2-10 蘇るキオク
俺が見つけたのは、人間たちのその集団の中から外れる、一人の人間の姿。
そいつだけが他と別の方向に逃げ出しているだけだったが、何故だか無性にそいつだけが目立って見えて、気になる。
あの方向は、群れの中心方向か?
逃げるにしても、あの方向に逃げたら大勢の仲間が居て余計に不利なはず。
そうだ、いくらドラゴンに慣れているとはいえ、あいつ一人じゃあ何も出来ないだろう。だって、群れには……。
群れには、大勢の、仲間が……。
俺はハッとこちらに向かってくる仲間たちを見た。
そのほとんどが、青み掛かった黒色の鱗、オスのドラゴンだ。あの数ならば、群れにいるオスドラゴンが集結していると考えられる。
つまり、今群れの中心には、メスのドラゴンと出かけていない仔竜たちしかいない、ガラ空きの状態ということだ。
そんな中に誰かが向かえば……。
くそっ、こっちは陽動か⁉︎ とにかく、このままじゃあ空き巣される!
「グ、ガルアゥ、ルグアゥクル! ガァアルルオ!」
「グゥ」
俺はアドルに、仲間のメスたちしかいない群れの中心に誰かが向かっているかもしれないことと、自分がそっちに向かうこと、アドルにはここからあの人間たちの裏取りをして欲しいことを簡潔に伝える。
少し命令口調になってしまったが、この際そんなことを気にしている場合ではない。
それはアドルも分かっているようで、すぐに了解してくれた。
お互い無茶はしないように短く挨拶を済ませると、俺は人間たちにバレないよう、木々の隙間を見つけて彼らとは反対方向に飛び立つ。
それから、十分に高度を上げてから、素早く旋回して村の上空を目指す。
さっきの陽動部隊のところを通り過ぎながら様子を伺えば、背後からアドルに奇襲されたことで混乱が起き、ドラゴンたちの方が圧倒的優勢に立っていることが分かる。
まだ遠くまで逃げ去っている人間は居らず、戦況が混乱した今から散りじりに逃げようとしているらしいが、広場の方からは応援の仲間たちが間も無く到着する。
匂いを辿っての各個撃破で、十分対処可能か。陽動部隊の方は、おそらくもう大丈夫だろう。
……さて、こっちはどこだ?
そこを通り過ぎ、群れの中心上空に辿り着いた俺は、大きく旋回しながら人間がいないか偵察する。
しかし、いくら探しても人間の姿は見当たらず、何事かと心配そうな仲間たちの様子から、何も異変は起こっていないように見える。
どこだ……どこに行った? やはり、ただ逃げただけだったのか……?
「……グアルルルッ!」
ただの杞憂だったのかと考え始めていたその時、微かな唸り声のようなものが風に乗って聞こえてきた。
方向は、草原の脇にある丘。
本当に小さなものだったが、俺だからこそ瞬時に身体が反応して丘に向かって急降下できた。
だって、その声は、ラゥナのものなのだから。
何時もならラゥナたちも住処に帰っている時間だから、みんなそこに居ると思ってずっと群れの中心を探していたが、まさかまだあの草原の丘に居ただなんて。
真っ直ぐにラゥナの元に急ぐ俺の目に飛び込んで来たのは、子供ふたりを庇うラゥナに剣を向けてゆっくり近付いていく、一人の人間の男の姿。
「グガァァアア!」
「なっ……!」
俺は最速で地面に降り立つと、その勢いそのままに奴の右側から全力の尻尾攻撃を繰り出す。
奴は咄嗟に剣でガードしたようで、金属の軋む音が尻尾に伝わってくる。
防がれたとはいえ、手応えは確かにあった。
人間の男は、数メートルほど弾き飛ばされた後そのまま地面に背中を打ち付けて倒れる。
「グルルッ! ガァ!」
ラゥナ! お前は早く遠くに逃げてくれ!
ラゥナたちを守るように、俺の方を睨みつけながら地面に手をついて立ち上がろうとする男の目の前に立ちはだかって、振り返らずにそう言う。
ラゥナは小さく、わかった、と言って、子供たちを連れて森の奥に駆けていった。
その方向は群れの中心方向とは逆だが、同時に陽動部隊が居る方から群れの中心を挟む形になるから、この場にいるよりもいくらかは安全だろう。
「ちくしょう、ついてねぇ」
そう言った男は、なんとか立ち上がって剣を構える。
あれほどの攻撃を受けて立ち上がり、なおも戦う意思を見せるとは、さすが集団から離れて一人でドラゴンの群れに突っ込むだけはあるな。
俺はその男の顔を見つめて、じっと相手の動きを待つ。
その時、突然俺の頭に何かが突き刺さったかのような激痛が襲いかかった。
「グ、グゥゥ……」
な、なんなんだこれは⁉︎
俺は堪らず前足で自分の頭を抱え込む。
頭に矢でも突き刺さったかのではないかと錯覚するくらいのそれは、触ってもなんとも無いことから何かの激しい頭痛のようだ。
それに、あのなんともいえない日頃感じていた既視感のような感覚も同時に感じられる。
一瞬、男が何かしたのかと思ったが、おそらく違う。
俺は……。俺は、何かを思い出そうと、している?
俺は目の前の男のことなど忘れて、唸りながらその激痛に耐える。
──何かの記憶の断片が、高速で俺の頭の中から溢れてくる気がする。
「何か知らないが……それ!」
「ガァ‼」
そうこうしていると、いつの間にか距離を詰めていた男に、大きく腹を右下から切り上げられた。
視界に鮮血が舞い、ふらりとバランスを崩してしまうが、不思議なことに痛みは全く感じない。
──記憶のかけらが集まって、それでもまだ煩雑に俺の頭の中を漂っていた。
何も行動せずにいると、男はもう一度距離を詰めてきて、今度は上げた剣を両手で持って右翼の付け根の部分を深く切り裂いた。
かなりやられた感覚があったが、それでも痛みは感じないし、今はそんなことは些細なことのように思えた。
──集まったたくさんの記憶のかけらたちが、ようやくいくつもの確かな映像としての記憶を復元してきた。
次は蹴られるぞ、と何故か頭の中に考えが浮かんだ。
その瞬間、男は三度俺に接近してきたかと思うと、案の定俺の腹を力任せに蹴り飛ばしてきた。
「おらぁ!」
「グゥァ⁉」
まさか、こいつ……⁉︎
大きくバランスを崩して仰向けに倒れる瞬間に、もう一度至近距離で男の顔を見た。
そんな、まさか……嘘だろ? そんなことがあり得るはずが……。
俺は地面に倒れこんでからも頭を抱えて考え込む。
曖昧だった記憶は、途切れ途切れではあるものの確かな確証性を持って俺の中に復元されていた。
そしてそれは、俺にありえない現実を突き付けていた。
──あいつは、俺なのか?
そうじゃないと説明がつかない。
あの顔は確かに俺のものであるし、当時ここに竜狩りをしに来て、仲間を囮にして単独行動していたらオスドラゴンが来たと言うことも知っている。
俺の記憶にあるのと同じく、商隊を襲って手に入れた鋼鉄製の片手剣に、獣の皮と薄い金属の板を組み合わせて作られた上下の軽防具を装備していて、攻撃方法だって俺の予想と全く一緒だった。
たまたま同じ状況であるとは考えにくいほど、記憶と状況が一致し過ぎているのだ。
……だが、だとすると、どうして俺は今ドラゴンになっているんだ?
治ってきたのか、それとも感覚が麻痺してきたのか、頭痛は幾分かは気にならなくなってきた。
それでも、自ら記憶を探ろうとすれば、激しい苦痛を伴うのは変わらない。
……ダメだ、思い出せない。
俺がこの後何をして、どうなったのかが、そこだけ霧がかかったかのようにはっきりしない。
何か……何か重要なことがあったはずなのに!
「……ッグア!」
ハッと一気に我に返る。
前足を退けて顔を周囲に向ければ、すでにあの男は影も形も無かった。
しまった、ラゥナたちが危ないっ!
俺は確か、様子のおかしいオスドラゴンは放置して、ラゥナたちの方を追いかけたんだ!
「グルガアァァアアッ!」
させるものかあぁっ!
あいつが俺だかなんだか知らないが、ラゥナたちを傷つける奴は絶対に許さない。
俺は急いで立ち上がると、全身の傷の痛みが一気に襲ってくるのなど気にせず、大きく雄叫びを上げながら一気にラゥナたちの逃げていった方に駆け出した。





