2-9 狂い出す日常は定められたレール
「きゅー」
「きゅるる」
随分と寒さも和らいできて、森に失われていた緑の気配が近付いてくるこの季節。
こいつらの分の狩りも済ませ、満腹になったところで俺は草原に寝転がって雲の高い空を見上げる。
ふたりを挟んだ向こう側には、ラゥナが俺と同じように空を眺めていた。
なんだか、一年前のことを思い出すな。
ラゥナの身体も、俺の身体も、もうすっかり元気ではあるが、当時の傷跡はまだくっきりと残っている。
あの時は本当に死ぬかと思ったが、あの村の助けでなんとかこうして命を繋いだ。
……村のみんなは今どうしているんだろうな。
まあ、それからラゥナとつがいになって、今やふたりの子供も授かった。
もう俺が守るべきものは、一つじゃなくなったわけだ。
”自分たちは助けられた命。だから、もし子供たちが危険になったら、命を懸けてでも守り通そう”
こいつらの卵を産んだ時に、ラゥナが言ったことだ。
まさかラゥナから、こんな言葉が聞けるとは正直思っていなかった。
俺は全員を守ると言ったが、そうじゃないとラゥナが続ける。
要は、もしラゥナか子供たちかを選択しなければいけなくなった時に、子供たちを選んでほしいということだった。
子供たちを失ってまで生きたくない、そうなるくらいなら自分の命を使ってでも子供たちを守ると。
俺はしっかりと頷いた。そして、ふたりで約束した。
子供たちは、この拾った命を投げ打ってでも守ろう、と。
最近、また子供たちがさらわれる事件が起きているとの噂を聞くのだ。
俺たちは、絶対にそうならないように。
もしそうなってしまえば、俺たちはなんのために命を繋いでいるのか分からなくなるだろう。
子供を持った今ならば、アドルの気持ちもよく分かる気がする。
アドルと言うのは、一年前に俺らに襲いかかってきた、あの赤みがかった黒の鱗のオスドラゴンだ。
やはり、彼は何者かにつがいを殺され、子供も攫われてしまったそうだ。
つがいも子供も奪われることなど、考えただけでも恐ろしい。
きっと誰だって怒り狂うだろう。
そんな彼も、あの後弱っていたところをこの群れに受け入れられた。
それからと言うもの、アドルはすっかり落ち着きを取り戻していて、今や俺の少ない友達のうちのひとりにまでなっている。
と言うのも、群れのドラゴンに聞いたのか、アドルは俺らのところに謝りに来たのだ。
確かに死にかけたが、故意ではなく狂い回るのも理解できたので、特に何か言うこともなく許した。
まあアドルの方は、怒りに任せて俺らを殺し掛けたことを覚えているらしく、彼の方が年上にも関わらず俺らに頭が上がらない様子ではあるが。
……っと、そう思っていると、広場の向こうにアドルが居るのが目に入った。
俺が気付いたのと同時に彼も俺に気が付いたようで、遠慮がちに頭を下げて挨拶してくる。
「ルグゥ、ガウオ」
ちょっと、あいつとケンカの練習でもしてくる。こいつらを頼むよ。
どこ行くのと言わんばかりに俺に視線を投げかけてくる子供たちをラゥナに任せると、俺は立ち上がってアドルの元まで歩きだす。
「ルグ、ルクルアォ」
「グゥ」
まかせて。あなたもあんまり無茶しないでね。
その言葉に、ラゥナを振り返って一つ頷くと、俺はアドルと一緒にもっとひらけた場所に向かって歩き出した。
こうやってたまには身体を動かしていないと、身体が鈍ってしまうからな。
その点、アドルはよくこうして相手になってくれるし、割と強いから、俺としては随分と助かっている。
前にそのことを言ったら、とんでもないですよと恐縮したように言いつつ、急に嬉しく感じたのか恥ずかしく感じたのかは知らないが、しばらく誘ってくれなくなってしまったので、今は心の中だけで思うことにしている。
暴れまわっていた時からは想像も出来ないほど、アドルはいい奴だ。
それに気付いた時は、子供やつがいを奪われることが、そんなにも誰かを変えてしまうことに驚いたものだったな。
今のアドルしか知らない奴に、前にそうやって暴れまわっていたと教えても、おそらく誰も信じてはくれないだろう。
そんなことを考えているうちに、群れの仔竜たちが遊びまわる草原の広場を抜けて、川の近いいつもの練習場所にまでやってきた。
周りを見ても、俺たち以外には同じようにケンカの練習をしている数組の成竜しかいない。
「ガルゥ」
「ルグア、ルル」
よし、じゃあ始めるか。
手加減はしませんよ、と言って構えるアドルを見て、俺もいつでも飛び掛かれる体勢になる。
それから、しばらく睨み合いが続いた後、どちらからともなく一気に距離を詰めてお互いに鉤爪を振るう。
鉤爪同士がぶつかる少し乾いた衝突音が、森の中に一つ響いた。
◇◆◇
「……ガア」
……ふう、今日は、俺の勝ちだな。
俺はアドルの首筋に当てがっていた鉤爪を退けると、仰向けに倒れた状態の彼の腕を掴んで立ち上がらせる。
さすがです、と立ち上がったアドルが少し悔しそうに言う。
昨日は確か何回かやってアドルに勝ち越されたが、今日はなんとか勝つことが出来た。
ふと空を見れば、既に陽は大きく西に傾いて琥珀色に染まり始めている。
さっきのケンカが結構接戦で長引いたのに加え、今日は始める時間がちょっと遅かったからだろう、いつの間にかこんな時間だ。
最初に居た他の成竜たちももう群れに戻っているようで、いまここに居るのは俺たちだけだ。
「ル、グルガ」
「グゥ、アウグォ」
今日はそろそろ戻ろうか。
そうですね、もうこんな時間ですし。
近くを流れる川で喉を潤してから、疲れた身体を落ち着かせつつふたりで群れの方にゆっくり戻りはじめる。
異変が起こったのは、その時だった。
「グルアアァァァーーッ!」
「ぎゃああ!」
突然、群れの中心方向から、仲間の怒号と人間のものであろう悲鳴が響いてきた。
アドルの方を見れば、彼も俺の方を見ていた。
これは、ただ事ではない。
お互いにしばらく顔を見合わせた後、ほぼ同時に頷いたかと思うと一気にふたりで走り出す。
音の場所はここからそう遠くない場所だった。
おそらく、ここの広場から森に入っていったすぐのところか──
「ガァ⁉︎」
現場に辿り着いて俺らが見たのは、目を疑う光景だった。
数十人の軽い装備に身を包んだ人間たちが、草原の広場にいた仔竜たちを脇に抱えて森の中に戻って行っている。
子守をしていたドラゴンはそれを見て黙っているはずもなく、子供を守ろうと必死に襲いかかってはいるが、なかなか上手くいっていない。
仔竜を脇に抱えているということもあるだろうが、この人間たち、何処かドラゴンに対して慣れているように見える。
……まさか、子供が突然いなくなると言うのは、人間に連れ去られていると言うことだったのか。
俺らと同じく、さっきの仲間の咆哮で異変を感じ取ったらしい他のドラゴンたちが、人間たちを挟んで奥から一斉にやってくるのが見えるが、このままでは多少の被害が出てしまう。
「ガウアッ!」
アドルが、早く助けに行きましょう! と今にも飛び出しそうに構えている。
幸い、人間たちはまだ俺らには気が付いていない。
退路を塞ぐようにして後で合流する仲間と挟み討ちにできれば、被害も最小限に抑えられるか。
「グ……」
そうだな、と言って、俺も飛びかかる態勢を取ろうとした時、俺の目は偶然にもあるものを捉えた。





