2-5 二頭の竜
森の中を全力疾走し、俺は立ち止まった。
せいぜい数分程度のはずなのに、まるで何時間も走ったかのような錯覚を覚えつつ、目的の場所に辿り着いたのだ。
「……グルアォ」
俺の目の前にあるのは、とある木造の簡素な家と、柵に囲まれた畑。
その畑には、麻のような衣服に身を包んで農作業をする青年。
ここは、人間の住む村。
ドラゴンは基本的に人間とは無干渉だから、俺も来たことは無かったけれど、存在自体は知っていた。
そして、面倒なことになるから近付いてはいけないと教えられていた。
「グルアォ!」
「うわっ! ドラゴン⁉︎」
最初に呼び掛けた時は気付いてもらえなかったから、仕方なく小屋の近くまで行ってさっきよりも大きな声で、農作業をする青年に声を掛ける。
薄々そうなるだろうとは思っていたが、青年はびっくりしてその手に持つ鍬を落とし、そのまま畑に尻餅をついてしまった。
ここで敵視されてしまったらおしまいだ。
なんとかして、敵意が無いこととラゥナを治療してほしいことを伝えなければ。
「……グルァォ、ルルゥ」
出来るだけ声の大きさを抑えて、前足と頭を地面まで下げる、いわゆる『伏せ』の状態になる。
そして青年を驚かせないように、そっと背中のラゥナを俺の横に横たえる。
「……グルル」
「な、なんなんだ?」
相変わらず腰の抜けたままの青年に目を向けつつ、ラゥナの傷を鼻先で指してみせる。
これでも、ダメか……。
このままでは、ラゥナがもたない。
かと言って俺に取れる選択はこれしか無いのだ。
リスクと時間との戦いに勝って仮に群れに戻れたところで、この傷が治せるとは到底考えられないのだ。
ならば、もう人間の力に頼るしかない。
ラゥナの命が助かる可能性が少しでもあるのなら、俺はなんだってしてやる。
もう一度俺は伏せて、今度は深々と頭を下げて地面に付ける。
……頼む、お願いだ。助けてくれ。
「……グ?」
誠意を込めて無害をアピールしつつも、この青年では無理かと半ば諦めかけていたその時、俺は土を踏む足音にゆっくりと顔を上げた。
そこには、恐る恐るといった様子で俺たちの方にに向かって歩いて来る青年がいた。
恐怖からか震えているようにも見えるが、その表情には明らかに恐怖とは違う勇気のようなものを感じる。
ここで俺が動けば、青年を驚かせてしまうか。
ラゥナから一旦離れた方が良いかと思ったが、俺はただじっと微動だにせず青年がこちらに来るのを待った。
「……血、だよな? 怪我、してるのか?」
近付いても襲いかかる様子のない俺を見てようやく何かを悟ったのか、青年は意を決したようにさらに近づいてくる。
青年はそのままラゥナの側にゆっくりと座り込むと、俺の方を気にしながらもその傷を確かめ始めた。
俺は、ゴクリと固唾を呑んでその様子を眺めていた。
「これは酷い……一体どうして」
ラゥナの傷を確かめていくうちに、青年の表情はどんどん険しくなっていく。
やはり……人間の力でも無理なのだろうか。
俺は、唯一見えていた希望の光が、どんどんと弱まっていくのを感じた。
ラゥナの微かな息が、今にも途絶えそうだ。
俺はゆっくりとラゥナに前足を伸ばして、一緒に寝転がるようにしてその頭をそっと抱き締める。
青年は意外にも俺が動いてもさほど驚いた様子はなく、一旦ラゥナから離れて立ち上がると俺の方をじっと見つめてきた。
「僕一人じゃあ、これはとても手に負えないよ。でも、ベリンダさんなら……なんとかなるかもしれない。でも、僕が離れてる内に、万が一このドラゴンが暴れ出したりしたら……」
顔を上げた俺に、青年はそう言ってきた……というより、独り言に近いことを呟いた。
青年は、解決の糸口を見出しかけていたところに、未だに要らない心配をしているようだった。
どうせこのままじゃあ助からない。可能性があるのなら、やってもらうしかない。
藁にも縋る思いで、俺は懇願するように何度も頷いた。
「あれ、キミ……頷いたのかい? もしかして、人間の言葉が分かるの?」
「グ、グゥ」
驚いた様子で訊いてくる青年に、俺は再び頷く。
どうして言葉が分かるのか、と一瞬疑問に思ったが、今はそんなことはどうだって良いのだ。
早く……頼むから早くなんとかしてくれ!
「グァオ!」
「わわっ! ちょっと!」
俺は意を決して、目の前の青年の腹を鼻先で小突く。
おとと、と後退った青年に、俺は再びラゥナの頭を抱くように前足で抱える。
「グゥ……アルゥ」
「助けたいんだよね……よし、分かった! じゃあ、ここでじっと待っててよ! すぐに事情を話して呼んでくるから!」
青年はそう言い終わると同時に、弾かれたように走り出した。
その後ろ姿を見送りながら、俺はぼんやりとしてきた意識の中でラゥナを守るように、今度はその身体全体を抱えるように丸くなる。
なんとか……なんとか伝えられたぞ。
これで俺たちは助かるのだろうか。
少なくとも、俺がやれるだけのことは全てやったはず。
ふと自分の身体に目を向ければ、あちこち傷だらけでそこそこ深い傷もある。
気が付けば、俺ももう動くことさえ出来ないほど弱っているようだった。
ああ、ラゥナ。
お前はどうして俺なんかを……。
俺は、お前に何もしてあげられなかったというのに。
いつも、貰ってばかりだった。
一緒に居て、楽しかった。
ずっと一緒に居たいとも思った。
それが好意だと気付いたのは、いつだっただろう。
……でもそれは、俺の独りよがりなんじゃないかって。
ラゥナにとって俺は、ただの友達なんじゃないかって。
いや、その時の俺はそう確信していた。
だから、それ以上の関係を意識しないように、俺は配慮をして過ごしてたんだ。
自分なんかが好かれるわけがない、と。
なのに……なのにラゥナは、俺のことを思っていたなんて。
「グァ……グ」
思わず自嘲気味の声が漏れてしまう。
どうして気付かなかったんだ、俺は。
今思えば、ラゥナはたくさんのサインを出していたことに気付く。
なんにも知らなかったんだな、俺は。
当たり前だよな。孤立して、周囲を全然見ようとしていなかったのだから。
何かある種の強い眠気のようなものに襲われながら、俺は力を振り絞って前足を動かしてラゥナの頭を撫でる。
……お前、こうされるの、好きだったよな。
……ああ、ラゥナ。俺だってお前のこと、好きだったのに。
……それを俺は伝えられずに、お前だけ言い残して死ぬなんて、そんなの卑怯だぞ。
──ラゥナ、ラゥナ。
死ぬときは、一緒だから、な。





