仔竜を投げて腰から剣を抜き放つ。
竜狩りにしては、あまりにも雑で分かりやすい動き。
それでも、次の瞬間には、そいつは真っ赤な返り血に染まる。
剣を抜いた勢いをそのままに振られた横薙ぎの一撃は、正確にラゥナの首を捉えて切り裂いていた。
ぐったりと倒れて動かないラゥナに、仔竜ふたりを抱え直して逃げ出す『俺』。
──記憶のかけらたちが、大きな音を立てそうなほどに一気に組み合わさって、確かな記憶となって俺の頭に叩き込まれてきた。
目の前の、あまりにも信じられない光景に、思わず声も出ない。
そしてその光景を作り出した張本人が、この俺であるということに衝撃を受けた。
右手に残る、あの確かな手ごたえ。
それが何を意味しているのか、ドラゴンを何頭も狩った俺には分かった。
俺は視界が滲むのなんて気にせずに、急いでラゥナの元に駆けつけた。
「グゥ、ガウ、ガルルッ」
ラゥナ、ラゥナ。すまない……すまない、俺のせいで。
まるであの時のように、ラゥナのそのぐったりとした身体を抱きかかえる。
彼女の首から溢れる生暖かい液体が、あっという間に俺の前足を、身体を濡らしていき、地面へと落ちていく。
まだ息も意識もあるようだが、もう、この傷では……。
「……グル、ルル、ガォォ」
どうしてあなたが謝るの、あなたは何も悪くないよ、と途切れ途切れに腕の中のラゥナが返してきて、またあの時のように俺に前足を回して抱きついてきた。
ラゥナは知らないのだ、あの男が俺だと言うことを。
その様子に、まるで心が焼かれてしまうかのような、どうしようもないほどの罪悪感が俺を襲う。
死ぬな、も、大丈夫か、の声も掛けられない。
殺したのは、間違いなくこの俺なのだから。
「グゥゥ……クルル」
すまないと小さく呟くことしか、俺には出来なかった。
どうして……こんなの、認められない。認められるわけがない。
こんなの、最初から出来レースじゃないか。
結局俺がどう頑張っても、この運命は避けられなかったんじゃないか。
罰なのか? これは何かの天罰か何かか?
俺は覚えているぞ。
この後俺はあの男の後を追い、命の恩人の住む村ごと焼き払い、最後には自身の子供と共に谷底に叩きつけられるんだろう。
悪夢としか、言いようがないじゃないか、こんなの……。
俺はラゥナの中で、声を殺して泣いた。
あまりにも、酷すぎるではないか。
バッドエンドしか用意されていない運命に、何の意味があるのか。
これほどにまで、ドラゴンを何頭も殺めた罪は大きいとでも言うのだろうか。
俺だって、無駄に彼らを殺してきたわけではない。
生きるために、必要だったのだ。
自身を正当化するつもりなど全くないが、こんな運命を背負わせられる筋合いもないはずだ。
なんで……。
どうして……。
止めどなく溢れてくる涙を止める手段は、俺には無かった。
しかしそれでも、俺はラゥナから離れることになった。
顔を上げれば、今度はラゥナは俺のことを前足でグイグイと押し退かしていたのだ。
「……グ」
行って、と小さく一言。
「グゥ」
子供たちを、と今度はしっかりとした口調で。
「グゥア!」
行って!
まるで叫ぶかのように放たれたその言葉に、俺は一瞬息を呑んだ。
ラゥナの表情は、今までになくしっかりとしていて、決意に満ち溢れていた。
あの時とは、まるで大違いだった。
「グルガッ、ガウア、アルルオッ!」
私のことは、もういいの。だから、子供たちを、お願い! 約束、したでしょ?
約束……。
そう言われて、俺はさらに自らの弱さと情けなさを知った。
”自分たちは助けられた命。だから、もし子供たちが危険になったら、命を懸けてでも守り通そう”
子供たちを、命を懸けて守る。
最初に言ったのはラゥナだ。
そしてラゥナは、それを実現させたのだ。
結果はどうであれ、自らの命を惜しまずに、全力を尽くして子供たちを守ろうとしたのだ。
そんな彼女が、素直に凄いと思った。
運命などに振り回されている自分を、ひどく恥ずかしく思った。
「……グル」
分かった、と。
今度は俺の番だと。
俺は涙をのんで、ゆっくりとラゥナの頭を撫でる。
「ラルゥ」
ありがとう。
ラゥナはそれだけ言って、ふっと目を細めて微笑む。
俺は彼女の首に一度頭を埋めた後、そっと離れる。
小さくない血だまりの中に倒れるラゥナには、未だに手を伸ばせば届く距離であるのに、何故だかもう遠くにまで行ってしまったかのような気がした。
「ラオ、グゥ……グアオ」
「……グゥ」
子供たちは、後は俺に任せてくれ。……じゃあ、行ってくる。
俺はそう言い終わる前に森の方に向き直ると、ラゥナの最後の返事を背中に受けながらそっと歩き出した。
振り返る瞬間、静かにラゥナがその身を横たえるのが見えたが、俺は決して振り返らずに歩を進める。
もう、彼女も限界だったのだろう。
しかし、弱みを見せれば俺がここに残ってしまうと思って、必死に耐えながら俺を説得したのだろう。
だから、俺は行く。行かなくてはいけない。
たとえ結果が決まっていたとしても、俺は立ち向かってやる。
ラゥナの想いは、永遠に俺の中にあるのだ。
その散らしてしまった命、絶対に無駄にはしない。





