2-6 目覚め
「……グゥ?」
ぼんやりとする意識がだんだんと覚醒してくる。
目の前に見えるのは、いつか見たような木の小屋と柵に囲まれた畑。
空は高く晴れ渡っていて、真上あたりにある太陽の光が俺の目を刺す。
……あれ、俺なんでこんなところにいるんだっけ。
「あ、やっと目を覚ましたんだね! もう身体の方は大丈夫?」
農作業をしていた青年が、俺が目を覚ましたのに気が付いて俺に駆け寄ってくる。
身体……?
自分の藍色の鱗の身体を見下ろしてみると、治療の跡とともにあちこちに包帯が巻かれていて、まだ少し痛みが残っている。
……えっと、そうだ! 俺、あの後っ!
俺はハッと起き上がって周りを見渡す。
……が、どこにも見当たらない。
「あ、まだあんまり動かない方が……わっ!」
「ガァ! グゥアオッ!」
ラゥナは⁉︎ ラゥナはどうした!
俺は思わず青年に飛び掛かり、必死に訴える。
「……く、苦しい。落ち、着いて!」
「ガ⁉︎ ……ゥゥ」
地面に押し倒された青年が苦しそうに声をあげたのを聞いて、ようやく俺は我を取り戻した。
二回り以上大きいドラゴンに押さえつけられれば、そりゃあ誰だって苦しい。
俺は素早く青年から離れると、鼻先で彼を起き上がらせながら申し訳ないことをしたと謝る。
「グゥー、キュルル……」
「ああ、びっくりしたあ。今度こそ、本当に食べられると思ったよ……。そんなに気にしなくて大丈夫、ちょっと混乱してただけだよね」
立ち上がった青年は、全く怖がる様子もなく俺の首筋を撫でてきた。
一瞬驚いたものの、そのまましばらく身を任せる。
人間がドラゴンに、こんなにもすぐに慣れるものだろうかと、一瞬疑問に思ったものの、困ることではなくむしろ助かることなので特にそれ以上考えないようにした。
それよりも、あいつは……ラゥナはどうなったんだ? 無事なんだよな?
俺は必死に身振り手振りでラゥナのことを表現する。
「ガゥグ、ヴルル、グルルアォ!」
「え? もしかして、君が連れてたあの女の子のドラゴンのこと?」
青年がそう言ってきたので、俺は何度も首を縦に振る。
すると青年は、何とも言えない表情で頭を掻きながら、ゆっくりと口を開いた。
「彼女は、今はここにはいないよ」
「ガ……ガ⁉︎」
何だって?
……ここにいない、だと?
俺は詰め寄るように青年に近付いて、少し声も大きめに青年にどう言うことだと問いただす。
「ガァ! グルア、グゥオッ⁉︎」
「ちょっと、落ち着いてって! 今はいないけど、じきに──あ、ほら! 来たよ!」
来たって、一体何が……?
そう思いながらも、言われた通り後ろを振り返ってみれば──
そこには、大きなイノシシを咥えたラゥナが、俺と同じく驚いた様子で立っていた。
「ヴルルグァ!」
「キュルッ!」
イノシシをその場に置いて駆け寄ってくるラゥナに、俺も怪我の痛みなど忘れて走りだした。
そのままラゥナは俺の懐に飛び込んで来て、俺もしっかりと彼女を受け止める。
ああ、ラゥナだ。ラゥナが生きてた。
お互いにその存在を確かめるように、ぎゅっと抱き締め合う。
すりすりと俺の首筋に頭を潜り込ませてくるラゥナに、俺はその頭をこれでもかと撫でる。
本当に嬉しそうに微笑むラゥナが、まるで太陽のように眩しく見えた。
良かった……。本当に良かった。
そうしてお互いに再会を喜んだあと、しばらくしてようやく離れた。
そして、ふと何かを思い出したように、ラゥナはさっき置いたイノシシを咥えに戻ったかと思うと、それを青年の小屋の前に置いた。
「ガァ?」
「ルルッ」
何をしているのかと聞いてみれば、ラゥナは青年へのお礼だと言った。
なるほど、と思って青年の方を振り返れば、農作業用の鍬を肩に担いで嬉しそうに笑っている。
「いやー、本当に助かるよ。実は、君は今日を含めて五日間も眠ってたんだ。彼女はすぐに目を覚ましたんだけど、しばらくはずっと君の側を離れなくてね。でもしばらくすると、僕たちが治療しているのに気が付いたのかな、こうやって毎日狩をして獲物を届けてくれるようになったんだよ」
そうだったのか……俺、五日間も。
そう思っていると、再びラゥナが寄ってきて身体を擦り寄せてくる。
死ななくてよかった、また会えてよかったね、と喉を鳴らしてそう伝えてくる。
「でも、どっちも無事に目を覚まして良かった。本当に危ない状態だったんだけど、ギリギリのところで持ちこたえたみたいだね。……ふふ、それにしても、やっぱり不思議だよ」
青年は俺たちの近くまで歩いてくると、そう言って俺たちを興味深そうに見上げる。
「グゥ?」
「いや、ほらドラゴンってもっと凶暴で、人間に襲いかかるイメージがあるからさ。まさか助けを求められるなんて思わなかったし、言葉まで通じるとは驚きだよ。でも、そっちの女の子の方はあんまり通じないみたいなんだけど」
凶暴で、人間に襲いかかる、か。
きっと『普通』のドラゴンだったならそうなのかもしれない。だけど、俺は何故か人間のことについて知っている、少なくとも『普通』ではないドラゴンだからな。
それはただの気のせいなんかではなく、実際に彼の言うこともはっきりと理解できる。
前々から思っていたが、俺は他とは少し事情が違うようだ。
だけどそれが何なのか、今の俺には分からない。ただ本当にちょっと特殊なだけだったら良いんだが、どうにも引っかかると言うか……。
「クルル……」
懐で喉を鳴らすラゥナの頭を、そっと撫でる。
それはそうと、そのおそらく『普通』のドラゴンであるラゥナが大人しいのは……多分、こいつがもともと変わり者だからだろうか。
彼女の様子から、青年が言った通り人間の言葉はあまり分かっていないようだから、俺とはやはりまた別の問題なのだろう。
「あ、自己紹介がまだだったね、僕はエル。この村の村長の一人息子だよ。君たちのことは村長も許可してるから、傷が治るまで良かったらここでゆっくりしていきなよ。それじゃあ、僕はそろそろ農作業に戻るね」
青年はそのまま再び鍬を担ぐと、柵の向こうの畑に向かっていった。
エル……エルだと? これも。どこかで聞いたことがあるような。
『──おいエル、よせ、もう良い!』
その瞬間、何か会話のようなイメージが頭の中に浮かんできた。
……なんなんだ、これは。俺の記憶には無いものだ。
今までとは違って割とはっきりしたイメージが浮かんできたことに、俺は戸惑いを隠せずにただ青年の歩く背中を見つめて立ち尽くす。
ラゥナはそんな俺の様子を見てまだ俺が本調子では無いと思ったのか、俺の分の獲物も取ってくるよと言ってきた。
確かに、少し疲れているのかもしれない。
俺は言葉に甘えて頷くと、その場に丸くなって目を閉じた。





